本宮花梨4

 部屋に戻ると食事が用意されていた。


 相当気合いを入れたのか、量も質もかなりのものだった。

 食べきれないぶんは遠慮なく残していいと書き置きがあったが、【健康体Ω】【健康体θ】を持つ陽一と花梨にとっては、問題なく食べきれる量だった。


 食べ終わった食器類は部屋の外に出しておけばいいとのことだったので、そうしておいた。あまり干渉せずにいてくれるのは、ありがたかった。



 寝室にはすでに布団が敷かれていたので、食事を終えたふたりはそのまま寝転がった。


「ふぅ……美味しかった」

「前のときより、かなり豪華だったな」


 前回は旅行サイトを使って予約した、かなり安いプランだったので、仕方がないだろう。

 今回は旅館を再建した新オーナーへの歓迎の意味もあるので、おそらくほかにはないサービスだったはずだ。


「そういえば、前ってなんでここにきたんだっけ?」

「そうだな……たしか花梨が倒れて、快気祝い的な感じじゃなかったっけ?」

「あはは、そういいえば、そんな感じだったわね」


 そう言ったあと、花梨の表情がわずかにかげった。


 そしてしばらく沈黙したあと、ふと陽一に真剣な視線を向ける。


「ねえ、子供ってかわいい?」


 彼女の言う子供が、陽一とロザンナのあいだに生まれた子であることは、あえて聞かなくてもわかる。


「ああ。自分でもびっくりするくらい、かわいいって思えるな」

「そっか、じゃあ、よかった」


 そう言った花梨は、どこか寂しげだった。


「どうした?」

「んっとね……」


 陽一から目を逸らし、少し考えるそぶりを見せた花梨だったが、すぐに視線を戻した。


「前に、ここに来たとき……っていうか、あたしが倒れたときあるじゃない?」

「ああ」

「あのときにね、言われたの」


 そこで、少し言葉が途切れる。


 陽一はなにも言わず、次の言葉を待った。


 そして意を決したように、花梨が口を開く。


「あたしね、子供が産めない身体なのよ」

「ん?」


 その言葉に陽一は首を傾げたが、花梨はそれに気づかず話し続ける。


「だから、その、なんていうのかな。ほんと、よかったわ。アンタに子供ができて」

「なぁ、花梨」

「あの、べつに悲劇のヒロインぶるつもりはないのよ? 世の中には子供を産めない……それに、あえて産まないっていう女性がたくさんいるのは知ってるし、それ以外にもいろんな幸せのかたちがあるって、わかってるし」

「花梨」


 少し強い口調で名を呼ぶと、ようやく彼女は黙った。


「子供、産みたいのか?」

「えっと……」


 真剣な眼差しを向けられ、問いかけられた花梨は、うろたえるように視線を泳がせたが、ほどなく陽一に向き直る。


「そりゃ、まぁ……」

「産めるぞ」

「えっ?」


 間髪容れずに返ってきた答えに、花梨は瞠目する。


「っていうか、気づいてると思ってたんだけど」

「気づいてるって、どういうこと?」

「そうだな……」


 そこで陽一は一度花梨から視線を外し、軽く頭をかいたあと、小さく深呼吸をして彼女に向き直る。


「花梨が、その、言いづらいことを言ってくれたみたいだから、俺も話しておくよ」

「話しておくって、なにを?」

「じつはさ……」


 そして陽一は、あの日、彼女のいきつけの居酒屋で再会したのが偶然ではなく、当時【鑑定+】で花梨のことを調べた結果だったことを明かした。


「元気にやってるなら、会うつもりはなかったんだよ。ただ、ちょっと無理してるみたいだったから、愚痴でも聞いてやれるかなって思って」

「そっか……そうだったんだ……」

「それで、まさかあのまま部屋で……なんて思ってなくて」

「うん……あたしもそんなつもりなかったんだけどね。なんか、流れで……」

「それで、セックスしただろ?」

「えっと……うん」


 当時のことを思い出したのか、花梨がうつむきがちに頬を染める。


「俺はそのときもう【健康体+】を持ってたわけで」

「あっ……」


 花梨はなにかに気づいたように、顔を上げる。


「だから、次の朝に確認したときは、もう治ってたっていうか」

「ちょっと、なんでそのときに言ってくれなかったのよ! っていうか、アンタ知ってたの!?」


 花梨は向かい合って寝転がる陽一の浴衣をつかみ、問い詰める。


「いやだって、俺がそのことを知ったのは【鑑定+】で見たおかげだし、そもそも花梨に自覚があったかどうかなんて知らなかったから」

「あー……そっか、そうだよね、ごめん……」


 だが陽一の言葉ですぐ冷静になり、浴衣のえりをつかむ手を緩めた。


「いや、俺のほうこそ、勝手に【鑑定】してごめんな」

「ううん……いいよ」

「でも、気持ち悪いだろ? 自分のこと、覗かれて」


 その問いかけに、花梨は小さく首を横に振った。


「ぜんぜん。ほかの誰かならいやだけど、陽一なら、いいよ」


 そう言うと彼女は再び陽一の浴衣の衿をギュッとつかみ、引き寄せた。


「ありがと、あのときあたしに会いに来てくれて」


 そうして彼の胸に、顔をうずめる


 そんな彼女の姿に、陽一は安堵した。


 あのときのことに、少しだけうしろめたさがあったのだ。


「ところでさ、もし俺が会いにいかなければ、花梨はいまごろどうしてたかな?」


 問いかけると、花梨は陽一に身を寄せたまま顔を上げた。


「そうね、少なくとも仕事はまだ続けてたと思う」

「あっ、もしかして中国に行ってたとか? ほら、誘われてるとかなんとか」


 陽一と再会したあと、会社を辞めるタイミングで、花梨は元後輩の本郷ほんごうにヘッドハントされていた。


「あはは、ないない。あたし、彼のこと苦手だったし」

「へええ、そうなんだ」

「ていうか、たぶんあたしのほうから陽一に会いに行ってたかも?」

「そうなの?」

「わかんないけど、たぶん」


 もし陽一が例の事故に遭っていなければ、いまもあの『エスポワール』というアパートに住んでいただろう。

 花梨のほうがその気なら、会いに来られた可能性は高い。


「でも、だとしたら俺、ワープア続けてたんじゃないかな」

「あはは。そのときはあたしが養ってあげてたわよ」

「おう、そりゃ心強いな」


 クスクスと笑い合い、それが収まると、ふと静かな空気が流れた。


「あれ? ちょっとまって」


 そんななか、不意に花梨が声をあげる。


「どした?」

「いえ、あたしたちって、その……避妊もせずにしてるじゃない?」

「しまっくってるな」

「ちょっと、そこはハッキリ言わなくていいから」


 その言葉に抗議しながら、花梨は彼の胸を軽く叩く。


「なのにあたし、妊娠してないんだけど?」

「それこそスキルの影響じゃないか?」

「スキルの?」


 【健康体+】、そしてそこから派生した『α』『β』と、進化した『θ』『Ω』は、心身を本人の望む状態にする効果があるらしいことはわかっている。

 たとえば体型を維持したまま、筋力だけを増強させる、といった具合に。


「だから、花梨やほかのみんなが妊娠しないのは、本人がそれを望んでいないからじゃないかな。俺も含めて、だけど」


 陽一の子を産んだロザンナに関しては、彼女自身が子を望んだことが大きい。

 ただ、陽一のほうに彼女の願いを叶えてあげたいという想いがあったことも、無視できない要因だろう。


「つまり、あたしが子供を欲しいと思えば、妊娠する?」

「たぶん。そのときは、俺も協力するし」

「そっか、そうなんだ……ふふ」


 話しを聞いた花梨が、嬉しそうに微笑む。


「あたし、陽一の子を、産めるんだ……」


 そう呟くと、花梨は陽一にぎゅっと抱きついた。


「どうする? 子作り、するか?」


 その問いかけに、花梨はふるふると首を横に振る。


「まだ、いい」

「そっか」

「うん。だって、ロザンナさまの例もあるし、あと10年は余裕があるのよね?」


 50歳を間近に控えて出産を経験したロザンナには、なんの危険もなかった。

 なので40歳に近い花梨は、少なくともあと10年は余裕があると考えたのだ。


「あー、それなんだけど」


 それに対して、陽一が複雑そうな表情で頬をかきながら、口を開く。


「どうしたの?」

「じつはいま、ふたり目がお腹に……」

「そうなの!?」


 驚いた花梨は、ガバッと状態を起こした。


「ああ。それで【鑑定Ω】さんによれば、このままいっても問題なく出産できるみたいで」


 つまり【健康体θ】を持つ女性であれば、50歳を超えてなおスムーズで安全な出産が可能ということだ。


「ふふふ……そっかぁ、だったら……それっ」

「おわっ……と」


 意味深な笑みを浮かべた花梨は、陽一の身体を転がして仰向けにした。


「おいおい、なにを」

「うふふ……」


 花梨はあいかわらず笑みを浮かべたまま、仰向けになった陽一をまたぐように立った。


 そして、自身の羽織る浴衣の帯をほどき、衿を開く。


「なぁ、花梨?」

「なら、なおさら子供のことはあと回しでいいから……しばらくは、純粋に楽しみましょ?」

「ああ、花梨がそれでいいなら、そうしよう」


 そしてふたりは、温泉宿での夜を満喫するのだった。

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