第13話 報酬はショコラと共に 1

 フリージが王宮に戻ると、案の定パオロがおろおろとした様子で自分のことを探していた。


「フリージ様! どちらに行かれていたのですか!?」


 まるで生き別れた恋人と再会するかのように表情を明るくして廊下の向こうから駆け寄ってくる四十路男を見て、フリージは肩を竦める。これが可愛い女の子だったらどんなにテンションが上がるだろう。

 しかし、悲しいことに駆け寄ってくるのはまごうことなきおっさんだ。まあ、とっても優秀な補佐官だからいてくれて大助かりなのだけど。


「悪い、休憩していた。何か至急で確認が必要なものでもあった?」

「至急で確認が必要なものばかりです。早く見て下さい」


 執務室を開けると、パオロは両手に抱えた書類をドサドサっとフリージの机の上に置く。チラリと見ると、遠方の国からの国家式典の招待状から始まり、ご機嫌窺いの書状、各国へ派遣しているスパイからの報告書など様々なものが並んでいる。

 パオロがフリージが目を通すべきものだけを選別しているにも関わらずこの量なのだから、本当にうんざりしてしまう。


 順番にそれらを捲りながら説明を聞いていたフリージは、とある書類でパオロの話を遮った。


「最近、国境での不法輸入品の取り締まり量が急増しているね」


 見ていた書類にはここ最近の国境で取り締まった品々の品目やその物量、更にはその推移がまとめられていた。隣国との国交が正常化した半年ほど前から増え始め、ここ最近は急増している。多いのは持ち込み時に税金を課せられる高級貴金属を隠し持っていたという事例だ。


「国交が盛んになって人の往来が増えればそういうことも増えます。自然の理でしょう」


 次に説明する別の書類を確認していたパオロは顔を上げて困ったような顔をする。そして、ふと思い出したような表情をした。


「そういえば、先ほどシベール侯爵令嬢からの使いのものが来てました。不在とお伝えしたらまた来るようなことをおっしゃっておりましたが、晩餐会にご招待したいようなことを──」

「シベール侯爵? いい。次に来たら忙しいから面会は無理だと伝えておいてくれる? 晩餐会なんかに参加したら最後、親も共謀して酔い潰されるか食事に媚薬でも仕込まれそうだ」


 自分で言うのもなんだが、フリージは整った容姿に皇帝の側近という立場と名門貴族の跡取り、更には二十代半ばで未婚ということもあってかなりの優良物件だ。そのため、ここ最近は晩餐会のお誘いが絶えない。


「シベール侯爵令嬢って、前はデニスにアプローチしてなかったっけ? あいつの結婚が決まった途端に、あからさまだねぇ」


 フリージは鼻で笑う。


 以前は他の側近の三人も独身だったから人気も四分されていたが、四天王のうち二人、カールがリリアナ妃の侍女と、デニスが下賜されたベルンハルトの側室と結婚することになり、残り者のフリージとレオナルドにそのしわ寄せがきて余計に女が寄ってくるようになった。

 ただ、レオナルドは軍人かつ副将軍という立場で近寄り難い雰囲気があるため、実質的にはその殆どがフリージのところに寄ってくる。


「何か軽食をご用意させます」


 壁際の時計を見てお昼どきを過ぎていることに気付いたパオロがそう言って部屋を出ようとしたので、フリージは呼び止める。


「いや、いい。食べてきた」

「食べていらした?」


 いつの間に食べたんだよと訝しげな表情をするパオロの茶色い髪の毛と瞳を見てふと思い出す。


「そうだ。食事はいいからショコラを用意してくれる? 久しぶりに食べたくなった」

「ショコラですか?」


 パオロは意外そうに片眉を上げた。


 暫くすると、美しく絵付けされた皿に入れられた茶色いボール状のものが運ばれてくる。執務椅子にもたれ掛かると、天を仰ぐような格好で指先で摘まみ上げたそれをじっと見つめた。


(表情がくるくる変わって……よく笑う子だったな)


 先ほど会った、変わった毛色の少女が脳裏に浮かぶ。


 最初フリージを見たときの驚いた顔、次いでパンを捨てられて怒った顔、あそこが人の屋敷の敷地だと知り狼狽えたような顔から最後の笑顔。

 瞬きする間も惜しいほど、表情がくるくると変わった。そして、最後は花が綻ぶかのような笑顔を見せた。


「女の子はねー、癒し系がいいんだよね」


 金と権力に寄ってくる女は好きじゃない。

 できればいつも笑顔で、疲れを癒してくれるような子がいい。

 それを自分の手でとろとろに甘やかすのが最高だ。


 指で摘んでいたショコラをおもむろに口の中に放り込む。すぐにそれは舌の上で蕩け、甘い味わいが口いっぱいに広がった。


    ◇ ◇ ◇


 カランコロンと入り口の鈴が鳴り、店の奥で魔法薬の調合をしていたカトリーンはハッと顔を上げる。慌ててカウンターへと駆け付けた。


「あら、リーンちゃん。こんにちは」

「あ、こんにちは。メグさん」

「この前頂いたお薬、よく効いたわ。あっという間に手荒れが治ったの。また頂こうと思って」

「本当ですか? よかったです」


 こちらに自分の右手を差し出すように見せる女性に、カトリーンは笑みを漏らす。初めてここに来た時にはあかぎれだらけだった女性の指先は、今は薄皮ができてかなり滑らかになっていた。


「ところで、リーンちゃんはなんでそんなに焦って出てきたの?」

「え?」

「わかった。またあのかっこいいお兄さんが来てくれたと思ったんでしょ」


 ステラの思わぬ横やり指摘に、カトリーンの頬はほんのりと赤らむ。


「ち、ちがっ!」

「いいのよ。若いっていいわ。私も三〇年前にトムとそれは熱烈な──」


 ステラはアハハっと笑って手を振ると、お客様であるメグさんと昔話を始める。カトリーンはなんだかいたたまれなくなって、両手で頬を包むといそいそと店の奥へと戻り、薬の調合の続きを始めた。


「本当に、そんなこと……」


 ……あるかもしれない。


 自分でも気付いてはいる。カランコロンと鐘が鳴るたびに、もしかしたら彼が来たのではないかと気持ちが浮き立ってしまうのだ。


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