第14話 アラーナのお願い

 開戦から6日が経過し、明日でちょうど1週間になる。


 地上部隊は随時撤退を繰り返しながらも、なんとか魔王軍を魔境に押しとどめている。


 飛行系の魔物が一部人類圏に到達しているが、それらは冒険者たちや、戦闘機などの航空戦力、ときには空母やイージス艦からの対空攻撃によってある程度は防がれ、いまのところ深刻な被害を出してはいない。

 だが、戦線はいつ崩壊してもおかしくない状態で、一刻も早い魔王討伐が望まれていた。


 魔王討伐に向かった特殊部隊の進行状況だが、うまくいけば最速で到達できる予定だったアレクとエマは、白虎山脈を越えたところで徒歩移動になってしまい、進行速度を著しく落としていた。

 エドは何度か輸送機を合流させようとしたが、膨大な魔力を保有し、無尽蔵に魔術を放ち続けられるアレクの同乗なしに魔物の群れを相手取ることができず、結局ふたりは徒歩での行軍を余儀なくされた。


 味方につけた魔物とともに森を北上する『赤い閃光』だが、魔王城が近づくにつれ敵の魔物の数が増えたため、こちらも行軍速度を大幅に落としている。

 アミィが事前にテイムしていた魔物の数も5000を下回り、場合によっては撤退もやむなし、といった状況だ。


 どちらも魔王討伐からは少し遠ざかったものの、それぞれが魔人を倒したことで魔王軍の戦力を大幅に削っており、その功績は無視できないものとなっていた。


 そんななか、青竜江を遡上していたイージス艦が、予定のポイントに到達する。

 こちらも思った以上に魔物の抵抗が激しく、進行速度は予定よりも緩やかなものだったが、なんとか目的地に到達できた。



「よし、全員揃ったようだな」


 船内に設けられたミーティングルームに集まった花梨、実里、アミィ、シーハン、サマンサを確認すると、アラーナはそう言って頷く。


「今夜1泊し、明朝魔王城へ向けて出発する。いいな?」


 アラーナの問いかけに、花梨、実里、アミィの3人が頷いた。


「それまでの露払いはボクたちに任せてよ」


 翌日の出発までに、サマンサはイージス艦の全対空兵器をもって、魔王城周辺の防空網に穴を空ける。

 陽一からの補給を随時受けながら、ミサイルや砲弾を撃ちまくり、アラーナたちが魔王城へと接近する道を切り開く予定だ。


「艦の防衛はウチらに任して、みんなはゆっくり休んどきや」


 現在水上に停泊しているイージス艦を狙って、いまなお魔物たちはとめどなく攻め込んでいた。

 それらにはイージス艦の近接防御システムや、シーハンら冒険者が引き続き対応する。


 いくらアラーナたちが【健康体θ】を持っているからといって、およそ1週間に及ぶ戦闘による気疲れのようなものは積み重なり、無視できないものとなっている。

 ゆえに決戦前夜となる今夜は、魔王討伐の実行部隊である4人にはゆっくりと休んでもらうことにしたのだった。


「ではお言葉に甘えて休ませてもらうよ」

「悪いけど、あとお願いね」

「なにかあったら、遠慮なく起こして」

「それじゃお先に、おやすみっす」


 アラーナ、花梨、実里、アミィは軽く挨拶を残し、それぞれの船室に入っていった。


「ふぅ……」


 船室に入ったアラーナは鎧を脱ぎ、ベッドに腰かけた。


 彼女は少し緊張した様子で胸に手を当て、何度か深呼吸をする。

 そして、意を決したように顔を上げた。


(ヨーイチ殿)


 心の中で、陽一に呼びかける。

 しばらく経ったが、返事はない。


(……いそがしいのかな?)


 今度はだれかに呼びかけることなく、心の中で独白する。


「はぁ……」


 少し残念そうに、しかしどこか安堵したように息をつく。


「……呼んだ?」

「うわぁっ!?」


 突然船室のドアが開き、陽一が顔を覗かせた。


「ヨ、ヨーイチ殿、なんで!?」

「いや、弾薬の補充を終えたところで、呼ばれたからさ」


 陽一は船室に入り、うしろ手にドアを閉めながらそう答えた。


「そ、そうか。いきなり現われると思わなかったから、驚いたぞ」

「あはは、それはごめん」


 陽一は申し訳なさそうに笑いながら頭をかいたあと、あらためてアラーナに向き直る。


「それで、なにか用?」

「う、うむ、それなのだが……」


 陽一の視線を受けたアラーナは照れたように頬を染め、うつむいたあと、チラチラと陽一を見る。


「えっとだな……あのことを、覚えているだろうか?」

「……あのこと?」


 上目遣いに視線を向けられて問われ、少しドキリとしながらも、陽一は平静を装って問い返す。


「ほら、私が勇者を名乗る代わりに、その……」

「ああ、なんでも言うことを聞くってやつか」

「そ、そう! それだ!」


 陽一が約束を覚えていてくれたことがよほど嬉しかったのか、アラーナは花が咲くように顔をほころばせた。


「そ、それでだな、そのお願いなのだが……」

「あー、ごめん、ちょっと待って」

「むぅ……」


 陽一が申し訳なさそうに話を遮ると、アラーナは少し不機嫌そうに口を尖らせる。


「いや、話を聞きたいのはやまやまなんだけど、もう時間がなくてさ。あっちに戻ってからでいい?」


 陽一の言うあっちとは、もちろん地球のことである。

 それを聞いたアラーナはすぐに表情をやわらげた。


「うむ、もちろんだ」


 陽一は何度目にしても見とれてしまう姫騎士の微笑みに鼓動を早めながらも、ベッドから立ち上がり歩み寄ってきた彼女の腰に手を回して抱き寄せ、『グランコート2503』に【帰還】した。


「ふふふ、なんだかずいぶん懐かしいな」


 6日間という短いながらも濃密な時間をイージス艦で過ごしたアラーナは、マンションのリビングに入るなり嬉しそうに呟いた。


「とりあえず、シャワー浴びる?」

「そうだな。できればゆっくりと風呂に浸かりたいのだが」

「わかった。用意するよ」


 イージス艦内にも浴室はあるのだが、バスタブが小さく、あまりゆっくりと浸かれるものではなかった。


「なにか飲む?」

「では、カフェオレをいただこうか」

「あいよ」


 風呂の湯がたまるまで、ダイニングで過ごすことにした。

 陽一はインスタントコーヒーを入れたマグカップに温めたミルクを注ぎ、アラーナのぶんにだけ砂糖を2杯入れた。


「どうぞ」

「ありがとう」


 アラーナの前にカップを置きながら、陽一は彼女の向かいに座った。そしてふたり同時にカップを傾ける。


「ふぅ……」


 淹れてもらったカフェオレを半分ほど飲んだアラーナは、コトリとカップを置き、深く息を吐き出す。


「おつかれ」


 その姿に、思わず陽一の口からそんな言葉が漏れた。


「ふふ、そうだな。少し疲れたかな」

「ははは、ごめんな。俺だけこっちでゆっくり過ごして」

「とんでもない。ヨーイチ殿こそ誰よりも奔走しているではないか」


 アラーナの言うとおり、今回の戦いにおける補給の大半を担う陽一は、戦場の各地を飛び回っていた。

 特にミサイルや砲弾、銃弾や燃料のたぐいを補給できるのは、ふたつの世界を行き来できる陽一しかいないのだ。


 彼は異世界で活動できる一回十数分という限られた時間のなか、各地に設定したホームポイントに現われてはスザクにまたがり、文字どおり東奔西走していたのだった。


 そのうえ、魔人のひとりラファエロまでをも討伐したのだ。

 彼の功績はアラーナを始め、人類軍の誰もが認めることだった。


「あー、うん。ありがとう。それで……」


 まっすぐな称賛を向けられた陽一は照れたように頬をかき、少し無理やりにだが話題を変えることにした。


「アラーナのお願いって、なにかな?」

「う、うむ。それなのだがな……」


 陽一に問いかけられたアラーナは、少し恥ずかしげにうつむいたあと、それをごまかすようにカフェオレをひと口飲んだ。


「じつは、その……もう、半分ほどは叶っているというか……」

「ん? それってどういう……」

「その、なんだ……明日、私たちは魔王との決戦に臨むだろう?」

「ああ、そうだね」

「その前に、ヨーイチ殿とふたりきりで過ごしたかったのだ」


 少しのあいだ陽一とふたりきりで過ごしたい。


 勇者を名乗ってもらう代わりになんでも言うことを聞くという陽一の申し出に対し、アラーナが願ったのはただそれだけのことだった。


 突然の告白に、陽一はポカンと口を開けた。そんな彼の様子に、アラーナは慌てて言い訳を始める。


「いや、その、だって、ここ数日はずっと戦いどおしだったし、それ以前も、なんというかヨーイチ殿の周りには人が増えて……いや、彼女たちが邪魔というわけではなくてだな、私もみんなといるのは楽しいし、でも、にぎやかで楽しいはずなのに、ふとしたときにどうしようもなく寂しくなってしまうことが……って、ああああ私はさっきからいったいなにを――」


 ――ピーッピーッピーッ。


 自身の思いをまとめきれぬままつらつらと語るアラーナの言葉を遮るように、風呂の湯張りが終わったことを告げるアラームが鳴った。


「あ……いや、その……だから――」

「アラーナ」

「――ひゃいっ!?」


 中断した言い訳を再開しようとしたところで名を呼ばれ、彼女は変に裏返った声を上げてしまう。


「ふふっ……」

「いや、いまのは……」


 陽一に笑われたことで羞恥心が限界に達したのか、アラーナは顔を真っ赤にしてうつむいてしまう。

 そんな彼女のかわいらしい様子に微笑んだまま、それでも陽一は少しだけ真剣な眼差しを向けた。


「アラーナ」


 そして、もう一度名を呼ぶ。


「な、なにかな……?」


 顔を赤くし、うつむいたままの彼女は、チラリと視線だけを向けて問い返す。


「今夜ひと晩中ってわけにはいかないけど、できるだけふたりきりで過ごそうか」


 現在異世界では魔王城周辺の防空網を穿うがつべく、イージス艦からの総攻撃が実行されている。

 いまのペースだと2時間かそこらで弾薬は尽きてしまうので、そのころには陽一もあちらに戻って補給をしなくてはならない。


「ああ!」


 そのことがわかっているアラーナは、それでもそれまでの時間をふたりだけで過ごすと言ってくれた陽一の言葉が嬉しくて、顔を上げて笑みを浮かべた。


「それじゃ、とりあえず風呂に入るか」

「うむ、そうだな」


 浴室に入ったふたりは、さっとシャワーで汗を流したあと、湯船に浸かった。

 先に入った陽一の上に、アラーナが乗りかかる。


「重くないか?」

「ぜんぜん」


 ここしばらくの訓練と【健康対Ω】の恩恵で人の枠を大幅に超えて筋力を得た陽一にとって、湯の浮力を得て軽くなったアラーナの体重など取るに足らないものだった。


「ふふふ、では遠慮なく」


 アラーナがゆっくりと身体を預けてくる。

 陽一はもたれかかってくる彼女の腹に腕を回して抱えた。


「ふたりで入るには、少し狭いかな」

「どこかのホテルにでも行ったほうがよかった?」

「いや、この狭さがいまは心地いいよ」


 彼女の言うとおり、狭い浴槽の中で肌と肌とが触れ合って伝わる柔らかな感触と、ほどよい重みがこのうえなく心地いい。


 それからふたりは近況の報告を交えつつ、とりとめもない会話を始めた。

 温かな湯に包まれてまったりとしながらの会話は、どちらからともなく喋るのがおっくうになり、口数が減ってきた。


「そういえば……」


 しばらく無言の時間が続いたあと、アラーナがふと口を開く。


「初めてここを訪れたときも、こうやってヨーイチ殿とふたり、風呂に入ったな」

「ああ、よく覚えてるよ」

「私もあの日のことは……ヨーイチ殿と出会った日のことは、片時も忘れたことがないよ」


 しみじみと彼女がそう言ったあと、また言葉が途切れた。


 そうして、無言のときが続く。


 浴室内にはどちらかが身じろぎした際に起こるちゃぷちゃぷという水音だけが、ときおり鳴り響いた。


「ん……」


 アラーナの腹に回した腕に軽く力を入れると、彼女は小さな声を漏らすと同時に、少し身体をひねって陽一のほうへ顔を向けた。

 湯に浸かって上気した彼女の顔には、柔らかでありながら、艶やかな笑みが浮かんでいる。


 彼女はさらに身体をひねり、うしろに体重を乗せた。

 そんな彼女の動きに呼応するかのように、陽一は軽く身体を起こし、顔を前に出す。


 そうしてふたりの距離が、少しずつ近づいていった。


「……んむ」


 唇が、重なる。


 濃密なキスを続けるなか、アラーナの腹を抱えていた陽一の手が、胸に触れようとした。


「んはぁ……ふふ……」


 だがアラーナはその手を押さえ、顔を離して微笑んだ。


「続きは、ベッドで……」

 妖艶な笑みとともに放たれた言葉に、陽一は無言で頷く。

 それを受けてアラーナは立ち上がり、陽一もあとに続いた。


 浴室を出たふたりは、濡れた身体にそのままバスローブを羽織り、バスタオルで頭をいた。


「きゃっ」


 脱衣所を出たところで、陽一はアラーナを抱え上げた。


「……もう」


 突然のことに驚いたアラーナだったが、彼女はすぐに陽一の首に腕を回し、身体を預ける。

 そうしてふたりは寝室に入り、陽一は彼女をベッドに降ろした。


「ヨーイチどのぉ……」


 仰向けになったアラーナはすぐに甘えたような声で彼の名を呼び、手を伸ばす。

 陽一はその求めに応じて彼女に覆い被さり、そのまま唇を重ねた。


 激しく、濃厚なキスが交わされる。


 しばらく続いたキスは終わり、ふたりの顔が離れる。


 陽一はそのまま身体を起こすと、彼女がまとっていたバスローブの腰紐をほどいた。


「んぅ……」


 バスローブをはだけ、姫騎士の裸体を晒す。

 まだしっとりと濡れた肌にはかすかに赤みが差し、湯気が漂っていた。


「いつ見てもきれいだよ、アラーナ」

「ふふふ、そうだろう?」


 いまや陽一に裸体を晒すことに慣れたアラーナは彼の賛辞を素直に受け止め、少し冗談めかした口調で返す。


「この自慢の身体はヨーイチ殿の……ヨーイチ殿だけのものだ。だから、好きにしてくれていいのだぞ?」


 そう言われた陽一は、ふっと微笑んだ。


「ああ、じゃあ遠慮なく」


 最終決戦を目前に控えたふたりは、短い時間ではあったがふたりきりの時間を楽しむのだった。

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