第15話 まどろみにいる君へ

 そんなことをしている内に、12月になってしまった。始めようと思っていた就職活動もしていない。通帳を見れば、預金はまだまだ──もう一つまだを付けても良い──あった。

(年内は良いか、無職で)

 そもそも失業と同時に失恋しているのだから、もう少し心の傷が癒えるまでのんびりしても良いのではないか。中堂はそんな都合の良いことを考える。

 小田桐は忙しいようだった。それでも、中堂との約束を守って休みの前の日は早く帰って来るし、連休中日も嫌な顔一つしなかった。中堂は何も変わらない生活を送っている。自分より少し体格で劣る小田桐の腕に抱かれて、その胸に頭を乗せて眠っている。

 その代わり、という訳ではないが、インフルエンザや風邪が流行ると言う事で、手洗いうがいをちゃんとしろと口を酸っぱくして言われるようになった。

「別に外には出ませんから……」

「そうは言っても、手はこまめに洗ってください」

「わかりました……」

 反論すると、感染の勉強会で習ったと言ってこんこんと説教されるのだ。まあ、手を洗うくらい……。

「あ、手を洗う時間は30秒ですよ。ハッピーバースデーを2回歌ってください」

 頭をぶつけそうになった。

「そんなにですか……!?」

「そんなに、です。いくら特効薬があるって言っても、インフルエンザなんてならない方が良いに決まってるんですから」

 それもそうである。40過ぎた時から……というか30過ぎたくらいから、年々風邪が治りにくい。素直に忠告を聞いた方が良さそうだ。

「まあ、私が健康でないと意味ありませんからね」

「そうですよ」

 我が意を得たりと頷かれる。なんだかしてやられた気もするが、中堂はそれ以上の追求を差し控えた。

「じゃ、ご飯にしましょう。座ってください」

「カレーですか?」

「そうです」

「嬉しい」

 カレーが好きだなんて子供ですか、と言いかけて、やめた。カレーは中堂も大好きだからだ。


「ところで君」

 カレーを食べながら、中堂は不意に思いついて小田桐に尋ねた。

「何ですか? あ、カレー美味しいです」

「それはわかりきっています」

 と、涼しい風で返事をしてから、

「忘年会の予定は教えてください。いくら弁当に回せば良いとは言え、限度があるので」

「あ、そうですよね。ていうか、普通に食べて帰る日もやっぱり早めに決めて連絡した方が……」

「それは結構です。お昼に回せる範囲なので」

 しれっとして返す。

 食べて帰る日の連絡問題。

 これが、この生活の中で起こっている問題の一つである。食事を作り終えてから、「今日は食べて帰ります」と言われると、1人分食事が余ってしまう。

 再三小田桐が言うように、もっと早く「今日は食べて帰ります」と連絡を寄越してもらえれば良いのである。良いのだが……。

(なんか、それじゃまるで……)

 中堂の方にどうしても抵抗があって、要らないと頑なに言い続けている。そのくせ、実際に、小田桐から連絡をもらうと、食べる人のいなくなった1人分の食事が虚しくて悲しくなってくる。

 けれど、虚しい、悲しいと思っていることを知られたくなくて、それどころか自分がそう思っていることすら認めたくなくて、中堂は頑なに、それは何も問題はないと言い張る。

 ただ食事がもったいない、というわけではない。さっきも言ったように、次の日の昼食に回してしまえるので、何ももったいないことは起きていないのだ。

 ただ……小田桐が自分と一緒に食事をとらない。そのことがとても虚しくて寂しいのだと。そう思っているような気がしてしまって、中堂はそれを言い出せずにいる。

「中堂さんが良いなら良いですけど……」

 小田桐は納得していない様な顔をして味噌汁をすする。そりゃそうだろう。多分、実家で暮らしていた頃は親に連絡しろと言われていただろうから。

「ええ、私は構いません」

 どうせ元々ひとりでしたから。

 いずれひとりになるのですから。


 そう言うやりとりをした後が猛烈に虚しくて、ベッドに入ってもしばらく寝付けなかった。時刻はとっくに12時を過ぎていて、早く寝ないといけないと言う小田桐は既に夢の中だ。ベッドから下を覗き込むと、布団に横たわる、穏やかな寝顔の彼が見える。ベッドで見るのと同じ……。

 ああ、全く同じではない。今の彼は服を着ているから。それは中堂にとっては大きな違いの筈だった。けれど、今となってはまったく些細な差異。

「おだぎりくん」

 小さく呼んでも、事後のまどろみよりも深い眠りにいる彼は返事をしない。気付いてもいない。明日待っている自分の仕事の為に眠っている。

「おだぎりくん」

 ああ、こんなに静かに眠る人だったのか、と今更思い知る。たったそれだけの事実が中堂の胸を揺さぶった。涙が落ちて、彼は自分が動揺していることに気付いた。

 小田桐の眠りを妨げてはならない。中堂はそう思って、静かにベッドの中に潜り込んだ。

(やっぱり、連絡を頼もう)

 夕食を外でとることが決まったら、早く教えて欲しい。中堂がそう一言告げれば、小田桐は快諾してくれる。やっぱりそうですよね、と言って。

 得体のしれない悲しみと、眠りの中に沈んで行く。


 翌朝、小田桐が寝坊した。同じく寝坊した中堂は、「やっぱり、夕食が要らないときは連絡してください」と告げるタイミングを見事に逸した。

「バタバタしててすみません! 行ってきます!」

 と、食パンを焼かずに水で流し込んだ小田桐は慌ただしく出て行った。中堂にも勤め人だった時期はあるので、どれだけ慌てることかはよくわかっており、邪魔することもできない。起こせなかったことに対する罪悪感が湧いてくるが、何か言われたら「いい歳してるんだから自分で起きなさい」と言ってやるつもりだった。けれど、小田桐は中堂には何も文句を言わず、「やべぇ」だけ言って支度を済ませて出て行った。寝癖がそのままだった。

「……」

 めずらしく食卓の上に置きっ放しにされた食器類を片付けながら、

「ふっ……」

 中堂はおかしくなって笑った。

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