第60話
「……ふぅ……浮かない顔を浮かべとるなぁ、焔様」
そう言いながら、襖を開けて中へと入る綾。そんな綾の行動に慣れているのか、壁に背中を預けて本を読んでいる焔の姿があった。
「勝手に襖を開けて入ってくるな、綾」
「断りを入れれば、お主はワシの誘いを断るじゃろ?」
目線を本に向けたまま、焔は綾を見ずに「当たり前だ」と言った。その返事に対して口角を上げると、綾は焔が座っている場所のすぐ隣で腰を下ろした。
「何を読んでおるのじゃ?」
「勝手に入って来た癖にくっ付いて来るな。ただの蔵書だ」
無造作に隣に座り、笑みを浮かべながら綾は焔の肩に触れる。その行動に顔を顰めながら、焔は隣に座った綾を未だに見ずに言った。
そんな焔の反応が気に食わなかったのか、綾はムスッとした様子で言った。
「ワシも妖怪の前に一人の乙女じゃ。そう無視されると女としての威厳が傷付くのじゃが」
「お前は下心丸出しで来るんだ。この程度の無視で済んでるんだから、寧ろ感謝しろ。オレなんかを誘惑して、何が目的だ?」
「なんかとはご挨拶じゃな。お主は組の総大将じゃよ?各国の妖怪の頂点に近い存在なのじゃから、近い将来に出て来るであろう可能性を求めても良かろう?」
「何が言いたい」
綾の言葉に疑念を感じた焔は、蔵書を閉じて顔を向ける。その途端に綾は焔から離れ、正座をして姿勢を良く綺麗な一礼をしていた。
小首を傾げている焔に対し、綾は焔が感じているであろう疑問を払拭するように言葉を発する。
「……ワシはこの組が安泰である事を望んでおる。そしてそれは、ワシを含めて全ての者が思っている事じゃ」
「……」
「じゃが、もし万が一、焔様が不在となった鬼組の未来は予想が出来んのじゃ。ワシは、ワシは誰にこの身を捧げれば良い?誰の為に生きれば良いのじゃ?」
「突然何を言うかと思えば、仕える相手はオレを継いだ者に変わる。ただそれだけの事だ。お前がとやかく考える事じゃ」
「――それだけな事があるか!」
「っ?」
焔の言葉を遮り、綾は少し声を大きくしてそう言った。一礼から上げられた顔には、不安に包まれた表情が浮かび上がっていた。その表情を見た瞬間、焔は溜息を吐きながら閉じていた本で軽く頭を小突いた。
「はぁ……馬鹿者が。オレがそう簡単に居なくなると思うのか?そんなに信用が無いのか、オレは」
「そ、そうではないのじゃ。ワシは、ワシが仕えたいのはっ――!」
「皆まで言わなくても分かる。お前がオレに忠誠を誓っている事は知ってるし、その忠誠はとても助かるし感謝してる」
「なら」
「だが綾、オレはお前の停滞を望まない。オレがお前を見つけたあの日から、何も変わっていないお前など見たくはない」
「っ!?」
「オレが望むのは、お前ら全員の成長だ。オレが手を下すまでも無くなるその日が、オレは見たくて見たくて仕方が無いんだよ」
「……やはり、ワシはまだ……お主にっ」
焔に何かを伝えようとした瞬間、綾の視界には焔の姿は無かった。気配も無く、音も無く、一瞬で目の前から消えた様子を見て綾は目を閉じた。
そして自分以外、誰も居なくなった焔の部屋の中で綾は一人で呟くのである。
「ワシが仕えたいのは――お主だけなのじゃぞ、焔様」
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