星川実里4

 それからしばらくのち、ふたりはとある不動産屋を訪れていた。


 少し日は傾きかけたもののまだまだ明るい時間であり、チャペルのセットから出ていないふたりには、先ほどまで真夜中の西海岸にいたという実感はない。


 陽一と実里は、ウェディングスタイルから普段着に着替えていた。


「藤堂さま、ようこそいらっしゃいました」


 不動産屋に入ると、女性社員が迎えてくれた。


「奥さまもお変わりないようで、なによりです」


 当時、実里とともに新居を探した際、担当してくれたさいとうたつだった。


「お、奥さま……」


 辰美に奥さまと呼ばれた実里は、頬を染め、小さくうつむく。

 そんな彼女を見て微笑んだあと、辰美は陽一に向き直った。


「こちら、すでにご用意できておりますよ」


 彼女はそう言うと、1本の鍵を陽一に手渡した。


「すいませんね、お手数をおかけして」

「とんでもございません。オーナーも喜んでおりましたよ」

「なら、よかった」

「鍵は、ドアポストに入れておけばいいとのことです」

「わかりました」


 そんなやりとりを終え、店を出たふたりは、のんびりと町を歩いた。


 そしてほどなく、一棟のアパートにたどり着く。


「懐かしいな、ここも」

「そうですね」


 ふたりの前にあるアパートの入り口には、『エスポワール』と書かれていた。

 陽一が以前に住んでいた場所である。


 ふたりは並んで、エントランスに入る。


「なんだか、ガランとしてますね」

「もう誰も住んでないらしいからな」


 この『エスポワール』だが、近くビジネスホテルへとリノベーション予定だという。

 すでに住人の立ちのきは終了し、そろそろ工事が始まろうかというところだった。


「タイミングは、よかったのかな」


 工事が始まっていれば、入ることはかなわなかっただろう。

 というか、現時点でも普通は入れないのだが、陽一は家賃1ヵ月分でひと晩使わせてほしいと申し出たのだった。

 このアパートが例の不動産屋の管理物件だったので、いろいろと話が早く進んだのも運がよかった。


「それじゃ、入ろうか」

「はい」


 305号室の鍵を開け、中に入る。


「はは……」


 懐かしい空気に、思わず笑みが漏れた。


 陽一がこの部屋を出て数年。そのあいだ、誰もここには住んでいないらしい。

 そのせいか最低限の清掃などはされているものの、壁紙の張り替えなどリフォームのたぐいは行なわれていないようだった。


「なんだか、広いですね」

「家具とかがないからなぁ」


 生活していると狭くて仕方がないような部屋でも、空っぽになれば案外広く感じるものだ。


「あ、じゃあベッドも」


 ふたりがここへ来たのは、なにも昔を懐かしむためだけではない。

 この部屋で過去の感傷にひたりながら、いろいろと楽しむためである。


「あ、だったら」


 ふと陽一がそう言った直後、部屋の中央にマットレスが現われた。セミダブルの、少し薄汚れたものである。


「あっ、これって……」

「あー、うん。あのときのやつ」


 南の町のホテルではじめて出会い、そのまま陽一の部屋までついてきた実里と、ともに過ごしたマットレスである。


「ふふふ……なんだか、懐かしい匂いがしますね」

「あー」


 一緒に買い物をしたり部屋探しをしたりしたあと、実里は陽一の前から姿を消した。

 あのときはもう二度と実里に会えないかもしれないと、せめてもの思い出に状態を維持したまま収納していたのだ。

 そののち思いがけず再会したうえに生活も豊かになったことで、このマットレスのことはいまのいままですっかり忘れていた。


「ごめん、ちょっと綺麗に――」


 言い終える前に、実里が陽一の袖をつまんだ。


「――実里?」


 振り返ると、実里が少し潤んだ目で陽一を見つめていた。


「このままが、いいです……」

「あ、うん。そっか」


 それからふたりはマットレスに並んで座り、雑談を始めた。


 出会ってからこれまでのさまざまな出来事や、忙しすぎるここ最近の愚痴などを語り合っているうちに、すっかり日が落ち、室内は薄暗くなった。


「実里、そろそろ……」

「あ、はい……いえ、でも……」


 陽一の言葉に、実里は少し恥ずかしげに、視線を泳がせる。


「今度は、俺のわがままをきいてもらってもいいだろう?」

「えっと……はい」


 何度かの問答を繰り返したところで、実里が頷く。


 それを見て満足げに頷くと、陽一は立ち上がり、実里の手をとって彼女を立たせた。


「それじゃ」


 パチン、と彼が指を鳴らすと、実里の装いが一瞬でウェディングスタイルに切り替わった。

 【無限収納Ω】を使って、ここまでのことができるようになっていたのだ。

 もちろん陽一のほうも、白いタキシードに着替えている。


「あの、本当に、この格好でするんですか……?」

「うん。ちょっとした夢だったんだ」


 ウェディングドレス姿の花嫁を犯す、というのは、多くの男性が夢見るシチュエーションだろう。


「実里、きれいだよ」


 黄昏たそがれ時の淡い陽光に浮かび上がる実里の姿は、幻想的なまでに美しかった。


「陽一さんも、カッコいいです」


 少し照れながらも、実里はそう返した。


「おいで」


 純白のドレスに身を包んだ実里の手を引き、抱き寄せる。


「あ……シワに……」

「大丈夫」


 抱きしめられた実里はふとそう呟いたが、陽一が窘める。

 【無限収納Ω】があれば、シワも汚れもすぐ元どおりにできるのだ。


 そのことに思い至ったのか、実里は身体の力を抜き、陽一に身を寄せた。


 しばらく抱き合ったところで、どちらともなく身体を少し離した。

 そして陽一は視線を落とし、実里は見上げるようにして、ふたりが見つめ合う。


 そうやって無言で見つめ合うなか、ほどなくふたりの息が荒くなり、自然と互いの顔が近づいた。


「……んむ」


 そして、唇が重なる。


 白い衣装に身を包んだふたりが、夕日の射し込む狭い部屋の中で、互いの舌を貪り合った。

 実里のほうからも腕を回し、陽一の背中をかき抱きながら、一心不乱にキスを続けた。

 日がさらに傾き、室内がかなり暗くなったところで、ふたりの唇が離れた。


「実里……」


 暗くなった室内で、白いドレスに身を包んだ彼女の姿が、ぼんやりと浮かび上がっているように見えた。


「あっ……!」


 しばらくそんな実里の姿を見続けたあと、陽一は彼女を抱え上げ、マットレスに寝かせた。


 薄汚れた安物のマットレスと、おそらくはこの世界においても最高級の部類に入るドレスに身を包んだ実里の美しさとが、対照的だった。


「はぁ……はぁ……陽一さん……」


 メガネの奥にある瞳を潤ませ、息を弾ませながら見上げる彼女をしばらく観賞したところで、陽一は彼女の足下に膝をついた。

 そして、芸術品のようなレースがあしらわれた、ドレスの裾をまくり上げる。


「あっ……陽一さん……!」


 スカートの中を見られた実里が、恥じらいの声を上げる。


「これは……」


 それは、幻想的な光景だった。


 まくり上げられたスカートの中には、ドレスの生地にも劣らぬほど、白くなめらかな脚があった。


 彼女のほっそりとした脚は、ふとももの半ばあたりまでがタイツに覆われていた。

 そのタイツは、ガーターベルトによって留められている。

 白いタイツに軽く締め上げられ、その境目で乳白色の艶やかな皮膚がわずかに隆起しているさまが、妙に扇情的だった。


「それじゃ、おじゃまします」


 陽一は少し冗談めかしてそういい、スカートの中に頭を突っ込む。


「あっ、や……陽一さん……!」


 軽く抗議をする実里を無視し、スカートの生地をかき分けて奥へと進んだ。


○●○●


 狭いベッドの上で、ふたりはそれぞれタキシードとウェディングドレスを着たまま抱き合っていた。


 息を切らせ、ときおりうめきながら、実里は陽一の顔を見上げた。

 たび重なる快感のせいか、目尻からは涙がこぼれ落ちていた。


「実里……今日、なんかすごかったね」

「はぁ……はぁ……ふふふ……そう、ですね」


 疲れきった様子だった実里の口元に、笑みが浮かぶ。


「なんだか、すごく幸せだなって思ったら、感じちゃいました」

「そっか。そう言ってくれたら、これを用意した甲斐があるよ」


 そう言ってほっとする陽一に、実里は微笑んだまま首を小さく横に振る。


「今日のことだけじゃ、ないです」

「ん?」

「これまでのこと……陽一さんと出会ってから、ずっと幸せだなって」

「実里……」


 陽一と出会う前の実里は、不幸だったといっていいだろう。

 義弟の文也に人としての尊厳を奪われ、その腹いせに、自らを汚すようにさまざまな男性と関係を持った。

 未来に希望はなく、ただ文也のいいなりになりつつも、少しだけ反抗する。

 そんな日々を過ごし、無気力なままやがて死んでいく。

 そんな人生しか、自分にはないと思っていた。


 だがあの日、陽一に出会ってすべてが変わったのだ。


「あの夜、私を呼んでくれてありがとう」


 陽一を見つめながら、実里は柔らかく微笑んだ。


「陽一さんのおかげで、わたしはいま、すごく幸せです」

「実里……」

「陽一さんと一緒なら、これからもずっと、幸せでいられると思います。だから……」


 実里の声が震え、笑顔が少し引きつる。

 乾きかけていた涙が再びあふれ出し、目尻から止めどなく流れ始めた。

 それでも精一杯の笑みを維持しながら、彼女は再び口を開く。


「わたしのこと、一生離さないで……!」


 絞り出されるような声に、陽一は息を詰まらせる。


「実里……!」


 彼は彼女のを名を呼びながら上体をかがめた。


「ああ……! ああっ!」


 そうして彼女身体をかき抱く。


「離さない……! 離すもんか……!!」


 そう言って彼女に回した腕に強く力を込めながら、陽一は実里を抱き起こした。


「実里……! 実里ぉっ!!」

「ああっ! 陽一さん! 陽一さん……!!」


 実里のほうからも強くしがみつき、互いに名を呼びながら激しく貪り合った。

 相手に名を呼ばれるたびに、ふたりの身体には電撃のような快感が走る。


 互いが互いを離すまいと強く抱き合いながらも、さらなる快感を求めて獣のように求め合った。


 さらに何度かの行為を繰り返したあと、快感で意識を失いそうになりながら彼女は柔らかな微笑みを浮かべる。


 そして小さく開いた口からかすかな声が漏れた。


「大好き……!」

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