5話 クマの襲撃

 ルナが起きてきたので、一緒に野菜の世話をすることにした。

「なにをするんだ?」

「川の水を汲み、畑にまく」

 単純な作業だが、バケツに入れた水は重く、運ぶだけで腕の力をかなり使う。彼女も運びたそうにしていたので、手伝ってもらうことにした。川の水をバケツいっぱいに汲み上げる。その重さにふらつき、一旦地面に置いた。

「ほれ。お前の分だ」

「か弱い女をこき使う気か?」

「働かせずして食わす気はない」

「んぐ…」

 しぶしぶといった感じで、ルナはバケツを両手で持った。それを重そうに運んでいく。先に到着したローレンはジョウロに水を入れて、畑に水をまいていく。

「ふぎぎぎぎ…。この水めっ。我の力の前に、なお、抵抗するというのか!」

 なんか言ってるけど、放っておこう。

「ふぎゃん!」

 彼女は石につまずいてこけた。そして水がバシャーと地面にまかれた。ローレンからため息がもれた。

 やることはいっぱいあるので、バタバタしながらもお昼になる。いつもならあっという間に時間が過ぎるが、ルナがドジを頻発するため、やたら長く感じた。昼食は手早く済ますために、おにぎりを作った。中に梅干しが入っている。

「食え」

「なんだこの三角形のやつは?」

「おにぎりも知らないのか?」

「むっ! し、知ってるぞ! 我をバカにするな!」

 食べたそうにしているが、毒物が入っていると警戒しているのか手をつけない。ローレンが口に入れて頬張るのを見て、パクっと口に入れた。もぐもぐごくんと喉を鳴らすと、彼女は目を見開いた。

「なかなかおいしいではないか」

 気を良くしたのか続けて二口目、今度は梅干しの部分が口に入った。

「んぐっ!」

「ん?」

 ルナはキッチンに下りて、ベエッと梅干を吐き出した。

「き、貴様! さては毒物を入れたな!」

「なに言ってんだ?」

「あくまでしらを切るつもりか!」

「お前が食ったのは梅干しだ。酸っぱいが、うまいぞ」

「梅干し、だと?」

「まさか、知らないのか?」

「し、知ってるぞ!」

 お前絶対それ、知らないときの反応だろ。

 おにぎりも知らない、梅干しも知らない。いったいどこの地域で暮らしていたんだこいつは?

「ふだん何食べてたんだ、お前」

「我か? 主に肉だ」

「なんの肉だよ」

「クックック…聞きたいか?」

「いや別に…」

「むっ」

 ルナは不満げに眉をしかめた。

「聞いてあげなよ」

「今は飯に集中するときだ」

 アルルの指摘に、ローレンはつぶやいた。

「ん? なにか言ったか?」

「なんでもない」

 おにぎりを腹に入れた午後、ローレンは釣り竿を持って、川へと向かった。昨日と同じポイントで釣りを始める。ルナは近くで屈みこみ、大人しくしていた。昨日のような過ちはもうこりごりなのだろう。暇なのか、彼女のほうから口を開く。

「ローレン。お前、なんでこんなところに住んでいるんだ?」

「聞きたいか?」

「べ、別に!」

 ふっとローレンは微笑した。

 まあ、今は待ち時間だ。喋ってもいいだろう。

「人の多いところが嫌いだからだ」

「そうなのか。なぜだ?」

「昔、色々あってな…」

 思い出されるのは、過去の暗い記憶だった。自分だけが精霊を見ることができ、会話できることを知ったのは六歳ぐらいだった。それによって周りの人たちに気味悪がられ、いじめられるようになった。家族は悪魔が憑いていると思ったのか、お祓いをしたり、教会でお祈りをしたりしたが効果はなく、やがてそれをきっかけに父と母は仲が悪くなり、離婚。そして母も俺を捨てた。

「ローレン。引いてるよ!」

「あっ!」

 アルルが声をかけてくれたが、一足遅かったのか、竿を持ったときにはもう軽くなっていた。逃げられた。

「キャハハッ! ローレンもミスをするのだな」

「お前ほどじゃねえけどな」

「むっ。次は我の番だ!」

 ルナは釣り竿をローレンから奪い取り、エサをつけてないのに川へ投げ入れる。

「ふふん。見ていろよ。我の実力を」

「おい」

「なんだ? 我の番だと言っているのだ。大人しくそこで待っていろ。お前の助けは必要ない」

「エサ、つけてないぞ? どうやって釣るんだ?」

「…」

「…」

 ぷしゅ~っと顔を真っ赤にし、湯気を噴き出すルナ。それは比喩でもなんでもなく、本当に湯気が出ていた。

 焦っているのが、わかりやすすぎるんだが。

「な、なんとかなる!」

「エサつけろよ!」

 ルナは黙って竿を渡してきた。エサをつけてやって、彼女に渡す。

 釣り針だけで引っかけるなんて、なんかの我慢大会でもするつもりか?

 そんなやり取りを続けていたが、魚は一向にヒットしなかった。

「今日はさっぱりだな。切り上げるか」

「もしかして、夕食は魚なしなのか!?」

「山菜でも採るか。それをおかずに食べる」

「山菜?」

「この辺りにもいろいろな食べられる植物が生えてるから、それを採るんだ」

「草を食べるのか!?」

「山菜だ。山菜」

「我はそのようなものは食わんぞ!」

「じゃあルナはなしな」

「い、いいだろう!」

 ルナは不安そうな声を出した。魚釣りをやめて、山菜取りに少し森の中に入っていった。そして何種類かの山菜を摘んでいく。袋は持ってないが、手に持てるぐらいの量でちょうどいい。

「全部は取らないのか?」

「ああ。全部取っちゃうとなくなっちゃうからな、成長したものだけだ。自然の恵みに感謝しないとな」

「くだらんな。弱いものは、全て根元まで抜き取ってやればよいのだ」

「そうなると、いざというときに困ることになる。それでも構わないんだったらそうしろ」

「うぐ…」

 目の前に少し開けた場所があった。そこには白い花が一面に広がっており、ルナは子供のように駆けだした。彼女は花をブチっと抜くと、香りをかいだ。

「これは燃やしがいのある花だ」

「お前ぐらいだよ。そんな感想を言うの」

「キャーハッハッハ! 恐れ入ったか!」

「バカにしたんだが…」

「なんだとっ!」

「あっ」

 声に反応したのか、遠くの茂みから黒い熊が現れた。子熊だろうか、どことなく犬に似ている。ローレンたちに興味があるのか、じーっと凝視してきた。

「魔物か!」

「…近づくなよ」

「え?」

「あれは子グマだ。近くに親がいるはず…。逃げるぞ」

「ふんっ。バカなことを言うな。こんな雑魚ごとき、我の敵ではない」

 ルナは一歩前へ出た。

「やめろ!」

「ひっ!」

 本当に危険なことなので、怒鳴ってしまった。その声に子熊も驚いたのか、茂みの中に消えていった。

「わ、我に命令する…もごもご」

「…行くぞ」

 怒られたことに戸惑っているのか、ルナは大人しくなった。ローレンたちは足早にその場を後にした。

 家に戻ると、夕食のしたくに取りかかった。山菜を焼いて塩を振ったものとみそ汁、ごはんだった。

「「いただきます」」

 両手を合わせて食事を口に運ぶ。いつもと違う空気になっているのをアルルが感じた。

「ルナ、大人しいね。ローレンが怒鳴るから」

「…わかってるよ」

 このままだと俺もやりにくい。ちゃんと理由を話さないとな。

「子熊の近くに母熊がいる危険性があった。母熊は襲ってくる危険性が高い」

「…そうなのか?」

「ああ。だから近づくのは危険だ。でも、悪かったな。怒鳴って」

「ふ、ふんっ! 後ろからいきなり大声を出されて、びっくりしただけだ!」

 いつものルナに戻りつつあった。

 食事を食べ終わると、風呂に入るまでの時間。ミシミシと外からなにか枝を踏みしめる音が聞こえた。ルナは落ち着かないのか、きょろきょろと辺りを見渡す。

「く、熊か?」

「…わからん」

 シーンと静まる部屋。その中で「ウウウ…」と獣の唸り声が聞こえた。

「ひっ!」

「声を出すな。じっとしてろ」

 人の匂いに気づいているのだろうか、うろうろとしているようでなかなか離れない。緊張感が漂う中、時間だけが過ぎていく。やがて、気配が消えた。熊はいなくなったようだ。ふうっとルナは胸を撫でおろす。

「熊ごときが、生意気な…」

 そのあと風呂に入り、寝ることにした。

 そして、翌日の早朝。まだ薄暗い時間帯に起きたローレンは一人、玄関の引き戸を開いた。そして、隣の畑へと向かう。昨夜の熊、その足跡が残っていた。柵はそのままだが、トマトなどが食い散らかされている。

「やってくれたな…」

 収穫間近の野菜、それが熊のエサになった事実にがっくりと肩を落とした。

 しかし、まずいな。味を占めた熊がまた来るかもしれない。

 その日、ルナとローレンは手分けして作業することにした。魚釣りをルナがして、洗濯をローレンがやることにした。冷たいのが嫌いな彼女なので、自然にそうなった。少し心配なので、アルルをつけておく。なにかあったら連絡をしてくれるだろう。川で洗濯板を使ってごしごししていると、アルルが飛んできた。

「ローレン! 大変、大変! 熊が出たよ!」

「ちっ」

 まだその辺りをうろうろしてやがったか。

 ローレンは洗濯の手を止めて、ルナが魚釣りしているポイントへと走った。

「こ、この! く、来るなっ!」

 ビュンビュンと釣り竿を振って牽制する彼女が遠くに見えた。それに怯むことなく、熊は近づいてくる。

「うわっ!」

 石の上ですべったのか、尻もちをついた。そこへ襲いかかる熊。

「ひっ!」

「アルル!」

「うん!」

 アルルは光の玉となって、剣の形へと具現化していった。それを持ったローレンは、熊目がけて振り下ろす。やや遠くにいるので刃は当たりはしないが、そこから切り裂く威力を持つ斬空波が放出される。立ち上がった熊に襲いかかる。

 バシュッ!

 熊の体を切り裂き、貫通。巨体は断末魔を上げることもなく、その場に倒れた。

「へ?」

 ルナは振り返った。そこには剣を握ったローレンがいて、神秘的な淡い光を放っていた。

「な、なんだ今のは?」

「これか? これは精霊の剣だ」

「そんなもの持ってたのか?」

「…まあな。ケガはないようだな」

「ふ、ふんっ! なかなかやるようではないか」

「釣り竿はどこに行った?」

「へ? 釣り竿ならここに…。あ…」

 釣り竿の先は折れていた。おそらくこけたときに引っかかって折れたのだろう。木で適当に作ったものだから、しょうがない。バケツの中身は空なので、収穫ゼロだ。

「今日も魚なしになりそうだな」

「そ、そうか」

 しょんぼりとするのは、魚を味わえない残念さか、釣り竿を折ってしまったことによる申し訳なさか、それとも…己の不甲斐なさか。

「熊の肉は食えそうだな」

「肉! 食うぞ!」

 目をキラキラさせるルナ。

 立ち直りの早いやつだ。

 ローレンはそこだけは感心し、熊の解体作業に取りかかった。

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