赤い閃光2
金色の髪をかんざしで留めた青い目の女性は、まるで日本文化を楽しむ外国人観光客のように見える。
「お、お嬢さま! いまは来客中ですので……」
「あら、いいじゃない」
女性の登場に驚く執事をあしらいながら、彼女は少し慣れない足取りで歩み寄ってきた。
「お初にお目にかかります、ヨーイチ様。私は……」
そこで振り袖の裾をつまもうとした彼女は、ふと思い出したように姿勢を正し、下腹の前で手を組むと、ゆっくりと頭を下げた。
「スキナー伯爵家長女、カタリナと申します」
現われたのは、伯爵令嬢にしてグラーフの婚約者である、カタリナ・スキナーだった。
彼女は頭を上げると、品のある笑みを浮かべた。
陽一の記憶によれば、彼女の年齢は18歳。
年相応の容姿ではあるが、彼女がまとう風格はなかなかのものだった。
ちなみに彼女が振り袖を着ているのは、これが王国貴族令嬢内で
もとはマコリーヌこと吉田誠ら元日本人オトメが自分たち用に作ったものだったが、それがまず二番街で流行し、やがて庶民のあいだに出回るようになった。
それをたまたま目にした辺境伯夫人イザベルが気に入り、自らも身に着けるようなると、当然だが社交界で話題になる。
それが貴族夫人や令嬢のあいだに広がったというわけである。
ちなみに振り袖はあるが留め袖はないので、既婚未婚にかかわらず、女性はみな振り袖を愛用していた。
「はじめまして、冒険者のヨーイチです」
挨拶を終えると、カタリナはグラーフを軽く押しのけて彼の隣に座った。
「お、おい、カタリナ、だめじゃないか、急に入ってきちゃ」
「いいではありませんか。ねぇ、ヨーイチ様?」
「こちらは問題ないよ」
「だ、そうですわ」
「はぁ……」
得意げなカタリナを見て、グラーフがため息をつく。
どうやら普段から、主導権は彼女のほうにあるようだ。
そんなふたりの様子を、メリルたち他のメンバーは温かい視線で見守っていた。
カタリナの存在は、少なくとも赤い閃光のメンバーには好意的に受け止められているようである。
「グラーフ様! このお話、絶対に受けるべきです!!」
「ええっ!?」
カタリナの言葉に、グラーフは驚きの声を上げる。
ほかのメンバーも、少し意外そうな表情を浮かべていた。
「いや、でも、僕はもうスキナー伯爵家の跡取りだし……」
「なにをおっしゃるのです! グラーフ様は、伯爵家に収まる器ではありません!!」
カタリナは鼻息も荒く、そう言い放つ。
これには陽一も、少なからず驚いた。
いうまでもなく伯爵よりも辺境伯のほうが地位は高い。
帝国に置いては名目上侯爵相当とされているが、実質それよりも上だと目されているようだ。
さらにいえば、王国よりも帝国のほうが格が高いとされている。
これは王国にとってあまり認めたくない事実だが、そもそもセンソリヴェル王国はヴァーティンスロ帝国の一貴族が興した国なのだ。
そこはどうあっても覆らない事実なのである。
つまり、グラーフ個人にとってみれば、王国伯爵よりも帝国辺境伯のほうがはるかに待遇がいい、ということになるのだが、そうなると面白くないのがスキナー伯爵だ。
なにせ貴重な跡取りを、帝国に奪われるようなものなのだから。
だが、伯爵令嬢たるカタリナは、グラーフに辺境伯となるべきだと説いた。
『おそらく……いやまちがいなく伯爵家からは反対の声があがるだろうから、なんとか説き伏せてほしい』
ロザンナからそう言われていたので、陽一にとってカタリナの言葉はかなり意外なものだったのだ。
「でも、故郷を離れて帝国の北の果てにいくんだよ?」
「かまいません。たとえそれがどこであろうと、グラーフ様のいるところが私たちの故郷ですから。ね、お姉さまがた?」
カタリナがそう言ってメンバーを見回すと、彼女たちは多少呆れながらも、おおむね好意的な表情を浮かべて頷いた。
「ただ……」
赤い閃光のメンバーから同意を得られたカタリナは、続けて陽一を見据え、口を開く。
「スキナー伯爵家としては、名声と実力を兼ね備えた跡取りを失うことにかわりはありません。そのことは、王室のみなさまにも、ご理解いただきたいところですね」
彼女はそう言うと、実に穏やかな笑みを浮かべた。
いわゆるアルカイックスマイルというやつである。
「なるほど」
そんな彼女の言葉を受け、陽一は感心したように微笑んだ。
ようは、宰相のお願いを聞き入れる代わりに、伯爵家へなにかしらの対価を払え、といいたいのだろう。
若いとはいえ、さすが貴族令嬢である。
「わかった。宰相閣下にきっちり伝えておこう」
「うふふ、ありがとうございます」
彼女は微笑んだまま、軽く頭を下げた。
「はぁ……僕が帝国貴族かぁ……」
少し落ち着いたところで、グラーフがしみじみとそう呟く。
どうやら彼も、観念したようだ。
「ああ、そうでした!」
カタリナがなにかを思い出したように声を上げ、手を叩いた。
「どうしたの、カタリナ?」
「グラーフ様、帝国貴族になるということは、家名を得るということです」
「それは、そうだよね」
「ですからここで、ヨーイチ様に家名を考えていただくというのはどうでしょう?」
「はぁっ、俺に!?」
突然の指名に、陽一は素っ頓狂な声をあげた。
「いや、普通はほら、帝国で途絶えた名家を継いだりとかじゃないの?」
「普通はそうでしょうが、すでに存在するどのような家名もグラーフ様にはふさわしくありません!」
「だったら、皇帝に考えてもらうとか……? そっちのほうが権威あるよ?」
「SS冒険者という比類なき存在であるヨーイチ様は、国王陛下や皇帝にすら劣らぬ権威を有していると言っていいでしょう」
「いやでも……俺じゃなくて、自分たちで考えるとかさ」
「いいえ、ヨーイチ様がいいのです!」
カタリナが、きっぱりと言い放つ。
「なんで、俺?」
「だって、トコロテンというパーティー名は、ヨーイチ様が考えたのでしょう?」
「それは、そうだけど……」
するとカタリナは、胸の前で手を組み、虚空に視線を漂わせながらうっとりとした表情を浮かべる。
「トコロテンという素晴らしいお名前を思いつくヨーイチ様ですもの、きっと素晴らしい家名をお考えいただけます」
「たしかに、トコロテンってかわいい名前よね」
「そうだべなぁ」
ミーナやメリルを始め、赤い閃光のメンバーは、カタリナの言葉に同意を示す。
「いや、でもなぁ……」
「ヨーイチさん、僕からもお願いするよ」
グラーフが、真剣な眼差しを陽一に向ける。
「僕もヨーイチさんの考えた家名を名乗りたい。いや、ヨーイチさんが家名を考えてくれないなら、僕はこの話を受けない!!」
「いや、まじかよ……」
本気でそう言うグラーフの言葉に、陽一は額を押さえてうつむいた。
そうして顔を上げると、赤い閃光のメンバーとカタリナから、期待のこもった視線を向けられていることに気づく。
「ネーミングセンスとか、ないんだけどなぁ……」
困ったように呟きながら、彼は腕を組み、ソファにもたれかかって顔を上げた。
「うーん……」
そうして目を閉じ、眉を寄せて考え込んだ陽一だったが、ほどなく身体を起こして正面を向く。
そして目を開き、グラーフを見た。
「レッドスパーク」
そして陽一は、そう口にする。
「えっ?」
「レッドスパークっていうのは、どうかな」
グラーフに聞き返された陽一は、あらためてそう告げた。
「レッドスパーク……レッドスパークか……」
しばらくうつむいてぶつぶつと言っていたグラーフが、勢いよく顔を上げた。
「いい! すごくかっこいいと思うよ!!」
グラーフの言葉に、メンバーやカタリナからも小さな歓声があがった。
「レッドスパーク……うん、いいんじゃない?」
「ほんとうに、すごくかっこいいです!」
「初めて耳にする響きなのに、なんだかしっくりきますわね」
「んだんだ! グラーフちゃんにお似合いの名字だべ!」
「レッドスパーク……レッドスパーク! ああっ、なんという勇ましい響きでしょう!! まさにグラーフ様のためにあるような家名です!!」
グラーフ本人と赤い閃光のメンバー、そしてカタリナは、陽一の考えた家名をいたく気に入ったようだ。
「いや、ははは……気に入ってもらえてなによりだよ」
陽一にしてみれば、赤い閃光をただ英語にしただけなので、ここまで喜ばれると逆に申し訳ない気持ちになってしまう。
ただ、本人たちが納得しているようなので、問題ないだろうと開き直ることにした。
「つまり僕はこれから、レッドスパーク辺境伯グラーフと名乗ればいいんだな!」
グラーフは勢いよく立ち上がると、誇らしげにそう言った。
「ふふふ、違いますわ、グラーフ様」
カタリナはソファにすわったままグラーフを見上げ、窘めるようにそう言った。
「えっ、違うの?」
「ええ。帝国は王国とちがって、家名ではなく地名に爵位がつくんです。ですからグラーフ様は……」
○●○●
ヴァーティンスロ帝国に新たな貴族が誕生した。
名をアルタサーゴ辺境伯グラーフ・レッドスパークという。
冒険者として魔人襲来や魔王との戦争で活躍した彼は、アルタサーゴ辺境伯に叙されたあとも、みずから先陣を切って魔境の魔物と戦い続けた。
地元の冒険者たちはそんな彼をすぐに支持し、住人たちからも絶大な人気を得ることとなった。
また、叙爵された時点で彼にはすでに100名ほどの妻がいた。
その子供たちや、同行を希望する家族の数は500名を超え、彼はそれらすべてを引き連れて辺境入りを果たした。
その後もグラーフは公私を問わずさまざまな女性と関係を持ち、彼の血を引く子供は4桁にのぼるとさえいわれた。
そんな彼はやがて、帝国に大いなる変化をもたらすことになるのだが、それはまた別の話。
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