第8話 パトリックとの対決

「だ、だれだ!? ここには入ってくるなといったはずだぞ!!」


 非常時用の仕掛けが働いているため、まともな方法ではこの部屋にたどり着けない。

 なので、パトリックは侵入者を執事長か騎士団長あたりだろうと思って声をかける。

 しかし、入ってきたのが何者か、まったく認識できない。


「なぜ〈認識阻害〉の魔道具を使っている……? まさか、侵入者……!?」


 慌てて壁へと駆け寄ったパトリックが壁に手を当てると、そこに薄く描かれていた魔法陣が淡く光り始めた。


「くそっ……! なぜここにたどり着けた? いったいどうやって……誰かが、裏切ったのか……!!」


 振り返り、壁に背を預けたパトリックは、怯えたように侵入者のほうへ目を向けた。


「ほう、魔術無効の装置か」


 パトリックが発動したのは、室内でのあらゆる魔術効果を無効化する装置だった。


「な……お前は……」


 そして隠蔽の魔道具が無力化され、現われた人物を見て彼は大きく目を見開いた。


「アラーナ!? なぜ、貴様が……どうやって……!」


 いつか自分のものにしたいと思っていた女性が目の前にいる。

 しかし、鎧に身を包んだ彼女の姿は、パトリックにとって悪夢そのものだった。


「なら、隣の男は……」


 アラーナとともにいる男となれば、その正体はわかったようなものだ。

 その男の名を思い出し、口にしようとしたそのとき――、


「ア、アニキ!?」


 ――アマンダが驚愕の表情を浮かべてそう叫ぶのだった。


○●○●


 ――アニキ!?


 その声が聞こえた瞬間、陽一はドクンと心臓が跳ねるのを感じた。


 彼に弟や妹はいない。

 そもそも過去にアニキなどと呼ばれたことは一度もない。

 にもかかわらず、彼女が自分を呼んでいるのだと、陽一はなぜか確信した。


「あぁ……アニキ……アニキだぁ……」


 視線の先には目に涙をにじませ、泣いているとも笑っているともとれない複雑な表情を浮かべた女性がいた。


 クセのある長い黒髪、薄褐色の肌、グラマラスな体型、厚ぼったいまぶた、高い鼻、分厚い唇。

 元の世界でいえば、ヒスパニック系の女優を彷彿ほうふつとさせる女性だったが、見覚えはなかった。


「アニキぃ……会いたかった……ずっと、会いたかったよぅ……」


 なぜだろう。

 初めて見る女性のはずなのに、不思議と懐かしく思えた。

 自分も、ずっと会いたい相手だったと、そう思わせるような。そして、どこか悲しみを伴うような……。


「アマンダ! 貴様、いったいどういうことだ!!」

「……アマンダ!?」


 パトリックとアマンダが一緒にいることは、部屋に入る前から【鑑定+】で知っていたはずなのに、そのことがすっかり頭から抜けていた。


(まさか、魅了……?)


 初対面の相手にこのような感情を抱くなど、あり得ないことだった。

 だから考えられるは、魔人の魅了。


(……状態異常、なし?)


 しかし自身を【鑑定】したところで、魅了を受けた形跡はなかった。

 そもそも【健康体α】を持つ陽一に魅了は効かない。


「ヨーイチ殿、どうい うことだ?」

「わからん! わからんけど、俺はあいつに会ったことは、ない……!」


 歯切れの悪い返事になった。たしかに初対面のはずだ。

 なのに、なぜそう確信できないのか。


「そんな……アニキ、ひどいよぅ……」


 そして陽一の言葉を聞いたアマンダの顔が、悲しみに染まる。


「アタイのこと、忘れちゃったの? アタイ、ずっとアニキに会いたかったのに……!」

「そんなこと言われても、心当たりが……」


 彼女の過去は事前に調べ上げている。

 数年前に魔王によって生み出され、命令を受けて王国に潜入し、パトリックに取り入った。

 それから、多くの貴族や要人を魅了し、操り、ウィリアムを破滅に導こうとした。


 陽一は彼女の行為を【鑑定+】で詳しく観察しており、容姿はもちろん、普段の言動や行動についてもしっかりと把握していた。

 しかしそうやって事前に調べていたアマンダと目の前にいる女性は、まるで別人のようだった。

 容姿こそ同じだが、ヘンリーを籠絡ろうらくしていた妖女の面影はない。


(でも、こいつは魔人アマンダなんだよな……)


 念のためこの女性に対して軽く【鑑定+】を使ってみたが、彼女が魔人であり、パトリックを籠絡してウィリアムやヘンリー、ひいては王国を破滅に導こうとした張本人であることに間違いはなかった。


 そんなアマンダが、自分を知っているという。

 だが陽一に心当たりはないし、【鑑定+】で調べた限りでは、過去に接点もなかった。

 あればもっと警戒していたはずだ。


(なら、こいつはいま、なにを考えてる……?)


 アマンダは魔人であり、魔人は敵だ。

 陽一は目の前で涙を流す女性の姿に、少しだけ申し訳なく思いつつも【鑑定+】をさらに詳しくかけ、彼女の頭の中を覗いた。


(アニキあいたかったやっとあえたアニキアニキなんでひどいこというのアニキずっとあいたかったやっとあえたアニキアニキアニキもうずっといっしょだよアニキいっしょうはなれないしぬまではなれないアニキアニキアニキアニキアニキ……)


「うわああっ!?」


 アマンダの頭の中はアニキ――すなわち陽一のことでいっぱいだった。

 そこに、敵意も害意も見て取ることができない。


 彼女は純粋に、陽一に会えた――再会できた?――ことに喜び、忘れられていることを悲しんでいるようだった。


 そんなアマンダに、パトリックは混乱しながらも駆け寄る。


「おい、アマンダ! どういうことだ!? 貴様あの男を知って――」

「じゃますんじゃねーっ!!」


 肩をつかんで詰問するパトリックを、アマンダは手で振り払った。


「ぐぁっ……!」


 吹っ飛ばされたパトリックが、壁に背中をぶつけて短くうめく。


「おいおい、仲間なんじゃないのか?」

「は? しらねーっすよ、あんなやつ」


 陽一の問いかけに、パトリックのことなど心底どうでもいいといった様子で、アマンダは答えた。


「そんなことよりアニキ、本当にアタイのこと、忘れちゃったんっすか?」


 しゃべり方まで、変わっていた。

 ただ、陽一にはこちらのほうが自然に感じられた。

 扇情的ともいえる容姿といまの口調にはギャップがあるものの、不思議と不自然さがないのは、男をたぶらかしていたときよりもこちらのほうが本来の彼女に近いからだろうか。


「忘れるもなにも、初対面だろ、俺たち?」

「冗談でもひどいっす!! 本気で言ってんっすか? 意地悪で言ってんだったら、アタイまじゆるさねーっすよ!?」

「そんなこと言われてもなぁ……。じゃあ俺たちって、いつどこで知り合ったの?」

「そんなん決まってるじゃねーっすか。アタイとアニキは……」


 そこで、アマンダが固まってしまう。


「あ、あれ……アタイとアニキは……なんで? あれ? お、おかしいな……あれれ?」


 アマンダは目を泳がせうろたえ始めた。


「なぁ、お前、本当に俺のこと知ってるのか? 人違いじゃないのか?」

「そんなわけねーっす!! アタイがアニキを見間違うなんて――」

「じゃあ、俺の名前は?」

「アニキの、名前……?」


 また、アマンダが固まってしまう。


「あ……ああ……ああああああ……!!」


 そして彼女は、頭を抱えてうめき始めた。


「なんで……アニキの、名前……忘れるわけないのに……やだ……やだよ……思い出せな……うううううう……!!!」


 目尻から、ぽろぽろと涙がこぼれ始める。


「うあああ……やだ……思い出せない……アニキ……なんで……」


 そのとき、ふとアマンダはアラーナを見た。

 そして助けを求めるような表情を浮かべる。


「どうしよう……思い出せない……思い出せないよぅ……助けて…………ねえさん……!!」


 アラーナの目が大きく見開かれた。


「お、おい……それはどういう――」

「あ……」


 自分に助けを求める魔人の姿に戸惑いながら、アラーナが声をかけようとしたとき、


「ぐ……貴様……私を……裏切ったな……!」


 彼女の背後には、剣を手にするパトリックの姿があった。

 護身用のレイピアで、アマンダを背中から貫いたのだった。


「あ……あれ……アニ……ごふっ……!」


 自身の胸元から飛び出した刃を目にしつつも事態を把握できなかったのか、アマンダはきょとんとした表情のまま顔を上げ、その直後に大量の血を吐き出した。

 そして前のめりに倒れ、その拍子に剣が抜けた。

 背中から血があふれ出し、胸の下には血だまりが広がっていく。


 全員が呆然とするなか、アマンダの身体が淡く光ったかと思うと、髪の色が薄紫に変わり、側頭部から角が生え、腰のあたりからコウモリを思わせる翼と尻尾が現われた。


「な、なな、なんだ、これは!?」


 そんなアマンダの姿を見て、パトリックは剣を落として尻もちをついた。


「彼女は魔人だ。知らなかったのか?」


 すぐ近くから聞こえた声に顔を上げると、冷たい表情で自分を見下ろすアラーナがいた。


「ま、魔人、だと……!」

「ああ、そうだ。お前は魔人に利用され、王国を裏切ったのだよ。宰相から出された討伐命令は、届いていたと思うが?」

「あ、あんなもの、宰相が私を陥れるために……デタラメを……! 私と、帝国を、離間りかんするために……」

「彼女の姿を見て、まだそう言えるのか?」


 ただでさえ青くなっていたパトリックの顔が、倒れ伏すアマンダを見るなりさらに色を失っていく。


「ち、違う!! 私は、叛逆など……。ただ、辺境伯が……」

「父上がうらやましかったのか。それもサリス家か?」

「だまれぇ! お前に……お前らになにがわかる!?」


 パトリックは目を血走らせ、吠え始めた。


「貴様らが分家の分際で調子に乗るせいで、私たちがどれだけ侮られているか! 本家である伯爵家を差し置いて辺境伯だと!? 別格などと……ふざけおって……! いくら詭弁を弄しようが、辺境伯は辺境伯だろうが!! 帝国では侯爵と同等の扱いなのだぞ!? 分家風情が我らの風上に立つなど……辺境でのうのうと暮らしている野蛮人のクセに……!!」

「だから父上を陥れたのか? ヘンリーまで巻き込んで」

「ああ、そうだとも!! 辺境伯という爵位はコルボーン家にこそふさわしい!! 分家のものは本来本家のものだろうが! むしろ貴様らが進んで爵位を渡すべきなのだ!! それなのに、貴様らは……!」


 パトリックの勝手な言い草に、アラーナは思わずため息を漏らした。

 結局この男は『辺境伯』という爵位が欲しかっただけなのだろう。

 いろいろと言い訳を並べ立ててはいるが、聞く価値もないものだった。

 もしかすると、長らく魅了を受け続けたせいでまともな思考ができなくなっているのかも知れない。

 だからといって、同情の余地はない。


「どちらにせよ、お前には討伐命令が下されている。もうおしまいだ」

「お……おしまい……? 違う! まだだ!!」


 そう言ってパトリックは、首から提げたペンダントを握った。


「ククク……私がその気になれば、この町を更地にできる! そういう仕掛けが、ここファロンにはなされているのだ」

「知っている」

「ほう……知っていたか。ならば話は早い、私を見逃せ! そうすれば、これを使うのはやめてやる。しかしこれ以上私になにかしようというなら、貴様も道連れだ……!」

「ヨーイチ殿!」


 勝ち誇った様子のパトリックを無視して、アラーナは陽一を呼んだ。

 しかし彼は、倒れたアマンダをぼんやりと眺めたまま、立ち尽くしていた。


「ヨーイチ殿!!」

「……ん? ああ、なに?」

「首尾は?」

「首尾……?」

「サマンサたちのだ!!」

「サマンサ……ああ、うん。大丈夫。全部無力化したよ」


 気の抜けたような陽一の姿に小さくため息を漏らしつつ、アラーナはパトリックに視線を戻した。


「パトリック、お前を拘束する」

「なにを言っている! 死にたいのか?」

「それ、使いたいなら使っていいぞ。もう私の仲間がすべての設備を制圧しているからな」

「ば、ばかな……ハッタリだ!!」


 そこでパトリックは、ペンダントに魔力を込めようとした。


「う……ぐぅ……」

「どうした。私たちを道連れにするんじゃないのか?」

「くそ……くそぉっ!!」


 だが、結局パトリックは、ペンダントに魔力を込められなかった。

 もしアラーナの言っていることがハッタリで装置が作動したらと考えると、怖くなってしまったのだ。


「……情けないやつめ、貸せ」

「ま、待て……!」


 パトリックは抵抗しようとしたが力で姫騎士に敵うはずもなく、あっさりとペンダントを奪われてしまう。


「これに、魔力を込めればいいのか?」


 このペンダントに魔力を込めるのは誰でも構わないことを、アラーナは陽一の【鑑定+】によって知らされていた。

 もちろんその仕様を、パトリックが知らないわけがない。

 だからこそこのペンダントは当主以外の手に渡らないよう厳重に取り扱われていた。


 その貴重な、そして危険なペンダントが、他人の手に渡ってしまった。


「な、なにをする!? やめろー!!」


 パトリックが止める間もなく、アラーナはペンダントに魔力を込めた。

 彼女の手に収まるペンダントから、淡い光が漏れる。


「そ、そんなぁ……」


 それを目にした瞬間、パトリックの股間がじわりと濡れる。


「お、おわりだ……私も、この町も、そしてお前らも……みーんな終わりだぁー! あはは……あはははっ……!」


 しばらくのあいだ、パトリックは狂ったように笑い続けた。


「あはははは! あは……は……はれぇ……? なんで……なにも、起こらない……?」


 彼は床にへたり込んだまま、間の抜けた表情でキョロキョロと辺りを見回し始めた。


「だから言っただろう、頼みの自爆装置など私の仲間が無力化したと」

「ほ、ほんとうに……?」


 呆然としていたパトリックの顔に、なぜか笑みが浮かび上がる。


「助かった……のか? 私は、助かった……そうだ、助かったんだ……! あはははは! 助かった、助かったぞー!!」


 焦点の合わない目を虚空に向けながら、壊れたように笑い続ける伯爵の姿に、姫騎士は憐れみの視線を向ける。


「そうだな、死なずに済んだことを喜ぶがいい。いまは、な」

「あはははははー! 私は死なない! 町も沈まない!! 私は生き延びた!! 私は助かったぞー!!」

「ふむ……とりあえず静かにしておけ。耳障りだ」

「あはは――ぐぁ……」


 呆れたように呟いたアラーナが絶妙な力加減で後頭部を小突くと、パトリックは短くうめいて意識を失った。


 次に彼が目を覚ましたとき、正気を取り戻しているのか、犯した罪を悔いることがあるのか。


「……もう、どうでもいいか」


 小便を垂らしてぐったりと倒れるパトリックの姿に、一連の騒動が解決したことをアラーナは悟った。

 それはもちろん喜ばしいことではあるが、彼女の表情は険しいままだった。


 なにせいまは、もっと気になることがあるからだ。


「さて、こちらは片づいたが……」


 振り返ると、よたよたとアマンダに歩み寄る陽一の姿が見えた。

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