シャーロット・ハーシェル4

 ふたりは結局、日が昇るまでひたすら楽しんだ。


「……ええ、そういうことでよろしくおねがいしますわ」


 昼過ぎまで眠っていた陽一は、シャーロットの声で目を覚ました。

 見れば、彼女はブラウスだけを着てベッドに腰かけ、電話をしているようだった。


 昨夜は途中で全裸になり、そのまま眠りについたので、目を覚ましたあとに着直したのだろう。

 乱れたままの髪や、身体から漂う匂いから、彼女がまだシャワーも浴びていないことがわかった。


「おはよう」


 シャーロットが電話を切ったところで、陽一は彼女に声をかけた。


「あら、おはようございます」


 陽一が起きたことに気づいた彼女は、そう挨拶を返し、にっこりと微笑む。

 窓から差し込む陽光に照らされたシャーロットの笑顔に、陽一は思わず目を細めた。


「誰に電話してたの?」

「エドですわ」

「へえ、エドさん」


 陽一はそう言うと、もぞもぞと寝返りを打ち、そのままぐったりとベッドに身を預けた。

 話の内容までは、尋ねる気がないらしい。


 そんな彼を見て、シャーロットは小さく苦笑を漏らす。


「この家を、手放すことにしましたの」


 そして彼女は、問われていない電話の内容を彼に打ち明けた。


「この家を? なんで?」


 少しだけ驚いたようにそう言いながら、陽一はシャーロットに目を向ける。


「なんとなく、ですわ」


 彼女は窓の外に目を向けながら、穏やかにそう言った。


「もうこの家は必要ないと、そう思いましたの。深い理由はないのだけれど」

「そっか」


 シャーロットはほんの少しだけ寂しそうな表情を浮かべたが、彼女がそう決めたのなら、陽一から言うことはなにもない。


 しばらく無言のときが続いたあと、シャーロットは思い立ったように立ち上がった。


「んー……!」


 そして彼女は陽一に背を向けたまま両手を組み、天井に向けて身体を伸ばした。


 それからふたりはシャワーを浴び、ダイニングで朝食をとった。

 シャーロットがいつ来てもいいようにという配慮からか、冷凍食品やレトルト食品がいくつかあったので、それらを温めて食卓に並べる。


「ふふ、まさかこの家で、こうして誰かと食事をする日が来るなんて、思ってもみませんでしたわ」


 食事の途中、シャーロットが感慨深げに呟く。


「もしヨーイチに出会わなければ、わたくしは二度とこの家に足を運ぶことはなかったかもしれませんわね」

「そんな大げさな」

「大げさではありませんわ」


 シャーロットの表情が、少し引き締まる。


「いまにして思えば、わたくしが心と身体に負っていた傷は、わたくし自身が思っていたよりも深く、癒しがたいものでしたわ」


 カルロやその手下になぶられ、目の前で父と姉を殺されたことで受けた心身のダメージ、そして無理やり打たれた違法薬物への依存は、シャーロット自身が自覚していたよりもはるかに重いものだったと、回復したいまだからこそ実感できた。


 エドの配慮で手厚い治療を受け、なんとか社会復帰には至ったが、そのまま普通の生活が営めたとは、やはり思えないのだった。


 エドのため、あるいは国のためと自分に言い聞かせ、過酷な任務へと自身を追いやることで、父と姉の死を、あるいは生前の姿を、記憶の奥底に封じることができていた。


 少しでも気が緩めば、ふたりを見殺しにした罪悪感や、身体の奥底にずっとあった薬物への誘惑に負けていただろう。

 もしそちら側へ一度でも転落してしまえば、もう二度と社会復帰はできなかったかもしれない。

 あるいは、任務中に命を落としていたかもしれない。


「そうなる前にヨーイチと、そしてみなさんと出会えたことは、本当に幸福なことでしたわ」


 あのときエドに頼まれたのは、あやしい観光客の身元調査だった。

 いつもの任務に比べて、とても簡単なお仕事。

 そんなつもりで近づいた陽一が、じつはとんでもない相手だった。


「まさかイセカイと地球とを行き来する、そんなファンタジックな人だなんて、誰が想像できます?」


 当時を思い出したのか、シャーロットが自嘲気味に微笑む。


 結局彼女は返り討ちにあい、陽一や花梨、実里、アラーナたちからさんざんいじめられることになる。


「でもそれが、こんな未来を引き寄せるなんて、人生とは不思議なものですわね」


 陽一に犯されたことで、彼女は心身の傷を癒すこととなった。

 薬物依存は即座に完治し、心に受けた傷も、陽一と何度も身体を重ね、彼に身を委ねるうちに完治してしまう。


 そしてシャーロットは、父と姉の仇であるカルロを打倒し、過去にけじめをつけることができた。


「あなたのおかげで、こうしてまたこの家で過ごすことができましたわ」

「でも、手放すんだろ?」

「ええ。ひと晩過ごしてみて、もう思い残すこともなくなりましたので」


 それは本心からの言葉なのだろう。


 シャーロットの目に、迷いはなかった。


「ヨーイチ、ありがとう」


 そして彼女は、さまざまな想いを込め、陽一にそう告げた。


「なんというか、あらためてそう言われると、困るな。俺はやりたいことを、やりたいようにしただけだし」


 陽一にしてみれば、最初は手癖の悪い女性にお仕置きをし、その後もなにかと役に立つ彼女を利用していただけのことだった。

 なのにいつの間にか親密になり、いまは心から信頼できる相手となっていた。

 なぜこうなったのかは、陽一自身にもよくわからなかった。


「ふふふ、人の縁とは不思議なものですわね」

「まったくだ」


 そう言ってふたりは軽く笑い合った。



 朝食を終えてひと息ついたところで、ふたりは家を出た。


「んぅ……」


 門を出たところで日の光に晒されたシャーロットが、思わず目を細める。


 歩き始めた陽一のあとについていこうとした彼女だったが、ふと足を止めて振り返った。


 すっかり高い位置に上ってしまった太陽の光を受け、彼女の生家は少しだけ輝いているように見えた。


「お父さん、お姉ちゃん、さようなら」


 柔らかく微笑んで小さく呟き、彼女はくるりと踵を返した。

 長いスカートがふわりと広がり、陽光を受けて輝くようなブロンドの髪が小さく揺れる。


 そしてシャーロットは軽快な足取りで陽一へと駆け寄り、彼の腕に抱きついた。


「ヨーイチ、帰りましょう」

「ああ、そうだな」


 周りに人がいないことを確認した陽一は、シャーロットを伴って『辺境のふるさと』へと【帰還】するのだった。


――――――――――

お読みいただきありがとうございます。

これにてエピローグ前編終了です。


明日よりエピローグ番外編をお送りしますので引き続きよろしくお願いします。

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