エピローグ 前編

吉田家と東堂家

 その日陽一よういちは、とある地方都市の少し寂れた喫茶店にいた。


「はぁ……」


 向かい合って座る男性が、手にした写真に目を落としながら、深いため息をついた。


 あまり手入れがされていない白髪の混じった短い髪型をした、メガネをかけたアラフィフの男性だった。

 くたびれたシャツに身を包み、背中を丸めて小さくなっているその男性の姿に、もしかすると自分もこんなふうになっていたのかな、と陽一は思った。


 男性の持つ写真には、黒髪をおかっぱにし、裾をミニスカートのように短くした、振り袖に似た衣服を身にまとう女性――いや、オトメの姿が写し出されている。

 現在そのオトメは、自らをマコリーヌと名乗っていた。


「そうですか、まことは元気にやってますか」


 男性の口から、ため息混じりの声が漏れた。


 彼の名はよしてるかず。マコリーヌこと吉田誠の父親である。


 実里みさとの義弟である文也ふみやが学生時代に設立した悪名高いサークルに所属し、多くの女性を泣かせてきた誠だったが、ひょんなことからその悪行が明らかになり、大学を除籍処分となった。

 その直後、文也と手を組んで実里を誘拐し、陽一らに手を出したものの返り討ちに遭う。

 陽一の手で異世界へと連れ去られた誠は、防具屋のカトリーヌにいろいろと、オトメとして生まれ変わったのだが、輝和は事件以来、息子は行方不明と聞いていた。


 起こした問題が大きすぎて、事件の報告を受けた直後は誠に顔を合わせる必要がないと知って安堵していたが、あれから数年が経ち、寂しく思っていたところだった。


「ええ、外国のアパレルブランドで、まぁ結構キツい仕事をしているみたいですけど、元気は元気ですよ」


 陽一は事実の一部を隠し、そう伝えていた。

 異世界にあるセンソリヴェル王国も外国といえば外国だし、カトリーヌの防具店は衣類も扱っているのでアパレルブランドと呼んで差し障りはないだろう。

 ウソはついていない。


「まったく、血は争えないってヤツですかねぇ」

「え?」


 苦笑混じりに出た輝和の言葉に、陽一は軽く眉を上げる。


「私もね、若いころはヤンチャしてたんですよ。モヒカン頭にトゲトゲの肩パットでバギーにまたがって〝ヒャッハー〟みたいにね」

「いやそれ、日本の話ですか?」


 どこにでもいそうなアラフィフ男性の口から語られた過去に、陽一は驚きを隠せない。


「まぁ、私らが若いころの田舎町なんて、どこもそんな感じでしたよ。藤堂とうどうさんは若いからご存じないか、ははは……」


 疲れたようにそう言う輝和に対し、陽一は愛想笑いを返す。

 おそらくは特殊な地域、特殊な時代の話なのだろうと聞き流すことにし、【鑑定Ω】を使ってまで詳しく調べようとは思わなかった。


「まぁ、どういう姿であれ、元気でやってるんならそれでいいですよ。もし会うことがあれば、たまには里帰りくらいしろと、そう伝えてやってください」

「ええ、わかりました」

「あの、これは?」


 輝和はマコリーヌの写真を手に、問いかける。


「ああ、どうぞ」

「ありがとうございます」


 彼は軽く頭を下げると、写真を胸ポケットに収めた。


「藤堂さん、今日はわざわざこんな田舎まで、ありがとうございました」

「いえ、これもなにかの縁なので」

「では、私はこのへんで」


 輝和はそう言うと、テーブルの端に置いてあった伝票を手にして立ち上がった。


「あの……」

「ここは、私が」

「……ごちそうさまです」

「いえ」


 席を立ち会計を終えた輝和を見送ったあと、陽一はカップに残ったぬるいコーヒーをすすり、小さくため息をつく。


 そして輝和のものと思しき自動車が喫茶店の駐車場から出ていく音を確認したところで、彼も席を立った。


「ありがとうございました」


 店員の声を受けながら、陽一は喫茶店を出た。


 小さいながらも駅にほど近い場所ではあるが、周辺には営業中の商店があまり見られなかった。

 多くの場所はシャッターを下ろしており、それが長い期間を経てのことなのか、ここ数年で急速に寂れたのかは、判別がつかない。


「はぁ……」


 言い知れぬもの寂しさを感じた陽一は、思わずため息を漏らす。


「さて、アレクのところにいくか」


 訪れる際は交通機関を使ったが、なんとなくこの町の空気から逃れたいと思った陽一は周りに人がいないのを確認し、いったん『グランコート2503』へと【帰還】した。


○●○●


 吉田誠の故郷から自室に戻った陽一は、少し休憩したうえで東堂とうどう家に向かった。


「あら、いらっしゃい」

「ようこそ、ヨーイチさん」


 ドアチャイムを鳴らすと、ふたりの女性が出迎えてくれた。


 やすとエマである。


「アレクは?」

「中庭で、しんといつもの修行中ですよ」


 靖枝が少し呆れたように答える。


「心大くん、いくつでしたっけ?」

「もうすぐ3歳ですね」

「へええ、早いもんだ。あ、おじゃまします」


 ふたりの女性に案内されて玄関を上がった陽一は、そのまま家の中を通って中庭に向かう。

 中庭といっても、それなりの都会にある分譲建売たてうり住宅なので、あまり広くはない。


 その中庭で、大人と子供が地面に敷いたレジャーシートの上に並んで座禅を組んでいた。

 アレクと心大である。


「とーちゃん、おなかのあたりがポカポカしてきたぞー」

「おう、いつも言ってるがそれが魔力だ。それを、こうぐるぐるーってやってだな、そのあと身体中にぶわーっと拡げていくんだ」

「ぐるぐるーでぶわーだなー」

「そうそう、うまいぞ、心大」


 結局アレクは靖枝に隠しごとができず、陽一の許可を得て異世界転生のことを説明した。


 もちろん靖枝はそのことに驚いたが、アレクとよういちが同一人物であると知って妙に納得したようだった。


 それからエマや彼女の家族、そして靖枝の両親を説得したアレクは、こちらでの戸籍を得て前世の元妻との再婚を果たし、心大と正式に法律上でも親子となったのだった。


 戸籍の発行にはエドと文也が協力した。


「まったく、アレクのあの説明で理解できるのですから、親子というのはおもしろいものですね」


 中庭で座禅を組むふたりを見ながら、エマが呆れたように言う。


 ちなみにアレクとエマの格好だが、こちらの世界にあわせたものとなっている。


 アレクはボーダーのポロシャツにデニム、エマは白いブラウスにこんのガウチョパンツという出で立ちだ。


 アッシュブロンドの髪にダークグレーの瞳を持つアレクと金髪碧眼のエマは、異世界人にしては目立たない容貌ではあるもののそれでもかなり顔が整っているので、ふたりとも効果の低い認識阻害の魔道具を身に着けていた。


「にしても、魔力持ちですか」


 陽一のつぶやきに、エマと靖枝のふたりがそろって苦笑を漏らす。


 陽一の言うとおり、アレクこと東堂洋一の息子心大は、日本人であるにもかかわらず生まれながらに魔力を有していた。


 出産前に靖枝が異世界へと行き、母体となる彼女が魔力を有したこと、あわや死産になりかけたところを、アレクの魔法で回復したことなど、さまざまな要因が絡み合った結果である。


「ほんと、どうしたものかしらね」


 楽しそうに修行をする父子を見ながら、靖枝は頬に手を当て、困ったように呟く。


「成長が、早いんでしたっけ?」

「ええ、かなり」


 魔力を有していることもそうだが、物心がつくころからアレクが英才教育を施した結果、心大は身体も知性も同年代の子供よりかなり早い成長を遂げている。

 体内を流れる魔力に身体や脳が影響を受けているのだろう。


「まだしばらくは大丈夫でしょうけど、小学校にあがるころには、いろいろと問題が出そうで」


 現在東堂家には、陽一を通してアレクから金銭的な支援が入っている。そのおかげもあり、心大を保育園や幼稚園に入れることなく育てられているが、日本にいる以上義務教育を受けさせないわけにはいかない。

 そこで同年代のほかの児童たちとの成長差が、なにかしらの問題を起こしかねないのだ。


「こっちはいつでも歓迎、とだけ言っておきますよ」

「うん、ありがと」


 エマの言葉に、靖枝が笑顔で答える。


 心大とともに異世界へ移住する、というのも選択肢のひとつだった。


「父さんと母さんも変に乗り気みたいだし」


 どうやら靖枝の両親は異世界でセカンドライフを送りたいらしく、定年退職を心待ちにしているのだとか。

 もし靖枝たちの異世界移住が早まれば、早期退職も辞さない構えだそうな。


「よーっし、今日はこのへんで終わりっ!」

「ふー、つかれたー」


 アレクが宣言すると、心大は座禅をとき、その場で仰向けになって身体を伸ばした。


「おっ、陽一さん、きてたんッスね」

「おう」


 陽一の存在に気づいたアレクが立ち上がり、歩み寄ってくる。

 すると心大も身体を起こし、勢いよく立ち上がると、父親のあとを追うように駆けだした。


「よーいちおっちゃん、いらっしゃい!」

「こら、お兄さんでしょ」


 息子の言葉を、靖枝がたしなめる。


「いいですよ、実際おっさんですし」

「そんなこと言ってると、また花梨かりんさんに怒られますよ?」

「う……」


 花梨は自分と同い年の陽一が自身をおっさんと認めることを、かなり嫌っているのだ。


「そういや陽一さん、のときはあざっした!」

「例の件? ああ、辺境伯のときのことか」

「ッス。あんな話聞かされて、貴族なんてやってらんねーッスからね」

「まぁ、ちょうどいいヤツが知り合いにいたからな。こっちはこっちで助かったからお互い様だよ」


 それから陽一は、アレクたち家族としばらく談笑した。


「それじゃ、そろそろ帰るわ。アレクたちはまだこっちに?」

「そッスね。女神さまのおかげで、オレたちもこっちとあっちを自由に行き来できるようになったんで」


 魔王パブロとの戦いのあと、そのなかでも特に活躍した何名かに女神からの報酬という名目で、スキルがひとつ与えられることになった。


【鑑定】【無限収納】【言語理解】【帰還】そして【健康体】。


 この5つのなかから、ひとつを選んで習得できる、というのが女神の提示した報酬だった。

 また、スキル使用にかかる魔力は女神こと管理者もちという、破格の厚遇である。


 そこでアレクは、エマとともにそれぞれ【帰還】を習得した。


「オレとエマが一緒にいればって条件ッスけどね」


 彼らが習得したのはあくまで『+』や『α』『Ω』などがついていない、通常のスキルだ。

 なので【帰還】に設定できるホームポイントはひとつのみ。

 アレクが東堂家を、エマが異世界の拠点を設定することで行き来は可能となったが、どちらかひとりだけだと一方通行になってしまうのだった。


「にしても、条件があるとはいえ異世界と日本を行き来できるなんて、まじチートっスよね」

「管理人さんは基本スキルだって言ってたけどな」

「あはは、やっぱあの人、どっかズレてるッスね」

「ああ、そういやアレクは管理人さんに会ったことがあるんだったか」


 アレクの言葉に、陽一は例のトラック事故に遭ったときのことを思い出す。

 あのときはじめて、彼は例の白い空間で管理者と出会ったのだ。

 そしてそこには、当時まだ東堂洋一と名乗っていた前世のアレクも一緒にいたのだった。


「ええ、オレ的にはもう20年以上前の話ッスけど、よく覚えてるッス。ひと目見て〝あ、この人ポンコツだ"って思ったッスから」

「ははは」


『だれがポンコツですかー!』


 と言いながらプンスカと怒る管理者の姿が、目に浮かぶようである。


「ま、そこがあの人のかわいいところなんだよ」

「おおっと、モテる男は言うことが違うッスねー」

「よせよ」


 絶世の美男子といってもいいアレクに言われ、陽一は照れたように頬をかく。

 そんなバカなふたりの様子を、エマと靖枝のふたりは呆れたように眺め、話をあまり理解できていない心大はぼんやりと見ていた。


「んんっ……! それじゃ、そろそろいくわ」


 3人の視線に気づいた陽一は、ごまかすように咳払いをし、その場をあとにした。


 靖枝は心大を風呂に入れるため、エマは食事の準備をするためその場で陽一を見送り、アレクだけが玄関までついてきた。


「陽一さん、ありがとうございました」


 玄関を出たところで、アレクが真剣な様子でそう言って頭を下げる。


「なんだよ、急に」


 アレクは頭を上げたが、戸惑う陽一に向けた顔は、まだ真剣なままだった。


「陽一さんのおかげでオレ、靖枝と再会できたし、心大の成長も見守ることができるッス。こんなこと言うのもなんですけど、あのとき事故に巻き込まれてくれて本当にありがとうございました」


 彼はそう言うと、もう一度大きく頭を下げた。

 それを見て、陽一はふっと微笑む。


「こっちこそ、おかげで楽しい人生になったよ。巻き込んでくれてありがとな」


 陽一はアレクにそう告げ、東堂家をあとにするのだった。


――――――――――

本日よりエピローグ前編の連載を開始します。

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