第2話 さらば、陰鬱な日々 2
カトリーンは先代が金脈を掘り当てて財をなした大商家であるこの家のいわゆる『庶子』だ。父は間違いなくこの家の主であるホーデンなのだが、母はこの家に勤めるメイドだった。
正妻である義母のオハンナは、母がカトリーンを身籠ったと知ったとき、烈火のごとく怒ったという。カトリーンは今は勉強のために遠方の学園に行っている義理の兄とは、誕生日が半年しか変わらない。つまり、父は妻が未来の跡取り息子を身ごもっている間に、近場のメイドに手を出して浮気したらしい。
その後ろめたさと、オハンナが元男爵令嬢ということも相まって、父であるホーデンはオハンナに強くものを言えない。実の母が流行り病で亡くなった九歳の頃からカトリーンがメイド以下の下女のように扱われているのを知っていても、見て見ぬふりだ。
着替えて下に降りると、義母と妹から「遅い」と嫌味を言われた。あなた達より三時間も早く起きているわ、という台詞はすんでのところで呑み込む。
「ねえ、この前買ったショールを交換してきて」
「え? 今度こそ気に入ったって着けていたじゃない?」
「やっぱり違ったのよ。もっと毛並みが白いのがいいわ」
朝食のスープを用意している最中に、妹のヘンドリーナからそう言われ、カトリーンは戸惑った。
「そうね。ヘンドリーナの可憐な可愛らしさを引き立てるにはもっと白い方がいいわ」
義母もそれに同調したのを見て、内心でため息をつく。
父は相も変わらず、我関せずといった様子で新聞を読んでいる。ちょうど目に入った広告欄には、遠い異国の地でのワイバーンのお世話係の求人募集が載っていた。
もうあのショールを交換するのはこれで三回目だ。もしかしたら、今回は断られるかもしれないと思うと、憂鬱になる。
「昨日のカイル商会主催のパーティーはどうだったの?」
オハンナがゆったりとした様子でヘンドリーナに問いかける。
「どうもこうも、小者ばっかり! 殆ど貴族はいなかったわ。やっぱり王宮の舞踏会じゃなきゃダメね」
「それは残念だったわね」と義母のオハンナも同意する。
「もうっ! 王女殿下がいらっしゃらなくなったから、王宮での行儀見習いができなくなって最悪だわ」
手伝いをすることもなく椅子に座っているヘンドリーナは、不満げに愚痴を零して口を尖らせた。ピンク色の頬がぷっくりと膨れ、多くの男性が可愛らしいと感じるであろう仕草だ。
行儀見習いとは結婚前に王族や高位貴族の元に礼儀作法などの勉強に行くことで、高位貴族であればあるほど箔がつく。最も人気があった行き先は、やはり王女殿下の行儀見習いだった。
「この前言っていた子爵令嬢のところは? おじ様が紹介して下さるんじゃなかったの?」
配膳の準備をしながら、カトリーンはおずおずと口を開く。
「バカ言わないで。高位貴族のところに行ってそこで見染められて王妃か公爵夫人になるのよ。ほんっと、最悪ね」
ヘンドリーナは不機嫌そうにバシンとテーブルを叩いた。
相変わらずの様子にカトリーンははあっと息を吐く。いくらヘンドリーナが可愛らしく、男爵家出身の義母の血を引いて貴族と縁続きであるとはいえ、たかが商人の娘が王太子や公爵に嫁げるはずがない。
熱々のスープを差し出すと、「またこれなの? 飽きたわ」と不機嫌そうな声が聞こえたが、それは聞こえないふりをした。
◇ ◇ ◇
賑やかな大通りから一本入ると、途端に人通りが減る。カトリーンは迷わずその小道を進むと、古ぼけた看板のぶら下がった一軒の店に入った。
「こんにちは」
「いらっしゃいま──、あらっ、リーンちゃん!」
「これ、お願いします」
「そろそろなくなりそうだったの。助かるわ」
にこやかに応対する店の女主人に、カトリーンは用意していた様々な魔法薬を差し出す。
ここは、魔法薬専門の薬局だ。カトリーンはお使いで町に来るたびに、庭に自生する薬草で自作した魔法薬をここに売っていた。洋服などの必要なものを両親が買い与えてくれないので、こうして小銭を稼いでいるのだ。
「リーンちゃんの薬はよく効くって評判なのよ。ちょっと色を付けておいたわ」
「ありがとうございます」
笑顔でウインクする女主人に、カトリーンも笑みを返す。渡された小袋の中には、いつもよりちょっとだけたくさん小銭が入っていた。
その帰り道、カトリーンは一軒の店から若い女性二人組がキャッキャと楽しげに話しながら出てきたのを見て、足を止めた。水晶のマークの看板がかかるここは『占い屋』だ。
大陸の西南西に位置するカトリーンの住む国──サジャール国には、国民誰もが知っているおとぎ話がある。この国の王女は『運命の相手』について、ある時期になると神託を受けるというものだ。
一体いつどこでどのように神託を受けるのかまでは一般市民には知られていないが、この『運命の相手』と永遠の愛を誓いあうと末永い幸せを得られるという。
ちなみにサジャール国の現国王陛下夫妻はこの運命の相手同士らしく、即位以来早二十数年、国内はずっと平和が続いている。それも、『運命の相手』効果が働いている証拠だとか。
そんなうまい話があるか、と笑い話になりそうなものだが、多くの女性がそんなおとぎ話に憧れているのもまた事実。
ある日ワイバーンに乗った素敵な自分だけの王子様が現れて、優しい笑顔を向けて手を差し出す。そして、「見つけたよ。僕の愛しい人」と甘く囁くのだ。
自分にもいつかそんな日がきっと来るに違いないと、多くの女性が夢見ていた。
そして、ここはその『運命の相手』に憧れる多くの女性をターゲットにした占い屋だった。少々値は張るが、的確に運命の相手がいる場所を教えてくれると評判なのだ。
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