第16話 サマンサからの忠告

 ホームポイントの設定を、カジノの町からいまいるセーフハウスに変更する。

 ことが終わるまで、拠点は現場近くにあったほうがいいとの判断からだ。

 カジノの町へは少し時間をかければいつでもいけるので、後日落ち着いてから戻せばいいだろう


「じゃあ、いってくるよ」

「はい。ごゆっくり」


 実里に見送られて、『グランコート2503』へ【帰還】する。


「やぁ、ヨーイチくん」


 リビングに入ると、サマンサが声をかけてくる。

 彼女はTシャツとトランクスという格好でソファに身を預け、映画を見ていた。

 すでにこちらの言葉をいくつも習得していた彼女は、陽一が翻訳してやるまでもないどころか、字幕なしでも各地の映画を楽しめるのだ。


 ちなみにTシャツもトランクスも陽一のものだ。

 彼女はこの部屋で過ごすとき、ルームウェア代わりにそれを好んで着ることが多かった。


「とりあえずただいま」

「うん、おかえり。どうしたの、こんな明け方に?」

「明け方? そうか、時差……」


 あちらは日が暮れるより少し前の時間だったが、日本は空が白み始めるころだった。


「時差!?」


 陽一の呟いた時差という言葉に、サマンサは目を輝かせる。


「不思議だよねー。こっちの世界じゃ場所によって時刻が違うんだろう?」


 サマンサらの住む異世界は、地球のような球体の惑星ではなく、完全な平面の世界であるらしい。

 そのせいか、時差という概念がないのだ。


「俺からすれば時差がないってことのほうが不思議だけどな」


 天動説が信奉されていた時代の人たちならすんなり受け入れられたのかもしれないな、と思いながら、陽一は答えた。


「ジョーシキの違いってやつ?」

「常識というより、ことわりの違いかな」

「要は世界設定が違うってわけだね」

「それはそれで情緒がないなぁ」


 しばらくそんなやりとりを続けたところで、ふとサマンサがため息をついた。


「はぁ……ボクも時差ってやつを体験してみたいなぁ」


 その表情が寂しげで、今回置いていかれたことを少なからず気にしているのだとわかった。


「ま、落ち着いたらなんとかしてやるよ」


 サマンサの隣に腰かけながらそう言うと、彼女は身体ごと陽一のほうを向き、期待のこもった表情を向けた。


「ほんと?」

「ああ、任せとけ」


 と偉そうに言っても、おそらくエドに頼るのだが。


「んふー! ヨーイチくん大好きー!!」


 陽一の答えに満足したのか、サマンサは嬉しそうに抱きついてきた。

 入浴から少し時間がたっているせいか、かすかな石けんの香りと、汗の匂いとがふわりと漂う。

 思わず陽一のほうからも、彼女の身体を抱きしめ返した。


「んぅ……ヨーイチくぅん……」


 サマンサが、甘えたような声とともに、華奢な身体を押しつけてきた。


「今度ゆっくり、海外旅行でもしような」

「海外旅行かぁ……いい響きだね」


 好奇心旺盛な彼女なら、どこへ連れていっても目をキラキラとさせて楽しむのだろう。

 それを想像するだけで、陽一は楽しくなってきた。


「それで、ヨーイチくん。わざわざ帰ってきたってことは、ボクになにか用かな?」


 陽一に身を寄せたまま、サマンサは顔を上げて上目遣いに視線を向けてくる。


「ああ。ちょっと手伝ってもらいたいことがあってね」

「そっか。じゃあ話を聞かせてもらおうかな」


 彼女が離れようとしたので、陽一は抱擁を解いてやった。


 それから、サマンサと別れてからのできごとを説明する。


「なるほど。つまりボクは、その自動車に魔術を付与してやればいいってことだね」

「ああ、頼む」

「にしても、アミィちゃんねぇ……」


 アミィことアマンダ・スザーノのことを口にしたサマンサは、呆れたような、あるいはどこか困ったような笑みを浮かべた。


「ヨーイチくんはどう思ってるの? アミィちゃんと魔人のアマンダちゃんに、関係があるかどうかだけど」

「無関係じゃないと思う」


 体型はかなり異なるが、アミィの容貌や声、しゃべり方などは、魔人アマンダそのものだった。

 陽一をアニキと呼ぶことや、女性陣の呼び方も、共通している。


「もしかして、ほかにも気になることがあったりする?」

「えっ、なんで……?」


 サマンサに指摘され、ドキリとする。


「なんとなく、そんな顔してるよ? ボクでよかったら話を聞くけど」

「そうだな……」


 余計な情報を与えて作戦に支障が出てはいけないと現地のメンバーには黙っていたが、留守番のサマンサには打ち明けてもいいのかもしれない。

 そう考えた陽一は、知り得た情報をひとつ、開示することにした。


「ラーフっていうアミィの異母兄がいるんだけど、そいつの名前がな……」


 少し間を置き、ごくりと唾を飲み込む。

 サマンサは穏やかな表情を浮かべたまま、陽一の言葉を待った。


「ラファエロ・スザーノっていうんだよ」


 ラーフは愛称で、彼の本名はラファエロといった。


「ラファエロ……」


 サマンサが、その名前をかみしめるように呟く。


「それって、ヨーイチくんたちが最初に会った魔人と、同じ名前だよね?」


 陽一とサマンサが出会ったのは、魔人ラファエロが引き起こした魔物集団暴走スタンピードよりもあとのことだったが、彼女は当然そのあたりのことも知っていた。


「ああ」

「アミィが魔人アマンダなら、そのラーフって子が魔人ラファエロかもしれない?」

「どうだろうな……」


 ――だぁかぁらぁよぉー! そういうのやめろっつってんだろうがぁっ!!


 それは陽一が拳銃を使って抵抗したときに、魔人ラファエロが放った言葉だった。


 あのときは陽一の無駄ともいえる抵抗に対してのものと思っていたが、よくよく思い返せば拳銃を使ったことへの苛立ちのようにも見えた。

 現代兵器を使って魔物集団暴走スタンピードを排除し、ラファエロの作戦を台なしにしたことも、含まれているかもしれない。


 少なくとも彼は、陽一が持つ拳銃の存在に言及することはなかったのだ。

 拳銃の存在を知っていて、それをあの場で使ったことが許せないという、そんな態度ではなかっただろうか。


 だからこそ陽一は、そのあと管理人に会った際、ラファエロの態度になんともいえない違和感がある、と伝えたのだが、そのことについて彼女は"答えられない"と言ったのだった。


「アミィちゃんの兄弟って、あと何人いるのかな?」

「……3人だな」


 もちろん、そのあたりのことは【鑑定+】で調査済みだ。


「そっか。数は合うね」


 魔人襲来のときに現われた魔人の数も、3人だった。


「名前は?」

「セベロ、ウルバノ、テオドロ」

「あー、そこは違うんだ」


 これで残る3人の名前も魔人と同じなら、悩まずに済んだのかもしれない。

 あるいはより深刻な悩みに発展していた恐れもあるが。


「あと、ボスの名前はカルロだったよね? パブロじゃなく」

「ああ」


 魔人アマンダは魔王パブロをオヤジと呼んでいた。

 そしてアミィがオヤジと呼ぶオゥラ・タギーゴのボスはカルロ。

 これはどういうことなのだろうか。


「ま、これ以上はいま考えてもしょうがないかな。なるようにしかならないよ、きっと」

「……そうだな」


 あっけらかんとしたサマンサの言葉に、陽一は少し深刻な調子で応えた。


「だからこの先なにかが起こっても、あんまり気に病んじゃだめだよ?」

「ああ、わかってる」

「いいや、わかってないと思うな」


 珍しく、サマンサが真剣な眼差しを陽一に向ける。


「ヨーイチくんはさ、【鑑定+】なんていう、なんでも知れちゃうようなすごいスキルを持ってるよね?」

「あ、ああ」

「だからさ、自分にはなんでもできちゃうなんて、そんなふうに思ったことはない?」

「まさか、そこまで傲慢にはなれないよ」

「でもさ、あとになって"あのときもっとこうできたんじゃないか"って思って、変に責任を感じたりしたことは? ないって言えるかな?」

「それは……」


 たとえば実里が文也に誘拐されたとき、ウィリアムが王都で捕縛されたとき、事前にもっといろいろなことを調べていれば、未然に防げたのではないかと、そう思ったことはあった。

 今回文也がさらわれたこともそうだ。


 そして魔物集団暴走スタンピードと魔人襲来のときもそう。

 陽一の活躍で想定を大幅に下回る被害に抑えられたが、犠牲をゼロにできたわけではない。


 荒野に折り重なる死体を見て、親しい者をうしなって悲しみに暮れる人たちを見て、もっとうまく立ち回ればもう少しだけ犠牲を抑えられたのではないか。

 そう思ったのは、一度や二度ではない。

 このことは、これまで誰にも告げたことのない事実だったが、自分を見つめる青い瞳は、すべてを見透かしているようだった。


「ふふっ……」


 射貫くような視線が、不意に緩んだ。


「そんな顔をしないでよ。ボクはべつにヨーイチくんを責めるつもりなんてないんだからね」

「いや、その……うん」

「ボクが言いたかったのはさ、この先なにか嫌なことがあっても、あんまり自分を責めちゃダメだよってこと」


 サマンサはそう言ってふわりと抱きつき、陽一の頭を優しく胸に抱いた。


「どんなにすごいスキルを持っていても、それを使うボクたちはちっぽけなただの人間なんだから。ね?」


 知らず知らずのうちに胸の奥にわだかまっていたなにかが、緩やかにほどけていくような、そんな感覚だった。


「ああ、そうだな」


 彼女は異世界に名を馳せる錬金鍛冶師だ。

 そのことで、過去にいろいろと悩んだのかもしれない。

 そんなサマンサの言葉だからこそ、すんなりと受け入れられたような気がした。


 一度強く陽一の頭を抱きしめたあと、彼女は抱擁を解いた。

 そして、陽一の顔を両手で包み込む。


「うん、ちょっとはマシな顔になったね」

「そんなにひどい顔だったか?」

「そりゃあもう。こう、眉間にぐぐっとシワを寄せてさ」


 言いながらサマンサは、陽一の顔から片手を離し、彼の眉間を人差し指でつついた。


「そっか……自覚、なかったけどな」

「ふふ……そういうところだよ。気をつけないと」

「そうだな」


 軽く笑い合ったあと、陽一はサマンサを連れて『辺境のふるさと』へ【帰還】した。

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