エピローグ 番外編

藤野さやか(リナ)1

 その日、町外れの神社で、数年ぶりにお祭りが開催されていた。


 参道にはいくつもの屋台が建ち並び、結構な人でにぎわっている。


 伝統というものはわずか数年の断絶で消え去ることも珍しくなく、実際のところ日本のさまざまな地方ではいくつかの行事が再開されぬまま忘れ去られつつあった。

 そんななか、開催できるだけでも御の字といった具合だった今回の祭りは、一応の成功を見たといってよく、主催者達は人知れず胸を撫で下ろしていた。


 ずらりと並ぶ屋台の一角に、たこ焼き屋があった。


 関西風の本格的なたこ焼きを出すその屋台は、ほかの店にくらべて人が多く並んでいた。

 屋台の中では、甚平じんべい姿の男性がせっせとたこ焼きを焼いている。


「おっちゃんまだぁ?」

「おう、ちょっと待ってな」


 焦れた様子の少年にそう答えながら、店主の男性は特製の紙容器に手際よくたこ焼きを並べ、ハケでソースをぬりたくる。


「マヨネーズは?」

「たっぷり!」

鰹節かつおぶしと青のりは?」

「青のりいらなーい」

「あいよ、たこ焼6個お待たせ」


 店主はマヨネーズを多めにかけ、鰹節を散らすと、容器のふたを閉めて少年に渡す。


「やった! あっこれでいける?」


 たこ焼きを受け取った少年が、スマートフォンを掲げる。


「おう、そこの読み取って」


 店主の示す先に、二次元コードが記載された自立式スタンドがあった。

 今年からこのお祭りでは、すべての屋台が電子マネー決済を導入していた。


「よっ……と」


 軽快な電子音が鳴り、決済が完了する。


「まいどあり!」

「おっちゃんありがとー」


 少年を見送ると、すぐに次の客が現われた。


「たこ焼き6個入り、みっつちょうだい」

「あいよー」


 甚平姿の店主こと陽一は、鉄板に残ったたこ焼きをひっくり返しながら、空の部分に生地を流し込んでいった。



『藤堂くん、お願い! 君しか頼れる人がいないんだ……!』


 少し前のこと、陽一は以前勤めていた工場の責任者である田中から連絡を受けた。


 数年ぶりのお祭り再開ということで、地元商工会も気合いが入っており、普段なら輪番制の関係で休みとなるはずだった工場も屋台の出店を依頼されたのだが、人手が足りず困っている、ということだった。


 たまたま日本に帰ったときに連絡を受けた陽一は、これもなにかの縁だと思い引き受けることにした。

 そこには無断で仕事を辞めたことに対する埋め合わせの意思も、少なからず含まれている。


 トコロテンのメンバーからも希望者を募り、手伝いなどを頼んでおり、何名かはこの日を楽しみにしていたのだが、結局仕事の都合が悪く、陽一ひとりで切り盛りすることになった。


「さてと」


 空になった容器に小麦粉とだし汁を入れ、混ぜ合わせていく。

 配合比率は【鑑定Ω】で割り出した、完璧なものである。

 ふっくらと口当たりよく仕上がるように、混ぜる時間も力加減にも細心の注意を払った。


「次は……っと」


 鉄板に並ぶたこ焼きを、くるくると回転させていく。

 こちらも【鑑定Ω】で焼き加減を確認したうえでの作業だ。


「へええ、たいしたもんだ。お兄さん関西の人?」

「いやいや、ちょっと器用なだけですよ」


 たこ焼きの完成を待ちながら作業を眺めていた中年男性の客に、陽一は謙遜したように答える。

 そうやって喋りながらでも手が止まることはなく、気づけば商品ができあがっていた。


「はいよお待ち」

「おう、ありがとよ」


 ひとりが去ると、すぐに次の客が現われる。


「たこ焼きくださーい」

「はいよー」


 始まったときはそれほどの客入りでもなかったのだが、【鑑定Ω】を駆使して完璧な手際で焼かれるうえに、星川製粉と星川水産の協力を得て用意した、それなりにいい素材を使ってできあがるたこ焼きは評判がよく、気がつけばそこそこ長い行列ができあがっていた。


「ふぅ……」


 しばらく続いた客足が途絶え、陽一はひと息つくことができた。


「おう、兄ちゃんおつかれ」


 隣に屋台を構える酒店の店主が、金属のタンブラーを寄越してきた。中身はレモンサワーのようだ。


「ああ、どうも。ありがとうございます」


 キンキンに冷えたタンブラーを受け取り、陽一は恐縮したように頭を下げる。


「なに、そっちのおかげでこっちもおこぼれに預かってるからな」


 隣の屋台でたこ焼きが売れれば、ついでに飲み物を、ということになるのだろう。


「それじゃ遠慮なく」


 そう言って陽一は、タンブラーをあおった。

 レモンの爽やかな香りが鼻に抜け、強い炭酸が喉を刺激する。


「くぅ……!」


 思わず、そんな声が漏れる。


「あ、おやじさんもどうですか?」


 そう言って、陽一は保温用の鉄板に並ぶたこ焼きを指した。

 焼きたてもいいが、しばらく置いたたこ焼きも、表面がカリカリになって美味いのだ。


「お、じゃあタコせんにしてくれや」

「あいよ」


 大判の海老えびせんべいを取り出した陽一は、それを半分に割り、その片方にたこ焼きをふたつ乗せてソースを塗る。


「マヨネーズは」

「いらねぇ。鰹節と青のり、あと七味振ってくれや」

「あいよー」


 要望どおり鰹節と青のり、七味を振りかけたあと、残り半分の海老せんべいでたこ焼きを挟む。タコせんのできあがりである。


「はいよ、おまちどおさん」

「おう、ありがとよ」


 タコせんを受け取った店主はひと口頬張ると、それをビールで流し込んだ。


「ぷはっ! うめぇなこりゃ」

「そりゃどうも」


 酒店の店主はあっという間にタコせんを平らげてしまった。


「おっちゃーん、コーラちょうだい!」

「おう、ちょっと待ってな!」


 ほどなく自身の屋台に訪れた少年に呼ばれ、酒店のおやじは戻っていった。


「これでいけるよね?」


 少年は金属製のタンブラーを4つ、カウンターに並べる。


 今回のお祭りではゴミ削減のため、ドリンクはすべてこのタンブラーで提供されていた。

 料金にはタンブラー代も含まれているが、持ち込めば屋台が買い取ってくれるというシステムだ。


 それでも返却を面倒くさがる客も少なからずいるのだが、一部の子供たちはそうやって放置されたタンブラーを拾い集め、代わりにお金をもらったり自分の欲しいものを買ったりしているのだった。

 子供というのはいつの時代もたくましいものだ。


「おいボウズ、盗んだんじゃねえだろうな?」

「ちがうよー、落ちてるの拾ったり、返すの面倒な人からもらったりしたんだよ」

「ふふん、ならいいけどよ」


 そう言いながら、店主は4つのタンブラーを引き取り、洗浄済みのものを新たに取り出してコーラを注いでやった。


「すみませーん、たこ焼きください」

「はいよー」


 隣の店主と少年とのやりとりを見ていた陽一は、女性客の声で我に返り、鉄板の前に移動する。


「あれ、?」


 最後に一度、たこ焼きをひっくり返そうとした陽一だったが、その言葉に顔を上げた。カウンターの向こうには、浴衣姿の女性が立っていた。


「あれ、リナちゃん?」

「だからリナはやめてって。もう仕事も辞めちゃったんだから」

「ああ、ごめん、さやかちゃん」


 それは元風俗嬢のリナこと、藤野さやかだった。


「っていうか、そっちも俺のこと、お客さんって呼んでるよね?」

「あはは、そういえばそうね。えっと……」

「藤堂だよ。藤堂陽一」

「そっか、じゃあ陽一さん」


 そう言ってにっこりと微笑むさやかに陽一も笑顔を返したのだが、ふと彼は視線をずらすと、表情をあらためた。


「えっと、6個入りでいいかな?」


 そう言いながら、彼は少し慌てた様子で鉄板に生地を流し込む。


「えっと……」


 陽一の目が自分のうしろを見ていたことに思い至ったさやかは、ふと振り返る。


「うわ……」


 気づけばさやかのうしろに、行列ができていた。


 彼女がふたたび視線を戻すと、屋台の向こう側で陽一がせっせとたこ焼きを焼いているのが目に入る。


「んー……よしっ」


 さやかは意を決したように頷くと、列を離れて屋台の中に入ってきた。


「ちょっと、さやかちゃん?」

「忙しそうだし、手伝うよ」


 そう言いながら、さやかは持っていたポーチを適当な場所に置く。

 そしてめざとく消毒用のアルコールを見つけ、手指になじませた。


「いや、でも」

「いいからいいから。うちはお母さんが関西の人でさ。里帰りしたときとか、結構やってたんだ」


 そう言いながら、彼女はたこ焼きの並ぶ鉄板を見る。


「ねえ、なにかたすきになるようなもの、ない?」


 そう言いながら、さやかが屋台の中を見回す。


「それなら」


 陽一はさやかの視線が外れた隙に、【無限収納Ω】から浴衣の腰紐を取り出した。

 時間が空いたら浴衣に着替えて祭りを楽しむ予定だったが、結局トコロテンのメンバーはだれも来られなかったうえ、こうも忙しいとそんな余裕もなさそうなので、いまとなっては無用の長物となってしまったものだ。


「ありがと」


 腰紐を受け取った彼女は、手際よくたすき掛けをし、浴衣の袖をまくり上げる。


「それじゃ私が容器に詰めていくから、陽一さんはどんどん焼いていって」

「あ、うん」


 押しきられるかたちでさやかの手伝いを容認した陽一は、戸惑いながらも作業を再開する。


「いらっしゃいませー。8個入りふたつですねー」


 さやかは愛想よく応対しながら、慣れた手つきでたこ焼きを容器に並べていく。


「はい、おまたせしましたー」


 会計を終えて商品を受け取った客が、満足げに去っていく。


「おねーさん、6個入りのほうちょうだい」

「はーい、6個入りですねー」

「あと、飲み物なにかある?」

「えっと、飲み物は……」


 さやかがちらりと目を向けると、陽一は鉄板に流し込んだ生地に、タコを投入しているところだった。


「飲み物は隣で」


 彼女の視線に気付いた陽一は、短くそう言って隣の酒店屋台に目をやる。

 さやかがその視線を追うと、ちょうど酒店の店主と目が合い、彼はニッと笑ってひらひらと手を振った。


「飲み物、お隣でおねがいしますねー。あ、6個入りお待たせしましたー」

「あ、はーい」


 そんなやりとりをしながらも手を動かしていたのか、さやかは客に商品を手渡した。


「次の方どうぞー」


 そうやってふたりは、かなり早いペースでたこ焼きを売りさばいていった。

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