ドナ・ヴァレンタイン2
「へええ、すっごいのね、スイートって」
スイートルームに入ったドナは、感嘆の声を上げた。
リビングスペースだけで3LDKの『グランコート2503』と同じくらいの広さがあるだろうか。
ただ、それよりもさらに広く、ちょっとしたパーティーが開けそうなフリースペースがあり、その一角には10名ほどが並んで座れるバーカウンターが設けられていた。
キッチンには大きな冷凍冷蔵庫や食品棚、それなりの火力を誇るコンロに、高電力の電子レンジ、そして七面鳥をまるまる1羽焼けそうなオーブンが設置されている。
そのほか、寝室だけでも数部屋あり、さらに書斎まで完備していた。
もはや家であり、ドナが驚くのも無理はない。
「あれ、ドナって客室の作業とかしないの?」
「しないわよ。私はフロア担当だから、客室は管轄外なのよねー……って、寝室にジェットバスがあるの!? ほんと、すごいわねぇ……」
そうやって驚いたり呆れたりしながら、ドナはしばらくスイートルーム見学を楽しんだ。
「ねえ、お酒ってあるの?」
「もちろん」
ドナの問いに答えながら、陽一はバーカウンターに入る。
「なにがあるの?」
「ビールにウィスキー、日本酒もあるな。ワインは赤、白、ロゼとひととおり揃ってるし、シャンパンもある」
「シャンパン? スパークリングワインじゃなくて?」
「ああ、正真正銘のシャンパン。しかもかなりいいヤツ」
「じゃあ、それを飲みましょう! あとはなにかつまむものってあるのかしら?」
「ソーセージとかチーズとか……サラミもあるな。あとはクラッカーにバゲット……おっ、生ハムの原木もあるぞ」
「あら、いいわね」
陽一とドナは原木から生ハムを適当に削りとり、あとは真空パックのソーセージやチーズをカットしつつ、クラッカーやバゲットと合わせて大皿に盛りつけた。
「それじゃ、かんぱーい」
「おう、乾杯」
リビングスペースのソファにならんで座ったふたりは、シャンパンの注がれたグラスをあおり、雑談と軽食を楽しんだ。
雑談といっても、話の内容はほとんどがホテルスタッフになってからの、ドナの苦労話である。
カジノに現れるクセの悪い客への文句だったり、ショーに出演するアーティストが見せる傲慢な態度への不満だったり、そういった愚痴を陽一はときおり相づちを挟みながら聞いてやるのだった。
「んぅ……ふぅ……」
しばらくすると、顔を赤くしたドナが、もたれかかってきた。
「さすがに飲み過ぎたんじゃないか?」
あれからふたりは、シャンパンをまるまる1本飲み干したうえに、ウィスキーのボトルを半分ほど空けていた。
「だってぇ、お酒おいしいんだもん……」
甘えたようにそう言いながら、ドナが身を寄せてくる。
彼女が部屋を訪れた時点でそういうことなのだろうと陽一は察していたし、いい雰囲気になればそのまま流れに身を任せようと思っていた。
ただ、どうにもドナの様子がおかしかった。
ソファに並んで座るふたりだが、陽一はジャケットを脱いでいるのに、ドナは着たままだった。
『ふぅ……ちょっと暑いわね』
シャンパンを半分ほど空けたあたりのことだが、酒を飲んで身体が火照ったのか、彼女は額にじんわりと汗を浮かべてそう言ったものの、ジャケットを脱ごうとはしなかった。
「ん……ふぅ……ふぅ……」
陽一にもたれかかるドナだが、妙に息が荒い。
それはこのあとの行為を想定して興奮している、というわけではなさそうだ。
密着する肩や腕の感触から、彼女が小刻みに震えていることもわかった。
「ドナ、大丈夫か?」
「うぅ……ああっ、もう!」
そしてドナは大きな声を上げると、身体を起こして陽一から離れた。
「はぁ……ほんとダメね、私ったら……」
そう言って、がっくりとうなだれる。
「どうしたんだ? 俺でよければ話聞くけど」
「ふふ……そうね……」
ドナは肩を落としたまま陽一に目を向け、力なく微笑む。
「怖いのよ……セックスが」
「怖い?」
「そう。あのとき……ヨーイチたちが助けてくれたあの捜査のとき、みんながきてくれなかったらどうなってたんだろうって、そう考えると、怖くなっちゃうの……」
ドナはあのとき、被害者を装って犯罪組織に潜入する予定だった。
結局アラーナが拉致の邪魔をし、陽一らの手引きによって犯罪組織が壊滅したことで、彼女は捜査をやらずにすんだ。
ただ、もしあのまま潜入していれば、きっとほかの被害者同様ひどい目にあっていたはずだ。
複数の男たちに蹂躙されただろうし、薬物を使用されたかもしれない。
社会復帰できないような傷を負ってもおかしくなかったし、なんなら殺される恐れもあった。
もちろんそれを覚悟のうえで潜入捜査を志願し、使命感によって恐怖をごまかしていた。
しかし、いざなにごともなく捜査が終わってしまうと、ごまかしていた恐怖が鎌首をもたげてくるのだ。
それがどういうわけか、男性とのセックスに対する嫌悪感として現われてしまった。
「あの日、ヨーイチとセックスをして以来、結局だれともうまくいかなくて……」
事件直後はまだいろいろと実感がなく、陽一ともすんなりと行為に及べたが、時間が経つにつれてさまざまな思いがこみ上げてしまったのだ。
「ヨーイチとならもしかしたらって思って……あと、お酒の勢いでなんとかしようとしたんだけど、ダメだったみたい。ごめんね……」
ドナは申し訳なさそう言うと、再びため息をついた。
「無事に警察を辞めて、普通に仕事をできるんだから、被害に遭った人たちに比べれば幸せなんだと思うんだけどね」
「ドナ……」
力なく肩を落とすドナを見て、陽一はなんとかしてあげたいと思った。
そして、自分ならなんとかできるとも。
「なあ、ドナ。いきなりセックスをするんじゃなくて、ちょっとずつ馴らしていったらどうかな?」
「ちょっとずつ?」
「そう。俺と腕は組めたんだからさ、手くらいはつなげるだろう?」
陽一はそう言ってドナのほうへ身体を向けると、両手を胸の高さに挙げ、手のひらを彼女に向けた。
「それくらいなら、まぁ……」
ドナも同じく陽一に向き直り、彼の出した手に、自分の手のひらを合わせる。
そうしてどちらからともなく、指を絡めた。
「ふふ……あらためてこういうことするのって、ちょっとドキドキするね」
両手をつなぎ、陽一と見つめ合ったドナは、照れくさそうにそう言った。
ただ、口元がかすかに引きつっており、少し緊張しているようだった。
「それじゃ、しばらくこのままで」
それから陽一は、つないだ手を通じてドナへ魔力を流し始めた。
セックスにせよ輸血にせよ、結局のところは魔力を譲渡することで【健康体Ω】は付与される。
皮膚接触による魔力譲渡は体液を媒介するのに比べると効率はかなり落ちるが、それでも効果がないわけではないのだ。
少しずつではあるが、ドナの呼吸は落ち着き、表情が和らいでいく。
「あ……なんか、気分が楽になってきた」
数分間手をつないで見つめ合ったところで、ドナがふとそう言った。
ほどなく、落ち着いていた呼吸が再び乱れ始める。
「なんだろう……さっきとは別の意味で、ドキドキしてきたんだけど……」
先ほどまでは緊張と、少しの恐怖によって気が昂っていたドナだったが、いまはいい意味で高揚し始めたようだ。
目はとろんと垂れ下がり、半開きの口から熱い吐息が漏れ出している。
手をつないだまま、陽一は少しずつ身体を寄せていった。
すると、ドナのほうもゆっくりと前のめりになる。
「はぁ……はぁ……ヨーイチ……」
「ドナ……」
やがて互いの息がかかるほどに顔が近づくと、ドナはゆっくりと目を閉じた。
陽一もほとんど同じタイミングでまぶたを下ろし、ふたりの唇がふれ合う。
「んっ……」
キスの瞬間、ドナの身体がピクンと震え、手にギュッと力が入った。
彼女の口は固く閉ざされたままで、ふたりはただ唇を重ねるだけの浅いキスを続けた。
そうしているうちに、硬く引き結ばれた彼女の唇が、少しずつ弛緩し始める。
それとは反対に、陽一とつないだ手には力がこもり出した。
「ん……んぅ……」
ドナの唇が、わずかに開いた。
陽一は性急に攻めることをせず、舌先を少しだけ出して、彼女の唇を優しくなぞってやる。
彼女のほうからも、舌を出してきた。
ゆっくりと、舌同士を絡め合う。
どちらかといえばドナが受け身となり、陽一の舌を口内に受け入れた。
粘膜同士が密着し、陽一の唾液を介して、さらに魔力が注ぎ込まれる。
ドナの舌が、大胆に動き始める。
今度はドナのほうからも積極的に舌を出し、陽一の口内を舐め回し始めた。
激しく舌を絡め合っていたふたりが、どちらからともなく離れる。
「はぁ……はぁ……」
ドナは陽一の手を強く握りながら、熱っぽい表情で彼を見つめた。重なる手のひらは、じっとりと汗ばんでいる。
「ねぇ……いまなら、できそうな気がする」
潤んだ瞳を陽一に向けながら、ドナはそう告げた。
「それじゃ、寝室に……」
「だめっ!」
寝室へと誘おうとする陽一を、ドナが慌てて制する。
彼女は握っていた手をするりと離し、自らレギンスのボタンを外し始める。
「おい、ドナ」
心配する陽一の声を無視し、ドナはウェストに手をかけて軽く腰を上げると、ショーツごとボトムを引きずり下ろした。
「おねがい、すぐに……!」
そう告げる彼女の声はどこか切羽詰まっており、表情は不安げだった。
気が変わる前にことを済ませたいという思いが、強く感じ取れる。
「わかった」
彼女の意をくんでそう答えた陽一は、すみやかにベルトを緩め、スラックスのボタンを外すと、トランクスごとズボンを引き下げた。
○●○●
「ねえ、ヨーイチ」
ドナは、ぼんやりと天井を見上げたまま口を開く。
「なに?」
「セックスって、やっぱり気持ちいいわね」
しみじみとそう言うドナに、陽一は小さく微笑んだ。
「ああ、そうだな」
それからしばらく、仰向けになったままぼんやりとしていたドナが、不意に身体を起こした。
「ヨーイチ」
「なに?」
「まだ、できる?」
「ああ、いくらでも」
少し真剣な表情を浮かべていたドナが、ふっと微笑む。
「うふ、素敵。それじゃ、もっとしましょう」
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