朱詩涵(シュウ・シーハン)2

 さらに数分歩き、目的地に着いたところで3人は足を止めた。


「ここですね」

「そうか」


 ――田中家之墓。


 黄老の前には、そう書かれた墓石がたたずんでいる。


 3人はいま、霊園にいた。


 黄老はしばらくのあいだ、先祖の眠る墓を見つめていた。

陽一とシーハンは邪魔にならないよう、少し離れたところから彼の姿を見守っている。


 無言のまま数分が過ぎたところで、じっとたたずんでいた老紳士が不意に顔を上げた。そしてなにかを探すようにあたりを見回す。


「しまったな。花を用意しておけばよかった」


 黄老が呟く。


 墓に供えられた花は、すでに枯れていた。


「ありますよ」


 気落ちする黄老を安心させるようにそう言って、陽一は【無限収納Ω】からの束をふたつ取り出す。


「ありがとう、用意がいいな」

「備えあればってやつですかね」


 少しおどけたようにそう言って墓花を黄老に渡しながら、さらに水を張った桶と柄杓ひしゃくも取り出した。


 墓参りに来ることはわかっていたので、事前に用意していたのだ。


「さすがヤンイー、気がきくやんか」

「そうだろ?」


 陽一が枯れた花を収納すると、空いた花立てに黄老が墓花を差し、シーハンが柄杓で水を注ぐ。


「ふむ、もうやることはないのかな」

「なんか、あっさりしたもんやなぁ」


 花を供えたところで、黄老とシーハンが物足りなげに呟いた。


「あー、掃除とかします?」


 そこで陽一は、真新しい雑巾ぞうきんを取り出した。


 それを見た黄老が、嬉しそうに顔をほころばせる。


「ああ、そうだな。せっかく訪れたご先祖さまの墓だ。心を込めてきれいにさせてもらおう」

「あー! うちもうちもー!」

「じゃあシーハンは掃き掃除な」


 黄老に雑巾を渡した陽一は、あらたに竹箒とちりとりを取り出した。


 雑巾を手にした黄老は桶につけて水を絞ると、丁寧に墓石をき始めた。


 墓の周りには落ち葉や枯れた花弁などが少しばかり散乱していたので、シーハンは竹箒でそれを掃き集める。


 掃き掃除をあらかた終えたシーハンは、砂利に生えていた雑草を抜き始めた。

とはいえそこそこ手入れをされているのか、それもすぐに終わる。


 部外者である自分は手を出さないほうがいいだろうと、陽一はそんなふたりの様子を眺めていた。


「あのー……」


 そこへ、若い夫婦が現われた。


 どこにでもいるような素朴な容姿の日本人だが、陽一は夫のほうになんとなく見覚えがあるような気がした。


「そこ、うちの墓なんですけど、どちらさま?」


 どうやら墓参りにきた田中家の人間らしい。


 せっかくだからとお彼岸ひがんに合わせていたので、出会う可能性はあった。


「ああ、これは失礼しました」


 陽一が返事をするより前に、拭き掃除を終えた黄老が前に出てきた。


「私は以前、しょういちさんにお世話になった者で、近くに寄ったついでにお参りをさせていただいたのですよ」


 黄老はそう言いながらサングラスを取り、胸にしまう。

昭一というのは、黄老の実兄の名だ。


「はぁ、それはわざわざどうも……って、あれ?」


 サングラスを外した黄老の顔を見て、夫が首を傾げる。


「じいちゃん……?」


 そしてぽろりと、そう漏らした。


 おそらく彼は昭一氏の孫で、黄老と生前の祖父が重なったのだろう。

つまり陽一が夫のほうに見覚えがあったような気がしたのは、大叔父である黄老に似ていたからだ。


 田中家の墓にいるのだから、そこへ親族がくるのはおかしなことではない。


 陽一とシーハンは思わず息を呑んだが、黄老は笑みを浮かべたままだ。


「ははは、他人のそら似というヤツですよ。私はティェンヂャオと申します」


 黄老は偽名を名乗ると、わざとらしくきょうしゅ――胸の前で手のひらと拳を合わせるポーズ――をして、一礼する。


「あ、ああ、そうですか。あちらの方でしたか」


 名前と挨拶の仕方から、彼は黄老が大陸の人間だと理解したようだ。

いまどきあえて拱手をする人などあまりいないので、一種のパフォーマンスではあるのだが。


「昭一さんがあちらへいらしたとき、顔と名前が似ているからと、なにかとよくしてくれたのですよ」

「えっと、じいちゃんがあっちに? なんで……?」

「おや、ご存じない? まぁ、昔のことですからね」

「はぁ……」

「できれば、生前お目にかかりたかったのですが……」


 そう言った黄老は心底寂しそうで、それを見た夫のほうがおろおろとしてしまう。


「ねぇ、あなた……」

「ん?」


 見かねた妻が、夫の脇腹を肘でつつく。そして彼女の意図を察したのか、黄老に向き直った。


「あの、えっと、ティェ……なんだっけ……」

こうろうと」

「はい?」

「私のことは、黄老とお呼びください」

「こうろう、ですか?」


 首を傾げる夫に、黄老はふっと笑いかける。


「なに、私のように元気だけが取り柄のジジイをあちらではそう呼ぶのですよ」

「はぁ、なるほど」


 茶目っ気のある笑みを浮かべた黄老だったが、夫婦のほうはまだポカンとしたままだ。


「そうですね、日本の方にわかりやすく言うと、三国志の黄忠こうちゅうといえば――」

「ああ! いてはまさますますさかん、ということですね!」

「えっ? えぇ……?」


 黄老の言葉をさえぎるように妻が答え、夫はよくわからずうろたえるばかり。


「はっはっはっ、どうやら奧さんはお詳しいようだ」

「あっ、いえ、私ったら、その……すみません」


 黄老の快活な笑いで我に返ったのか、妻は恥ずかしそうに一歩下がった。


「あー、えっとですね、それで、黄老さんさえよければ、ウチに来ませんか?」

「あの、ぜひそうしてください。今日はお彼岸ということで親族が少し集まっておりまして、義祖父おじいさまに縁のあるかたでしたらみんな喜んで迎え入れてくれると思うんです」

「いえ、ですが……」

「もちろんお急ぎでしたらお引き留めはしませんが、お時間があるなら、ぜひ」


 夫婦の申し出に、黄老が戸惑う。 


「おじいちゃん」


 すると一歩下がって様子を見ていたシーハンが前に出て、黄老に並んだ。


「せっかくのお誘いネ。お断りは失礼アルよー」


 そしてシーハンがそう言うと、その場にいる全員の視線が彼女に集まった。


 すぐに黄老は困ったように眉を下げ、シーハンが日本語を喋るとこうなるのだと思い出した陽一は、額に手を当ててため息を漏らす。


 田中家の若夫婦は、こんなしゃべり方をする人が本当にいるのかと、驚いているようだった。


「では、孫もこう言っていることですし、お言葉に甘えるとしましょうか」

「ああ、はい、ぜひ。えっと、それにしても黄老さんは、日本語がお上手ですね」


 これまで当たり前のように話していた夫だったが、シーハンの言葉を聞いて黄老が異常なほどに自然な日本語を話すことへの疑念が湧いたようだった。


「これも、昭一さんのおかげですな」

「なるほど……ですが、お孫さんは…」


 ちらりと視線を向けると、シーハンがにっこりと微笑む。


「ワタシは日本ニポンのアニメで勉強したらこんななったアルなー」

「ははは……なるほど……」


 胸を張ってそう言い放つシーハンに、夫婦揃って愛想笑いを浮かべた。


「ああ、そうそう。遅くなりましたが紹介しておきましょう。孫娘のシーハンと――」


 そこで黄老に手招きされた陽一が前に出て横に並ぶ。


「――その婿むこ藤堂とうどう陽一くんです」


 肩に手を置いてそう言われた陽一は、反射的に黄老へと顔を向けた。

だが黄老が悪びれる様子もなくウィンクを返してきたので、陽一はぎこちなく前を向き、夫婦に対峙する。


「えっと、藤堂陽一です」


 そして名を名乗り、軽く頭を下げた。


「うふふ、ヤンイーの妻でシーハンいうアル!」


 続けて名乗ったシーハンは、とても嬉しそうだった。


「あ、ご丁寧にどうも。僕は田中昭一の孫であきらといいます。妻は――」


 それから簡単な自己紹介を済ませた一行は、田中家へと向かうのだった。



 田中家には十数名の親族が集まっていた。


 このご時世にしては子供の数が多く、シーハンは彼らの遊び相手になっている。


 黄老と陽一は座敷に通され、酒と料理を楽しんでいた。


「えっ、じいちゃんって昔はちょくちょくあっちにいってたの?」


 父親の話を聞いていた昭が、そう問い返した。


「ああ。生き別れの弟がいるらしくてな。それで何度かいってたんだが、お前が生まれるころにはもうやめちまってたなぁ……」


 昭の父、すなわち黄老の甥にあたるかずひさが、日本酒をあおったあとしみじみと語った。


「じゃあ黄老さんはじいちゃんの弟ってこと!?」

「アホぬかせ。他人のそら似っつー話だろうが」


 物腰の柔らかい昭と違って、父親の一久はぶっきらぼうなところがあった。

ただ、顔はよく似ていた。


 その一久が、じっと黄老を見る。


「しかしまぁ、たしかにオヤジによく似てますね」


 そう言ったあと、一久は熱燗あつかんにした日本酒をお猪口ちょこに注ぎ、クイッと飲み干す。

そしてふたたび、黄老に視線を戻した。


「うーん……オヤジの弟……昭吉さんだったかな? とにかく、そう名乗られてたら、信じちまうかもしれねぇなぁ」

「そんなに、似てますか」

「ええ、似てます似てます! いや、だが……」


 黄老の問いかけに勢いよく答えた一久だったが、ふと神妙な表情となる。


「黄老さんじゃあちと若すぎるな!」


 そう言ってニカっと口の端を上げた。


「親父の弟なら、もう80後半だろう? 黄老さんはそんなに歳食って見えねぇもんなぁ」

「そうですかな、ははは」


 穏やかに笑う黄老だが、たしかに80を過ぎているようには見えない。

60代といっても通るかもしれないほどだった。


 もちろん【健康体】のおかげである。


 若返りの効果があるスキルではないが、表情や姿勢がよくなるだけで、見た目の印象は随分かわるものなのだ。

もともと活動的で若々しかった黄老ならなおさらである。


「ささ、黄老さん、もう一杯」

「ああ、これはどうも」


 一久の注ぐ酒を、黄老が受ける。


 そうやって、田中家の人たちと黄老は酒をみ交わしながら、在りし日の田中昭一を偲ぶのだった。

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