「他にない役割 2」
他にない役割
2
そんな時、郁子は覚えのある胸のつまりを感じた。
ほかの何かにたとえることのできない、純正の「つわり」である。この子も
どうしても生まれてきたいらしい、用心の隙をぬって跳びこんできたのだ。
それゆえ、ふたり組みの宝をえるような、ある意味家族が完成したような安
堵感もあった。不思議な心理ではあった。
高度成長期の日本で、幸いにも夫の仕事は順調であった。
郁子は、この子が生まれたら、一歳になったら働き始めよう、といつの間に
か決意していた。
母親の胎内で、新しい生命が着々と形を作っていく間、長男の充もすくすく
と育っていた。彼の首を絞めていた二重のへその緒のせいか、いつも色白が目
立ち、またいつも母子でクラッシクを聞いていたせいか、静かでまじめな、は
めをはずさないところがあった。
上着を着せると、自分でボタンが留められるようになるや、上から下まで
きっちりと全部のボタンを留めた。暑いから開けておおき、と言われても妙に
頑固だった。
その他の点では二歳の子どもとも思えないほど聞き分けが良かったのだが。
郁子は「スポック博士の育児書」というアメリカの育児法の本にかぶれてい
た。少なくとも、すでにこの時点でどこかに残っている儒教的な日本的な影響
を吹っ切ってしまっていた。
ドライに、こどもを自立させるのが育児である、という基本的な主張が
あった。
ただ、愛するという点が、愛情を表現するという点が郁子の理解しそこなった
部分であったかもしれない。アメリカでは愛情をおおっぴらに表現するのがもう
ひとつの基本であったのだ。
充は余り笑わず、まじめで利口であった。そういえば郁子自身もそんな人間で
あったが、内気でありながら、性格の優しさが外にこぼれているので、充がかり
にも母親に抑圧されて育ったというわけではまったくない。
今度の出産は真夏であった。予定日より二日早かった。
神奈川の両親のところへ、郁子が里帰りしたのも、病院も同じところである。二年半の年月は、その病院を全く変化させていなかった。
看護士長はすこし歳をとった同じ女性であり、医師の柏すらそこで働き続けて
いた。新生児の枕として、同じように布のオムツをたたんで使い、同じギャグを言った。
「立派に洗ってあるから、ふつうの枕よりよっぽど清潔なんだよ」
ぱんぱんとそれをはたいて看護士長は言うのだ。
同じ6人部屋である。今回は、昼間に入院となり、陣痛は間遠かったので、部屋の他の母親たちと話すことも出来た。充を両親に任せることに何の不安もなく、わずかに与えられた独りの時間、しかもあまり苦しくなかった。
夕方近くなったとき、有意な陣痛があった。郁子は低くウシガエルのように呻いた。
ややして、もう一度やってきた。郁子はまた呻いた。ややして三度目がきて、有意に呻いた後、郁子はナースコールを押した。もう確信があった。
すぐに分娩室、という運びになった。近所の母親が言っていたが、二人目は早い、自分はもうトイレでしゃがんだときにいきみが来た、ほうほうのていで分娩台に乗るとすぐに生まれたという。それはまことに小さな女の子だった。
医師の柏が、カルテを眺め大声で言った。
「この人は大出血か、急がないでゆっくりいこう、気をつけような」
今回も、指で下、つまり後ろ方向につよい圧力を加えながら、つまり産道を広げているのだろうが、彼自身が大きく唸ってみせ、いきみを促した。
助産婦たちも声を合わせるが、今回もあまりいきみを感じず、尿意か便意か、そ
んな不愉快さのみ感じた。
頭が、とか聞こえたとき、郁子はとうとう我慢できずに便を大量に排出してしまった。あるいは破水であったのか臭いはしなかった。看護士がすばやく片付ける気配がした。そしてまた会陰切開である。
ぱちん、と音がすると郁子は思わず、痛っと声を出した。三回痛っと叫んだが、
遠慮会釈なく行われる。すると、確かに肩のようなものがするっと通っていった。もう産声が響いた。大きな声である。
「男の子ですよ、ほら、おめでとうございます」
助産婦が見せてくれた。赤い顔で鼻の形がすでに雅彦に似ているようにちら
と思われた。現金なことに、郁子はずっと女の子を期待していたので、少し
がっかりしたがそれもすぐに消えた。
その後、例のごとく切開箇所の縫合が行われた。充のときは、縫われたこと
も意識していなかったが、今度は一針ごとに痛いのだった。
いたた、いたた、とそのたびに訴えたが、柏医師は歯牙にもかけずに、郁子
のふとももによりかかっている看護士長となにか郁子のことを気軽に喋り
あって、笑っていた。念のために、また氷の塊がくくりつけられた。そしてまもなく病室にもどされた。
もう暗くなっていた。
仕事をうまく果たした、これでこんなこととはおさらばだ、そう思うと郁子
はにやつかずにはいられなかった。大きな充実感と、今後への意欲がふつふつ
と湧いた。
頭の中には考えが巡った。とくに次男の名前である。
充という名前は雅彦が考え付いて、それを聞いたとたんにあの子にぴったり
だと瞬時に確信したのだった。こんど郁子が次男につける名前も、かならず雅
彦にも気に入ると思われた。
雅名に決めた。美しい完璧な独特な名前だと思った。
それからまた、本当にこの出産という仕事を果たしたことを自分に祝福した。夜中、一睡もできなかったが、あとで聞いたところでは出産の後その夜はホルモンの変化のせいか、こんな不眠と興奮状態がふつうであるという。
朝日が差し込んで、暑いので両脚をはだけていた。ひざを立てた大きな太もものししむらがつやつやと輝いているのを自分でも美しいと思った。郁子は二十九歳になったばかりであった。
柏医師への依存心の変形である妙な慕情はすっかり消えていた。彼は最後に
郁子に言った。
「もうこれで出産はおしまいにした方がいいですよ」
「はい、もうこれでおしまいです」
その後の五年間に河田一家に起こったことは、幸運と不運とに大別される。
充と雅名は有難いことに非の打ちようもないほど、典型的な男の子に育って
いった。
雅名に上着を着せると、決してぼたんを留めようとしなかった。充とは余り
に性向が異なるようであるのも面白いことだった。
充のほうが一般よりも大人びているので、雅名の行動がいっそうあけっぴろ
げさにおいて目立つのかもしれなかった。充はよく物事を理解し、レゴで見事
な対称的立方体を作った。雅名はテレビ番組の歌を正確な音程で歌った。実に
楽しそうに没頭して歌った。
河田雅彦、郁子夫婦の仲は最初喧嘩もなかったが、いくらか不燃焼感が
あった。ふたりとも心を開かず他人行儀であった。このままの役割を果たしていけばよかったのだろう。
ただ、郁子はすでにフェミニズムの考えに毒されていた。自分のために働き
たがった。自分も働き、かつ夫にも家事育児の一端を担ってほしいと思ってい
た。夫にはそんな意思はまったく生まれなかった。理解の外であったのだ。
週に六日、朝から遅くまで会社勤めをすれば、日曜日には半日は眠りたい、
テレビをみたい、というのはもっともだった。が、郁子にすれば週に六日、朝
から晩まで家事育児では日曜日には別のことが起こって欲しい。そんな齟齬か
ら言い争いが起こる頻度が次第に高くなっていった。
「家事が嫌いやからそんなこと言うんやろ」
郁子の家事がいいかげんなことにきづいていた雅彦が駄目押しのように
言った時、郁子は黙ってしまった。
女の価値をそこにおいていないのは確かだった。好き嫌いはあるだろうが、
そんな問題ではなかった。
それから郁子は職探しを始め、大学の後輩が働いていたのを知らずに公立大学の臨時の事務助手募集に応じた。この小さな、大学関係の募集情報そのものも幸運にも文化サークルで手に入れたのだ。
「もしもし、そちらの研究室で事務助手を募集なさっていると聞きましてお電
話したのですが」
「あ、そうです。履歴書など送ってくだされば検討しますが。いちおうお名前
を伺っておきましょうか」
「そうですね、河田郁子と申し」
「えっ、河田郁子って、河田さんじゃありませんか? 後輩だった山村ですよ」
「あ、そういえば大阪の公立大学に職を得られたのでしたね、山村さん、まあ
なんという」
地方公務員であった山村が来春転出するので、あく穴を臨時に埋めるための
募集であったのだ。こうして郁子のアルバイトが秋のうちに決まった。週に四
日である。
雅彦は、笑って言った。
「へえ、良かったな。よく頑張ったなあ」
郁子が、これに対し何か気軽にウィットに富んだ反応を示すことができない
ことが夫婦間に次第に、ある無関心さを生むのかもしれなかった。
郁子が働きだし、子ども達が保育園に通い始めて一年たつころ、山口県の雅
彦の両親が怪我をしたり、雅彦の妹の美沙子からそろそろ親をみるように帰郷
したらと強く言われたりして、どこか素直な夫婦は、大家族がまとまることに
少し夢を抱いて、流れるままにユーターンを決定させてしまった。
郁子も故郷での当初の仕事場に復帰が約束され、雅彦は惜しまれながら会社を退職した。日本の景気はますます上昇していた。
郁子は古巣の地方大学で事務職として意欲的に仕事に打ち込み、雅彦にもや
がて新興の運輸会社の管理職がみつかった。子ども達はまた保育園に通い、翌
々年充は小学校に進んだ。
もうひとつの重要な変化がやがて起こった。仕事の関係で神奈川にいた郁子の両親も帰郷することになったことである。これはかなり重要な転換点となった。
郁子の両親はもともと山口県のこの地に家を構えていたのだが、父親の退職後の再就職にともない、家はそのままにして上京し、すでに十年ちかく経っていた。娘夫婦が関西からユータンしたのでその家に住まわせていたのである。そし
ていよいよ、最終的な退職がみえてきたとき、父親はそのまま東京近辺に住み
続けることを考えていたのだが、郁子はどうしても帰って欲しい、この家を二
世代住宅にすればいい、と提案した。
そこには両親の協力をあてにする娘のわがままさがあった。まさに郁子に
とっては理想的な家族配置であった。これで仕事をステップアップしたいと
願っていたのだった。
妻の両親との同居、これに雅彦は反対した。しかしそれを郁子は夢見ていた
し、そもそも結婚したとき以来、郁子のペースで雅彦を説得して流れが作られ
ていたので、今回も郁子の強い心が状況を貫徹したのであった。
子どもの世話をてつだってもらえる。雅彦はあいかわらず手助けしてくれな
かった。どうしてそうなのか郁子には理解できなかった。そんな暇があれば夫
はパチンコに行ったりしたのだ。
おまけに、事態の変化の時にはささいないきちがいも起こるものだが、両親
同士が不仲になり、郁子は雅彦に責められた。同時に雅彦と妹の美沙子の間で
けんかも起こり、郁子はその余波のため、婚家でなぜか孤立してしまった。
雅彦の両親は嫁の郁子が仕事にそれほど情熱をささげるのを不満に思い、嫁
らしくない気の利かなさに気づいた。
郁子の稼ぐお金が、彼らのために雅彦が建てた新居の支払いにすべて使われ
ていることを当然とみなしてもいた。
一方、自分の両親にも郁子は失望していた。とくに母の和代は雅彦をおおっぴらに非難して、郁子の立場を悪くした。家族の輪の中で、護られるどころか、非難ばかりを浴びることになった。
家族がその後離散したとき、近所の八百屋のおやじが言ったものだ。
「あんまりうまくいきすぎてたもんなあ」
ある冬の夜、こたつのふとんはぬくぬくとして、郁子好みの美しい柄で
あった。ひとつの隅に、充と雅名のふたりがよりそって暖かそうに幸せそうに
笑っていた。
その頭のかわいい丸みをしみじみと郁子は眺めた。ふと、この子達をいつか
置いていくかもしれない、という思いが湧いた。だから今のうちに良く見てお
こう、とでもいうような。
ある冬の夜、雅彦がいつものようにマージャンから遅く帰ってきたが、おみ
やげにシューマイをもっていた。二人でつついて食べた。そんな夜が何回か続
いた。そして一緒に寝に行った。
それが最後の幸せの図となった。その後、やはり心を開きあうことができな
くて、雅彦はますます家庭をないがしろにした。
義父母との同居の悪い面が突出した。
ある冬、郁子はこたつで眠り込んでいた。雅彦が誘ってもなかなかふとんに
こなかったのでそのまま別々に眠ってしまった。
それが崩壊のはじめのようであった。
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