アマンダ・スザーノ2

「アミィ、楽しいか?」


 会話が途切れ、しばらく経ったところで陽一が尋ねた。

 とくに居心地が悪くなるということはないが、それでも彼女が退屈していないかと心配して声をかけたのだ。


「楽しいっすよ」


 窓の外を見ていたアミィが、穏やかな表情のまま陽一を見る。


「いやー、日本はいいっすね。道も景色もきれいで」

「道はともかく、景色のきれいなところなら南米にもありそうだけどな」

「言われてみればそっすね。でもまぁ、見たことない景色を見るってだけでも、退屈しないっす」

「そうか」


 それからしばらく、とりとめもない話をしたり、音楽が流れるに任せて無言になったりという時間を過ごした。


「しかしまぁ、結構遠くまで来たな」


 気づけば数時間が経過し、辺りの景色に随分と自然が増えてきたことに気づく。


「アニキ、あれってなんっすか?」


 山間の道を抜け、ちらほらと民家が建ち並ぶなか、広い駐車場を有した建物を見て、アミィが問いかけてくる。


「ありゃ道の駅だな」

「道の駅? なんっすか、それ」

「あー、道の駅ってのはな、たしか地元の名産品とかそういうのを売ってるところだ……と思う」


 自動車を乗るようになって数年、基本的には首都圏か異世界くらいでしか運転していない陽一は、道の駅というものを利用したことがなく、よく知らなかった。

 地元色を出したサービスエリアのようなものだが、陽一はそのことをよくわかっていない。


「なんのためにあるんっすか?」

「ドライブとかで休憩したいときに寄るんだよ」

「じゃあまさに、いまっすね」

「だな」


 いいタイミングでいい場所に行き当たったと思ったふたりは、道の駅へ寄ることにした。

 緩やかにハンドルを切り、駐車場に車を停める。


 広いスペースに数台の自動車が駐車されており、まばらではあるが人の姿があった。


「んんー……!」


 助手席から降りたアミィが、大きく身体を伸ばす。腕を上げ、背筋を伸ばしたことでカットソーの裾からわずかに腹が見え、豊満な胸が強調された。

 〈認識阻害〉の魔道具がなければ、さぞ人目を集めたことだろう。


「まずはメシにするか」

「っすね!」


 併設された食堂は、食券を購入するタイプの場所だった。


「なるほど、ここはそば推しなのか」


 券売機の目立つ位置にそばのメニューが並んでいる。


 そういえば食堂へくる前に通った隣の物販スペースにもそばが大々的に置かれていた。

 あたりを見回すと敷地内の各所に立てられたのぼりなどでも宣伝されていることに、あらためて気づく。


 そこで陽一は月見そばを、アミィはきつねそばを注文した。


 ふたりで向かい合って座り、ひと息ついたところで注文の品が届く。


「いただきます」

「いただくっす」


 ふたり揃って、ずるずるとそばをすする。


「へぇ、うまいもんだな」

「そっすね、美味いっすね」

「あ、いや、そばはもちろん美味いんだけど、そうじゃなくて、アミィがな」

「アタイっすか?」


 陽一の言葉に、アミィが首を傾げる。


「だってほら、普通に箸使ってるし」

「ああ、これっすね」


 アミィはそう言いながら、少し見せびらかすように箸でつまんだそばを持ち上げた。


「姐さんたちに、教えてもらったっす」

「なるほど」


 実里とシーハンは、箸の文化の国の人間だ。

 教えることなど、わけないだろう。


「ふふふ、アタイも日々成長してるってわけっすよ」


 誇らしげにそう言うと、彼女はふたたびそばをすする。


「えらいな。それに、すするのもうまいじゃないか」


 箸の使い方は覚えられても、めんをすすれないという欧米人は多い。

 その点、アミィはごく自然に麺をすすっていた。


「麺をすするのに関しては、かなり苦労したっす」

「そうなのか?」


 陽一にしてみれば、箸使いを覚えるよりも簡単だという認識なので、アミィの言葉は意外だった。

 欧米人が麺をすすらないのは文化の問題で、やろうと思えば簡単にできる、と彼は考えている。


「じゃあ聞くっすけど、アニキは麺をどうやってすすってるんっすか?」

「それは、こうやってだな……」


 アミィに問われた陽一は、実際に麺をすすって見せる。


「それをどう説明するっすか?」

「説明?」

「そうっす。できない人に、どう言って教えるっすか?」

「どう言ってって言われても、こう……」


 もう一度、すすってみる。


「……口に入れて、息を吸う?」

「それだとゲホッてなっちゃうっす」

「そうなのか?」

「できない人だと。そうなるんっすよ」

「うーん、そうかぁ……」


 陽一が普段あたりまえのように行なっているという行為だが、あらためてどう説明していいのかがわからないことに気づく。


「これについてはサト姉もシー姉も、普通にすすれとしか言ってくれなかったんっすよねー。すっげー苦労したんっすから」


 麺をすするという行為に関して、陽一はなにかしらの訓練を行なった覚えがない。

 生まれたときからできるというものでもないので、幼少時にはそれなりに練習をさせられたはずだ。

 その記憶がないのは、噛んだり飲み込んだりという動作とほぼ同時にすするという行為を習得するためだろうか。


 物心ついたときにはできていたことなので、あらためて人に教えるとなると、そのメカニズムの細部が見えないのである。


「じゃあアミィはどうやって覚えたんだ?」

「そりゃ姐さんたちのやってることを注意深く観察したんっすよ。そしてアタイは、アジア人も知らないの極意を見出したんっす!」


 アミィはそう言って、自慢げに胸を張る。


の極意ねぇ」


 そんなものがあるのか、と陽一はいぶかしむ。


「ちなみにこの極意を伝えたら、これまですするのがうまくなかったアー姉やシャロ姉もうまくすすれるようになったっす」

「へえ、それはすごいな」


 何度も練習しているうちに、自然に習得したのではないかと考えていた陽一だったが、人に教えてすぐに習得できたというなら、それは極意と呼ぶにふさわしいかもしれない。


「じゃあ、俺にも教えてくれよ」

「もちろんっすよ」


 陽一が言うと、アミィは嬉しそうに笑う。


「ただこれは秘伝の奥義なんで、耳をかしてくださいっす」

「耳を? ああ、いいよ」


 身を乗り出すアミィに、陽一も顔を近づける。


「いいっすか、その極意っていうのは……ちゅっ」


 彼女に耳を近づけるため横を向いていた陽一の頬に、アミィはキスをした。


「お、おい」

「にひひ」


 突然の行為に陽一は驚き、そんな彼を見てアミィはいたずらが成功した子供のような笑みを浮かべた。


 食堂にはふたり以外にも客がおり、慌てて周りを見たが、認識阻害の魔道具のおかげか自分たちの様子を気にする人はいないようで、陽一はほっと胸を撫で下ろす。


「なんだよ、からかったのか?」

「ちっちっちっ……」


 呆れる陽一に対し、アミィはそう言って人差し指を左右に振る。


「いいっすか、アニキ。すするの極意っちゅうのは、ちゅーなんっすよ、ちゅー」


 アミィは軽く突き出した唇を指さした。


「いやだから、なんなんだよ、それ」

「んー、鈍いっすねぇアニキは。サト姉たちはこれですぐに気づいたんっすけど」

「む……」

「要は、麺を口に入れたあと、唇をちゅーってすぼめるんっすよ。アニキたちはそれを無意識にやってるだけっす」

「そんなバカな……」


 そこで陽一はあらためて麺をすする。


「んっ!?」


 そして途中で大きく目を見開いて動きを止め、アミィを見た。


「どっすか?」


 陽一はずるずると麺をすすりきり、飲み込んだあと、自慢げな表情を浮かべるアミィに向き直る。


「ほんとだ……口、すぼめてるな……」

「っすよね?」


 それみたことかと言わんばかりに、アミィが胸を張った。


「いや、おそれいったよ」


 まさかこの歳になって、南米生まれ異世界育ちのアミィからの極意を教わるとは思わず、陽一は素直に感心するのだった。



「アニキ、あっちの店にはなにが売ってるんっすか?」

「あっちは、土産物とか地元の農産物とかかな」

「じゃあ、姐さんたちにお土産買って帰るっす!」


 食事を終えたふたりは、売店に向かった。


「とりあえずおそば美味しかったんで、買って帰るっす!」

「お、そうだな。これは喜ばれそうだ」


 広く展開された売り場から、お土産用のそばをひょいひょいと買い物カゴに入れていく。


「せっかくだから名産品もいろいろ買っとこうかな」


 陽一は売り場を見て回りながら、地元で生産されたこんにゃくやネギ、行者ぎょうじゃニンニク、手作りの調味料や惣菜などをカゴに追加した。


「アニキ、あの赤いのはなんっすか?」

「ありゃダルマだな」


 アミィの指さした先には、大小さまざまなダルマが陳列されていた。


「なんか厳ついんだかかわいいんだかよくわかんないっすね。目が白いのはなんか意味あるんすか?」


 手頃なサイズのダルマを手に取り、まじまじと見ながらアミィが引き続き尋ねる。


「願いごとが叶ったら、目を黒く塗るんだよ」

「そうなんっすねー」

「そのへんで転ばしてみな」

「転ばすんっすか?」


 陽一の言葉を訝しみながら、アミィは売り場の少し平らなスペースにダルマを置き、額の部分を軽く指で押す。


「おおっ!」


 ごろりと仰向けに倒れたダルマが起き上がってくるさまに、アミィが感嘆の声を上げた。


「七転び八起きっつってな。諦めねーぞって意志を込めて願掛けするもんなんだよ」

「ほぇー、おもしろいっすねー」


 その後もアミィは売り場を回り、これはかわいい、あれはきれいと言いながら陶器の置物や木製の食器など、いろいろな物をカゴに放り込んでいく。


 農産物や食品、工芸品など、結果的にかなりの種類と量のお土産を買うことになってしまった。


「ちょっと買いすぎたっすかね?」

「ちょっとな」


 大量の土産物を抱えて自動車まで歩きながら、ふたりはそう言って笑い合う。


「姐さんたち、喜んでくれるっすかね?」


 抱えた荷物を見て、アミィが少し不安げに呟く。


「ああ、きっと喜んでくれるさ」


 陽一がそう言うと、アミィは心底嬉しそうに笑うのだった。

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