第11話 女魔人の慟哭

 あの日、陽一の輸血を受けたアマンダは、一命を取り留めた。


 それからアラーナを残して王都に【帰還】した陽一らは、ウィリアムに事情を説明。


此度こたびの討伐は儂が全権を委任された。その儂が、お主らにすべてを託したのだ。好きにするがいい』


 というわけで、アマンダはサリス家の別邸で身柄を預かった。

 それから今日まで寝込んでいたのだが、ようやく目を覚ましたようだ。


「アマンダ……」


 陽一の声に、ロザンナが目を見開く。


「アマンダ、だと……?」


 陽一とアマンダを交互に見た宰相の顔が、一気に青ざめていく。


「アマンダとは、パトリックのもとにいた、魔――」

「宰相閣下」


 呆然とした様子の彼女の呟きを、ウィリアムが遮る。

 呼ばれた宰相は、目を見開いてウィリアムを見た。


「ウィリアム殿、あれは……」

「あとから文句を言うのはナシ、という約束ですぞ」

「む……」


 なにか言いたげな様子のロザンナだったが、ウィリアムの強い視線を受け無言で頷き、このことは見ない振りをすることに決めた。


「アニキっ!!」


 入り口から駆け寄ってきたアマンダが、陽一に抱きついた。


「はは、元気になったみたいだな」

「うん……!」


 陽一にしがみついたまま、アマンダは顔を上げた。


「アニキが、助けてくれたんだよね?」

「ああ。まぁな」

「ふふ、ありがと、アニキぃ……!」


 そう言うと、アマンダは陽一に強く抱きつき、彼の胸に顔をうずめる。

 なんとなく、陽一は彼女の頭を撫でてやった。

 こうしていると、いまのように自分に甘えるアマンダこそが本来の彼女なのだと、とくに根拠があるわけでもないのに実感できた。


「それで、なにか思い出せたか?」


 アマンダは、陽一の胸に顔をうずめたまま、ふるふると頭を振った。


「そうか……」


 残念そうな陽一の声に、アマンダは再び顔を上げる。


「あのね、アニキ、いろいろ思い出せないけど、この気持ちは本当だよ? アタイ、アニキのこと大好きだよ? アニキはどう? アタイのこと……嫌い?」


 そう、切なげに問いかけてくる彼女に、陽一は笑いかけてやった。


「嫌いじゃ、ないかな……」


 その答えに、アマンダは一瞬安堵したが、すぐに不安げな表情を浮かべる。


「……じゃあ、アタイのこと、好き?」


 その質問を耳にした瞬間、陽一はなぜか胸が締めつけられるように感じた。


 先ほど言ったように、嫌いではないことは確かだ。しかし、好きかと問われれば、よくわからないとしか言いようがなかった。

 そもそも陽一は、好き嫌い以前にアマンダのことをよく知らない。

 アマンダのほうも同じく陽一のことをあまり知らないはずだが、彼女に向けられたまっすぐな好意に偽りがないことを、なぜか感じ取ることができた。


「俺は……」


 言葉に詰まる。


 好意の有無を問う彼女の姿が、とても愛おしく思えた。

 だが、なぜそう思うのかが陽一自身理解できずにいる。

 思考とは関係なく感情だけが湧き起こっているようで、それをどう処理していいのかがわからない。


 ただ、彼女の質問に対しては、真摯しんしに向き合わなくてはならない。

 適当にはぐらかしていいものではないものだと、理屈抜きにそう思えた。だからこそ、言葉が出てこない。


「失礼します」


 陽一が答えを探して逡巡していると、ホールに再び執事が入ってきた。


「旦那さま、坊ちゃまが目を覚まされました」


 陽一との決闘以来寝込んでいたヘンリーが、ようやく意識を取り戻したらしい。


「おう、そうか。もし体調に問題がないなら顔を出すように伝えてくれ」

「いえ、それなのですが、すでにこちらへ――」


 執事が言い終える前に、開かれたままのドアからヘンリーが姿を現わした。

 そばには、彼を支えるようにヘイゼルが寄り添っている。


「おお、ヘンリー! ようやく目を覚ましたか、この寝ぼすけめ!!」

「父上……」


 父の言葉に苦笑を浮かべたヘンリーは、ホール内をざっと見回したあと、その場に膝をついた。

 少しふらついて倒れそうになるのを、ヘイゼルが支えてやる。

 意識は取り戻したが、まだ体調は戻っていないようだ。


「父上、姉さま、そしてみなさま。このたびは僕の不甲斐なさのせいで大変なご迷惑をおかけしました。謹んでお詫び申し上げます」


 ヘンリーは神妙な面持ちでそう述べると、深々と頭を下げた。


「わはははは! まったく、ひどい目に遭ったぞ!!」

「あら、わたくしは久しぶりにあなたとゆっくり過ごせて、楽しゅうございましたよ?」

「イザベルよ、そなたの言うとおりでもあるが、それにしても連日の査問は面倒なことこのうえなかったのだぞ?」

「それはそれはご愁傷様でしたわね。でも査問のあった夜のほうが……ねぇ?」


 艶やかな笑みを浮かべるイザベルの視線を受けた妻たちが、それぞれ頬を染めながら何度もうなずく。


「溜まりに溜まった鬱憤を吐き出さねばならんからなぁ! わははは!」

「それに、可愛らしいお嫁さんも増えたわけですし」


 イザベルの言葉に、全員の視線がパトリシアへと向く。


「はぇ? あうぅ……」


 突然注目されたことに、当のパトリシアは身を縮めた。

 その様子に、顔を上げたヘンリーが目を見開く。


「ち、父上……それはいったい……」


 戸惑う息子を前に、ウィリアムはパトリシアの手を取って引き寄せ、がっしりと肩を抱いた。


「きゃっ、ちょっと……!」

「おう、あとでちゃんと紹介はするが、新しく嫁に迎えたパトリシアだ。仲よくしてやってくれ」


 呆気にとられていたヘンリーはほどなく気を取り直し、苦笑とともにため息を漏らす。


「父上、おめでとうございます。それからパトリシアさん、今後ともよろしくお願いします」

「あ、うん。よろしくね……」

「といわうわけで、今回の件は結果的に親孝行になったということでよいかのう、わはははは!」

「父上……ありがとうございます」

「だが――」


 ウィリアムの口調が変わる。

 相変わらず笑ってはいるが、その笑顔は先ほどまでとは違ってどこか獰猛さを感じさせた。


「――お主が不甲斐ないことに変わりはない。落ち着いたら儂みずから鍛え直してやろう」

「あ……う……その、よろしくお願いします」


 ヘンリーは父の言葉に顔を引きつらせながら、軽く頭を下げた。


「ヘンリー」


 ウィリアムとの会話が一段落したところで、アラーナの声が響く。


「姉さま……」


 王都を訪れてしばらく経ったころから、ヘンリーは記憶のところどころにもやがかかっているように感じていた。

 記憶はあっても、自分がなぜそのようなことをしたのか理解に苦しむこともあった。


 それでも、先日のことははっきりと覚えている。


 ――お前のように惰弱な者など、私は嫌いだ……!


 自分を見据えてそう言った、姉の姿を。


 それを思い出し、ズキリと胸が痛む。ヘンリーは姉の姿を直視できず、目を伏せた。


 パトリックにおもねり、父ウィリアムを売り渡そうとした。

 自分でも理解できない考えに混乱したが、ヘイゼルから魔人の魅了について聞かされ、納得した。


 ただ、自分がもっと強ければ、パトリックにも抗えたのではないか、という思いもあった。

 自身の不甲斐なさゆえに、姉を失望させてしまい、嫌われてしまった。


 できることなら逃げ出したい。顔を合わせるにしても、もう少し落ち着いてから――、


(ああ、やっぱり弱いなぁ、僕は……)


 ――思わず、苦笑が漏れた。

 そして、自身の弱さを認めることで、少しだけ楽になった。


 もう一度、姉と向き合ってみよう。

 そう思い、ヘンリーは顔を上げる。


「申し訳ありませんでした、姉さ――」


 温かく、柔らかいものが、ふわりと身体を包んだ。


「――ま……?」


 姐に抱擁されたのだと気づくまで、少し時間がかかった。


「ヘンリー、よくがんばった」

「え……?」


 優しい声。

 柔らかな言葉。それは思いもよらぬものだった。


「お前が踏みとどまってくれたから、私たちは間に合ったのだ」

「姉、さま……?」

「お前がサリス家を護ったのだ、ヘンリー」

「でも……僕は……」

「それから、あのときはすまなかった。ちょっと、言い過ぎた……」


 ヘンリーを包み込む力が、少し強くなった。


「ううう……姉さま……」


 目の端から涙があふれ出すのを感じながら、ヘンリーもまた、姉の身体にしがみついた。


「うあああ……姉さまぁー……!!」


 それからしばらくのあいだ、ヘンリーはアラーナの胸に顔をうずめて泣きじゃくった。



「すみません、姉さま……情けないところを見せてしまって……」


 しばらく泣き続けて落ち着いたヘンリーは、恥ずかしげに言いながら、アラーナから離れた。


「気にするな」

「ふふ……こんな泣き虫じゃ、やっぱり姉さまに嫌われちゃうな」


 その言葉に、アラーナは困ったような笑みを浮かべ、弟の頭に手を置いた。


「あのときは言い過ぎたと、さっき謝っただろう? お前は自慢の弟だ。嫌いになどなるものか」


 少し乱暴に頭を撫でられたヘンリーは、嬉しそうに目を細めた。


「ああ、そうだ。あなたにも随分迷惑をかけましたね、ヨーイチさん……いや、義兄にいさ――」


 決闘のことを思い出し、少し照れくさそうに視線を移したヘンリーが、目を見開いて固まる。

 彼の目は、陽一のそばにいる女性を捉えていた。


「なぜ……お前が……?」


 予想外の再会に驚き、戸惑うヘンリーの胸に、ふつふつと怒りが沸き上がってくる。


「なぜお前がここにいる!? アマンダぁ!!」


 感情にまかせて女の名を叫ぶ。


「いやああああああああーっ!!!!」


 だが次の瞬間、アマンダの発した悲鳴が、ホール内に響いた。


「な、なにが……?」


 敵意をむき出しにし、今にも飛びかからんばかりだったヘンリーも、彼女の反応には戸惑いを隠せないでいた。


「あああああー! あああああああああー……!!」


 名を呼ばれた直後にヘンリーを見て瞠目したアマンダだったが、悲鳴を上げるなり自身の身体をかき抱き、うずくまって喚き続けた。


 喉を嗄らすような声で叫び続けるアマンダの姿は、明確な敵意をもって対峙しようとしたヘンリーでさえ、憐れに思えるものだった。


「おい、どうした?」

「ああああ……ううぅ……」


 陽一がうずくまって泣き続けるその肩をつかむと、アマンダの声は少しだけ落ち着いた。そしてゆっくりと顔を上げた。


「ううう……アニキぃ……」


 目を真っ赤に充血させて涙を流し続けるアマンダの顔を見て、陽一は思わず息を呑んだ。


「アタイ、なんてこをと……なんて、ことを……!!」

「なぁ、大丈夫か?」

「ごめん……ごめんよ、アニキ……」

「いや、ごめんって、なにが――」


 陽一の言葉を遮るようにアマンダは肩に置かれた彼の手を振り払い、立ち上がった。


「あああ……なんで……やだぁ……やだよぅ……」


 陽一から離れるように少しあとずさったところで、アマンダがふらつく。


「あの、大丈夫?」


 その場にへたり込みそうになるのを、たまたま近くにいた実里が支えてやった。


「ううう……姐さぁん……」


 自分を支えてくれた実里を見て、アマンダはそう言った。


「ちょっと、あなた、なにを言って……」

「姐さん……どうしよう……」


 戸惑う実里をよそに、アマンダはすがるように彼女へとしがみつく。


「アタイ……汚れちゃった……」

「――っ!?」


 アマンダの言葉に、実里は思わず息を呑んだ。


「このままだと、アニキに嫌われちゃう……姐さん……アタイ……アタイ、どうしたら」


 ボロボロと涙を流しながらしがみついてくるアマンダを、実里はギュッと抱きしめた。


「大丈夫……大丈夫だから、ね?」


 そう言って何度かアマンダの頭を撫でたあと、実里は陽一に目を向けた。


「陽一さん、この娘のこと、任せてもらってもいいですか?」

「え? ああ、うん……」

「ほな、うちもつき合うわ」

「そうね、あたしも」


 花梨とシーハンが、席を立つ。


「ま、待ってくれ! その女は――」


 アマンダを連れ出そうとする実里らを止めようとしたヘンリーだが、アラーナに肩をつかまれて踏みとどまった。


「落ち着け、ヘンリー」

「でも、姉さま、あの女は……」

「事情があるのだ。わかる範囲で話してやるから、場所を変えようか」

「あの、それではお姉さ――いえ、お嬢さま。お部屋に案内します」

「うむ」


 納得のいかない様子のヘンリーだったが、アラーナに手を引かれて逆らうつもりはないらしく、ヘイゼルの先導でホールを出ていった。


「さーて、ボクもちょっと飲み過ぎたから、部屋に戻って休ませてもらうよ」


 続けてサマンサがホールを出ていく。


「ふむ、それではそろそろお開きにしようか」

「そうだな。私も少し疲れたよ」


 ウィリアムの言葉を受けてロザンナも立ち上がる。


「宰相閣下、今夜は当家でゆっくりと休まれませい」

「ああ、そうさせてもらおう」

「では、わたくしが案内させていただきますわ」


 イザベルの案内でロザンナと護衛が出ていき、ウィリアムの妻たちもそれに続いた。


 急に人が減り、がらんと広くなったホールにいづらくなった陽一も、部屋に戻ることにした。


「あの、ごちそうさまでした」

「おう。ゆっくり休めよ」

「はい。おやすみなさい、ウィリアムさん」


 勝手知ったる邸内をひとりで歩き、あてがわれた部屋に戻る。


「誰もいない、か……」


 いつもは女性陣で騒がしい室内には誰も戻ってはいなかった。

 アラーナはヘンリーのもとへいき、実里らもアマンダを連れて別の部屋にいったのだろう。


「……寝よう」


 アマンダのことは気になるが、考えても答えは出なさそうなので、陽一はさっさと眠ることにした。

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