第13話 アマンダの願い

 シーハンから手渡されたのは、『辺境のふるさと』のカードキーだった。

 普段泊まっているのとは別のフロアにある、この宿ではもっともグレードの高いふたり部屋だ。


 カードキーを渡したあと、シーハンはなにも言わずに去っていった。

 行けばわかるということだろう。


 部屋の前に立った陽一は、一度深呼吸をしてドアをノックした。


「あの、俺だけど」

「ど、どうぞっす……!」


 やはりというべきか、指定された部屋にはアマンダがいた。

 カードキーをかざすと、カチリと鍵の開く音がした。


「おじゃまします……」


 ドアを開け、中に入る。


「いらっしゃい、アニキ」


 迎えてくれたアマンダを見て、陽一は思わず息を呑んだ。

 彼女は、魔人の姿を惜しげもなく晒していたのだ。


 薄紫の髪、側頭部に生えた2本の角。

 腰のあたりからコウモリのような黒い翼を広げ、先端がスペードのエースに似た形の尻尾をゆらゆらと揺らしている。


 服装もかなり扇情的だった。

 ホルターネックで胸元が大きく開いたコルセット風のベストは、胸の下あたりだけが閉じられ、谷間やヘソを惜しげもなく晒している。

 ショーツと見まがうほど丈が短く、腰の浅いホットパンツとガーターベルトで吊り下げた網タイツを穿き、腕は左右でアシンメトリーとなったロンググローブに包まれていた。

 黒に近いブラウンの生地に、金色の刺繍や装飾がよく映えている。

 角や翼、尻尾にもアクセサリーがつけられていた。


「あの、座ってもらって、いいっすか?」


 淫魔を思わせる妖艶な姿とその口調がちぐはぐに思えたが、それが魅力的だとも言えた。

 彼女自身いまの格好にまだ慣れていないのか、恥じらうように小さく身をよじっている。


「ああ」


 そんなアマンダの様子をかわいらしく思いながら、陽一は短く返事をして備えつけの椅子に座った。


 最高グレードのふたり部屋とはいえ、あくまで冒険者向けの中級宿である。

 家具や寝具、調度品などもシンプルなもので揃えられたその部屋は、少しだけ高級なビジネスホテルを思わせた。


 テーブルにはティーポットとカップが用意されており、アマンダは拙い手つきで紅茶を注いだ。


「えっと、話、聞いてもらってもいいっすか?」


 紅茶を2杯注ぎ終えたあと、アマンダは遠慮がちにそう問いかけながら、陽一の向かいに座った。


「ああ、いいよ」

「っす……」


 彼女は軽く頭を下げると、紅茶をひと口すすり、陽一から目を逸らしたまま口を開いた。


「アタイは、オヤジに生み出された魔人っす」


 アマンダの口から出た『オヤジ』という言葉に、陽一は小さく首を傾げた。ただ、女魔人を生み出した存在となると――、


「――魔王か?」

「そうっす」


 どうやら陽一の認識で間違ってなかったようだ。


「それで、オヤジに言われるまま、人間を魅了したっす。べつに無理やりやらされたとかじゃなくて、オヤジの言うことを聞くのは、当たり前って思ってて……だから、アタイは……いろんな、男と……うぅ……」


 言葉を詰まらせ、ギュッと閉じた彼女の目から、涙がこぼれた。

 その表情はあどけない少女のようで、王国を傾けるほど多くの男性を籠絡して回った魔人とは、とうてい思えなかった。


「アマンダ、つらければ、べつに話さなくても……」


 陽一はそう提案したが、彼女はふるふると頭を振って顔を上げた。


「聞いて、欲しいっす……」

「……わかった。でも無理はするなよ」

「へへ……やっぱり、アニキは優しいっす」


 口元に笑みを浮かべたアマンダは、ずずっと鼻をすすった。

 彼女が何人もの男を手玉に取っていたというのが、ますます信じられなくなる。


「あの日会うまで、アタイはアニキのことを思い出せなかったっす。大好きなアニキのことを忘れて、アタイは……バカみたいに、腰振って……」


 またあふれてきた涙を、彼女は腕でゴシゴシとぬぐった。そして陽一を見て、にっこりと笑う。


「またアニキに会えて、うれしかったっす、すごく。頭ん中がアニキでいっぱいになって」


 陽一はあのとき読み取ったアマンダの思考を思い出し、苦笑を漏らした。


「だから、アイツに刺されて、死にそうになったときも、アニキがそばにいてくれたから、全然怖くなかったっす。あのまま、死んでもよかった……ううん、いっそ、死んでたほうが――」

「おい!」


 アマンダの不穏な言葉に、陽一は思わず声を上げた。

 それを受けて彼女は目を見開いたあと、クスリと微笑んだ。


「ふふ……アニキも、叱ってくれるんっすね」

「俺……?」

「うん。姐さんたちも、叱ってくれたっす。アニキに嫌われるくらいなら死んだほうがましだっていったら、サトねえは、それくらいのことでアニキがアタイを嫌いになることはないって言ってくれて、シーねえは、アニキはそんなに細かいことは気にしないって。それからリンねえが、目いっぱいおめかしして、アニキを誘惑しちゃえって言ってくれたっす」


 アマンダが口にした実里、シーハン、花梨の愛称は、初めて聞くはずなのに違和感がなかった。


「アニキ、その……」


 恥ずかしそうにもじもじしていたアマンダが、意を決したように立ち上がる。


「どう……っすかね?」


 あらためて目にしたアマンダの格好は、服といいアクセサリーといい、魔人である彼女の魅力を最大限に引き出していると思えた。


「すごく、いいと思う」

「えへへ……ちょっと恥ずかしいけど、うれしいっす」

「その服はどこで?」

「リン姉の紹介で、カトリーヌっていうマッチョなオネェさんが作ってくれたっす」

「ああ、なるほど」


 陽一も世話になっている、防具屋の店主カトリーヌが作る服や装備類は、性能もデザインも抜群にいいのだ。


「それでね、アニキ……お願いが、あるんだけど」

「なに?」


 落ち着きなくチラチラと視線を泳がせていたアマンダは、胸に手を当てて呼吸を整えた。

 そして少しうつむき加減のまま、上目遣いに陽一を見る。


「アタイのこと、抱いてほしい……」


 シーハンからカードキーを受け取ったときから、陽一は意識していた。

 アマンダのほうも、彼がそのつもりで部屋に来たのだと、わかりきっていたはずだ。

 それでもちゃんと言葉で伝えたいと、彼女は思ったのだろう。


「ああ、もちろん」


 返事とともに、陽一は立ち上がった。


 アマンダが魔人であることも、相変わらず彼女と自分の接点がどこにあるのかも、わからないままだった。

 それでも自分を慕ってくれる、魅力的な女性の誘いを断るという選択肢を、陽一は持ち合わせていない。


「あ、ちょ……待って、アニキ、まだ、心の準備が……」


 抱いてほしいとはっきり口にしておいて、心の準備もなにもあったものではないだろうと、陽一は苦笑を漏らしつつ彼女へと歩み寄り、そのまま抱え上げた。


「きゃっ……」


 これまでのどこかボーイッシュな態度にも、妖艶な外見にも似つかわしくない、かわいらしい声がアマンダの口から漏れる。


「あぅ……アタイ、アニキに、お姫様抱っこされてるぅ……」


 顔を真っ赤にしたアマンダは、陽一の腕の中でギュッと身を縮めていた。

 そんな彼女を陽一は軽々とベッドまで運び、ふわりとおろしてやった。


「はぁ……あぅ……アニキぃ……」


 ベッドに降ろされたアマンダは、手をついて上体を起こし、膝を立てて座り込んでいる。

 自身を落ち着けるためか、片方の手を胸に当て、恥じらいながらも陽一に目を向けた。


「アマンダ……」


 彼女の名を呼びながら、陽一は覆い被さるような格好で顔を近づけていく。


「はぁ……はぁ……アニキ、近いっす……」


 彼女はそう言って、怯えるようにぎゅっと目をつむった。

 それでも陽一の気配を感じ取っているのか、彼が近づくぶんだけ身を反らしてよけようとする。


「ひゃうぅ……!」


 そんなアマンダの背中に腕を回し、逃がさないようにしながら、陽一はさらに顔を近づけた。


「んむ……」


 そして唇が重なる。


「ん……むぅ……」


 唇同士が重なるだけの、浅いキスだった。

 落ち着くまでしばらくこのままでいよう思っていると、背中に回した腕に彼女の震えが伝わってきた。


「ん……ふぐぅ……ぐすっ……」


 鼻をすする音が聞こえたので、慌てて顔を離した。アマンダは、陽一を見ながらボロボロと涙を流していた。


「お、おい、どうしたんだよ?」

「ごめんね、アニキ……アタイ、うれしくって……!」


 頬を伝い落ちる涙を、思わずぬぐってやる。

 それでも、涙は止めどなく流れ続けていた。


「アタイ、アニキにキスしてもらえて……だから、すごく、うれしくって……」


 そこまで言ったところで、ふと彼女の口元に自虐的な笑みが浮かぶ。


「えへへ……おかしいっすよね、キスくらいで……アタイなんか、これまで、何人もの男に股を開い――んむっ!?」


 くだらないことを言い始めたので、口を閉ざしてやった。

 そしてそのまま、彼女の口内に舌を入れる。

 アマンダは少し驚いたようだったが、すぐに陽一を受け入れた。

 舌同士がねっとりと絡み合い、ふたりの熱い吐息が互いの顔を優しく撫でる。

 アマンダの口からは、蜂蜜のような甘い香りが漏れ出していた。


 そしてアマンダは、陽一にすべてを委ねた。

 実里の魔法で純潔の証しを再生してもらった可能は、本当に始めて男性にだかれるように恥ずかしがり、それと同時に魅了の魔人らしく乱れた。



 行為の最中、彼女は陽一の手を握ったまま白目を剥き、大きく身を反らして全身を痙攣させた。


「お、おい……大丈夫か……?」


 思った以上の反応に、陽一も心配になって動きを止めた。

 ほどなく彼女の身体が弛緩し、瞳に光が戻る。


「はぁ……んっ……アニキぃ……」

「アマンダ、どうしたんだよ?」


 心配そうにアマンダを見る陽一の姿に、彼女は力なく微笑む。


「えへ……えへへ……アニキ……アタイ、知らなかったっす……」

「なにがだよ」

「好きな人に抱かれるって、こんなに、気持ちいいんっすね……」


 嬉しそうに、しかしどこか切なげなアマンダがとても愛おしくて、陽一は思わず彼女に覆い被さり、背中に腕を回した。


「アニキ……?」


 突然の抱擁に戸惑う女魔人の身体を、ぎゅっと抱きしめる。


「君がいままでしてきたのは、セックスでもなんでもないな」

「え?」

「だからいましてるのが、アマンダにとって、初めてのセックスなんだよ」

「初めての、セックス……?」


 しばらく、無言で抱き合った。


「ふぅ……ぅ……ぐす……」


 やがてアマンダの呼吸が震えはじめ、嗚咽が混じり出す。


「うぅ……アタイ、アニキに……ちゃんと、初めてを……偽物じゃない、本物の……初めて……」

「ああ。アマンダの初めては、俺がもらったぞ」

「ふぅぅ……アニキぃ……アタイ……うれしいっす……! すごく……!!」


 そう言いながら、彼女は陽一の身体にしがみついた。


「アニキ……もっとしてぇ……!」


○●○●


「んぁ……だめっす……!」


 行為を終えて離れようとする陽一を、アマンダは彼の腰に絡めた脚に力を込めて阻止した。


「おいおい」

「やだ……もっと、このまま……」


 彼女の声が、少しずつ小さくなっていく。絡めた脚からも、徐々に力が抜けていった。


「アマンダ……?」

「アニキぃ……」


 陽一を見上げるアマンダは、目を細めて嬉しそうに微笑んでいた。


「アタイ……幸せだよ……」


 すぅっとまぶたが閉じられた。

 そして彼女は、そのまま眠るように意識を失った。


「アマンダ……?」


 呼びかけに応える様子がなく、ずっとこのままというわけにもいかないので、陽一は彼女から身体を離したが、アマンダは特に反応を見せずただ寝息を立てるのみだった。


「寝ちゃったか……」


 彼女自身の汗と陽一の唾液とがまとわりついた褐色の胸が、呼吸に合わせて小さく上下に動く。

 互いの体液汚れた卑猥な肢体とは裏腹に、アマンダの寝顔は幼子おさなごのように穏やかだった。


――――――――――

これにて第十章は終了。

明日から幕間を3話更新予定ですので、引き続きお楽しみくださいませ。

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