第8話 アジトへの単独潜入

 ネレクジスタス共和国首都郊外の住宅街に、オゥラ・タギーゴの本拠地はあった。


 彼らは反社会的暴力組織ではあるが、その力が首都近郊の治安維持を担っていることもあり、市民からはある程度の親しみを持たれている。

 カルロたちからしてみれば、自分たちが好き放題するために警察機構を力で押さえつけているだけであり、実際彼らの理不尽な暴力に泣かされている人たちも少なからずいるのだが、多くの市民は恩恵のみを感じているという状況だ。


 逆らえば怖ろしい相手だが、逆らわなければそれなりに平和を享受できる。

 そんな諦めにも似た感情が共和国市民に蔓延しているため、彼らはいつまで経っても犯罪組織の支配から脱却できずにいた。

 新興国ではよくある話である。


 そういうこともあってか、オゥラ・タギーゴ本拠地であるスザーノ邸は、ちょっとした観光スポットのような扱いを受けていた。


「ふん……趣味の悪い……」


 少し離れた場所からスザーノ邸を見ながら、シャーロットは吐き捨てるように呟いた。


 スザーノ邸の入り口には大型トラックが余裕を持って出入りできる大きなゲートがあり、その上には飛行機のオブジェが飾られていた。

 これは、カルロが憧れる麻薬王の私邸を模したものだった。


 ゲートの周りには共和国内の地方、あるいは外国から訪れた観光客と思われる人たちが、スマートフォンを片手に写真や動画を撮影していた。

 もちろん敷地内に入ろうとすればゲート前にいる見張り番に止められるし、最悪の場合撃ち殺される恐れもあるが、少し離れた場所から眺めたり撮影したりするぶんには問題ない。

 構成員のなかには撮影に応じる気さくな者もおり、そういうこともあってオゥラ・タギーゴは一部界隈でそこそこの人気を誇っていた。


 連中がばら撒く麻薬によってどれほどの人が不幸になり、これまでどれほどの人たちがカルロたちの手にかけられていようとも、大多数の人たちにとってはしょせん他人事ひとごとである。

 そんな見知らぬ世界の不幸よりも、『いいね』をたくさんもらうことが重要と考える者のなんと多いことか。

 そんなことを思って、シャーロットはため息をつく。


(だからこそ、仕事はやりやすいのですが)


 スザーノ邸を囲む観光客にまぎれ、ゲートに近づく。

 いくら魔道具があるからといって、さすがにこの場でいつものホテルスタッフの制服などは着ない。

 彼女は現在、デニムのレギンスに少しゆったりとしたシャツという格好だった。

 腰には小さめのウェストポーチを提げている。


 見張り番たちの多くは、不審者への警戒より自分たちに向けられたカメラに格好よく映ることへ意識を向けていた。

 そのため、各種隠蔽効果のある魔道具を身につけたシャーロットが、開け放たれたゲートを堂々とくぐったところで、誰ひとり気づく者はなかった。


(まったく、拍子抜けもいいところですわ)


 シャーロットはスザーノ邸の敷地内を悠然と歩いた。

 ゲート前を始め、敷地内に数多く設置されたカメラは、〈視覚偽装〉の魔道具を身につけた彼女を捉えることができない。

 ときおりすれ違う構成員も、〈認識阻害〉の効果によって彼女の存在に気づけなかった。


 陽一から事前に教わっていたパスコードを使い、邸宅へもすんなり侵入できた。


(あとは、フミヤが囚われている部屋にいくだけですわね)


 その部屋の場所も、そこへ至る安全なルートも判明している。


 幸い、文也は拘束されていないとのことだった。

 厳しい尋問によって消耗し、逃げるだけの余裕がないため、わざわざ牢に入れたり手錠や鎖などにつないだりする必要がないためだ。


(お姉ちゃん、待っててね)


 メガネが似合う、地味だが容姿の整った女性の顔を思い浮かべる。

 もし陽一がいま彼女の頭の中を覗いたなら、実里のようでどこか違う、そんな女性の姿が見えたことだろう。


(あと少し……)


 部屋に着いたら、スキを見て予備の魔道具を彼に持たせ、邸宅から出る。

 そのあとは、確保しているセーフハウスに行き、エドや陽一が来るまで待機するだけだ。失敗の恐れは、ないはずだった。


「で、あのガキは落とせそうか?」


 その声を聞くまでは。


(カルロ・スザーノ……!)


 決して聞き間違えることのない、声だった。


「思っていたよりしぶとい野郎ですね。ケツから血が出るほど犯してやったんですが、折れる様子がありませんや」


 カルロは幹部のひとりと話しているようだった。


「なんつーか、最初にヤッたヤツが言うには、ケツは開発済みだったとかでね」

「ニホン屈指の大企業の御曹司がか? まったく金持ちってヤツは見かけによらんなぁ」


 どうやら文也のことを話しているらしい。

 声は、廊下を曲がった先から聞こえていた。


「どうしやす? 今後のことを考えると、身体に目立つ傷をつけるわけにもいきやせんし、やっぱクスリを使うしかないんじゃないですかい?」

「ほどほどにしておけよ? 使い物にならなくなったらマズいからな」


 声が、少しずつ近づいてくる。


 ひとりの姿が見えた。

 背の低い、痩せ型の男だった。

 その男は、まだ物陰にいて見えないもうひとりに向かって口を開く。


「へい。ところでお嬢のことですが――」


 そして恰幅のいい、中年男性の姿が見えた。


 ――バンッバンッバンッバンッ……!


 邸内に銃声が響く。


 角を曲がって現われた恰幅のいい中年男性――すなわちカルロの姿を見た瞬間、シャーロットは反射的に銃を抜き、引き金を引いていた。


「ぐふぉ……」

「ボス――ぐぇっ……!」


 ――バンッバンッバンッバンッ……!


 突然の襲撃に驚くカルロたち。

 そんななか、シャーロットは引き金を引き続けた。


「はぁ……はぁ……」


 携行しやすいサブコンパクトタイプの9ミリ拳銃から放たれた10発の弾丸は、すべてカルロと、彼を守ろうとした幹部の男に命中した。

 ただし、それらが致命傷を与えたかどうかまでは、認識できなかった。


 普段の彼女であれば、一度に全弾を打ち尽くすなどという暴挙には出なかっただろう。

 数発で相手の戦闘力を奪ったうえで、確実にとどめを刺したはずだ。


 それ以前に、人質救出のために潜入した先で、不用意に拳銃を使うなどということが、普通はあり得ないのだが。


「う……ぐぅ……」


 うめき声。


 それがカルロのものか、もうひとりの男のものかは、判別できない。


「カルロ……!」


 囁くような小さな声が、シャーロットの口から漏れる。


 倒れ伏すカルロをにらみつける彼女には、ふたつの選択肢があった。

 速やかに文也を救出するか、この場はとにかく逃げるか。

 この期に及んで救出作業の続行は無謀に違いないが、それでもシャーロットの能力と魔道具の効果があれば、ギリギリ可能だろう。

 ただ、シャーロットの目的が敵に露見していないいまなら、いったん仕切り直したところで文也に危険が及ぶことはまずないといっていい。


 しかし、彼女はどちらも選べなかった。

 カルロの生死を、どうしても確認せずにはいられなかった。


「おい、こっちのほうじゃないか!?」


 銃声を聞きつけた構成員たちが、近づいてきた。


「ボ、ボスゥ……!?」


 そしてほどなく、シャーロットのいる場所へ数名の男が駆け込んでくる。


「女……?」


 邸内で銃声が響くという非常事態に警戒心を抱いていた構成員の数名が、魔道具の隠蔽を看破してシャーロットの姿を捉えた。


「くっ……!」


 シャーロットは、咄嗟とっさに現われた男たちのほうへ駆け出した。


「な……!?」


 驚く構成員たちの合間を縫うように、シャーロットは駆け抜ける。

 予備動作や余計な動きを極力排除し、敵の目を欺くことに特化した体術と、決して無効化されたわけではない魔道具の効果によって、シャーロットはかろうじて窮地を脱した。


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