第9話 魔人アマンダの謎

 陽一はアマンダのそばでしゃがみ込んだ。


 背中は血でべっとりと汚れ、うつ伏せに倒れた身体彼女の下に広がる血だまりも、かなり大きなものになっている。

 それでも、背中から流れ出る血の量は、最初に比べて勢いが弱くなっていた。

 鼓動が、小さくなっているのだろうか。


「ぅ……ぁ……」


 まだ、息があるようだった。


 彼女の能力は諜報に偏っているため、パトリックの刺突によってあっけなく身体を貫かれてしまった。

 魔人なので人間に比べれば高い身体能力を持っているが、メイルグラードを襲おうとしたラファエロのように、銃弾を跳ね返すほど身体は強くはなかった。


「ぐぅ……げほっ……」


 倒れたアマンダに手を伸ばし、抱きかかえた。

 衣服が彼女の血で汚れることに、忌避感はない。


「おい、大丈夫か??」

「げほっ……ごほっ……あ……アニキぃ……」


 何度か咳き込んだあと、薄く目を開いたアマンダは、陽一の顔を見て弱々しく微笑んだ。


「アタイ……死ぬのかな……?? せっかく、アニキに、また……会えたのに……」


 あれでパトリックも貴族ではあるし、剣術はたしな嗜んでいた。

 彼女の身体を貫いた剣は心臓を傷つけており、生命力に優れた魔人であっても、それは致命傷となる。


「ああ……でも、いいや……また、アニキの、腕の中で……死ねるん、だから……」


 どうすればいいかわからなかった。


 あと数分もすれば、彼女は絶命する。

 人類の敵である魔人が、1体減る。

 それは、喜ばしいことではないのか。


 腕の中で少しずつ弱くなってくアマンダの鼓動を感じながら、陽一は彼女を助けたいと思った。

 理由はわからないが、このまま彼女を失うのが怖かった。


 だが、アマンダは魔人だ。

 日本人である自分の感情にまかせて、助けてしまっていいのだろうか。

 それは、異世界に住む人たちに仇をなす行為ではないのか。

 そう考えると、ただ弱っていく彼女を見ていることしかできなくなってしまった。


「ぁ……」


 ふと、アマンダの表情が和らいだ。

 それと同時に彼女の身体が淡い光に包まれる。


「アラーナ……??」


 見れば、アラーナがアマンダの胸に手を当て、魔術をかけていた。


「私はあまり回復魔術が得意ではない。少しのあいだ延命してやるだけで精一杯だ」

「アラーナ、なに何を言って……」

「せめて実里がいてくれればと思うが、いまから呼びにい行くだけの時間はないか……。ヨーイチ殿、他ほかになにか、この者を助ける方法はないのか??」

「助ける……??」


 魔人に回復魔術をかけながら問いかけてくる姫騎士に、陽一は首を傾げた。


「助けるのか……こいつを……??」

「助けないのか??」

「だって、魔人だぞ……??」

「それがどうした」


 驚く陽一に、アラーナは少しだけ呆れたように微笑みかけた。


「やりたいことをやって、やりたくないことはやらない。少なくとも私の知るヨーイチ殿は、そういう人物のはずだ」

「やりたいこと……やりたくないこと……」


 それはスキルを手に入れ、異世界と日本とを行き来できるようになったとき、考えたことだった。


「助けたいのだろう??」

「ああ……」


 アマンダを、助けたい。

 このまま、見殺しにしたくない。


 なぜ助けたいのか、理由はわからない。

 だが、そんなものはどうでもいい。

 ただ、異世界の人たちに遠慮して、見殺しにはしたくない。


 もし助けた彼女が異世界の人々に迷惑をかけるというなら、日本に連れて帰ればいいだけのことだ。

 そのあと、あちらの世界にとって害になる存在だったら?

 そんなものはそのときに考えればいい。


「アマンダを、助ける……!!」

「うむ。それでこそヨーイチ殿だ」


 腕の中で、アマンダは少しずつ冷たくなっていった。

 血液の多くが失われ、呼吸も弱々しくなり、体温が下がり始めているのだろう。

 そのあたりの反応は、魔人も人間も変わらないらしい。


 薄く開いていた目は閉じられ、意識は途絶えている。


「それで、助ける方法は??」


 アラーナが延命していなければ、手遅れになっていたかもしれない。

 だが、まだ間に合う。


「あるよ」


 陽一は【無限収納+】から輸血用の器具を取り出した。

 これは例のカプセルが飲めなくなった相手に、陽一の血液を供給するために用意していたものだ。


「俺の血を、分けてやる」


 大まかな使い方はシャーロットに習っていた。

 細かい手順は【鑑定+】が教えてくれる。


「君のことを、知りたい」


 なぜ自分を知っているのか。

 なぜこうもしたってくれるのか。

 なぜ自分を、アニキと呼ぶのか。

 そして、なぜアラーナをねえさんと呼んだのか。わからないことだらけだ。


 彼女自身もよく覚えていないようだが、元気になれば思い出すかもしれない。


「だから、死ぬな」


 陽一が声をかけると、アマンダが薄く微笑んだように見えた。


○●○●


「ええい、侵入者はまだ見つからんかー!! 屋敷内にいることは確かなのだぞ!!」

「おやかた様とはまだ連絡がつかないのか!?」

「町に出た連中を一刻も早く呼び戻せ!! いまはお館様をお守りするのが最優先だ!!」


 陽一とアラーナによる襲撃を受けた領主の館は、上を下への大騒ぎとなっていた。

 町を巡回していた騎士団も呼び戻され、不届きな侵入者の捜索がなおも続けられている。


「お館様はおそらく例の隠し部屋に身を潜めておられると思うのだが……」


 陽一らが訪れた領主の隠し部屋に入れるのは、執事長と騎士団長のみである。


「執事長はまだ目を覚まさんのか??」

「はい。怪我などはしていないのですが……」

「夜の散歩などとのんき暢気なことをしているからだ……くそっ……!!」


 老齢の執事長は夜中に目を覚ますことが多く、そんなときは屋敷の庭を散歩するのが日課のようになっていた。

 今夜もいつもどおりに散歩をすませ、そろそろ屋敷に戻ろうかというところで、運悪く襲撃に遭遇してしまったのだ。

 そして彼はロケットランチャーで門が破壊される爆音に驚き、気を失った。


「気付つけ薬なり魔術なりで無理やり起こせんのか??」

「持病があるとかで、急激なショックを与えれば万が一のことがあるかも知れないと、主治医が申しておりますので、難しいかと……」


 そういう事情もあり、いまはメイドが優しく老執事の名を呼び、肩を揺すって起こそうとしているのだとか。

 しかし当の本人は久々の熟睡を堪能しているようで、一向いっこうに起きる気配がなかった。


 こうなると頼みの綱は騎士団長ということになるのだが……。


「くっ……せめてシモンズ団長がいてくだされば……!!」


 残念ながら騎士団長は現在領都を離れていた。


「副団長、大変です!!」

「どうした!? まさか、お館様に……??」

「い、いえ、そうではありません。いましがた防衛隊から報告がありまして、迎撃用魔法陣の一部が無効化されているとのことです」


 迎撃用魔法陣とは、領都ファロン周辺の荒野に埋設された地雷型魔法陣のことだ。

 領都の防衛施設では、魔法陣の状態を遠隔地からでも確認できるようになっている。

 さすがにリアルタイムとはいかないが、それでも1時間足らずで把握できるのだから、大したものだ。


「なんだと!?」


 驚く副団長を前に、報告にきた騎士は簡易な地図を広げる。


「ここからこのあたりのものが、ほぼ無効化されていると……」

「まさか、賊どもは外からこのルートで侵入したというのか!? だが、外堀や市壁はどうやって越えたのだ? まさか防衛隊の連中め、それを見逃したわけではあるまいな!」


 地雷型の魔法陣と異なり、外堀や市壁に設置された感知型の魔法陣は、ほぼリアルタイムでその反応を確認できる仕様だ。

 なので、侵入者がその魔法陣に触れれば、即座に対応できるはずなのだが、防衛隊からそういった報告はあがってきていない。


「そちらも、一部無効化されていたようなのですが、巧妙に隠蔽されていたそうで……」

「おのれ小癪な……! どのように侵入したかはともかく、賊が外から来たことは間違いないようだな……なんとしても見つけ出さねば……」

「あの……それよりも、気になることがあるんですが……」

「なんだ?」

「迎撃用の魔法陣って、本当に起動させたんですか?」

「ああ。お館様の命を受けて……な」


 副団長は自分でそう言いながらも、強烈な違和感に襲われた。


「この町、孤立しますよ……ね?」


 この隊員の言うとおりだった。

 めったなことでは起動させない迎撃用魔法陣を、パトリックはなぜ使おうなどと思ったのか。


「いや……そんなことより、私は、なぜ……?」


 領主の命令だからと執行したが、本来その場でいさ諫めるべきではなかったか?

 だが彼は、諫いさめるどころか聞き返すこともなく、唯々いい諾々だくだくと命令に従った。


「それに、防衛隊も……」


 そしてその命令を実行に移すべく、防衛隊の責任者に指示を出したが、彼もまたなにも言わずに魔法陣を起動させた。

 魔法陣の起動に関わった数名の隊員も、一切の疑問をはさむことなく、淡々と作業を進めていた。


「なんか、まずくないですか……?」


 交易で成り立つ町が、周りから孤立するのだ。まずいどころの話ではない。

 町の存亡に関わる問題である。

 しかしそれは、騎士団の副団長である彼が背負うには、余あまりに重すぎた。


 ――ガタン……!


 そのとき、通路の奥で何なにか物音が聞こえた。


「おい、責任者はいないか??」


 音のほうへ目を向けるのと同時に、女性の声が耳を打つ。

 涼やかな声が、騒音の中ではっきりと聞きこえた。


「貴様は……!?」


 声の主を目にして、副団長は目を見開いた。


 どこからともなく現われた女性彼女は、艶やかな銀髪を揺らしながら、悠然と歩いている。

 白銀の鎧に身を包む美しい女性の姿は、おとぎ話の登場人物さながらに幻想的だった。

 この非常時にありながら、副団長をはじめとする騎士団の面々は一時いっとき我を忘れて姫騎士に目を奪われたのだが、ほどなく彼女の手元に視線を移し、現実に引き戻される。


 彼女の 右手には柄の短い斧槍ハルバードが、そして左手には――、


「お館様様!?」


 ――ぐったりとしたまま引きずられるパトリックの襟首が掴つかまれていた。


「おのれ、アラーナ・サリス……!!」


 副団長は歯噛みしてアラーナをにらみつける。

 異変に気づいたのか、そこかしこから騎士が駆けつけ、アラーナを包囲した。


「ほう、私を知っているのか。名乗る手間が省けたな」


 十数名に包囲されたアラーナだったが、特に気負うでもなく悠然と言い放った。


 騎士たちは腰を落として身構えつつも、領主を人質に取られていると認識してか、剣に手をかける者はいない。

 それなりに訓練は行き届いているようだ。


「分家の小娘がぁ……! 調子に乗ってとんでもないことをしでかしてくれたな!? いよいよ本家を乗っ取りに来たかこの反逆者め!!」

「べつ別に私は調子に乗っているつもりもなければ、コルボーン家を乗っ取るつもりもないし、そもそも反逆者でもない。宰相の命を受けてパトリック・コルボーンを捕縛に来ただけだ」

「なにを馬鹿なことを! 貴様の父、サリス家当主ウィリアムが王国への叛乱を企てたことは、いまや誰もが知るところではないか!」

「やれやれ……田舎者は情報に疎いようだ」

「田舎……! 辺境の野蛮人にだけは言われたくないわ!」

「はっはっは。たしかに我々は少々野蛮なところがあるな」


 副団長をからかうように笑ったアラーナだったが、すぐ表情をあらためる。


「パトリックの妄言で王都は少々混乱したが、それももう治収まっている。ざんげんろうして父を陥れようとしたこやつのすでに罪は暴かれ、宰相の名で討伐命令が出されたのだ。これがその証拠だ」


 アラーナはそう言うと、【心装】である斧槍ハルバードを精神世界に戻し、ふところから命令書を取り出して副団長へ差し出した。


「くっ……確認する……!!」


 命令書を確認した副団長は、アラーナの言葉が事実であることを悟らされた。


「だ、だからといって、夜半に門を破壊して侵入するなど、あまりに無礼ではないか!! 命令書をもっておとないを立てるのが礼儀であろう!?」

「領都周辺に敷き詰めた迎撃用の魔法陣を有効にしているような相手に訪いを立てる? 馬鹿も休み休み言ってほしいものだな」

「ば、馬鹿だと……?」

「ちがうのか? いずれ干上がるとわかっていながら交易都市を孤立させるような連中が、馬鹿でなくてなん何なのだ」

「分家の小娘ごときが愚弄しおってぇっ!!」


 副団長はそう叫んで剣を抜いた。

 ほか他の騎士たちもそれに続くように、各々武器を構える。


 討伐命令が本物である以上、パトリックが助かる道はない。

 ならば捕縛され、不名誉な尋問の末すえに処刑されるよりも、この場で命を絶ってしまうのが主君のためとでも思ったのだろうか。


「やめんか!!」


 副団長を皮切りに、騎士たちがいま今にも飛びかかろうとした矢先に、雷鳴のような怒声が屋敷内に響いた。


「シモンズ団長!!」


 騎士たちが慌てて視線を向けた先には、騎士団長であるジャイルズ・シモンズの姿があった。

 彼は腰に剣をいているのみで、鎧などは身に着けていない。


「総員、武器を収めよ」

「しかし、団長――」

「収めよ」


 重思いひと言で反論を制された副団長は、諦めたように剣を収めた。

 他ほかの騎士たちも、それに続いて各々武器を収め、構えをといた。


「アラーナ様、参上が遅れまして、申し訳ございません」


 騎士たちのあいだを抜け、アラーナのもとへたどり着いたジャイルズは、彼女の前に跪ひざまずき、鞘ごと剣を抜いて両手で掲げた。


「だ、団長、なにを!?」


 自分たちの団長が突然取った行動に、副団長をはじめとした騎士たちが驚き、どよめく。


「私は先日、このお方にふんけいの誓いを立てた。そしてその誓いを破ったのだ」


 王都でアラーナと陽一を待ち受けたジャイルズは、ふたりの部下に彼らの案内を任せた。

 もし部下の不手際があれば、命をもって償うと誓って。

 そしてその部下たちは、あろうことがアラーナと陽一を罠にかけたのだった。


 幸いアラーナたちは自らの手で窮地――と呼べるようなものではなかったが――を脱し、大事には至らず、さらにその罠がパトリック追求の糸口となったのだが、ジャイルズが誓いを破ったことに変わりはない。


「どうか、家族には寛大な処置をお願い申し上げます」

「うむ。では貴殿の命、私があずかろう」


 アラーナはジャイルズの掲げた剣を手に取り、眼前で跪ひざまずいて頭を垂れる彼の首を、鞘のに納めたままトンと軽く叩いた。


 この時点で、ジャイルズの命はアラーナのものとなった。


「まだ騎士団長としての権限は残っているな??」

「はい。伯爵より任を解かれたわけではありませんので」

「では領兵の武装解除と、防衛施設の無効化を。剣はひとまず返しておこう」

「かしこまりました」


 姫騎士から剣を受け取った騎士団長は、腰に剣を佩履き直して立ち上がる。


「では」


 そして彼は最後に深々と頭を下げると、踵を返して駆けだ出した。


 その後ジャイルズの指示は速やかに実行され、騎士団や警備兵、防衛隊は武装を解除し、荒野の迎撃用魔法陣をはじめとする防衛施設は無力化されたのだった。

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