第9話 シャーロットの危機

「金髪の女だ! 金髪で白人の女を捜せ!!」


 背後から、構成員の叫び声が聞こえる。

 身体的特徴を認識されたとなると、逃亡は厳しいものになるかもしれない。


 観光客がそこそこ訪れる共和国の首都とはいえ、その大半は国内旅行者か、近隣の国から来た者たちだ。

 ヒスパニック系の人たちがほとんどのこの町で、アングロサクソン系のシャーロットはどうあっても目立ってしまう。


 常なら魔道具の隠蔽効果で乗りきれるのだろうが、事実上の国のトップを襲撃されたとなると、町全体で警戒が高まってしまうだろう。

 白人の金髪女性、という条件で捜索された場合、隠蔽効果は極端に低くなってしまうのだ。


「はぁ……はぁ……」


 息を切らせながら、人目を避けつつ町を駆ける。

 セーフハウスにさえたどり着けば、仕切り直せるはずだ。


 タクシーは使えない。

 町全体が敵だと考えるべきだ。

 そうやって最大限に警戒しながら、シャーロットは移動を続けた。


 だが、カルロに遭遇し、彼を撃ったことで、平常心を失っていたのだろう。

 ふたり組の制服警官を目にした瞬間、彼女はわずかながら緊張を解いてしまった。


 片方の警官と、目が合った。


 その警官は、警告を発する間もなく腰の拳銃に手を伸ばし、もうひとりもそれにならう。


「殺すなよ!」

「おう」


 ――バンッバンッバンッバンッ!


「くぅっ……!」


 慌てて物陰に隠れたシャーロットだったが、腕と脚を銃弾がかすめた。

 腕のほうはかすり傷だったが、脚のほうはそこそこ深手を負ったらしく、にじみ出た血がデニムのレギンスにじわじわと染み込んでいく。


「隠れても無駄だ。諦めて出てこい」


 シャーロットは小さなコンテナの陰に隠れていた。

 一時的に警官たちの視線からは逃れられたが、近づかれればそれ以上隠れることも逃げることもできない場所だった。


(こんなところで……)


 もし捕まったら、また前のようなことをされるのだろうか。


(そんなことなら、いっそ……!)


 自決という選択が頭をよぎる。

 拳銃に弾は残っていないが、彼女がその気になれば方法はいくらでもある。


(お姉ちゃん……)


 しかしその決意が固まる前に、メガネをかけた女性の姿がぼんやりと頭に思い浮かび、結局踏んぎりをつけられなかった彼女は、首に巻いたネックレスを握って祈ることしかできなかった。


 徐々に足音が近づいてくる。


 片方はその場に残って警戒を続け、ひとりだけが近づいてくるようだった。


「おい、諦めて出てきたらどうだ? どうせ逃げ場はないんだからな」


 そして足音はシャーロットの隠れるコンテナに至り、男はうずくまるシャーロットの目の前に立った。


「へへ、観念しな……ん?」


 シャーロットを見下ろしているはずの警官が、戸惑いの声を上げた。


「おい! あの女ぁどこにいった!?」


 そして後方で待機している相方に尋ねる。


「あぁ!? そこにいるんじゃねぇのかよ?」

「それが、だれもいねぇんだよ」


 男の足音が離れていく。


(え……?)


 シャーロットもまた、戸惑っていた。


「あの傷だ。そう遠くへは行ってないだろう」

「ちっ……とりあえずこのへんを流すか」


 バタンバタンと車のドアを閉める音に続いて、エンジン音が鳴る。

 うずくまったままのシャーロットが顔を上げると、先ほどのふたりが乗ったパトカーが走り去っていった。


(どういう、こと……?)


 そこで彼女は、強く握っていたネックレスに目を落とす。


(まさか、これのおかげ?)


 それは陽一から渡された、認識阻害の魔道具だった。


 魔道具の中には、込める魔力を増やすことで効果を高められるものがある。

 奇しくも先ほどの『祈る』という行為が、彼女の体内を巡る魔力を魔道具へ込めることにつながったのだ。

 そして彼女の首にかかるネックレスは名工サム・スミス謹製の魔道具である。

 おそらくあの瞬間、仮に触れられたとしても相手には気づかれなかっただろう。


(ヨーイチ、助かりましたわ……)


 魔道具を与えてくれた陽一に感謝しながら、シャーロットはウェストポーチからハンカチを取り出し、傷ついた太ももを強く縛った。

 血は流れ続けているが、出血量はそれほど多くない。

 命に関わるようなことはないだろう。


 さらに彼女はポーチからスマートフォンを取り出し、エドに発信した。


『シャーロット、無事か!?』


 1コールで応答するなり、エドは慌てたように尋ねた。

 彼女の位置情報は常に確認されているため、スザーノ邸から出たもののセーフハウスへ直行せず、路地に留まっていることから、異常事態と判断したのだろう。


「ごめんなさい……しくじったわ……」

『だからカルロには関わるなとあれほど……いや、それはいい。すぐに救援を――』

「だめよ。ヨーイチを待って……」

『ミスター藤堂を? なぜだ!?』

「彼なら、きっと……」


 そこまで言って、シャーロットは電話を切り、スマートフォンの電源を切った。

 これで位置情報は追えなくなる。

 情報局の秘匿回線を使っているとはいえ、補足される危険性はゼロではないのだ。


(ヨーイチなら、私がどこにいようときっと見つけてくれる)


 そう信じて彼女は立ち上がった。


「ぐ……う……」


 そして、痛む足を引きずりながら、セーフハウスへの最短ルートを歩き始める。


(お願い……誰にも気づかれないで……)


 ネックレスを握り、祈りながら歩き続ける。その祈りが通じると信じて。


 事実、途中何度も人とすれ違ったが、誰ひとりとして彼女に注意を向ける者はなかった。

 太ももから血を流し、足を引きずりながら歩いているにもかかわらず、だ。


「はぁ……ふぅ……あと、少し……」


 意識が朦朧もうろうとしてきた。

 自分の中から、なにかが抜け出ていくような感覚が、ずっと続いている。

 それは決して、出血のせいだけではないと、彼女は感じていた。


(対価……かしらね……)


 自身の存在を隠蔽する魔道具。

 その効果を高めるための祈りが、自分の中にあるなにかしらの力――おそらく陽一がいうところの魔力であろう――を消費していることを、彼女はなんとなく認識していた。

 その力と同時に、体力が失われていることも。


(あと……少し……)


 とはいえ、まだ数百メートルの距離がある。

 通常なら5~6分の距離だが、まともに歩けず、体力も消耗しきっている彼女にとって、それは果てしなく長く感じられた。


(だめ……もう……)


 魔力が切れる。

 なんとなくそう感じ取ったシャーロットは、最後の力を振り絞って路地裏に潜り込んだ。


(もう……動けない……)


 異世界なら、わずかずつでも魔力は回復できるのだが、残念ながら魔力の存在しないこちらの世界では、そうはいかなかった。

 陽一に注ぎ込まれた魔力を使いきってしまえば、補充できないのだ。


(あぁ……)


 それは霧が晴れるように、自分を守っていたなにかが消失したような感覚だった。

 魔力が、枯渇したのだろう。

 それでもなお意識を保っていられるのは、魔力消費が緩やかだったのと、彼女が異世界人ほどに魔力に依存していなかったことが幸いしたからか。


(ごめんなさい……エド)


 かろうじて意識をつないでいた体力も、気力も、つきかけていた。


(ヨーイチ……お姉ちゃん……)


 いま誰かに見つかれば、隠れようも逃げようもない。

 そんな彼女のもとへ、足音が近づいてくる。


(もう、おしまいね……)


 苦笑が漏れる。


 足音は迷いなく自分に近づいていたが、彼女には顔を上げてそちらを見る気力もなかった。


「お、いたいた」


 若い女性の声だった。


「お姉さん、だいじょうぶっすか?」


 その声に敵意を感じ取れなかったシャーロットは、返事をする前に意識を失った。

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