2話 ルナは熱に強い

「彼女、何者なんだろうね?」

「どこかの部族の子かもしれないな」

「部族? この辺りにいるの? 聞いたことないんだけど」

「知らねえって」

 魚を釣ったあと、家に戻った。

「ただいま」

 ルナは何も返事をしなかった。服を三重に重ね着しているが、元々ローレンが着ているサイズなので大きいようだ、手が隠れている。腕組みをして難しい顔をしたまま座っていた。そんな彼女にローレンは居間に上がって注意する。

「おかえりなさい、だろ」

「は? なんのつもりだ、貴様」

「貴様じゃなくてローレンだ」

「ふんっ」

 お前の言うことなど聞くかとばかりに、プイッと顔をそむけた。

 こいつ…おしおきだな。

 ルナの生意気そうな顔、その頬をつねった。そして両側に強く引っ張ってやった。

「いたいっ! いたいっ!」

「おかえりなさい、は?」

「いふっ! いふから離せ!」

「離せ?」

「は、はなしてくだひゃい」

「よし」

 頬から手を離してやると、そいつは涙目で痛そうに引っ張られたところをさすっていた。

「…お、おかえりなさい」

「声が小さい」

「おかえりなさいっ!」

「よし。よくできたな」

「くそっ。後で痛い目見せてやる」

 ブツブツと、ルナは復讐の言葉をつぶやいた。

 釣ってきた魚に塩をふり、火であぶった。皿に盛りつけて彼女の前に置く。

「食べてみろ」

「ふんっ。人間の施しなど受けるものかっ」

「じゃあいい。そこで腹をすかしてずっと見てるんだな」

 魚をおいしそうに食べるローレン。一緒にご飯も口に入れると、幸せな気分になる。

「あ~。うめ~」

 ルナの口からはよだれが垂れ始めた。それでも我慢しているのか、じっとしている。ローレンは彼女の分の皿を自分の手元に引き寄せた。

「あっ」

「なんだ?」

「な、なんでもない」

 箸を使い、魚をほぐしていく。チラッと見ると、ますますよだれを垂らすルナがいた。いたずら心が芽生え、箸の上にのせた魚の切り身をわざと高く持ち上げる。口を大きく開け、ゆっくりと口の中に入れていった。

「ま、待てっ!」

 ローレンの箸が止まる。

「ん? どうした?」

「そ、それは我の分だ。我が食べる」

 ついに心が折れたのか、彼女に皿を戻してやった。と、その前に。

「いただきますって言ってから食えよ」

「なんだそれは?」

「食べることに感謝するために言うんだ」

「くだらん。そんなこと…」

 ルナは素手で魚を持とうとした。それはさせじと皿を動かし、遠ざける。

「か、返せ!」

「いただきます、だろ?」

「い…いただきます」

 皿をとると、素手でガツガツ食べ始めた。まるで犬のようだったが、そのとき、一瞬だが目が紫色に発色した。

 ん? なんだ?

 しかしすぐに消えてしまう。謎の現象だったが、見間違えかと思って聞かなかった。アルルは傍で寝ていた。彼女の場合、精霊なので食べ物はいらない。精霊が全て人に仕えるかというとそういうわけではなく、アルルいわく自分はマレな存在だという。

「ゲプッ」

 骨や頭まで食べつくしたのか、なにも持っていなかった。口元に食べカスがついている。

「おい。ついてるぞ」

 ルナはポカンとしていたが、なにを指摘されたのかわかると急いで袖で口元を拭った。

「きったねえな。今度からはティッシュで拭くんだ。わかったか?」

「うるさいっ。命令するな」

 やれやれ。乱暴な口の聞き方をするやつだ。母親の顔が見てみたいぜ。

「で、お風呂はどうする?」

「水浴びか。するに決まってるだろ」

「じゃあお風呂を沸かしてやるよ」

「さっさとやれよ」

 ここでの立場がまだ、わかってないようだな。

 頬に向かって伸ばした手、しかし、パシッと叩かれた。

「そう何度も同じ手を食らってたまるか!」

「ほう。ならば頭グリグリの刑はどうだ?」

「へ? な、なにを…いだだだだだだっ」

「お風呂を沸かしてください、だろ?」

「沸かし…沸かしてくださいっ!」

「よし。ならばやってやろう」

「うう…」

 しつけが終わったところで風呂場に行く。隣の部屋がそうで、丸い大きな釜があった。すでに水は入れてあるので、後は沸かすだけだった。薪を下に入れてからマッチで火をつける。パチパチと音が鳴り、上の風呂釜を温める。水に触れ、ちょうどいい温度になったところで、火を消し、居間に戻った。

「入れるぞ」

 「わかった」と言って、ルナはお風呂場に来た。ローレンが出ていくと、彼女は脱ぎ始める。少しして、

「ぬるいぞ!」

 と文句の声が上がった。ローレンは風呂場へのドアに手をかけたが、引くのをためらった。

 さすがにそのまま断りもなく入るのはダメか。

「入っていいか?」

「な、なんだと!?」

「温めるには薪に火をつけなきゃいけない。お前、できるのか?」

「うう…くそ。じゃあ入れ」

 ジャバという音がした。許可が下りたので、ドアを引いて中に入った。釜の中には裸のルナが首元までつかり、警戒した目でこっちを見ていた。薪にマッチで火をつけ、風を送って火力を強くする。

「ちょうどいい温度になったら言えよ」

「こっち見るなよ」

「見ねえよ」

 釜の水から小さな気泡が出だした。濃い湯気が立ち上がり、すぐそばの窓から出ていく。

「まだか?」

「だいぶよくなってきたぞ。だがもうちょいだ」

 フーと火に空気を吹きかけた。少ししてから、「ちょうどいいぞ」とやっとのことでオーケーが出たところで火を消してその場を後にした。そして長い風呂のあと。

「ぎゃー!」

 風呂場から叫び声がした。なにかあったのかとローレンは引き戸を引く。そこには裸で固まっているルナがいた。全身から湯気を放ちながら、白色の髪をタオルで拭いている途中のようだった。彼が入ってきたことに気づき、ハッとした表情をした。

「な、なんでもない」

「ゴキブリでも出たのか?」

「なんでもないって言ってるだろ! 出ていけっ」

 なぜか不機嫌なルナだった。

 なんなんだ、あいつ…。

 次入るのはローレンだ。風呂場に行き、裸になってお風呂に足をつける。湯加減はちょうどいいと思い込んでいたのだが。

「あっつ!」

 その熱さに思わず足を引っ込めた。

「ええ…。嘘だろ」

 今度は手を入れてみると、同じように熱さから引っ込めた。

 六十度はあるだろうか、とても普通の人が浸かれるような温度じゃない。本当に湯加減はちょうどよかったのか? もしかして全身やけどしてるんじゃないだろうな…。

 ローレンは心配になってきた。服を着ていったん居間に戻ることにした。そして、気持ちよさそうに風呂の後の余韻を楽しんでいるところを邪魔する。

「ルナ、やけどしてないか?」

「やけど? この私を誰だと思っている?」

「ただの人間だろ。痛いところはないか?」

「なんだ突然。気持ち悪いやつだな」

 平気そうな顔をしているが、本当なのだろうか? もしかしてやせ我慢しているんじゃないだろうな。だとしたら大変なことになる前に治療しなくては。

「おい、ルナ。脱げ」

「へ?」

「脱げといった」

「なっ! き、ききき貴様! なんのつもりだ! まさか私を辱めるつもりか!」

「やけどしていないか確認だ。脱げ」

「脱ぐかっ!」

「ならば強制的に脱いでもらうぞ」

「ひっ! く、来るな! うわっ! 引っ張るな! い、いや…。引っ張らないでっ! 自分でやる! 自分でやるから!」

 涙目で哀願してくるので、手を離した。

「背中を見せるだけでいい」

「うう…悪魔め」

 彼女は何重にも着込んだ服を一枚一枚脱いで、背中を見せた。その間、ローレンは後ろを向いている。

「い、いいぞ」

 彼は振り返り、きれいな曲線の肌をじっと眺めた。傷一つない。

「ふむ。やけどの跡はなさそうだな」

「も、もういいか?」

 ビクビクしていたので、ツンと人差し指で軽く触れてやった。ビクンッと体が大きく触れる。

「ひやっ!」

「はははっ。問題ないようだな。もういいぞ」

「く…くそ…」

 別の視線に気づく。それはアルルだった。彼女は起きていて、ジト目でこっちを見ていた。

「ローレンって本当にいたずらっ子だね」

「そうだよ」

「あ、開き直った」

 独り言を言っているように見える彼をよそに、ルナは急いでバタバタと服を着始めた。着るのに手こずっていたので、お嬢さまかなにかだったのだろうとローレンは思った。

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