第20話 話を聞かせて 2

 カトリーンは不思議に思って目を凝らす。見間違えかと思ったけれど、短い薄茶色の髪、整った優しげな顔立ち、少し細い顎のその男性はカトリーンの知るフリージそのものだった。


「なんであんなところに?」


 状況がよくわからずにただ見つめていると、手前にいる黒鋼の鎧姿の男にシルバーブロンドの髪の美女──リリアナ妃が顔を寄せる。耳元に手を当てて何かを話しかけていたリリアナ妃の言葉に反応するように皇帝陛下が自らの兜に手を掛けた。そして、兜が外される。


「皇帝陛下が顔を見せるなんてすごく珍しい。結婚式以来じゃないかな」


 ガリエットが興奮気味にそう言ったが、カトリーンはその光景から目が離せなかった。

 兜の下の、短い黒髪の男性の顔に見覚えがあったのだ。


(あの人、フリージさんと初めて会ったときに別の綺麗な女の人とデートしていた人だわ……)


「カトリーン。皇帝陛下が兜を取るのは本当に珍しいんだぜ。隣にシルバーブロンドの髪のすごく綺麗な人がリリアナ妃。後ろに男が三人、女が一人立っているだろ? あれが──」


 あの日、ワイバーンのお世話係の職を断られたのと同じくらい、いや、それ以上の衝撃だ。

 あの人が皇帝陛下? なら、後ろに控える彼は?


 丁寧なガリエットの説明が、まるで違う世界の言葉のように聞こえた。


    ◇ ◇ ◇


 ドアが開くカランコロンというベルが鳴る。


「ただいま戻りました」

「お帰り。楽しかったかい?」

「はい」 


 プルダ薬局に戻ってきたカトリーンは、笑顔でステラに問いかけられて、曖昧に頷いた。


 結婚式自体はとても素敵だった。

 花嫁である皇帝の元側室は輝かんばかりの笑顔を浮かべており、下賜されることに全く悲観している様子もなかった。新郎の男性も蕩けるような笑みを湛え、まさに幸せな結婚そのもの。 

 

 けれど、カトリーンはそれよりも最後に見た光景の方がしっかりと脳裏に張り付いて離れない。


 深緑色の豪華な衣装に身を包み、皇帝のすぐ後ろに控えていたフリージ。そのすぐ横には軍服姿の凛々しい男性と、リリアナ妃の筆頭侍女であるという女性を伴った甘いマスクの男性がいた。共に『四天王』の一人とされる、レオナルド副将軍とカール様だ。そしてもう一人の名は──。


「そう言えば、『フリージ様』だってガリエットが言っていたわよね」


 カトリーンははあっと息をつく。

 ハイランダ帝国に来てまだそれほどの期間は経っていないけれど、『フリージ』はこの国でさほど珍しい名前ではない。プルダ薬局へ訪れる患者さんにも数人いるほどよくある名前なので、まさか同じ人物だなんて想像だにしていなかった。


 けれど、思い返せば納得できる点も多い。


 あの若さで高価な金製の懐中時計を普通に使用していたこと。

 王宮に勤め、えらい人の下についていると言っていたこと。

 軍の幹部しか乗れないほどこの国では珍しいワイバーンを、使い魔にしていたこと。

 塀が見えないほど広大な敷地の屋敷を別邸だと事もなげに言ってのけたこと。

 高級菓子のショコラをなんの躊躇もなく、カトリーンのために用意してきたこと。


 数え切れないほどのヒントがあったのに、全く気が付かなかった。


(運命の人だと思っていたけれど……違ったみたいね)


 故郷にいる妹のヘンドリーナはよく、『王子様か公爵家の嫡男に見染められて結婚する』と夢見がちに語っていた。カトリーンはその話を聞きながら、口にはしなかったけれど内心では『できるわけがない』と呆れていた。


 けれど、今の自分を考えてみたら?


 遠い異国の地から来た平民の、しかも庶子の町娘がその国の皇帝の側近に恋をする?

 『四天王』と呼ばれるこの国のほぼ頂点に近い地位にいる男性に?


 おこがましいとしか言いようがない。  


 それに、あの日町で仲睦まじい様子でデートしていたカップルの男は皇帝陛下だった。連れていた女の人は……リリアナ妃とは髪の毛の色が違った。

 リリアナ妃の髪は、この国ではまず見かけない輝くようなシルバーブロンドだ。けれど、あの日見かけた美女はよくいる茶色い髪だった。


「『運命の人』なんて、バカみたい」


 自嘲するように吐き捨てた言葉は、誰に聞かれることもなく掻き消える。


 カトリーンは息を吐くとカウンターに入り、薬の在庫を確認し始めた。いつもフリージが買って行く薬は、そろそろ在庫が切れそうだ。それに、ガリエットに明日の朝までに用意すると約束した睡眠によい薬もだいぶ減っていた。


 その瓶を持ち上げて、瓶底に溜まっている乾燥した刻んだ葉を見つめる。これを集めたときの、どうしようもないことを思い出しそうになり、慌てて首を振った。

 

「おばさん。私、夕方になったらお薬の材料を採りに行ってきます」

「今日は朝から出かけっぱなしで大変ね。気をつけて」

「はい、ありがとうございます」


 カトリーンは笑顔で頷く。

 こんな日は、テテと一緒に大空を飛んだら気分も晴れるかもしれない。


 ドアを開けて見上げると、今朝と変わらぬ澄んだ青空が広がっていた。

 

   ◇ ◇ ◇


 その僅か数十分後、カトリーンは自らの運のなさを呪わずにはいられなかった。


 いつものようにあの湖の畔に行くと、なんとそこにはフリージがいたのだ。こんなことなら、夕方ではなくて昼間すぐにここに来ればよかった。そうすれば、結婚式のあとの食事会でフリージはいなかったはずだ。

 テテが大地に降り立つ前に地上にワイバーンがいること気が付いたカトリーンは、焦ってテテに話しかける。


「ねえ、テテ。気が変わったわ。降りるのはもう少しお空のお散歩をしてからにしましょう?」


 しかし、悲しいかな、テテはカトリーンの言葉を無視するかのように茶色いワイバーン──ショコラの横に降り立った。テテはカトリーンの使い魔ではないので、意のままには飛んではくれない。あくまでもテテの気分次第なのだ。


 これだけの大きさだ。ショコラから少し離れた場所の木陰で休んでいたフリージはすぐにこちらに気づいたようで、驚いたように見つめている。


「こ、こんにちは……」

 

 明らかにそこにいて目も合っているのに無視するわけにもいかず、カトリーンはおずおずとそう言う。一方、フリージは呆けたような顔をしてテテを見上げた。


「カトリーン。この子、すごいね。ワイバーンじゃないよな?」


 それを聞いてカトリーンはムッとした。  

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