幕間

宰相閣下の辺境視察 前編

 ひと月ほどが経った。


 さんざん休み倒していたウィリアムも正式に復帰し、魔物集団暴走スタンピードからなにかと慌ただしかったメイルグラードにも、ようやく日常が戻ってきたようだ。


「どうだ?」


 部屋から出てきた花梨は、陽一の問いかけに頭を振る。


「そっか……」


 あの日以来、アマンダはずっと眠り続けている。


「様子、見とく?」

「そうだな」


 花梨に代わって、部屋に入った。領主の館に間借りした一室で、ベッド以外にこれといった設備はない。


 彼女は食事や水分補給もなく、また排泄もせずにただ眠り続けていた。

 それでも衰弱しないのは、魔人ゆえだろうか。

 それとも――、


**********

スキル:【健康体β】

**********


 ――付与されたスキルのおかげか……。


「アマンダ……」


 穏やかな表情で寝息を立てる女魔人は、あどけない少女のようだった。

 なんの憂いもなく、ただ眠っているようにしか見えない。

 しかし、なにをしても目覚めることはなかった。


「相変わらず、原因不明?」

「ああ」


 あらためて入室した花梨の問いかけに、短く答える。


**********

状態:睡眠

**********


 【鑑定】しても、これ以上詳しい結果が出ない。


 ならば起こす方法を検索してみたが、それもまた『目覚めるときに起きる』というなんだかよくわからないものだった。


 ほかにも不思議なことがあった。


 彼女を連れて、元の世界へ【帰還】できないのだ。


 魔人であるアマンダをかくまうのには、リスクがある。

 幸い放っておいても問題のない状態なので、日本に連れ帰ろうとしたのだが、彼女に触れたまま『グランコート2503』へ【帰還】しようとすると、スキルが発動しなかった。


 試しに北の辺境や王都への【帰還】を試したところ、彼女を抱えたままでも問題なく転移できた。


 そこで陽一は、一度ホームポイントを強く意識してみた。

 いつもは場所をイメージして【帰還+】を発動しているのだが、そうではなく、ホームポイントのリストを脳内に表示してみたのだ。


『おいおい、どうなってんだ、こりゃ……』


 アマンダに触れると、『グランコート2503』とカジノの町のモーテルが、グレーアウトしたのだった。

 その原因を探ろうとしても、【鑑定+】はなにも答えない。


 こんなことは初めてだった。


「君は、いったい何者なんだ……?」


 その問いかけに返ってくるのは、穏やかな寝息だけだった。


 もしいまの状態になにかしらの答えをくれるとしたら、あの管理者だけだろう。

 しかしこんなときに限って、彼女は現われなかった。

 あるいはこんなときだからこそ、あえて姿を見せないのだろうか。


「ポンコツめ……」


 それが誰に向けられたつぶやきなのか、陽一自身にもわからなかった。


○●○●


 アマンダにあてがわれた寝室をあとにし、テラスに向かう。


「あ、陽一さん、花梨、こっちです」

「なんや、えらいシケた顔しとるやないか」


 テラスでは、実里とシーハンがお茶を楽しんでいた。


「とりあえず茶ぁでもしばいて元気出しや」


 言いながらシーハンは、粗野な口調に似つかわしくない見事な動作で故国のお茶を注いでいく。

 お茶はすでに葉の入ったちゃふうからちゃばいという小さな水差しのような容器に移されており、彼女はそこから細長い器に淡緑色の液体を注いだ。

 ぶんこうばいと呼ばれるその器を満たすと、シーハンはその上にお猪口ちょこと湯飲みの中間にあるような器、ちゃはいをかぶせた。


「ほいっと」


 続けて上下をひっくり返した彼女は、上になった聞香杯をゆっくりと持ち上げ、茶杯のほうに中身を移した。


「ほい、これ」

「おう」


 空になった聞香杯を渡された陽一は、そこに残った香りを聞く。


 最初は戸惑ったものだが、シーハンには何度もお茶を淹れてもらっているので、すっかり慣れた。


「ほい、ファリーも」

「ありがと……ん、いい香りね」


 聞香杯の香りを聞きながら、ふたりは用意された椅子に座る。


美味うまいのん淹れたったから、堪能してや」

「ありがとな」

「いただくわね」


 お茶の香りに心を落ち着けた陽一と花梨は、茶杯に満たされたお茶をずずっとすすった。


 それからしばらくのあいだ、とりとめのない雑談を交わした。


「そういえば、まさかあれがフラグになるとはね」

「ああ、ほんまやな」


 花梨とシーハンの言葉に実里は頷き、陽一は首を傾げた。


「フラグってなんだ?」


 そこで花梨らは、先日グリフォン便で王都に向かう際、宿代わりに出したモーターホームの外で過ごした夜のことを話した。

 陽一とアラーナが車内の寝室でソフトSMプレイにいそしんでいたころ、花梨、実里、シーハンの3人は星空の下でガールズトークを楽しんでいたのだ。


「ほら、アンタってこのところ、なにかあるたびに女の子を仲間に加えてるじゃない?」

「悪かったな……」

「べつに責めてなんかいないわよ。あたしたちだって、にぎやかになるのは楽しいし」

「ですね」

「でな、うちが言うたんや"次はアマンダっちゅうやつが怪しいで"てな」

「でもさすがに魔人はないわよねーって、あたしと実里はそう言ったんだけどさ」

「フラグになっちゃったみたいですね、ふふふ」

「う……」


 ニタニタと微笑む女性陣の視線を受け、陽一は言葉に詰まる。


「いや、でも、べつにアマンダを仲間にしたわけじゃないぞ?」

「あらそうなの? でも付与されたんでしょ?」


 【健康体β】の付与。


 セックスを機に付与されるらしいが、全員にというわけではない。

 例えば東堂家のお家騒動や魔人襲来の際に関係を持った『赤い閃光』のミーナ、ジェシカ、グレタとは何度となくセックスをしたにもかかわらず、スキルの付与はなかった。

 そして陽一はこの【健康体β】の有無を、信頼関係を築くうえでのひとつの判断基準にしている節があるのだ。


「それは、そうだけど……だからってそれ基準で仲間にするかどうかを決めるつもりはないからな。いままでのはたまたまだ、たまたま」

「ふーん、ま、いいけど」


 そう言って花梨は陽一の言葉をさらりと受け流した。

 実里とシーハンも、彼の言い訳を真に受けるつもりはないらしい。


「それにしても、まだ目覚めないんですか?」

「ああ。相変わらず原因不明のままだ」

「まぁ、目覚めるときに起きるっちゅうんやから、待つしかないんやろな」


 全員の器が空になっているのを認めたシーハンが、お茶を注ぎ直す。


「でもまぁ、さすがにこれ以上増えないかしらね」

「そうかな? わたし、そろそろシャーリィの番だと思うんだけど」

「ん? シャーリィってだれやねんな」


 シーハンの質問に、花梨はシャーロットの簡単なプロフィールを紹介した。


「なんやヤンイー、カジノのおねえちゃんにも手ぇ出しとんのんかいな」

「ところがシャーロットはただのホテル従業員じゃないのよ。じつは元スパイなの」

「なんやて!?」

「今回の作戦でも、いろいろ協力してくれたんだよ? ドローンとかはしご車とか」

「あんなもんどっから調達してきたんかと思たら、そんな伝手があったんかいな!」


 そこでシーハンはあごに手を当てて首を傾げる。


「待てよ……シャーロット? 元スパイ……もしかして、シャーロット・ハーシェルか!?」

「なんだよ、知ってるのか?」

「いや、まぁ、名前くらいはなぁ。ほら、うちらの国とあちらさんとはバチバチやりおうとるわけやし」


 妙な因縁があったものだと、陽一は感心する。


「でもまぁ、シャーロットはたぶんないかな」


 彼女は祖国に忠誠を誓い、上司であるエドを誰よりも尊敬し、信頼していた。

 そんな彼女が陽一に対して身体を開くことはあっても、心まで許すことはないだろう。


「フラグね」

「ですね」

「せやな」

「やめてくれよ……」


 女性陣の言葉に、陽一は力なくうなだれた。


「ふぅ……」


 彼は気を取り直すようにお茶を飲み、ひと息ついて顔を上げた。


「そういえば、あとのふたりは?」

「サマンサはいつものとおり工房がいそがしいみたいね。で、アラーナは宰相閣下のお守り」


 先日の宣言どおり、ロザンナは現在メイルグラードを訪れていた。

 名目は視察だが、迷惑をかけたウィリアムへの謝罪が主な目的だった。ウィリアムはあまり気にしていなかったが、妻のオルタンスや、その両親であるセレスタン、フランソワへも直接会って詫びを入れておきたかったのだろう。


 彼女がこの町を訪れて数日になるが、陽一らは最初に軽く挨拶を交わしただけで、それ以来会っていない。


「そういや今夜、呼ばれてるんだった」


 陽一がそう言うと、3人は弾かれたように彼を見たあと、ニタリと笑った。


「美魔女枠、まだ空いてるわね」

「ロザンナさん、カッコいいですよね」

「女宰相か……そら盲点やったわ」

「いや……ロザンナさんって、たぶんひと回り以上は年上だぞ? それにむちゃくちゃ偉い人なんだから、冒険者なんか歯牙しがにもかけないって」


 一連の騒動を解決に導いた冒険者パーティーのリーダーにちょっとした礼を言って、食事をするくらいのものだろう。

 少なくとも陽一はそう考えていた。


「フラグですね」

「そうね」

「せやな」

「勘弁してくれよ……」


 そう言ってうなだれながらも、陽一は彼女らの言葉を悪い冗談だと聞き流していた。

 言っているほうも、少しからかっただけのことだ。


 しかし彼らは忘れていた。


 王国宰相ロザンナ・トバイアス公爵が、ヨーイチくん2号の愛用者であることを。

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