第3話 メイド執事セバッチャン

 チェックアウトを1時間延ばし、朝の時間をゆっくりと過ごしたふたりは、ホテルを出て近くの喫茶店に入った。

 一応ホテルの朝食ビュッフェが無料でついていたが、わざわざふたりの旅の時間を削ってまで行く価値はないし、どうせなら前回と同じ場所で食事をしたかったのだ。


「あいかわらずよく食べますね」


 カツカレーをたいらげ、ナポリタンに手を伸ばした陽一を見ながら、実里は楽しげに言った。


 ちょうどメニューがモーニングからランチに替わり、かつ混み合う時間帯の前だったため、陽一はこれ幸いにと食事を多めに頼んでいた。


「そういう実里も、最近はよく食べるようになったんじゃない?」

「それは、そうなんですけどね」


 華奢きゃしゃな体格であり、異世界でも魔術士をやっている実里は非力に見えるが、【健康体β】を有していることに変わりはない。

 ただ持っているだけで強くなれるスキルではないが、魔物集団暴走スタンピードの際に体力のなさを痛感した彼女は、それなりに身体を鍛えていた。

 こちらの世界基準だと、控えめに言っても霊長類最強を名乗れる程度の身体能力や格闘技術を持っているのだ。

 そして、それだけの筋力を保持するためにはそれなりのエネルギーが必要となるので、自然と食事量は増えるのである。


「ふぅ……食った食った」

「ごちそうさまでした」


 会計の伝票を見て目を見開く店員を尻目に支払いを済ませたふたりは、店を出て歩き始めた。


 少し歩いたところで、実里がうしろから抱きついてくる。


「実里?」

「覚えてますか、ここ?」


 彼女の問いかけにあたりを見回す。


「ああ……そうか」


 そこは、陽一と実里が互いに名乗り合った場所だった。


「帰りは、電車にしようか」

「はい」


 腰に回された手を取ると、実里は抱擁をとき、手をつないだまま陽一の隣に並んだ。


 そうしてふたりは、駅に向かって歩き始めた。


○●○●


 半日かけて『グランコート2503』に帰り着いたふたりは、部屋でまったりと過ごしていた。


「明日は、どうしますか?」

「実里はまだ、休みある?」

「はい、もう何日かは」

「そしたら……カジノ、行く?」

「シャーリィのところですか? いいですね!」

「一応、明日朝いちでギルドに顔だけ出しとこうか。それでとくになにもなければ、そのままモーテルに……」


 ――ピンポン。


 ドアホンが鳴った。


「……誰だろう?」


 いまや生活の大半を異世界で営んでいる陽一は、こちらの世界の知り合いがほとんどいない。

 セールスのたぐいはマンションコンシェルジュが排除してくれるので、来るとすれば宅配便かデリバリーくらいのものか。

 ただ、それらが来る予定はない。


 【無限収納+】からスマートフォンを取り出した陽一は、ドアホンと連動しているアプリを立ち上げた。


「おぉう!?」


 そこにはメイド服に身を包んだ、ひげ面のおっさんが映っていた。


「あ、セバッチャンだ」


 画面をのぞき込んだ実里の呟きで、陽一はこの人物の素性を思い出した。


 文也の側近である。


 例の事件以来、罰としてメイド服姿で業務を行なうよう指示されており、それをいまなお律儀に守っている男だ。


「この人、いまもこの格好で働いてるの? しばらくのあいだっていう条件だったと思うけど……」

「なんでも、キャラが確立してやめるにやめられないとかで……」


 現在星川グループ東京支社は、都心にあった自社ビルを売却し、郊外に移転予定だった。

 本来ならスムーズに移転が進む予定だったのだが、その指揮をっていた文也がため、計画に遅れが生じていた。


 移転先ビルの建設は遅れていたが、旧自社ビルはすでに売却済みで、買い戻すことはもちろん、立ち退きを延期するのも困難な状況となった。

 そこで、都内のオシャレなシェアオフィスをいくつか借り、部署を分散させ、移転が終わるまでの業務を遂行していたのだった。


 社長秘書である瀬場せばは、もちろん各地のオフィスに顔を出す必要がある。

 社用車で移動したところで、人目につくことは避けられない。

 そもそもシェアオフィスなので、他社の人間が多数いるのだ。


「瀬場さん、目立つだろうなぁ……」


 着痩せするタイプの瀬場は、スーツを着ていればあまり目立つ体型ではないのだが、カトリーヌが彼のためにデザインしたメイド服は、二の腕や太ももが露出するタイプのものだった。


 引き締まった上腕二頭筋や大腿四頭筋を惜しげもなく晒すメイド服姿のイケオジが、話題にならないはずもない。


「一時はいろんなメディアの取材も殺到したそうですよ」

「だろうなぁ……」


 だからといって、日本を代表する企業体でそこそこの立場にある彼が、罰ゲームでそんな格好をしていると言えるはずもない。

 沈黙を貫けば、あらぬ噂を立てられるだろう。


 そこで瀬場は、開き直ることにした。


『自分の望む姿で働けない会社に、未来はありません。ありのままの自分を受け入れてくださる会社、そしてこのような私をそばに置いてくださる文也社長に、深く感謝しております』


 半ばヤケで放ったその言葉が、ことのほか世間に受けた。

 それ以来『セバッチャン』の愛称で親しまれるようになった瀬場は、テレビに出ることもあれば、雑誌の表紙を飾ることも珍しくなくなった。


「一部界隈ではカリスマ的な人気があるらしいですよ、セバッチャン。ほら、こんな感じです」


 実里はそう言うと、スマートフォンを取り出して電子書籍の本棚から瀬場が表紙を飾る雑誌をいくつか見せてくれた。

 お堅い経済誌の表紙に、メイド服を着たすまし顔の中年男性が載っているのはなんともいえずシュールだった。


「セバッチャン、ねぇ……」


 呆れたように呟きながら、自身のスマートフォンに目をやる。

 モニター向こうの瀬場は、珍しく落ち着きがなさそうだった。


「陽一さん、応答してあげないんですか?」

「おおっと、忘れてた」


 実里に指摘され、慌てて『応答』をタップする。


「はい」

夜分やぶんに失礼します。わたくし瀬場と申しますが、藤堂さまのお宅でよろしいでしょうか?』

「ええ、そうですよ」

『アポイントもなしにお訪ねして申し訳ないのですが――』

「いいよ、瀬場さん。あがって」


 そう言って陽一は、エントランスのロックを解錠した。


 ほどなく、部屋の前に現われた瀬場を、迎え入れる。


「ご無沙汰しております、藤堂さま」

「うん、なんというか、元気そうでなにより」

「セバッチャン、お久しぶりです」

「おお、お嬢さまもいらっしゃいましたか。これはちょうどいい」

「ちょうどいい……? いや、まぁ適当にかけてよ」

「失礼します」


 リビングに通された瀬場は、陽一に促されて椅子に座った。


「どうぞ」

「おそれいります」


 お茶を出した実里に、瀬場は一礼する。


「それで、急になんの用なの?」

「じつは……藤堂さまのお力をお借りしたく……」

「俺の? 瀬場さんがわざわざ来るってことは、文也くん絡みかな?」


 文也の名を聞いても、実里は特に反応を示さなかった。

 しかし、わざわざ瀬場が足を運んでいることから、なにかよからぬことが起こっているのではないかと、少し不安げな表情は浮かべていたが。


「さようでございます。じつは一昨日の夜から、坊ちゃんと連絡がつかなくなっておりまして……」

「文也と?」


 そう問いかけたのは、実里だった。

 平静を装ってはいるが、表情には不安がにじみ出ている。

 常日ごろ冷静沈着な瀬場が少なからず焦っている様子で、それが伝染したのだろうか。


「あの、文也もいい大人なんだから、1日や2日連絡がとれないくらいで騒ぎすぎじゃないですか?」


 実里の言葉に、瀬場は小さく首を横に振る。


「坊ちゃんは日にいくつも大事な打ち合わせや会合を抱えています。それらをなにも言わずに無視するということは、通常あり得ないのです」


 社長や役員をいくつも兼任する人物ともなれば、それこそ分刻みのスケジュールが組まれているのだろう。

 それらを突然キャンセルするとなれば、陽一や実里では想像もつかないような規模の損失につながる恐れもあるわけだ。

 少なくとも、秘書である瀬場になにも告げない、ということは考えづらい。


「文也くんが、ねぇ……」


 詳しい事情を聞く前に、陽一は【鑑定+】で文也の居場所を確認する。


「は? 南米?」

「えっ?」

「まさか!?」


 思わず声を上げた陽一に、実里と瀬場はほぼ同時に反応した。

 そして彼の口にした南米というのが、おそらく現在文也がいる場所であろうことを、ふたりはすぐに理解する。


 陽一のスキルを知っている実里はともかく、瀬場が即座にそう理解できたのは、彼が異世界経験者だからだ。

 【鑑定+】というスキルについて知るわけではないが、陽一であればなにをやっても不思議ではない、という程度には考えている。


「まさか……ネレクジスタス共和国では……?」

「えっと……うん、そうだな」

「もしや、オゥラ・タギーゴ……?」

「オゥラ……? あ、うん、それだな」

「なんということだ……」


 青ざめ、うつむく瀬場を目にし、不安を露わにしつつ実里は首を傾げる。


「あの、陽一さん……その、なんとか共和国とか、オーなんとかって……」

「うん、それなんだけど……」


 陽一はそこで軽くため息をついたあと、実里の目をしっかりと見て、口を開く。


「文也くん、南米のマフィアに誘拐されたみたい」


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