第16話 恋心の自覚 2

 カトリーンはその背中を見送ってから、薬の在庫の確認を始める。


「それにしても──」


 瓶の中身を一つひとつチェックしながら、独りごちる。


「集団で不眠になるなんて、どういうことかしら?」


 カトリーンの知識では、不眠は精神的な疲労から発生することが多い。何かに悩んでいたり、ストレスが大きかったり。後は覚醒作用がある薬物の摂取で眠りにくいという症状を訴える事はあっても、これだけ集団で、しかも急に発生するなんて奇妙だ。


 そのとき、カトリーンはチェックしていた瓶の一つ、精神安定と睡眠導入に効く魔法薬の残りが少なくなっていることに気が付き手を止めた。


「減りが早いわね。そろそろ採りに行かないと」


 入り口から外を眺めると、まだ太陽は高いところにある。先ほどまでひっきりなしに訪れていた人の波も少し落ち着いた。


「おばさん。私、ちょっと薬草を採りに行ってきます」

「そうかい? 気を付けて夕暮れ前に帰ってくるんだよ」

「はい。行ってきます」


 カトリーンは笑顔でそう言い残すと、足早に郊外へと向かって歩き始めた。

 プルダ薬局を出ると、いつものようにてくてくと郊外まで歩いてゆく。途中、最近急成長しているチティック薬局の前を通ると薬を求める人の行列ができていた。


「最近流行っている病の患者さんかしら?」


 カトリーンは眉根を寄せてその列を眺める。皆一様に目の下にくまを作り、顔色が優れない。

 このおかしな病気が流行り始めてからカトリーンは頻繁に睡眠によい魔法薬を作り続けている。実際に使った人の話を聞くと、今まで使っていた薬に比べれば格段に効きはいいものの、やはり夜中に目が覚めてしまうという。


「魔法薬があまり効かないなんて、いったいどういうことなのかしら?」


 調合を間違えているか、サジャール国とハイランダ帝国の薬草の効き具合が違っているのか……。

 いずれにしても正確な理由はわからない。


 しばらく歩いて建物がなくなると、カトリーンは周囲を見渡して人気ひとけがないことを確認して空に向かって呼びかける。


「テテ!」


 間もなく大空を優雅に飛ぶ一匹のワイバーンが現れた。テテは翼を羽ばたかせ、カトリーンの前に降り立つ。その風圧で周囲の草木がざっとなぎ倒された。


「テテったら、また大きくなった? ここは食べ物がいいのかしら?」


 カトリーンは一週間ぶりの友人に話しかける。ここ最近、テテは急激に成長して以前に比べてニ回り以上大きくなった。既に成獣のワイバーンの平均より一回り大きいくらいだ。それに、頭に生えているつのも以前より随分と長く立派になってきた。

 テテは「ギャ」と短く鳴くと、いつものようにカトリーンが乗りやすいように体を屈める。

 カトリーンがその背中に乗り込むのを確認すると、大空へと飛び立ったのだった。

 



 湖の畔に着くと、カトリーンは早速薬草探しを始めた。目的の精神安定作用がある『セントワール』の葉は今日もテテのお手柄ですぐに見つかる。その最中、ふと手元に影が横切ったことに気付きカトリーンは上空を見上げた。木々の合間から、見覚えのある茶色いワイバーンが飛んでいるのが見える。


「もしかしてっ!」


 カトリーンが草原の方に駆けてゆくと、案の定、それに乗っていたのはフリージだった。こちらに気付いたフリージは少し驚いたような顔をしたがすぐに表情を和らげた。 


「カトリーン。偶然だね。薬草探し?」

「ええ。最近、城下では睡眠障害が増えていて。眠りにいい薬草を探しに来たの」


 カトリーンは摘み立ての薬草を入れた籠をフリージに見せるように持ち上げた。


「睡眠障害?」

「ええ。悪夢を見てなかなか眠れなくて体調を崩す人が多いの」

「へえ。それはよくないな」


 眉を顰めたフリージは、ぐるりと辺りを見渡す。


「それにしても、ここがそんなに薬草園みたいな場所だったなんて知らなかったよ」

「魔法薬の薬草は水が澄んだところに育ちやすいのよ。私の実家も近くに小川が流れていたわ。けど、それを考えてもここはとっても薬草がたくさん」


 カトリーンがにこにこしながら答えると、フリージは優しく目元を細める。


「それはよかった。カトリーンの実家はどんな家だったの?」


 その瞬間、カトリーンはさっと表情を強張らせた。


「実は……うちはちょっと特殊なの……」

「特殊?」

「うん。私は庶子だから──」


 話すのをじっと待つようにこちらを見つめるフリージを見て、カトリーンはぽつりぽつりと事情を話し始める。

 自分がサジャール国の大商家の娘なこと。ただし、娘とは言っても庶子なこと。母が亡くなってからは冷遇されていたこと。家の利益のために変態ジジイの元に送られそうになって、最後は家出をしてきたこと。そして、求人広告を頼りにここまで来たらまさかの募集停止で、困っているところをプルダ薬局の主人に拾われたこと……。


「そっか。それは大変だったね」


 神妙な顔をしたフリージは言葉を止めてほうっと息を吐く。


「……ごめんなさい。こんな話をしてしまって」


 カトリーンは俯いて謝罪した。こんな重い話、知り合ってまだそんなに経たない人にすべきではなかった。すると、フリージは小さく首を傾げた。


「なぜ謝る? 俺が聞いたんだ」


 そして、カトリーンを見つめてにこりと笑う。


「俺はカトリーンが家出してきてくれてよかったと思うよ。変態ジジイの元に嫁ぐなんてもってのほかだし、ハイランダ帝国に来てくれなかったらこうして会うこともなかった」


 優しい笑顔に胸がトクンと跳ねるのを感じる。


 さすがにこのことは話さなかったが、カトリーンが家出してサジャール国に来たのは『運命の人は東にいる』と占い師に聞いたからだ。ワイバーンに乗っているらしいと聞き同郷の魔導士だとばかり思っていたけれど、そう言えばフリージもワイバーンに乗っている。


(もしかしたら、この人が……)


 そんな想像が湧いてきて、耳が熱くなるのを感じた。

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