朱詩涵(シュウ・シーハン)3

「陽一、シーハン、少し散歩につき合ってくれ」


 大陸の拠点に戻った黄老はそう言ってふたりを誘い、外に出た。


 日が暮れ始めたあたりで田中家を辞したのだが、時差の関係でこちらはまだ少し明るい。


「そういえば、黄老って名乗ってよかったんですか?」


 ほろ酔いではあるがしっかりとした足取りの黄老に、陽一が尋ねた。


「はっはっはっ、この国に黄老などと呼ばれている老人が何人いると思う? それに、この時間にこの町を歩いている老人が、数分前まで日本にいたと考える者など、少なくともこの国にはおらんよ」


 酒でいつもより饒舌じょうぜつになったのか、黄老は上機嫌な口調でそう言った。


「それにしても、いいところだった」


 町を歩きながら、黄老がしみじみと呟く。


「せやな。ええ人ばっかりやったし、にぎやかで楽しかったわ」

「このご時世、田舎でもお彼岸にあれだけの親族が集まるのは珍しいからな」


 シーハンと陽一の言葉に、黄老がふっと笑みを漏らす。


「田中家だけではない。日本という国が、思っていたよりもいい場所で驚いたよ、私は」


 そんな黄老の言葉を受け、陽一はあたりを見回す。


「そうですか? この国だって悪くないと思いますけどね」


 平和で活気のある町だと素直に思った陽一は、そう言った。

すると、先頭を歩いていた黄老が、不意に立ち止まる。


「本当に、そう思うかね?」


 黄老はこれまでの上機嫌な様子が嘘だったように、低い声で呟き、振り返った。


 黄老の顔からは酔いの兆候が消え、口元にはどこか皮肉めいた笑みが浮かんでいる。


 そんな彼の様子に、陽一とシーハンは思わず息を呑んだ。


「君たちも知っているだろう? ここ最近の、我が国の迷走を」

「それは……」


 陽一はなにか言おうとしたが、結局言葉が出なかった。


 ほんの少し前まで、力強い指導者に率いられ急成長を続けていたこの国は、世界の覇権を握るほどの勢いで覇道を邁進まいしんしていたかのように見えた。


 だが、政権トップの方針転換によって、暗雲が立ちこめる。

それ以外、陽一に見えない部分でもいろいろな変化が起こっているかもしれない。


「いや、なんというか、独裁ってのも大変ですね」

「ほう。そこで独裁という言葉が出るのは、指導者の一存でそれらの方針転換がなされたと、君は考えているのかね?」

「……違うんですか?」

「そうだな。どちらかといえば独断専行の真逆、衆愚の極みだと、私は考えているよ」

「衆愚、ですか?」

「そうだ。なんといえばいいかな……」


 そこで黄老は、陽一から目を離す。視線の先には、防犯カメラがあった。


「君は我が国の監視態勢について、よく知っているね?」

「それは、もう」


 軽く【鑑定】しただけでも、おびただしい数のカメラを確認できる。

この国のある程度大きな町には、死角がほとんどないのではないか、というほどに設置され、それによって人々の動きは監視されていた。


「それは、この国の目だ。できるだけ広い範囲で、できるだけ多くの人を見ようという意図がある」

「はぁ」


 なんだか難しい話になってきたぞ、と思いながらも、陽一は黄老の話に耳を傾ける。


「では、耳は?」

「耳、ですか?」

「そうだ。できるだけ広い範囲、できるだけ多くの人の言葉を聞くための、耳だ」

「……ちょっと、わかりません」

「ふむ。私はインターネットなどの通信網がそれではないかと考えている」

「インターネットですか?」

「SNSに投稿される言葉や、メールでやりとりされる意見などだな。そしてこの国は昔から目よりも耳がいいのだよ。地獄耳というやつだ」

「はぁ、地獄耳」

「いまの指導者たちは、その地獄耳で多くの言葉を聞き過ぎてしまったのだよ」


 ごく少数の富裕層と大多数の庶民とのあいだにある教育格差への不満、少子化によって減少した子供への悪影響をおもんぱかる大人たちの声。


 そんな国民が持つ多くの意見を聞いたがために、突然教育業界や娯楽産業へ大規模な規制が敷かれることもあった。


「本当に、この国はこの先、どこへ向かうのだろうな」


 口元に笑みをたたえながらも、黄老はがっくりと肩を落とした。


「もう、ええやん」


 不意にシーハンが呟く。


「じいちゃんいっぱいがんばったやん? せやから、もうええやろ。もう、日本に帰ろ? 田中昭吉に戻って、田中家の親戚のじいちゃんになってもうたらええやんか」


 シーハンの訴えに、黄老は目を丸くした。


 だがすぐに、表情を緩めた。


「日本に帰る、か……」


 黄老はふっと笑みを漏らすと、小さく首を横に振った。

それを見たシーハンが、悲しげに眉を下げる。


「今回日本にいって、実感したよ。ここは、日本は私の帰る場所ではない、とね」

「じいちゃん……」

「私にとっての故郷は、やはりこの国なのだよ」


 そう言った黄老の顔には、先ほどまでと違った力強い笑みが浮かんでいた。


「私はまだまだ長生きできるのだろう? ならばこれからも我が国のために、できることをさせてもらうよ」


 そんな黄老を泣きそうな顔で見ていたシーハンだったが、やがて諦めたようにため息をついた。


「はぁ……しゃーないなぁ。じいちゃん、言い出したら聞けへんねんから」


 そう言って、呆れたように苦笑を漏らす。


「そうだな、もうこの歳だ。死ぬまで変われんだろう」


 それからふたりはクスクスと笑い合ったが、不意に黄老が表情をあらためる。


「日本は私の故郷ではなかったが、源流であることに変わりはない。己の源流を知ることで、想いを新たにすることもできた。だから……」


 そこで黄老は、深々と頭を下げた。


「陽一、シーハン。あらためて、ありがとうと言わせてもらうよ」


 そう言ったあと頭を上げた黄老の表情は、とても穏やかだった。


○●○●


「シーハン、大丈夫か?」

「なんで?」

「いや、大丈夫ならいいんだけど」

「なんや、心配してくれてんのか?」

「そりゃ、まぁ……」

「ほうか。にしても、生まれた町がダムの底とか、笑えるわほんま」


 『グランコート2503』へ帰宅後、チャイナドレス風のルームウェアに着替え、リビングのソファにぐったりともたれかかっていたシーハンは、そう言って乾いた笑みを漏らした。



 あのあとすぐに黄老と別れたふたりだったが、シーハンの希望で彼女の生まれた町へ向かうことになった。

黄老から源流という話を聞いて、気になったようだ。


 シーハンの生まれた町は大陸西部のかなり田舎のほうにあり、交通手段がほとんどなかったので、異世界からスザクを連れてきて、空から向かった。

もちろん、サマンサの各種魔道具でかの国の監視網をかいくぐって。


 幼くして誘拐されたシーハンにとって故郷と呼べるのは、黄老のいるところだった。

なので、生まれた町についてはほとんど覚えていない。


 そこで陽一が【鑑定Ω】で調べて探し当てたのだが、到着したその場所には巨大なダムが建設されていた。


『あほらし。帰ろ帰ろ』


 生まれた町が沈んでいるであろうダムの底をしばらく眺めたところでシーハンがそう言ったので、スザクを異世界に帰し、ふたりは『グランコート2503』へ帰還したのだった。


 それから彼女は、ソファに深くもたれかかったままぼんやりとしていた。


 隣に座る陽一が話しかけても生返事ばかりで、心配したところで先ほどのような反応が返ってくるだけだった。


 テレビをつけてもうるさいから消してくれと言われ、会話もすぐに途切れてしまう。


 さすがに居心地が悪くなった陽一だったが、それでもなにか話題はないかと考えを巡らせる。


(そういえば……)


 ここ最近メンバーひとりひとりと過ごしてきた陽一は、彼女たちと共通の話をしていたことを思い出した。


「なあ、シーハン」


 なんとか間を持たせようと思った陽一はシーハンに声をかけた。


「なんや?」


 そしてぼんやりと虚空を眺めたまま問い返す彼女に、その質問を投げかける。


「俺たち、出会っていなければいまごろどうなってたかな?」


 するとシーハンは勢いよく身体を起こし、陽一のほうを見た。


「そんなん……」


 陽一を見つめるシーハンの目に涙が溜まり、口元が震え始める。


「お、おい……」


 そして目尻から涙があふれると、彼女はくしゃりと表情を崩した。


「そんなん言わんといてやぁ……」

「えっ? えっ……?」


 突然泣き始めたシーハンに、陽一はオロオロし始めた。


「故郷は捨てた……生まれた町も水の底や……もう、うちが帰る場所はヤンイーのとこしかないのにぃ……うぅぅ……」

「あ、いや、これはその、たとえばの話で……」

「いややぁっ……! ヤンイーに会われへんかったらとか、考えるんもいややぁ……うわああああああん」


 感極まったのか、シーハンは子供のように泣き始めた。


「いや、おい、ちょっと……!」


 わんわんと泣きじゃくるシーハンを、胸に抱き寄せる。

すると彼女は陽一にしがみつき、胸に顔をうずめてなおも泣き続けた。


「大丈夫だから。俺はずっとシーハンと一緒にいるから、な?」


 子供をあやすように背中をさすってやりながら、シーハンをなだめる。


 まさか故郷を訪れたことがここまで彼女に影響を与えるとは思いもよらず、陽一は大いにうろたえた。


 ずっと一緒にいる。離れない。寂しい思いはさせない。

そんな言葉をかけながら、なだめすかしているうちに、ようやくシーハンも落ち着いてきた。


「うぐ……ひっく……」


 陽一の胸から顔を離したシーハンは、ときおりしゃくりあげながら上目遣いに陽一を見る。


 常に勝ち気な彼女が、いままでに見せたことがない、弱々しい表情だった。


「ずっと、一緒におってくれるん?」

「もちろんだ」


 不安げに問いかけてくるシーハンに、陽一は力強く答える。


「うちのことほうって、どっかいったりせえへん?」

「そんなことするわけないだろ? ずっと一緒にいるよ」


 言葉だけでなく態度でわからせるため、陽一は彼女に顔寄せ、唇を重ねた。


「ん……」


 涙に濡れた唇は、少ししょっぱい。


 しばらく激しいキスが続いたあと、シーハンのほうから顔を離した。


「もっと……」


 シーハンが物欲しげな目で陽一を見る。


「うちがヤンイーのものやって、もっとちゃんとわからせて……」


 充血した目を涙で濡らしながら、彼女はそう訴えた。


「ああ、これでもかってくらいわからせてやるよ」


 陽一はそう宣言し、シーハンをソファに押し倒す。


「あんっ……!」


 仰向けにされたシーハンは、嬉しそうな声を上げた。


○●○●


 射行為が終わったあともシーハンが離れようとしないので、陽一は彼女を抱きしめ続けた。


彼はシーハンの首元に顔を埋めながら、彼女の存在を全身で感じていた。


「はぁ……はぁ……んぅ……」


 耳元に、彼女の熱い吐息が何度もかかる。

彼女の呼吸音と、ときおり漏れるうめき声以外の音が、耳に届かない。


「はぁ……はぁ……ふふっ……」


 不意に、シーハンの口から笑みが漏れた。


「どや、かわいかったか?」


 続けて彼女は、そう囁く。


「は?」


 さっきまでの甘いトーンではない、からかうような声に、陽一は思わず身体を起こす。

気づけば彼女の腕からは力が抜けていて、陽一はソファに手をつくと、シーハンを見下ろした。


「なぁ、かわいかったやろ?」


 そこにはいたずらが成功したような笑みを浮かべるシーハンの顔があった。

涙のあとはすでに消え、目の充血も治まっていた。つい先ほどまで泣きじゃくっていたのが、嘘のようだ。


「ああ、せやせや。たぶんいまも黄老んところで諜報員しながら、怪盗続けてたんちゃうかな? もしかしたらヘマして捕まってたかもしらんけど」

「いや、なんだよ、急に」


 戸惑う陽一に、シーハンは苦笑する。


「さっき聞いたやん? ヤンイーと出会ってなかったらって」

「いや、いま答えるのかよ! あー、いやそうじゃなくて」


 陽一は呆れたように頭を振ると、大きなため息をついた。


「もしかして、さっきのは演技だったのか?」

「どやろなぁ?」


 陽一の問いかけに、シーハンは意地の悪い笑みを浮かべる。


「気になるんやったら、【鑑定Ω】でうちの心んなか覗いてみたらええやん?」

「バカ言うな。仲間の心は覗かないよ」


 再度ため息をついた陽一は、ゆっくりと身体を離す。


「あん……離れんといてぇー」

「はぁ……シャワー浴びてくる」


 そんなシーハンを無視して、陽一はソファから降りて立ち上がると、【無限収納Ω】にずらしたままのスウェットとトランクスを収めて全裸になり、そのままバスルームへと歩いていった。


 陽一のいなくなったソファの上で、シーハンは軽く身を起こし、下半身に視線を落とす。


「ふふふ……ヤンイーにやったら、全部さらけ出してもええねんけどなぁ」

「なんか言ったか?」


 その声に目を向けると、ちょうどバスルームのドアに手をかけた陽一が彼女を見ていた。


「なんでもあらへんよー」

「そっか」


 シーハンの返事にそう答えた陽一は、軽く首を傾げつつもバスルームに入っていく。


「ふぅ……」


 バスルームのドアが閉まる音を聞いた彼女は小さく息を吐き、ふたたび自身の身体に視線を落とした。


「ふふっ」


 陽一に目一杯愛された肢体を愛おしげに眺めながら、シーハンは嬉しそうに微笑むのだった。


――――――――――

次回アミィ編は2日後の1/11より開始予定です

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