第5話 失踪の経緯

 花梨とアラーナを連れた陽一がサリス家別邸の部屋に【帰還】すると、シャワーを浴びて着替えたらしいサマンサとシーハンがベッドに寝転がってくつろいでいた。


 実里は備えつけのソファに腰かけたままじっとしており、その傍らには瀬場が立っている。

 ふたりとも表情を消しているようだが、隠しきれない不安や困惑がにじみ出ていた。


「おまたせ」


 陽一が声をかけると、実里が顔を上げる。

 まだ心の整理がついていないようだが、とにかく話を進める必要があったので、陽一はリビングスペースにメンバーを集めた。


「瀬場さん、まずは経緯の説明をお願いします」

「かしこまりました」


 昨夜、瀬場はいつものようにホテルのロビーで文也と待ち合わせをしていた。


「ちょっと待って」


 話し始めた瀬場に、花梨がすかさず待ったをかける。


「ホテルで待ち合わせって、ふたりはそういう関係なの?」

「花梨、しょーもないことで話の腰を折るなよ」

「いえ、これは大事なことよ、とっても」

「うむ、そうだな」


 鼻息を荒らげる花梨に、アラーナも同意する。


「シェアオフィスとか借りてるくらいだし、ホテル住まいってだけだろ? ……たまたま同じホテルに泊まってるってだけですよね、瀬場さん?」

「いいえ、私と坊ちゃまはそういう関係でございます」

「まじかー」

「「むふっ」」


 瀬場の回答に陽一はげんなりし、花梨とアラーナは鼻息を漏らした。

 ちなみにほかの女性陣だが、シーハンは呆れ気味、サマンサはとくに興味を示さず、実里は少し前までとは別の意味で複雑な表情を浮かべていた。


「あー、とりあえず続けて」


 陽一に促されて瀬場は説明を再開した。


 その夜は双頭ディルドで楽しむ予定だったので、瀬場は文也の帰りを心待ちにしていたのだが……。


「ちょっと待った。双頭ディルドってなんだよ」


 今度は陽一が待ったをかける。


「これにございます」


 陽一の問いかけに、瀬場はふところから現物を取り出して答えた。

 それは両端が亀頭の形をしている、ふたり用のディルドだった。


「いや、持ち歩いてるのかよ! って、双頭ディルドくらいは知ってるんだよ。なんで男ふたりで双頭ディルドなんだって聞いてんの」

「私と坊ちゃんは双方とも『受け』ですので」

「はい?」

「百合BLでしょ」


 すかさず花梨が割って入る。


「さようでございます」

「そ、そっか……ごめん、続けて」


 百合BLという言葉になにやら自分の常識が崩れそうな気がしたので、陽一は深く考えることをやめて続きを促した。


「結局その夜は、坊ちゃんが現われることもなく、連絡もつきませんでした。なにか急用でもできたのかと思い、今日会社で事情を聞こうとしたのですが……」

「来なかったわけだ」

「はい。何度か連絡を試みたり、得意先に問い合わせたりはしたのですが、行方がわからずじまいでして……」


 文也ほどの地位にある人物と秘書とが、1日ものあいだ連絡がつかないというのは異常事態である。

 それでも瀬場はさらにひと晩待った。


「しかし朝になっても坊ちゃんがお戻りにならないので、藤堂さまを訪ねた次第でございます」


 瀬場が語り終えると、全員の視線が陽一に集まった。


「それじゃあ、俺が調べたことを話そうか」


 文也は予定どおりホテルに向かっていた。


 以前なら常に瀬場がつき従っていたのだが、このところカリスマメイド執事として多忙を極めるようになった彼が文也から離れることが多くなっていた。

 文也は文也で、新たな護衛をつける気になれなかったのか、ひとりで行動することも増えた。


「そのスキを、突かれたんだろうな」


 ホテルに向かう文也は、突然屈強な男たちに拘束され、黒塗りの車に押し込まれた。

 調べた結果、南米の小国ネレクジスタス共和国の公用車であることがわかった。


「ネレクジスタス……聞いたことないわね」

「あのへん、思ってるより国が多いんだよな」


 日本ではあまり知られていないとはいえ、一応国連に加盟しており、日本とも国交のある国だ。

 少し前までは軍事独裁政権だったが、長年トップに座っていた総帥だか総統だかが突然死し、政権がゴタゴタしているあいだに周辺国の介入があって民主化に成功した、という歴史があった。


「ま、民主政権いうても実質牛耳ってんのはマフィアやけどな」


 さすが元諜報員だけあって、シーハンは国際情勢に精通していた。


 国が再始動して間もない段階で自警団的な存在が治安維持をになう、というのはどの世界でもよくある話だ。

 それらの集団と政府との折り合いがうまくつかなくなり、やがて反社会勢力になっていくというのも、さまざまな国で繰り返されてきたことである。

 しかも革命じみたことが起こった混乱期に自警団の恩恵を受けた市民が、新たに生まれた国家権力よりも反社会勢力に親しみを覚えるというのも仕方がないといえば仕方がないのかもしれない。


「じゃあ、オゥラ・タギーゴってのはかなり有名なのか?」

「あの国でいちばん人気やな」


 先ごろ瀬場が口にした『オゥラ・タギーゴ』とは、ネレクジスタス共和国において最大の勢力を誇る麻薬密売組織の名だった。


「あそこのボス……たしか、カルロなんとかいうたかな」

「カルロ・スザーノだな」


 すでに組織の詳細を調べ上げていた陽一が、補足する。


「それそれ。そのカルロ・スザーノ、たぶん大統領より有名やし人気あると思うで」

「そりゃまた、やっかいだなぁ」

「しかしまぁ、なんでまたそないにやっかいな組織が絡んでくるんや? シーリーの弟くんが金持ちなんは知っとるけど、外交官使つこうてまで誘拐するて、普通ありえへんやろ」


 当たり前といえば当たり前な質問とともにシーハンの視線を受け止めた陽一は、それには答えず無言で瀬場を見た。

 自然、この場にいる全員の視線が彼に集まる。


「みなさまは、坊ちゃんが南米から麻薬の密輸をはかっていたことを覚えてらっしゃいますでしょうか?」


 なにをやってもそつなくこなし、経営者としてすら高い業績を残した文也が、いわば力試しに行なおうとした反社会的行為である。

 当時まだメンバーではなかったシーハンとサマンサに、陽一はことのあらましを説明した。


「ふーん。なんだかよくわかんないけど、面倒なことしたってわけだね」

「せやなぁ……。もしかしてその取引相手っちゅうんが?」

「はい。オゥラ・タギーゴです」


 カルロ・スザーノ率いるオゥラ・タギーゴは、新興勢力でありながらいまや中南米に名をとどろかせ、米国ですら一目置くような反社会組織となっている。

 そんな彼らが数年前から目をつけていたのが、アジア市場だった。


「出張で南米諸国を渡り歩いているとき、坊ちゃんはたまたまそのことを知り得たのです。そして秘密裏にカルロ・スザーノとコンタクトを取った」


 日本を拠点に、アジアに向けて一気に市場を拡大しようとしていたカルロだったが、文也から突然手を切られてしまった。

 カルロからすればとんでもない裏切りである。


「どうやら連中、少し前から文也くんをマークしていたらしい」


 瀬場はこう見えてそれなりに武術をたしなんでおり、連中もそこそこ警戒していたようだ。

 いよいよとなれば力尽くでもなんとかできたのだろうが、幸か不幸かこのところ文也と瀬場は別行動を取ることが多かった。


 そして昨夜、ひとりになったところをさらわれた、というわけである。


「くっ……やはり、私がずっとそばにいるべきでした……!」


 瀬場自身、いまの境遇が嫌いなわけではないが、最優先すべきが文也であることに変わりはない。

 文也の警護や補佐に万全を期したうえで、カリスマメイド執事活動もできたはずだ。

 ただ、当の文也が瀬場の活動を応援していたのだった。


「俺ももう少し文也くんに気を配ってればなぁ」


 文也が南米マフィアと手を組んでいたことは、当然陽一も知っていたし、手を切ろうとして簡単に切れる相手ではないことも少し考えればわかることだった。

 せめて相手のことを少しでもいいので調べ、たまに【鑑定】していれば、今回のことは未然に防げたかもしれなかった。


「悪いのは文也です。セバッチャンと陽一さんが気に病むことはないです」


 場の空気が少し重くなりかけたとき、実里が淡々と呟いた。


「文也が自分でまいた種です。たぶん、文也自身もそのことは自覚していると思います」


 無表情を装っている実里だが、わずかに唇が震えている。顔色も、あまりよくない。


「文也が犯した過ちは、許されるものではありません。その報いを受けるときがきただけなんだと思います。文也のためにみんなが危険な目に遭うのもおかしな話だと思います。だから、弟のことはもう放っておいてください」

「お嬢さま……」


 実里らしからぬ早口で並べられた言葉に、瀬場は沈痛な面持ちを見せた。

 彼もまた、文也がかつて犯した罪の片棒を担いでいるために、反論はできなかった。


 トコロテンのメンバーも、それぞれ複雑な表情を浮かべていた。


「実里、文也くんは助けるぞ」


 そんななか、陽一はきっぱりとそう言いきった。


「えっ……でも……」


 ほんの一瞬だけ、実里の表情が明るくなったのを陽一は見逃さなかった。

 なんだかんだ言っても、実里が弟を心配しているのは、誰の目にも明らかだった。

 過去にひどい仕打ちを受けたものの、彼女の中でそれは終わったことなのだ。

 そして実里は、文也と新たな姉弟関係を築きつつあった。

 あまり会う機会もないが、顔を合わせれば挨拶くらいは交わすようになっているのだ。


「ダメです、そんなの……」


 確かに文也の行為は許されざるものだ。

 彼に人生を奪われた人は何人もいるし、いまなお苦しんでいる人もいるだろう。

 陽一も、その尻ぬぐいに随分と奔走したことを思い出す。


 ただ、陽一にしてみれば、やはり終わったことなのだ。

 自分勝手な考えかもしれないが、彼が実里の弟である以上、見捨てるという選択肢はない。


「文也くんを助ける理由はいくつかある」


 とはいえ感情にまかせて救出を主張したところで、実里は納得しないだろう。

 なので陽一は、理屈をこねることにした。


「まず第一に、彼がいなくなると会社が混乱する」


 文也は星川グループに属するいくつもの会社で社長や重役を務めている。

 そんな彼が突然失踪したとなれば、星川グループが受ける損害は大変なものになるだろう。

 星川グループという日本を代表する巨大企業体の業績が悪化すれば、その被害はさまざまなところへと波及するに違いない。


「第二に、文也くんがマフィアに取り込まれたら面倒くさい」


 大企業体の重役という立場にある文也を、カルロは最大限に利用するだろう。

 それこそ麻薬漬けにして傀儡かいらいにする、くらいのことはやってのけるに違いない。

 もし星川グループを隠れみのに麻薬の密売などをされた日には、日本やアジア諸国にどれほどの被害がもたらされるか想像もつかないところだ。


 いまなお文也に恨みを抱き、報いを受けさせてやりたいと思う人たちには申し訳ないが、現時点で星川文也という人物を失う、あるいは奪われた場合の損害を考えると、彼を救出して今後も社会に貢献させたほうがいいと、陽一は考えた。


「なにより、俺を義兄にいさんと慕ってくれる青年を見殺しにするなんて、あと味が悪すぎるだろ?」


 あの一件以来、文也は陽一を『義兄にいさん』と呼んで慕うようになった。

 そこに少しばかり不穏なものが混じっており、尻のあたりがムズムズすることもあるのだが、それを除けば悪い気はしなかった。


 そんな彼が、例えば陽一のあずかり知らぬところで事故にでも遭って命を落としたと聞けば、多少なりとも残念な気分にはなるだろうが、おそらく何日も引きずるようなことはない。

 しかしいままさに拉致されていて、それを見捨てたとなれば、それは長く尾を引く後悔の種になるに違いないのだ。


「俺たちならきっと助けられる。なら、助けてしまったほうがいいんじゃないかな」

「陽一さん……」


 陽一の言葉に、実里は目を潤ませていた。

 その傍らで瀬場も、胸をなで下ろしている。ほかのメンバーも、各々うなずいたり、笑みを浮かべたりして、陽一に同意を示した。


「陽一さん、みんな……」


 そう言って実里は、陽一をはじめとするトコロテンのメンバーを見回した。


「弟のこと、よろしくお願いします」


 そして、深々と頭を下げた。



「それで、文也くんはいまどういう状況なの?」


 文也を救出することが決まり、話は次の段階へ進む。

 まずは現状の確認が必要とばかりに、花梨が陽一に尋ねた。


「拉致された文也くんはそのまま空港に連れ去られて、ネレクジスタス共和国の政府専用機に乗せられた」


 現大統領はカルロの傀儡でありオゥラ・タギーゴは共和国政府をほぼ自由に動かせる。

 だからといって日本国民ひとりを勝手に海外へ連れ出すことは困難だ。


「入管が絡んでるなぁ」


 入管こと出入国在留管理庁の一部が買収され、カルロの行動を目こぼししたようだった。

 それは奇しくも、文也が作り上げた密売ネットワークの残滓ざんしだった。


「坊ちゃんは、無事なのでしょうか……?」


 文也とともに現地を訪れ、カルロを直接見知っている瀬場が、不安げに問いかけた。


「いまのところは……」


 拉致された際に薬によって眠らされた文也は、現地に到着したいまもまだ意識を取り戻していない。

 ただ、目を覚ませば苛烈な尋問や拷問が待っていることは、カルロの思考を読めばわかった。


「カルロとしては、文也には自発的に協力してもらいたいという考えもあるみたいだし、起きてすぐひどい目に遭うことはないと思うけど……」


 だからといって猶予があるわけではなく、救出するなら早いに越したことはない。


「なんにせよ、こっちにいても始まらないからな。まずは日本に帰ろう」

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