藤野さやか(リナ)2
「はいお待たせしました。最後、ちっちゃくなっちゃったから、ふたつおまけしときますね」
「ほんとっすか? あざーっす!」
「ふふ、得したね」
さやかから商品を受け取った若いふたり組の男女が、嬉しそうに去っていく。
色違いで揃いの柄の浴衣を着たふたりの背中を、さやかは少し寂しげな表情で見送った。
「おつかれ。助かったよ」
「あはは、思った以上に早く終わっちゃったね」
さやかが店頭に立ってからはほぼ客が途絶えることはなく、また陽一の作るたこ焼きの評判もよかったことから、予定より1時間以上早く売りきれてしまった。
その気になればいくらでも材料を持ち込める陽一だったが、あくまでこれは商工会の屋台なので、予算を超える量は用意していない。
「結構多めに用意したつもりだったんだけどなぁ」
予算の範囲内ではあるが、文也が気をきかせて値段を抑えてくれたおかげで、本来よりも多めの材料を手配できていた。
だが、それも含めてすべて売りきれてしまった。
陽一は屋台の表看板を照らす灯りを消し、手近な道具を片づけはじめる。
「あーあ、結局食べ損ねちゃった」
たすきをほどきながら、さやかがそう言った。
「あ、お土産用にとってあるやつがあるんだけど、いる?」
「えー、だったら売ってあげればよかったのに」
思った以上に早く売りきれたため、買い損ねた客もそれなりにいたのだった。
「いや、頼まれてたやつだからさ」
今回同行できなかったトコロテンのメンバーから、せめて陽一の焼いたたこ焼きくらいは食べたいとの要望があったので【無限収納Ω】にいくつか収納しているのだ。
「このあいだの彼女さんに?」
「えっと、まぁ」
花梨だけではないが、彼女も含まれるので、嘘ではない。
「ああは、だったらなおさらもらえないよ」
さやかが、あきれたように笑う。
「そっか」
メンバーが多いのでお土産の数には余裕を持っているのだが、変に気を使わせるのも悪いと思った陽一は、あっさりと引き下がった。
「すんませーん、たこ焼きくださーい」
そこへ、新たな客が現われる。
浴衣を着崩した、3人組の若い男性だった。
「ん?」
そんな彼らの姿に陽一は眉をひそめたが、さやかは気にせず彼らの前に立つ。
「ごめんなさいね、もう売りきれちゃったのよ」
「えー、ざんねーん」
棒読み口調でそう言ったあと、男はわざとらしくなにかを思いついたような表情を浮かべた。
「じゃあさ、おねーさんはもうヒマってことだよね?」
「えっ?」
「このあと俺らとさ、花火見よーよ。いい場所知ってんだー」
「早いとこいっとかないと、場所とられちゃうよ?」
「でさー、近所にいい店知ってっから、そのあと一緒に飲もうぜー」
最初からさやかを誘うのが狙いだったのだろう。
明確な悪意をもっての誘いではなさそうだが、あわよくばという下心は見て取れる。
「いや、えっと……」
「ほら、いーから。いこうぜ」
戸惑うさやかに、ひとりが手を伸ばす。
「やめとけ」
しかし彼がさやかに触れる直前、その手を陽一がつかんだ。
「っ!? なんだよおっさん!」
突然手首をつかまれた男は目を見開き、事態を把握するなり陽一を睨みつけた。
「悪いな。彼女はこのあと俺とデートなんだ」
その言葉にさやかは一瞬驚いたが、すぐにその場からさがり、陽一の陰に身を置く。
「そ、そういうことなのよ。ごめんねー」
その言葉を受けて若者たちは呆気にとられたが、すぐに不機嫌さを露わにした。
「いやいや、そんなおっさんといるより、俺らといたほうが楽しいって!」
「べつになにかしようってワケじゃなくてさ、一緒に花火見て、そのあとお酒飲もうってだけだよ?」
うしろのふたりはそう言ってさやかを説得しようとするが、陽一に手首をつかまれた青年は、黙ったままだった。
額にじんわりと汗が浮かび、陽一を睨みつける視線が徐々に弱まっていく。
「で、どうする?」
「くっ……!」
青年の顔が歪む。
陽一は彼の手首をつかむ手に、少しずつ力を加えていた。
セレスタンから体術を叩き込まれた彼にとって、手首をつかむだけで相手の動きを封じるなど朝飯前のことである。
そのうえ【健康体Ω】によって人間離れした筋力をもつ陽一が、握る手に力を加え続ければどうなるか。
手首をつかまれているだけにもかかわらずまったく身動きが取れず、見た目から想像もつかないような力で締め上げられていく。
青年からすれば、恐怖しかないだろう。
「……すんません、俺ら、もういきますんで」
「そうか」
青年が力なくそう告げたので、陽一は手を離してやった。
解放された彼の手首には、あざのような手の痕がくっきりと残っていた。
「おい、いくぞ」
「お、おい……」
「どうしたんだよ?」
「いいから。あのおっさんはやべぇ」
陽一に手首をつかまれていた青年は逃げるように、ほかのふたりは戸惑いながらも彼について、去っていった。
「ありがと。陽一さんって意外と頼りになるのね?」
若者たちが去ったのを確認したあと、さやかは陽一の陰からぴょんと飛び出し、微笑みながらそう言った。
「まぁ、最近の若い子は物わかりがよくて助かるよ」
陽一は照れを隠すようにそう言いながら、片づけを再開する。
「おう、もう店じまいかい?」
すると、隣の店主が声をかけてきた。
「ええ、材料がなくなったので」
「そりゃ結構なこった。じゃあよ、機材だけ適当にカタしたら、屋台はそのままにしといてくれや。そっちにも店、広げっからよ」
「あ、わかりました」
そこで店主は、さやかに目を向ける。
「どうだいねーちゃん、ウチも手伝ってかないかい?」
「うーん、そうねぇ」
店主の申し出に少し考えるそぶりを見せるさやかだったが、彼女は陽一に寄り添い、腕を絡めた。
「ごめんなさい。これから彼とデートなの」
「えっ?」
「あら、陽一さんがそう言ったんじゃない」
「それは、そうだけど」
あれはあくまで若者たちを追い払う方便だった。
さやかもそれを真に受けたわけではないだろうが、どうやらおもしろがって乗ることにしたようだ。
「ははっ、そうかいそうかい。そりゃ羨ましいこって。それじゃあゆっくり楽しんできな」
こうなってはさやかを放っておくわけにもいかず、自分で言い出したことでもあるので、陽一は彼女につき合うことにした。
○●○●
「ふぅ……」
返却する機材のうち、運べるものだけを神社裏手の広場に運んだ。
さすがにさやかの前で【無限収納Ω】を使うわけにはいかないので、
さやかも、軽いものをいくつか運んでくれた。
これらは祭りのあと、商工会の担当が引き上げに来る手はずになっている。
残してきた機材や屋台そのものは、酒店の店主が片づけておいてくれるとのことだった。
呼んでくれれば片づけの手伝いはすると申し出たのだが、タダ酒を飲ませてやると言えば喜んで手伝う若い衆が何人かいるということで、陽一はこの時点でお役御免となった。
空になったバッグを肩に担ぎ、陽一はその場を離れ、さやかもポーチを小脇に抱えてあとに続く。
「そういや今日はひとりなの?」
「えっ、いまさら?」
陽一の問いかけに、さやかが呆れる。
「あ、ごめん。さっきまでは、その、忙しかったから、そこまで気が回らなくて」
「あはは、べつに謝られるようなことじゃないけど」
参道から外れた暗い
夜目がきく陽一のほうは問題ないが、さやかが何度かつまずきそうになったため、いまは手をつないでいる。
「じつはね、
「へぇ、幼馴染」
つないだ彼女の手が、じわりと汗ばんだような気がした。
「お揃いの浴衣も買ってね、結構楽しみにしてたんだけど……」
「喧嘩でもしたの?」
「んー、なんていうか、前の仕事のことで、ちょっとね」
彼女の手に、少し力が入る。
「べつに隠してたわけじゃないのよ。ああいう仕事をしてたっていうのは、ちゃんと話してたし。でも、ふたりでいるときに偶然常連さんに会ってさ。それで、いろいろあって、ぎくしゃくしちゃったっていうか」
「そっか」
それからしばらく、ふたりは無言で歩き続けた。
「あー、そうだ」
ふと、陽一が思い出したように声を出す。
「給料、どうしようか」
「お給料?」
「今日手伝ってもらったぶんの」
「あはは、いいわよ、そんなの。気晴らしにやっただけだし」
「いやいや、タダ働きってわけにはいかないだろ。お金で受け取りづらいなら、なにか欲しいものとかさ、ない?」
「ほしいもの、ねぇ……」
不意に、さやかが立ち止まった。
「さやかちゃん?」
振り返ると、彼女はあやしげな笑みを浮かべていた。
「じゃあ、身体で払ってもらおうかなぁ」
「え……?」
おどろく陽一だったが、彼女の言葉と表情から、すぐにその意図を察した。
「ねぇ、こっちきて」
陽一が返事をするより先に、さやかは彼の手を取って歩き始める。
屋台の並ぶ参道が近づいたおかげか、あたりは少し明るくなっていた。
「ちょっと、さやかちゃん?」
「いいからいいから」
戸惑う陽一をつれ、さやかは迷いのない足取りで歩いていく。
「えっと、たしかこのへんに……あ、あった」
一度歩みを止めた彼女だったが、なにか目印を発見したのか、ふたたび歩き始めた。
またも参道を離れ、あたりは暗くなったが、目が慣れたのかさやかは気にせず進む。
ほどなくふたりは、大木の根元にたどり着いた。
神木というわけではなさそうだが、それでもかなり立派な木であり、周りはちょっとした広場のようになっている。
「ここなら、人が来ないと思う」
彼女は少し息を切らせながら、そう言った。
「なんでこんな場所を?」
「親戚の家が近くなの。それでお祭りのときは神社にきてたから。ここは子供のころからの、秘密の遊び場ってわけ」
彼女はそう言ってつないだ手を離し、抱えていたポーチを足下に置くと、陽一の首に腕を回し、軽く背伸びをした。
「それじゃ一生懸命働いたぶん、払ってもらうわね……んむ」
陽一は彼女の口づけを、抵抗なく受け入れた。
そのついでに、担いでいたバッグを足下に置く。
舌同士が、複雑に絡み合う。
しばらく濃厚なキスを続けたところで、自然と顔が離れた。
「ふふ……」
不意に、陽一が笑みを漏らす。
「どうしたの?」
「いや、いつだったか、和服のさやかちゃんとしたことがあったなって」
例のトラック事故に遭った直後、見舞金を片手に彼女のいる店を訪れた際、姫始め企画とかでさやかは着物を身に着けていたのだった。
「ちょっと、あんな安いコスプレ衣装と一緒にしないでくれる? これ、星川の新作なんだから」
彼女は現在、陽一の伝手で星川グループ傘下のアパレルブランドに勤めていた。
「ごめんごめん。でさ、あのときみたいに脱がせてもいい?」
「あーれーってやつ? 悪いけどこの帯をほどいただけじゃ、浴衣は脱げないわよ」
いま表に見えている帯の下に伊達締め、前板、腰紐、胸紐が結ばれているので、帯一本をほどいても浴衣は脱げないのだ。
というか、本来着物とはそういうものであり、あれはあくまでプレイ用のコスプレ衣装だからこそ、簡単に脱がせられたのである。
「それに、脱がされると着るのが大変なんだけど?」
「着付け、手伝うよ」
「うふふ……じゃあ、がんばって脱がせてね……あむ」
ふたたび彼女は陽一の唇を塞ぐ。
先ほどよりも激しく求められながら、陽一は彼女の背中に手を回し、帯をほどいていった。
何重にも巻かれた帯を外し、伊達締めをほどき、ベルトつきの前板を外す。
外した帯類は、足下に置いたバッグの上に重ねた。
そんな陽一の行為を妨害するかのように、さやかはときおり笑みを漏らしながら彼の口内をまさぐった。
首のうしろに回していた腕をほどき、彼の頬を両手で包みながら、激しく口内を蹂躙する。
陽一はそんな彼女の行為に応えながら、おはしょりに隠れた胸紐と腰紐をほどく。
そしてようやく、浴衣の衿がはらりと開いた。
「んはぁ……ふふふ……脱がされちゃったぁ」
彼女はからかうようにそう言うと、軽く身を引き、大木にもたれかかった。
○●○●
「はぁ……」
行為を終えたあと、バッグの上に置かれた帯類を見て、さやかはため息を漏らした。
「手伝うよ」
そんな彼女の様子を見て申し訳なく思った陽一が、そう申し出た。
「陽一さん、浴衣の着付けできるの?」
「ああ。さやかちゃんは立ってるだけでいいよ」
それから陽一は、【鑑定Ω】で浴衣の着付け方法を調べながら手際よく着せていった。
「うふふ。なんだかお姫さまになったみたい」
陽一に浴衣を着せられながら、さやかは嬉しそうにそう言って笑った。
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