第16話 世界最強の男

 魔王の宣言から60日後。


 湖と運河の工事が終わった。


 余談ではあるが、いろいろな作業がおよそ10日ごとに進んでいるのは、そうなるように行程を調整しているからだ。

 陽一が【鑑定Ω】でおおよその作業量を調べ、それに会わせてロザンナや花梨ら本部の人員が、進捗を確認しやすいよう、5日か10日でひと区切りになるよう管理しているのである。


「運河もいい感じだな」

「はい。みなさんがんばってくれました」


 陽一と実里を乗せたスザクは、運河の上空を大河に向かって飛んでいる。


 運河の幅は約200メートル、水深は平均15メートルで、約10キロメートルの長さとなっている。

 運河の状態を見るためにスザクにしてはゆっくりと飛んでいるが、それでも数分とかからず大河が見えてきた。


「広いなぁ」

「ですね。せいりゅうこうでしたっけ?」

「そう」


 人造湖の水源となる大河は、そもそも人類圏にまで流れ込んでいないため、名前がなかった。

 そのため名をつける必要があったのだが、その前に、人造湖に名前がつけられることになった。


『人造湖? ほなげんで決まりや』


 というシーハンのひと声で、人類連合軍魔境内拠点の湖は玄武湖と名づけられた。

 三国志の名場面である赤壁の戦いを前に、曹操そうそうが水軍の訓練用に作った玄武池が由来となっている。


『あれ、そのあと曹操って負けたよな? 縁起悪くない?』

『向こうは池、こっちは湖。せやから大丈夫や』

『お、おう、そうか……なら、いいけど』


 余談ではあるが、水深5メートルというのが、池と湖の境界線であるらしい。


 あとは、朱雀山、玄武湖、ときたので、大河はそれに合わせて青竜江となり、ついでに運河を小竜運河としたのだった。



 スザクの背に乗るふたりは、悠然と流れる大河を見ていた。

 川幅は10キロメートル以上あり、岸に立てば向こう側は見えないほど広い。


 その穏やかに流れる水面が、不意に盛り上がった。


「なんだ、魔物か!?」


 次の瞬間には、巨大な蛇型の魔物が水面から顔を出し、鎌首をもたげていた。


「サーペント、でしょうか?」

「ああ、にしてもデカいな」


 【鑑定】したところ、それはグレーター・リヴァーサーペント・エンペラーであることがわかった。

 その名前から想像できるとおりの巨体である。

 水面から出ている頭だけでもシロナガスクジラほどはあり、200メートル以上の体長を誇る、災害級の魔物だった。


 川岸では、水門の設置や運河の工事のために多くの人が作業をしており、突然現われた巨大な魔物に彼らは騒然としていた。

 ここも魔境の奥地である以上、それなりに魔物と遭遇している作業員たちだが、さすがにこれほどの大物を目にするのは初めてであるらしい。


「なんとかしないといけないわけだけど……」


 やっかいな魔物である。


 陽一が倒すとなれば、過去にアースドラゴンを倒した対戦車ミサイルを使うことになるだろうが、頭を狙って10発以上撃ち込む必要があった。

 だが、この巨大なサーペントは倒しきる前に、水に潜ってしまうだろう。

 そうなるとミサイルで倒すのは困難であり、魚雷が必要になるのだが、さすがに人ひとりに扱える兵器ではない。


 ではほかのメンバーだとどうだろう。


 まず戦闘に適していないサマンサとロザンナは論外である。


 シャーロットはこちらへ来て以降、実里やオルタンスの教えを請いながら独自の戦闘スタイルを確立しつつあるようだが、大物を相手にできる戦法ではないし、なにより魔物を相手にした実戦経験に乏しい。


 花梨の弓矢も、水棲 すいせいの魔物との相性が悪い。

 あらゆる生物の弱点となる目を貫いて脳を傷つければ、かなりの大物であっても倒せるのだが、水に棲む多くの魔物は、透明なまぶたを有しているのだ。

 水面から鎌首をもたげる巨大なサーペントの目も、よく見れば透明な膜に覆われていることがわかる。

 花梨が本気で矢を射れば、まぶたを貫通して眼球を傷つけることはできるだろうが、脳を破壊するにはいたらないだろう。


 長柄の大刀を扱うシーハンであればなんとか倒せるかも知れないが、早い段階で水に潜られたら手の出しようがなくなってしまうので、必ず勝てるとは限らない。


 こうして考えると、このグレーター・リヴァーサーペント・エンペラーはかなり面倒な魔物であることがわかる。

 とはいえ、残るメンバーであれば単独で倒せる相手でもあった。


 アラーナであれば、斧槍の一閃で首を落とせるだろうし、アミィならそもそも戦うまでもなく支配可能だ。


 そして実里。


「わたしが、倒しましょうか?」


 鋼鉄に近い強度を誇る魔境の大樹を数百本単位で伐採できる彼女の魔法なら、一撃で首を落とせるだろう。

 その気になれば、雷撃で黒焦げにすることも、川の水ごと凍らせることもできる。


「いや、心配ないみたいだ」


 川岸から、ひとりの男性が巨大なサーペントに向かって跳躍した。

 魔物の巨体と比べると、人間など豆粒ほどの大きさである。


「あれは?」

「師匠だよ」


 魔境奥地であるにもかかわらず、シャツに革ズボンといういつもの格好をしたセレスタンは、岸から50メートルはあろうかという距離を軽々と跳び、サーペントの鼻先に着地した。

 そして大きく一歩踏み込むと、魔物の眉間に掌底しょうていを放つ。


 ――ドンッ!!


 なにかが爆発するような重い音。

 衝撃はサーペントの身体を伝わり、水面を波立たせた。


 セレスタンはふたたび跳躍し、元いた川岸へと軽やかに着地した。


 無傷のように見えたグレーター・リヴァーサーペント・エンペラーだが、ほどなくその身体がぐらりと揺れる。


「ヨーイチ! さっさと回収しろ!!」


 すでに陽一の来訪を察していたセレスタンが叫ぶ。


「はいはい、あいかわらず人使いの荒い……」


 陽一は苦笑しながらも、魔物の巨体が倒れるより前に死骸を収納した。魔物の巨体が突然消えたことで水中に空間ができ、波やうずがいくつも生まれた。


「あれを掌底一発とか、無茶苦茶ですね」


 スザクから降り立つなり、陽一はセレスタンに声をかける。


「お前もあと100年ほど修行すればできるようになるだろうよ」

「実質無理ってことじゃないですかー」


 グレーター・リヴァーサーペント・エンペラーの脳は、たった一撃でほとんどスープ状になるまで破壊されていた。

 ただの力押しでは不可能なことであり、いったいどれほどの技術が必要なのか、陽一には想像もつかなかった。


「それより、便利なものに乗っているな。あれでひとっ飛びしてくれれば、魔王の首のひとつやふたつ、俺が取ってきてもかまわんぞ?」


 1対1で戦えば、セレスタンひとりで魔王に勝つことは可能である。


「残念ながら、魔王城に近づくほど魔物がひしめいていますんで」


 魔王は日に100万の魔物を生み出せる。

 現時点で、魔王城付近にはすでに数千万の魔物が待機していた。

 飛行系の魔物だけでもすでに1千万を優に超えており、いかなスザクであっても、その合間をかいくぐって魔王城にたどり着くのは不可能である。


 運よく魔王城に到着できたとしても、パブロは侵入者を迎え撃つための罠を多数用意しているのでそこからの道のりもまた、長い。

 仮に対峙できたとしても、秒速10匹以上のペースで魔物を生み出せる魔王と1対1の状況を作り出すのが非常に困難であった。


「それならやはり、討伐隊が動くのは100日後のほうがよさそうだな」

「ですね」


 100日後、魔王軍は人類圏に向けて侵攻を開始する。

 それはすなわち、魔王城付近の戦力が分散され、手薄になるということだ。


「おう、セレスタン、助かったわい」


 背は低いが体格のいい、ひげ面の男がふたりのもとに現われる。


「仕事だ。礼には及ばんよ」


 セレスタンはここや運河周辺の防衛を担当していた。

 魔境ほど険しくはないものの、森での経験が豊富ということで、このあたりは主にメイルグラードの冒険者が警護にあたっている。

 軽くあたりを見回せば、何人かは陽一に気づいて手を振ってきた。


「それで、そっちの若ぇのがお前さんの秘蔵っ子かい?」

「ああ」


 ひげ面の男は陽一を見て、ニカッと笑う。


「いつも世話んなってるな。わしは土木ギルドを取り仕切っとるヴェルグだ」

「いえ、こちらこそ挨拶が遅くなってもうしわけないです。冒険者の陽一です」


 陽一は土木ギルドと設備類などのやりとりが多く、もっと前にヴェルグと会っていそうなものなのだが、なにかと忙しいふたりである。

 すれ違いが何度も重なり、いまさらながら初対面となった。


「ヴェルグさんは、どうしてここに?」

「水門の工事は儂が仕切っておったのよ。いや、コイツに関してもお前さんには随分助けられたわい」


 青竜江と小竜運河の間に設置された水門だが、基礎以外のほとんどは大陸の各地で作られたものである。

 それを陽一が運ぶことで、製作期間はかなり短縮できたのだった。

 ただ、運ぶといっても上空にいながら地面にので、ふたりが顔を合わせることはなかったのだ。


「にしても、最後の最後でデカいのが出おったのう」

「水門を開ける前でよかったと思うべきだろう」

「たしかにのう。運河に入られたかと思うとぞっとせんな」


 セレスタンの言葉に何度か頷いたヴェルグが、ふと何かを思いついたように陽一を見る。


「ところでアレの死骸はヨーイチが回収したんだよな?」

「ええ、まぁ」


 陽一の能力について、作戦本部上層部にはある程度共有されている。


「あれだけの大物だ、骨ひとつとってもええ建材になろう。そいつをぜひ土木ギルドうちに――」

「安心しろ。冒険者ギルドうちが適正価格でおろしてやる」


 割って入ったセレスタンに、ヴェルグは渋面を向ける。


「むむ、相変わらずがめつい奴め……!」

「倒したのは俺、回収したのはヨーイチ、どう考えてもうちのものだろうが」

「そういうぐうの音も出ぬ正論を言わんでくれんかのう」


 そう言って肩をすくめたヴェルグは、セレスタンに背を向けて水門のほうへと歩き出した。


「よっしゃ、野郎ども! そろそろ水門を開けるぞい!」


 ヴェルグの呼びかけに、作業員たちのあいだから野太い歓声があがった。



 水門がゆっくりと上げられていく。


 じわじわとにじみ出るように運河を濡らす川の水は、徐々に水量を増していった。

 水門が開くほどに流れは強くなり、それはほどなく激流と呼べるほどの勢いに達した。

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