氷点の水底に差す光

第16話 クリスマスリース

 世間はすっかりクリスマスムードだった。まだ12月に入ったばかりじゃないか、と中堂は毒づいているが、アドベントカレンダーとやらは11月の終わりくらいから窓を開けるらしい。死んでもそんなもん買うか、と中堂は思っていた。天邪鬼なのである。

(大体、クリスマスなんてキリスト教徒にしか意味ないでしょ。無宗教と言う名の世間様信仰の日本でクリスマスを祝う意味、あります?)

 その一方で、クリスマスを独りで過ごしたくない気持ちもあった。時流に乗りたくもないが取り残されたくもない。

 神谷はクリスマスシーズンには必ず来た。ケーキとチキンを持って。その後はお定まりなのだけれど。けれど、クリスマス当日に来たことはなかった。家族と過ごしたのだろう。

「この家って、クリスマスは何か飾るんですか?」

 だから、帰宅してからいつものように手洗いうがいを済ませた小田桐が、唐突にそんなことを言い出して、中堂は「は?」を具現化したよう表情をして相手の顔をまじまじと見つめてしまった。

「は?」

 もう一度言った。

「クリスマスは何か飾るんですか?」

 聞こえなかったと思ったのか、小田桐は律儀に問い直した。

「飾りませんけど」

「あ、そうなんですね。何か買ってきても良いですか?」

「何を買ってくるって言うんですか? もみの木?」

「なんでですか。リースですよ。玄関に飾りませんか? 取り外し簡単だし」

「リース」

 ツリーを買うとか言ったら散々馬鹿にしてやるつもりだったのに、意外と慎ましい……いや、意外でもない。小田桐は割と堅実で現実的だ。

 いや、自分に性関係を強いた男の同居提案を受け入れるのが現実的か?

「まあ、良いでしょう。リースくらいなら、来年までどっかしまっておけば良いですし」

「来年も飾ってくれるんですか?」

 小田桐の顔が輝いた。

「……言葉の綾ですが一応とってはおきます。ところで君」

「何ですか?」

「この前言ってた、食事の予定なんですけど、やっぱり早めに教えて貰った方が助かります」

「そうですよね。わかりました。早めに連絡するようにします」

「よろしくお願いします」

 いらないって言ったじゃないですか、と言われたら散々嫌みを言ってやろうと思ったが、やっぱり小田桐はすんなりとそれを受け入れた。中堂は、自分の希望があまりにも通るので逆に怖くなる。

「……」

「どうしたんですか?」

「どうもしません」

「何か、ご好意に甘えて連絡遅くて済みませんでした」

「私が不要と言ったので、君は気にしなくて良いんですよ」

 首を横に振る。

「これから、私は少しわがままになると思いますね」

 中堂としては、単に自分の希望をもう少し伝えていく、という意味で言った。洗い物を頼みたいとか、先に風呂に入らせてもらうとか、あれをやってほしいとかこれをしてほしいとか。

「それは……」

 だが、小田桐は何やら緊張したような、探りを入れるような目でこちらを見てくる。

「……日数を増やしたいとか、そう言うことですか?」

「は?」

 日数って何のだよ、と二回瞬きするだけ考えて、それがベッドに入る日数のことだと言う事に思い至った。

「ああ、そうではありません。それとも、君が増やしたいんですか?」

「そういうわけじゃないです。ていうかこれ以上出来る日ないし」

 睡眠時間の関係で、休みの日の前か連休中日でないと難しい。

「1日の回数増やしますか?」

 そう言って意地悪く笑みを浮かべると、小田桐は狼狽えた。

「な、中堂さんが増やしたいんですか……?」

「そう言う訳では。ただ、相手のあることですから、ね? 君の希望も多少は聞いて差し上げないと」

「多少……」

「何かしたいことがあるんですか?」

 最初は、中堂の望みに付き合っている、というスタンスで相手をしていた小田桐だったが、最近は慣れもあって、まるで互いに求め合っているかのように応じている。彼の方からしたいこともあるだろう。

「いや……別にないです……」

 しどろもどろだ。食事中に聞くよりもベッドで実際に事の最中に聞いた方が素直かもしれない。

「また聞きますね」

 小さな声で囁くと、小田桐の眉間に皺が寄った。ちょっと困った様な顔だ。

「それはそうと、君、クリスマスはご実家ですか?」

「いや、仕事です。あ、予定入れるの忘れてた。後で入れときますね」

「仕事」

「平日ですよ」

「ああ……」

 そう言うことではない。誰とクリスマスを祝うのかが聞きたかった。いや、日本人だから祝うとかじゃないです、とかそう言うことを聞きたいわけではなくて、要するに……。

(クリスマスにどこで夕食を食べるのかと言う事をですね)

 友人とクリスマス会でもするのかとか、それとも中堂には内緒で他に女がいるのかとか、そう言うことを聞きたいのだ!

 とは言え、飲み会の予定なら決まり次第入れてくれることになっているので(小田桐が忘れなければ)、それを待てば良い。

(ああ、でも、次の日が休みでなければ)

 ベッドに誘うことはできない。


 別に、クリスマスにそう言うことをしなくたって良い。自分たちはカップルでもなんでもない。ただの同居人なんだから。下宿人と大家だ。それだって、正式な関係とは言えない。自分たちの関係に名前が付けられない。セフレ? いや、中堂からの一方的な求めに小田桐が応じているだけだ。本当はその求めをはね除けたって良い。


「どうしたんですか?」

 ぼうっとして考えていると、小田桐が不思議そうにこちらを見て首を傾げている。

「いいえ。何でもありません」

 中堂は首を横に振った。

「予定、早めに入れてくださいね」



 翌日、昼休みの時間帯にカレンダーに小田桐の予定が入った。「忘年会@薬局」、「忘年会@サークル」、「忘年会@学部」という文字が見える。

(薬局の忘年会明後日か。早いな。サークルって、何のサークル入ってたんだろう。テニス?)

 あまり運動をするようには見えなかったが。聞いてみよう。

(それにしても未だに大学の同級生と親しいんだな)

 薬学部は確か6年制になった筈なので、24歳まで通う。中堂が学生の時、薬学部に進学した当時の友人たちはやはり4年で卒業していたが。いつからだっただろうか。

(ああ、卒業してからまだ3年かその程度か)

 もっとも、自分は卒業してから割とすぐに大学の友人とも疎遠になったような気がするが。

 思えば、他人に対してあんまり関係を維持する努力をしてこなかったかもしれない。

 だからこそ、小田桐ともいずれ自然に関係が切れる未来が想像できる。そう遠くない未来に、自分たちの関係は終わるだろう。

 維持する努力をするべきか? どうやって? この関係を続けてくれと小田桐に頼む?

 あまりにも馬鹿馬鹿しい想像だった。首を横に振る。

 早く終わって欲しいと思う一方で、いつか来る終わりはまだ先だからと自分を安心させた。

 安心?

 この関係が続くと思えることが自分には安心なのだろうか。

「……嫌だなぁ」

 小田桐が帰って来なくなる日が来ると思うと、なんだか嫌な気分になって、そのことに中堂は驚いた。

「……」

 自分の望んでいることがわからなくなって、カレンダーを閉じる。スマートフォンを伏せて置いた。

 早く小田桐が帰ってくれば良い。リースはいつ買うつもりなんだろう。

 少しだけ、それが楽しみだった。

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