エピローグ 後編

サマンサ・スミス1

 いままさに飛び立とうとする旅客機の中、サマンサは目を輝かせて窓の外を見ていた。


「おー、たくさん並んでるねー」


 エプロン――航空機が駐機する場所――にいくつも並ぶほかの旅客機を見て、彼女は興奮気味につぶやいた。


「あれが整備車かな? あっちのはシャトルバスかー」


 なにかが目に入るたび、それを確認するように名称を口に出す。

 知識としてはいろいろ知っているサマンサだが、こうして実物を見るのは初めてのものが多い。


 ショートパンツにカットソーというラフな格好でファーストクラスの豪華なシートに座る小柄な彼女の姿を、陽一よういちは穏やかな視線で眺めていた。


 本来なら鮮やかなブルーの髪色をしたサマンサだが、例のごとく〈認識阻害〉と〈視覚偽装〉の魔道具で容姿をごまかしている。


 肉眼で見たところ存在そのものがあまり印象に残らず、映像機器に捉えられた場合、ネイビーアッシュの髪に映るようになっていた。


 隣に座る陽一ももともと目立つ容姿ではないが、念のため〈認識阻害〉の魔道具だけを身に着けている。


 さすがに海外旅行で作業着というわけにもいかないので、デニムにコットンシャツという服装だ。


「サマンサ、シートベルト」


 シートベルト着用サインが出たため、陽一は彼女に注意をうながす。


「あ、はーい」


 サマンサは名残惜しげに窓から目を離し、座席に座り直した。


「えっと、これを……こう、だね」


 シートベルトを手に取り、サインを見ながら腹の前でカチリと金具を止め、ベルトを調整する。


「これでいいよね?」

「ああ、問題ない」


 問題はないだろう? と自信ありげに尋ねてくる彼女に、陽一はうなずいてみせた。


「そろそろかなぁ」


 この日は、陽一が以前から計画していたサマンサとの海外旅行の出発日だった。


 いまや人類随一の錬金鍛冶師であるサマンサは、とんでもなく忙しい毎日を送っている。

 もともとワーカホリックな部分もあり、次から次へと望んで仕事をこなしている彼女が、今回の日程に合わせて長期の休暇をとっていた。


 いまごろ異世界では、シーハンとメリルがサマンサの代わりにさまざまな作業を行なっていることだろう。


「あ、動き出したよ」


 旅客機が離陸のためにゆっくりと動き出しただけで、サマンサは嬉しそうに声を出した。


 機体は速度を上げ、やがて離陸する。


「わぁ」


 地上を離れ、急速に高度があがっていくのを窓から見える景色で確認したサマンサが、目を大きく開いたまま声を上げる。

 そうやって未知の体験に喜ぶ彼女の姿を見て、陽一のもなんだか嬉しくなってきた。


「ほんとに、丸いんだねぇ」


 ある程度高度が上がり、水平線を一望できるあたりで、サマンサが感心したように呟いた。

 平面世界である異世界とちがって、地球の水平線は曲線を描いている。


「ほんとだ、あらためて見ると丸いな」

「ちょっと、自分の世界のことでしょ?」


 陽一の言葉に振り返ったサマンサが、呆れたような表情を浮かべる。


「そうは言っても、こうやって水平線を見る機会なんてあんまりないからな」

「たしかに、それもそうかもね」


 おかしそうに笑い合ったふたりは、再び窓の外に顔を向け、変わりゆく景色を眺めるのだった。


○●○●


「ふぁー、やっと着いたー」


 出発から23時間後、陽一とサマンサはオセアニア西部にある小さな町を訪れていた。


 日本からの直行便がないため、まずはこちらの大都市でひと晩過ごし、翌早朝に国内便で2時間かけてこの町までやってきている。


 エドが用意してくれたパスポートのおかげで出入国は問題なく、陽一の持つ各スキルによって現地での移動や行動もスムーズに行われた。


「いやー、それにしてもすごい人だねー」


 普段は静かな町なのだろうが、この日ばかりは人でごった返している。

 数時間後に起こるイベントのために、世界中から人が集まっているのだ。


「それで、海外にやってきた感想は?」


 目的地に向かいながら、サマンサへ尋ねる。


「丸い水平線は、やっぱり感動したね。ただ、空を飛ぶだけならスザクちゃんに乗ったほうがいいかな」


 魔王戦の際、サマンサは工房にこもっているかイージス艦に乗っているか、という状態だった。

 だがやはりというか、空を飛ぶという行為に興味を持たないはずもなく、戦後処理が落ち着いたところで陽一にねだり、あちらの世界では空の旅を経験していたのだ。


「ファーストクラスのシート、座り心地はよかったけど、長時間だとさすがにしんどいよね」

「それはなんというか、贅沢な感想だな」

「あとは、そうだなぁ……時差はしょうがないとして、せっかく南半球にきたのに季節の差が感じられないのはちょっと残念かも」


 この町は日本との時差が1時間しかない。


 そしていま、日本は春でこちらは秋だった。平均気温が、それほど変わらないのだ。


「季節は、結構違うと思うけどなぁ」


 平均気温が同じでも、湿度や太陽の角度、自然環境など、日本と異なる部分は多い。

 日本国内でさえ、数百キロ移動すれば、まったく別の気候になることも珍しくないのだ。


「それはヨーイチくんが日本に長く住んでるからじゃない? それに、ボクが言ってるのは夏と冬が逆転するレベルの話だからね」


 そう言われて、陽一は軽く肩をすくめた。


「ま、ボクが望んでこの日を選んだわけだし、不満があるわけじゃないから」

「だな。時差とかそういうのは、また次の機会に経験すればいいわけだし」

「んふ、だよねー」


 これからも陽一とこちらの世界を旅する機会があることを嬉しく思ったのか、サマンサは彼の腕に抱きついた。


「それにしても、本当にすごい人だな」


 休日の都心部よりも多い人混みに少々辟易へきえきしながら、ふたりはタクシーと徒歩で町を通り抜け、大きな公園にやってきた。


 あたりには屋台が建ち並び、食べ物や飲み物を手に歩く人たちも多い。

 老若男女、そしてさまざまな色の髪や肌を持つ人たちが、同じ目的で一堂に会している。


 少し遠くを見れば、テントが並ぶエリアもあった。

 何日も前からああして場所取りをしていたのかもしれない。


「お、あそこかな」


 しばらく進むと、少しずつ人が減り、やがて簡素なゲートが姿を現わした。

 その向こう側は、かなり人が少ない。


 ゲートの前には、スーツに身を包んだいかつい男性が数名立っていた。このゲートを守る私設警備員だ。


 ふたりはそこへ向かう。


「パスを」


 警備員のひとりに促され、陽一はあらかじめ用意していたカードを提示した。


 パスを確認した警備員が頷くと、別の男が金属探知機を手に近づいてきた。

 彼はとくに許可を求めるでもなく、陽一とサマンサを手持ちの機器で調べ始める。


「荷物は?」


 チェックを終えたところで、最初の警備員が尋ねてきた。


「事前に送ってあるよ」

「わかった。通っていいよ」


 許可を得て、ゲートを抜ける。


 この先は、高級エリアとなっていた。

 バンガローやコテージが建ち並び、人口密度も半分ほどになっている。


 ここに入るだけで、数十万円が必要になるのだが、陽一にとっては大した額ではない。

 お金を払ってゆったり過ごせるのなら、それに越したことはないのだ。


 なにより、サマンサにできる限り最高の環境を整えてあげたかった。


「とはいえ、ちょっと場違いな気もするなぁ」


 周りを見ながら、陽一が呟く。


 今日のイベントのせいで、町ではホテルなどの宿泊料が異常に高騰していた。

 だがこの町のどの高級ホテルよりも、ここにあるコテージのほうが料金は高い。


 なので、このエリアにいるのは、富裕層ばかりだった。


 もちろんこういう場所なので高級ブランドで身を固めるような人はあまりいないが、立ち居振る舞いが一般人のそれとは大いに異なるのだ。


「ヨーイチくんもいい加減自分の立場を自覚したほうがいいと思うけどなぁ」


 陽一の呟きを聞いたサマンサが、少し呆れ気味に言う。


「俺の立場?」

「そ。その気になれば王族になれるんだよ? お金だって唸るほど持ってるわけだし。っていうかSSランク冒険者って国王や皇帝に並ぶか、下手をすればそれ以上なんじゃない?」


 サマンサの言うとおりである。


 公爵として王位継承権を持つロザンナの配偶者となれば、陽一は王族として認められる。

 生まれた娘が王位に就こうものなら、王の父になるわけだ。


 そして彼は魔王戦の功績で多額の報償を得ているだけでなく、いまなお整理しきれず【無限収納Ω】に入っている大量の各種素材を売れば、いくらでも金を得られる。


 そのうえSSランク冒険者。


 そのひとつ下のSランク冒険者が、侯爵あるいは辺境伯相当と目されている以上、SSランクともなれば低く見積もっても公爵相当となる。


 そしてもしトコロテンというパーティーが、国王や皇帝を上回る地位を欲した場合、彼らはそれに逆らおうとはしないだろう。


 そのとんでもないパーティーをひきいているのが陽一なのだ。


「つまりヨーイチくんは、この場にいる誰よりもとうとい存在ってこと」

「よしてくれ、ガラじゃない」


 困ったようにいう陽一に、サマンサはため息をつく。


「謙虚なのはいいことだけどさ、必要以上に卑屈になるのはよくないよ」

「そうはいってもなぁ」


 サマンサの忠告に、陽一は相変わらず困った表情を浮かべたままだ。


「俺は運よくスキルを手に入れられただけだからな。いまの立場は、実力で得たものじゃないし」

「あー、まぁその気持ちはわからなくもないんだけどね」


 いつも自信に満ちているサマンサが自嘲気味にそう言ったので、陽一は意外に思った。

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