第20話 産声
「ああ、ダメ……アタイ、もうどうしていいかわかんないっす」
宰相府の廊下に設けられた椅子に座り、アミィは両手で顔を覆ってうつむきながらそう呟いた。
「そう心配するな。みんなに任せておけば大丈夫だ」
隣に座るアラーナが、アミィの背中をさすりながら優しくなだめてやる。
「気持ちはわからなくもないけれど、私たちは待つしかないのよね」
アミィを挟んでアラーナとは反対側に座るエマは、ふたりを見てそう言ったあと、視線を移す。
彼女の見る先には、ひとつのドアがあった。
アラーナはアミィの背中をさすりながら、つられるように同じドアを見る。
「あと、どれくらいっすかね……。いつまで、待てば……」
「さてな。先ほど始まったばかりだから、まだまだかかるだろう」
「まだまだって、どれくらいっすか? 5分っすか? 10分っすか?」
「いえ、普通は何時間もかかるものじゃないかしら?」
「そんなん耐えらんねーっすよ!」
アラーナとエマの言葉を受け、アミィはそう叫びながら勢いよく顔を上げる。
「こらアミィ、静かにしないか」
「うぅ、ごめんなさいっす」
アラーナから静かに
「でも、なんでアタイらだけ外なんっすか? アタイもみんなと一緒に中で待ちたいっすよ」
「そうは言っても、ほかのみんなにはそれぞれ役割があるからなぁ」
「そうね。あいにく私たちじゃ役に立てそうにもないし」
「お、応援くらいはできるっすよ? それに、あと3人増えたくらい……」
「ことがことだけに、入室できる人数は可能な限り絞るべきだろう」
「だとしたら逆に多すぎじゃねーっすか?」
「ふふふ、たしかにちょっと過剰だとは思うけれど、念には念をいれたかったのでしょう」
「だったら応援要員の3人くらい……」
3人はそんなふうに多少の愚痴を交えながらも、雑談で時間を潰しつつ、緊張をほぐしていた。
そして……。
――おぎゃあ! おぎゃあ!
突然、宰相府の廊下に室内から漏れ出た赤ん坊の泣き声が響いた。
「えっ、いまのって……?」
「うむ、おそらくは……」
「そうだとは思うのだけれど……」
赤ん坊の声を聞いた3人はそう言って、顔を見合わせる。
「いくらなんでも、早すぎねーっすか?」
「まだ、1時間も経っていないはずだが?」
「たしか、破水してそのあとの準備に2時間くらいはかかったはずだけれど、それにしたって……」
「と、とにかく、様子を見にいくっすよ!」
アミィの言葉を合図に3人は立ち上がり、ドアへと駆け寄った。
○●○●
「おぎゃあ! おぎゃあ!」
明るい室内に、赤ん坊の声が響いた。
「ふふふ……よくぞ元気に生まれてくれたな」
生まれたばかりの我が子を抱えながら、ロザンナはそう呟いた。
終戦からしばらくのち、ロザンナは臨月を迎えた。
米国から一流の医師を招き、万一のためアレクも呼び寄せ、宰相府内にさまざまな魔術を施した分娩室を用意し、万全の態勢で臨んだ出産は、意外なほどあっさりと終わった。
祝福ムードに包まれつつある分娩室で、陽一はロザンナの肩に手を置き、赤子をあやす彼女を見ながら、頬を伝う涙に気づく。
「あはは……なんだこれ?」
出産に立ち会うつもりはなかった。ロザンナからも特に請われたわけでもなかった。
ただ、破水した彼女につき添って分娩室を訪れたとき、さも当たり前のように入室を
高齢出産にもかかわらずなんの問題もなく出産できたのは、きっと【健康体θ】のおかげだろう。
あまりにもあっさりと終わった出産劇に、心が動いたという実感はなかった。
だが陽一は、こうして我が子を抱くロザンナの姿を見てあふれ出る涙を止められないでいた。
自分はこういうことでは感動するような人間ではないと思っていただけに、戸惑いは大きかった。
そんな彼の肩に、ポンと優しく手が置かれる。
顔を上げると、医師が微笑んでいた。
彼はなんとなく、陽一の戸惑いを察しているようだった。
「ソウイウモノデスヨー」
たどたどしい日本語だったが、これまで数多くの出産に立ち会ってきた彼にそう言われ、陽一はすんなりと納得できた。
「ヨーイチ」
ロザンナに名を呼ばれ、彼女に向き直った。
「ほら」
彼女はそう言うと、抱えていた赤子を差し出す。
「抱いてやってくれ。お前の子だ」
「俺の、子……」
母の胸でひとしきり泣き続けて疲れたのか、気持ちよさそうに眠る赤子を、抱きとめる。
「
思わずそう口走ったのは、彼が人の範疇を超えた筋力を有しているせいだろうか。
しかしほどなく、彼は自身の腕にかかる重みと、そして温かさを感じ取った。
それと同時に、自分が父親になったのだという実感が生まれてくる。
「ふふ……」
すやすやと寝息を立てる顔に、思わず笑みが漏れた。
○●○●
「おつかれさまでしたわね、ドクター。それに、スタッフのみなさまも」
シャーロットが主治医とアシスタントたちにねぎらいの声をかける。
彼女は今回、米国の医療チームをまとめる役割を担っていた。
「まったく、二度もイセカイで出産のお手伝いをするとは思わなかったよー」
彼は前回、アレクの前世の妻である
「まぁ、今後もなにかあればいつでも声をかけてくれよ。世界初のイセカイドクターとして力になるからね。あっ、ちなみにいまのはイセカイへの転移や転生を意味する『
「うふふ、お上手ですわね」
医師の言葉をさらりと受け流すシャーロットと違って、スタッフたちは引きつった笑みを浮かべたり露骨にげんなりしたりする者が多かった。
どうやら彼は、この手のジョークをよく言うようだ。
「サマンサも、おつかれさまでしたわね」
「あはは、結局なにも問題は起こらなかったけどねー」
サマンサは地球から持ち込んだ医療機器の調整を担当した。
作業は事前に終わっており、万が一のトラブルに備えて室内で待機していたのだが、幸い彼女の出番はなかった。
「あれだけ入念に準備しておりましたからね。でも、いくら最善を尽くしても起こるときには起こるのがトラブルですから、やはり備えておくに越したことはありませんわ」
「ま、それもそうだね」
シャーロットの言葉をうけたサマンサは安心したように、そしてどこか誇らしげに笑った。
「オレらも出番なかったッスねー」
「でもアレクさん、ちょっとだけ魔法使ってたよね?」
ロザンナや赤子の身になにかあったとき、回復魔法を使うためにアレクと実里が備えていた。
「あ、バレたッスか? でも、実里さんもッスよね?」
「うん。ちょっとでも、役に立てたらって」
ロザンナのそばに控えていたふたりは、分娩のあいだうっすらと回復魔法をかけていたようだ。
それが功を奏したかどうかわからないほど、出産はあっさりと終わってしまったが。
「あたしたちも、ほとんどおまじないみたいな感じで終わったわね」
「せやなー」
花梨とシーハンは直接ロザンナの身体に触れ、彼女の体内を流れる魔力を調整していた。
「そんなことはない。ふたりの手から伝わる温かさは、心を落ち着かせてくれたよ。それに、アレクとミサトの魔法も、なんとなく感じ取っていたよ」
ロザンナからそう言われ、4人は嬉しそうに微笑んだ。
「とにかく、おつかれさまでした、ロザンナさま。それと、おめでとうございます」
「うむ、ありがとう」
花梨の言葉を皮切りに、室内にいる人たちからロザンナへ
そうこうしているうちにアラーナ、アミィ、エマの3人も入室し、室内は一気ににぎやかになった。
「あ、そういえばひとり、役に立たない男がいましたねー」
「せやな、ぼーっと突っ立とるだけのおっさんがおったな」
花梨とシーハンが誰のことを指して言っているのかをすぐに察したロザンナは、口元に笑みをたたえたまま小さく首を横に振る。
「なんの。彼が一緒にいてくれただけで、私はこのうえなく心強かったよ」
「あはは、だってさ。よかったね、陽一」
冗談めかして放たれた花梨の言葉だったが、反応はなかった。
「陽一……?」
ふと気になり、ロザンナの傍らに立つ陽一に視線を移した彼女は、少しだけ驚いたように目を見開く。
「ふふっ……」
そうやってしばらく彼の姿をぼんやり眺めていた花梨は、ふっと笑みを漏らした。
「アンタもそんな顔、するんだ」
彼女の見る先で、陽一は抱きかかえた我が子に視線を落とし、柔らかな笑みを浮かべていた。
――――――――――
これにて本編は終了となります。
お読みいただきありがとうございました。
来月からエピローグ前編をお届けします。
もうしばらくお付き合いくださいませ。
【お知らせ】
作者個人サイトにて本作の裏話などを書いております。
よろしければどうぞ。
https://hilao.com/?p=612
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