星川実里1

 その日、王都宰相邸の一室で、トコロテンの女性メンバー数名が雑談をしていた。


 ここ最近はたまたまメンバーの多くが王都に集まっており、空いた時間に数名が集まっていたのだった。


「そういえば、実里は将来なりたかったものって、なにかあるの?」


 話の流れで、ふと花梨がそんなことを尋ねた。


「なりたかったもの?」

「そう。子供のころの夢、とかさ」

「子供のころの夢……」


 実里は早くに父親を亡くしており、それ以来母とふたりの生活が長く続いた。

 特別貧しいわけではなかったが、余裕があるということもなかった。

 勤めに出る母をサポートするため、掃除や洗濯などいくつかの家事を受け持っており、将来について考えるよりも日々の生活をどうこなすかということばかり考えていた。


 そんなある日、母が再婚した。


 相手は日本有数の企業体を束ねる男性であり、生活は一気に豊かになった。


 現在を生きるのに精一杯だった実里に、ようやく将来のことを考える余裕ができたわけだが、ほどなく義弟の文也が凶行に及ぶ。


 それから実里は、なにも考えられなくなった。


「子供のころ、なりたかったもの……」


 そう問われて、これまであまり思い出すことのなかった実父のことが頭をよぎった。


 実父のことを忘れたわけではない。


 だが彼の死後から現在まで、本当にいろいろなことがありすぎて、思い出す余裕がなかったのだ。


「お父さん……」


 知らず、声が漏れた。


 優しい父親だったと思う。


 そんなおぼろげな記憶がよみがえってくる。


 淡く、温かな思い出だった。


『わたし、大人になったらおとうさんのお嫁さんになる!』


 多くの女性が幼少期に、一度は父親に言ったことのある言葉だろう。

 そして実里も、そんなことを言った覚えがあった。

 いまのいままですっかり忘れてしまっていたが。


「お嫁さん、かな」


 だから、そんな答えが口を突いた。


「あー、そっかぁ……」


 質問した花梨が、複雑な表情でそう言った。


 ほかの女性メンバーも、似たような表情だった。


「あ、これは、その、うんと小さいころに、なんとなく思ったことがあるだけだから……!」


 ほかの女性陣の反応を見て、実里は慌ててそう取りつくろった。


「まぁ、いまとなっては難しい夢ねぇ」


 言うまでもないが、トコロテンのメンバーは全員が陽一と深い関係にある。

 ロザンナに至っては、彼の子を産んでいた。


 だが、彼は誰とも婚姻を結んでいなかった。


 重婚を認められていない日本でだれかひとりを選んで結婚する、というのはあり得ない話だった。


 では重婚が認められたセンソリヴェル王国でならどうか。


 重婚が認められているとはいえ、いくらでも女性をめとれるというわけではない。

 その地位に応じて、人数は厳格にきめられているのだ。


 たとえば爵位を持たない平民の場合、資産に応じて最大3人までの配偶者をもてる。


 陽一の場合だが、彼は平民ではあると同時に冒険者でもある。

 そして高ランク冒険者は、貴族なみの待遇を受けられるのだ。


 Bランク冒険者で男爵相当、Aランクで子爵相当となり、配偶者は10人まで認められる。


「まぁ、ヨーイチ殿がその気になれば、何人でも妻を娶れるのだがな」


 しみじみと、アラーナが呟く。


 先の魔王戦を終え、冒険者ギルドはAランクの上に、新たにSランクを設けた。

 そして魔人討伐などで大きく活躍したアレクやエマ、またグラーフたち赤い閃光のメンバーは、晴れてSランク冒険者となり、伯爵相当の待遇を得られることとなった。

 そうなると配偶者は20名まで認められるようになるのだが、トコロテンはSランクに留まることがなかった。


SSダブルエスて、ほんまむちゃくちゃなランクになってもうたもんなぁ」


 シーハンの言うとおり、魔王討伐に大きく貢献したトコロテンは、Sランクよりもさらに上のSSランクに認定されたのだった。


「少し疑問なのですけれど、ランクのSやSSというのはどういう意味ですの?」


 そう言って首を傾げるシャーロットに、花梨が自信なさげに口を開く。


「えっと……スーパーとかスペシャルとか、そういうのだと思うんだけど……そっちじゃどういう意味なの?」

「そもそもSランクというのが日本固有のものですから、こちらではなんとなく使っておりますわね」

「へえ、そうなんだ」

「というか、なぜ冒険者ランクにはアルファベットが使われているのでしょう?」


 シャーロットがそう言うと、ほかのメンバーはその場にいたアラーナに目を向ける。


「あー、いや、どうだったかな……?」


 困ったようにそう呟いたアラーナは、救いを求めるようにロザンナを見た。

 自然、彼女が視線を集めるかたちとなる。


「ふむ、たしか……」


 少し苦笑したあと、ロザンナが口を開いた。


「冒険者ギルドを創設した、いにしえの勇者が決めたのではなかったかな」


 そう答えたあと、ロザンナはふとなにかを思いついたように表情をあらためる。


「いまにして思えば、その勇者も異世界人だったのかもしれないな。たしか名はリュージといったはずだが」

「リュージ……日本人っぽいですね」


 花梨がそう言い、実里が納得したように頷く。


「ならばきっとそうなのだろう。帝国には詳しい資料があると思うが……」

「ヨーイチ殿に聞くのが早いのでは?」

「ふふふ……それもそうだな」


 アラーナの提言に、ロザンナはそう返しつつ軽く肩をすくめた。



 後日陽一が【鑑定Ω】で調べたところ、勇者リュージはやはり日本人だと判明した。


 名は長瀬ながせ竜司りゅうじといい、セレスタンが直接見たという勇者トーゴこと松岡まつおか斗吾とうごよりも数十年前に召喚されたらしい。


 当時の人類圏は帝国によって統一されていたものの、内乱に近い状態で各地に群雄が割拠しており、魔物による災害すら政治や戦略の要素として利用されていたようだ。


 それを憂えた時の皇帝の命で召喚されたのが、勇者リュージこと長瀬竜司だった。


 平成生まれで戦争とは無縁に生きてきた彼は、内乱には干渉せず、魔物の災害にのみ対処する組織『冒険者ギルド』を立ち上げた。


 各地の群雄と衝突しながらも魔物の討伐に専念する冒険者ギルドは、やがて人々からあつい信頼を得ることとなる。

 その結果、勇者リュージを召喚した皇帝の評価も高まり、いろいろあって内乱は終結。

 皇帝の権威は飛躍的に高まることとなった。


 そして当時の皇帝は冒険者ギルドに対して、勅命をも無視する権限を与えた。

 国に囚われず独自の価値観で魔物のみを相手取る組織のいしずえは、このときにできたものだ。


 なぜ魔物を相手にする組織が『冒険者ギルド』なのかについて、勇者リュージは"そういうものだ"と言うだけで多くは語らなかったという。


 なんにせよSSランク冒険者となった陽一は、侯爵あるいは辺境伯相当の待遇を受けられるので、配偶者の数は実質無制限に認められることとなった。


 なので、メンバー全員と結婚することは可能なのだ。


「まったく、私のことは気にしなくていいと言ったのだがな」


 優雅な仕草で紅茶をひと口飲んだあと、ロザンナが呆れたように呟く。

 ただ、口元にはかすかに笑みが浮かんでいた。


「ふふ……」


 そんな王国宰相の様子に、花梨を始めほかのメンバーが小さく微笑む。


 ロザンナは王族である。


 つまり彼女と結婚すれば、陽一は王家に名を連ねることになるのだ。

 そのうえで他の女性メンバーとも結婚するとなると、なんとも面倒なことになってしまうのである。


 そんな彼の意志を尊重したロザンナは、陽一との結婚を望まなかった。

 そして自分のことは気にせずほかのメンバーと結婚してくれていい、ともいったのだが、彼はそれをよしとしなかった。


 メンバーの誰かを特別扱いしたり、のけ者にしたりするのはいやだったのだ。


 そういうわけで、彼は誰とも結婚しないと決めたのだった。


「すまないなミサト、私のせいで」

「いえ! ほんとにいまのいままで忘れてたような話なので、だいじょうぶです」


 室内に微妙な空気が流れたが、それもほどなく払拭ふっしょくされた。


「あ、そうそう。メイルグラードの話なのですが、冒険者ギルドの近くにチャプスイのお店ができたのはご存知かしら?」

「チャプスイって、中華料理の?」

「そうそう」

「おうシャーロット、花梨、待たんかい。あら中華ちゃうぞ」

「あら、そうですの?」

「よくわかんないけど、今度みんなで食べにいこうよ」

「聞いたところどうやらあちらの世界の料理のようだし、私もいただいてみたいな」

「あ、じゃあ今度陽一に運ばせましょう」


 このようなかたちで話題は別の方向に流れ、とりとめもない雑談はしばらく続いた。おそらく今日話したことなど、ここにいるメンバー全員が半日もしないうちに忘れてしまうだろう。


 ただ、そんな彼女たちの会話を、たまたま部屋の近くを歩いていた陽一が聞いていた。

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