星川実里2

 ひと月ほどが経ち、実里自身そんな会話をしたことすら忘れてしまったある日のこと。

 彼女は陽一に呼ばれ、メイルグラードの二番街――オトメの町――を歩いていた。


 用件も伝えられず、ただついてくるように言われた実里は、少しばかり戸惑いながらも、陽一を信じて町を歩く。

 ときおり道行くオトメたちが自分たちにいつもより熱っぽい視線を送っているように感じたが、気のせいだと思うことにした。


 そしてふたりは、カトリーヌの店にたどり着いた。


「いらっしゃい、おふたりさん」


 店に入ると、少し疲れた様子のカトリーヌとオトメたちが迎えてくれた。


「あの、陽一さん?」

「じつは実里に、見せたい物があってね」


 あいかわらず戸惑い気味な実里に対して、陽一が優しい口調で告げる。


「見せたい物……?」


 首を傾げる実里に小さく笑いかけたあと、陽一はカトリーヌに視線を向け、頷いた。


 それを受けたカトリーヌはきびすを返し、優雅な足取りで店の奥に進む。


 ほどなく、布がかけられたなにかが、彼女の手で運ばれてきた。


「頼む」


 陽一の言葉に頷いたカトリーヌが、布を取り払う。


「えっ!?」


 その下から出てきたのは、純白のウェディングドレスだった。


「あの、これって……?」

「じつはこのあいだ、偶然話を聞いちゃって」

「話?」

「ほら、実里がお嫁さんになりたいって……」

「あー」


 そういえば少し前にそんな話をしたな、と実里はいまになってようやく思い出す。


「ごめん。俺には実里の夢を叶えてあげることはできない」

「陽一さん……」

「でも、まねごとくらいは、できるかなって。だから、カトリーヌに頼んで」


 まだ事態を飲み込めていない実里のもとへ、カトリーヌが歩み寄ってくる。


「ほんと、ヨーイチが〝できるだけ早く作ってくれー〟なんていうから、こっちは寝不足よぉ」

「無理言って悪かったな」

「あの、ごめんなさい」


 陽一につられて謝る実里に対して、カトリーヌが笑みを浮かべて小さく頭を振る。


「実里は全然わるくないのよ。それにこんなに素敵なドレスを作れたこと、いまは感謝してるわ」


 彼女はそう言って、バチリとウィンクした。


「それじゃ、さっそく着てもらいましょうか」

「えっと、着るって……?」


 ここにいたってまだ事態を飲み込みきれていない実里が、ぼんやりとした表情のまま首を傾げる。


「なにぼーっとしちゃってんのよ。このドレスを着ましょうねって言ってるの」

「このドレスを?」

「そうよ」

「この素敵なドレスを、わたしが?」


 実里の口から『素敵なドレス』という言葉が出たことに、陽一は人知れず胸を撫で下ろす。

 どうやらデザインは気に入ってもらえたようだ。


「そうよぉ! あなたのためだけに作られた、一点ものなんだからぁ!」

「わたしの、ための……」

「ふぅ……もう、しょうがない子ねぇ」


 まだどこかふわふわとした様子の実里にため息をついたカトリーヌは、呆れたような表情を陽一に向ける。


「ミサト、借りてくわよ?」

「ああ、頼む」

「そっちもちゃんとしておきなさい?」

「ああ」


 そんなやりとりを終えると、カトリーヌはウェディングドレスのかけられたトルソーを小脇にかかえ、戸惑う実里の手を引いて店の奥に入っていった。



 それから30分ほどが経ち、ドレスの着つけからヘアメイクまでを終えた実里が、カトリーヌに手を引かれて現われた。


「おお……」


 純白のドレスに身を包んだ実里の姿に、陽一は思わず声を上げる。


「あ……陽一さん?」


 そして実里のほうも、陽一を見て目を見開き、声を漏らした。

 彼のほうも、純白のタキシードに身を包んでいたのだった。


 慣れない服を着て髪をセットし、少し固くなっている陽一を見て余裕が出たのか、実里の口からふっと笑みがこぼれた。

 その瞬間、陽一の胸が大きく跳ね、その場にいたオトメたちの口からため息が漏れた。


「陽一さん」


 彼の名を呼びながら、実里は優雅な足取りで歩み寄ってきた。


 そんな彼女の姿に胸を高鳴らせながらも、なんとか平静を保ちつつ、陽一はすっと手を差し出す。

 それを見て、カトリーヌは実里の手を離した。

 実里はカトリーヌをチラリと見て微笑んだあと、さらに数歩歩いて陽一の手を取る。


 実里の手を取った陽一は、彼女の手の甲にキスをした。


「ひゅぅー!」

「おめでとーミサトー!」

「ヨーイっちゃんもおめでとー!」


 店内の各所から、ふたりをはやし立てる声や拍手、口笛が飛び交い、顔を上げた陽一は照れたように頭をかいた。


「まぁ、その、動きやすそうで、よかったよ」

「あ、はい。ほんとに、身体にフィットして、すごいです」


 実里を驚かせるために、仮縫いをせず一気に仕上げたので多少の不安はあったが、どうやら杞憂だったようだ。

 【鑑定Ω】さんは、ここでも偉大だった。


 そしてその着心地から、このドレスが本当に自分のためだけにあつらえられたのだと実感し、実里は胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。


「本当に、お似合いのふたりだわぁー」

「そうかしらぁ? ヨーイっちゃんにミサトはもったいなくない?」

「ホント、ヨーイっちゃんてば、ビシッと決めてるのにもっさりなんだからぁ」

「ホントもっさりぃ~」

「お前らなぁ」


 好き勝手言うオトメたちの言葉に、陽一が苦笑を漏らす。

 ただ、全員が自分たちを祝福していることは態度や表情からわかるので、抗議の言葉は自然と弱々しくなった。


 そんな陽一やオトメたちのやりとりを見ながら、実里はその祝福の言葉が自分にも向いているのだと実感し、クスクスと笑った。


「カトリーヌ、こんなに素敵なドレス、本当にありがとう」


 ひとしきり場が落ち着いたところで、実里はカトリーヌに礼を言った。


「どういたしまして。ただ、アタシだけじゃなくみんなもがんばったのよ? 特にマコリーヌたちがね」

「マコリーヌや、みんなが?」


 少し驚きながら目を向けると、そこにはマコリーヌこと吉田誠をはじめ、元日本人のオトメたちが照れくさそうに立っていた。


「あの子たちがいろいろとデザイン案を出してくれたおかげで、本当に素敵なドレスが仕上がったわぁ」

「たしかに、俺にはファッションセンスがかけらもないからなぁ」


 カトリーヌの言葉を、陽一がしみじみと肯定する。


 彼女たちはみな、文也の作り出した悪質なサークルに所属していた。

 ファッションに対する意識が高く、中にはアパレルブランドに就職した者もいる。

 そんな彼らの助言が、ウェディングドレスの完成度を高めたのは事実である。


「特にメガネと合わせるのが大変だったのよぉ。アタシはメガネを外してもミサトは綺麗だから大丈夫って言ったんだけど――」


 ――メガネを外すなんてとんでもない!!


 カトリーヌが言い終えるが早いか、店内に複数の野太い声が響く。

 それは元日本人オトメたちの、心からの叫びであった。


「……ふふっ、これだもの」


 そんなオトメたちの態度に、カトリーヌはそう言って肩をすくめた。


 ただ、そんな彼女たちのこだわりが、ウェディングドレスをより素晴らしいものにしたのだった。


「こんなことが罪滅ぼしになるとは思わないけど、アタシたちにできるかぎりのことはさせてもらったわ」

「そっか。ありがと、マコリーヌ」


 マコリーヌの言葉に、実里は素直に礼を述べた。


 文也と手を組み、自身を拉致した相手ではあるが、実里にとってそれはもう過去の出来事である。


「それで、これからどうするの? もしかして、結婚式もやっちゃう感じ?」


 マコリーヌの言葉に、陽一は小さく首を横に振る。


「そっかぁ。いまの実里ちゃんを見たら、ご両親は喜ぶと思うけどなぁ」

「でも結婚式とか挙げると、誰を呼ぶ呼ばないでいろいろややこしいんだよ」

「まぁ、たしかにそぉねぇ……ヨーイっちゃんも実里ちゃんも、いまや普通の立場じゃないし」


 そんなふたりの会話を聞く実里が、少しだけ寂しそうに微笑んだ。

 やはり両親、特に母親には、この姿を見せたいのだろう。


「だから、写真だけ撮ろうかなって」


 そう言ったあと、陽一は実里に目を向けた。


「それでいいかな?」


 尋ねられた実里は、しばらくじっと陽一を見つめたあと、ふっと微笑んだ。


「はい、おまかせします」


 そしてそう言って、静かに頷いた。


「そういうことなんで、そろそろいくよ」

「ええ、いってらっしゃい」

「カトリーヌ、マコリーヌ、それにほかのみんなも、わたしたちのために、本当にありがとう」


 最後に軽く挨拶を交わしたところで、ふと陽一がマコリーヌに目を向けた。


「なぁ、マコリーヌ」

「なぁに?」

「実家に帰りたくなったら、いつでも言ってくれ」

「えっ?」


 突然の申し出に、マコリーヌが固まる。


「ふふっ……」


 しかし彼女はすぐに、自嘲気味な笑みを漏らした。


「だめよ。マジメだけが取り柄のパパに、いまのアタシなんて受け入れられないわ」

「ふっ」


 どこか寂しげに呟かれた言葉に、陽一は思わず鼻を鳴らした。

 そのことに、マコリーヌは少し機嫌を損ねたように眉を上げた。


「あら、なにがおかしいの?」

「いや、君の親父さん、若いころはモヒカン頭にトゲトゲ肩パットでバギーにまたがってヒャッハーしてたの、知ってるか?」

「へ?」


 どうやらその反応から、彼女は父親の若かりし日を知らないようだった。


「ま、1回帰ってゆっくり話してみな。ほかのみんなも」


 そう言って陽一は元日本人のオトメたちに目を向ける。


「帰りたくなったら声をかけてくれよ」


 そんな陽一の言葉に戸惑うオトメたちとは対照的に、カトリーヌは余裕の笑みを浮かべて小さく頷いた。

 どうやら陽一と彼女のあいだではすでにそういった話がされているようだった。


「じゃあな」


 そして陽一は、実里とともにその場から姿を消すのだった。

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