第21話 宰相の策略

 アマンダの魅了は、彼女の魔力が及ぶ範囲から外れると、かなり緩和されてしまう。

 その範囲は王都全域にも及ぶが、裏を返せば彼女が王都にいなければ、魅了の効果は激減してしまうわけだ。


 もちろんヘンリーのように解除されたわけではないので、ふたたびアマンダの影響下に入ってしまうと、魅了は再発するのだが。


「パトリックはおそらくコルボーン伯爵領に戻っている」

「おそらく? それがわかっていて捕らえられないのですか?」

「もちろん、関所や町など各地に手配はしている。しかし、連中はその網にひっかからないのだ」

「では、なぜ自領に向かっていると?」

「それらしい馬車を見たという目撃証言はあるのだよ」


 街道を歩く者や町の住人は、コルボーン家のものと思しき馬車を目撃している。

 もちろん魔術による隠蔽はされているのではっきりそうと断定はできないが、それでも高貴な馬車が王都からコルボーン伯爵領方面へかなりのスピードで向かっている、というのは確認できた。

 タイミングからして、パトリックらを乗せたものに間違いはないだろう。


「しかし、関所や町の衛兵たちは、見覚えがないというのだ」


 アマンダが魅了していたからである。


 身体を重ね、魔力を及ぼすことで心身ともに他人を支配するアマンダの魅了だが、短期間であれば、あえて身体を支配するまでもない。

 なので、彼女は通行記録の残る場所を魅了を使ってくぐり抜けているのだろう。


「追っ手も差し向けているし、ルート上では待ち伏せもしているのだが、まったく捕らえられる気配がなく、目撃証言だけがあがってくるのだよ」


 だがそうやって各地で魅了を使った結果、王都の貴族たちへの魅了はさらに弱まり、一時的にとはいえ解放されてしまったのだった。


「それで、もしこのままパトリックが自領に戻ったとしたら、どうなります?」


 貴族の領地というのは、ほとんどで自治が認められている。領民や騎士、軍などは、王よりも領主に忠誠を誓っている場合が多く、特に領都はその傾向が強い。なので、自領に逃げ帰ったパトリックを差し出せと勅命をくだしたところで、従わない恐れがある。

 そのうえ彼のそばにはアマンダがおり、彼女の魅了があれば騎士団はもちろん、領都の軍や住民に至るまで、ある程度操ることができるだろう。


「討伐、となるだろうな……」


 ロザンナが、不機嫌そうに顔をしかめる。


 王都から北東に位置するコルボーン伯爵領は、領地こそそれほど広くないが、帝国との貿易において重要な拠点のひとつだった。

 もし討伐隊を差し向けられたパトリックが帝国に助けを求めたら、厄介なことになるだろう。


「そうなれば、公式に反逆者として討たねばなるまい」


 反逆者に対して助力するとなれば、それはあきらかな敵対行為である。

 中途半端な罪で討伐を差し向ければ、助力を求められた帝国があいだに入って和解を促す――もちろんその際に莫大なを要求されるに違いない――ということが起こりうる。

 しかし反逆者の支援という明確な敵対行為をとるようなリスクは冒さないだろう。


「だがそうなると、パトリックに与した者どもを処断せねばならない」


 パトリックに叛逆の罪を問うとなれば、それはウィリアムにありもしない疑いをかけ、辺境と王国とを対立させ、国力を奪おうとした、といったところを起点にいろいろとでっち上げるかたちになる。

 そうなると、パトリックに追随してウィリアムの処断を叫んだ貴族や官僚、軍部の者たちにもそれ相応の罰を与えねばならず、そのことは王国に大きな混乱をもたらすだろう。


「途中で、捕らえられればいいのだが……」


 そう言って、王国宰相は疲れたように大きく息を吐いた。おそらくその望みは薄い、とわかっているのだろう。


「まったく……人を操るなど、あやつはなにをしたのだ? そもそもアマンダとは何者なのだ?」


 もちろん、ロザンナもアマンダについては調査している。

 それも昨日今日の話ではなく、パトリックがウィリアムを糾弾し出した当初からだ。

 パトリックを調べればほどなく浮かび上がる名前であるが、結局のところ素性はわからないままだった。


 力なくため息をつく宰相の姿を目の当たりにしたアラーナは、陽一を見て大きく頷いた。


「あの、宰相殿」

「ん? 君はたしか、ヨーイチ殿といったか」

「はい、そうです。少し聞いていただきたいことがあるのですが」

「ほう、ヨーイチ殿にはなにか妙案があるのかな?」


 少し八つ当たりじみた態度を取ってしまったことに、ロザンナは思わず顔をしかめたが、ことさらに謝罪を表わしたりはしなかった。

 陽一も、彼女の苛立ちをわかっているので、気にはしていない。


「妙案はありませんが、お知らせできることがひとつ」

「ふむ……セレスタン殿のふところがたなは、情報に通じていると聞くが」

「それは光栄ですね」

「で、なにを教えてくれるというのかな? アマンダの正体を知っているとでも?」

「さすが宰相殿、察しがいい」

「本当か!?」


 ロザンナは、思わず腰を上げて身を乗り出した。


「コホン……それで?」


 つかみかからんばかりの勢いだったが、少しだけ恥ずかしそうに咳をして、ソファに座り直す。


「アマンダとは何者かな?」


 赤紫の瞳から放たれた鋭い視線が、陽一を貫く。

 下手なことを言ったら容赦はしないぞ、という意思が感じ取れた。


 そんな宰相の態度を気にする様子もなく、陽一はのんびりとした表情のまま、ロザンナを見つめ返す。

 そんな彼の態度に、ロザンナは一瞬だけ気圧されそうになった。


 そして陽一は、王国宰相の目をじっと見つめたまま、おもむろに口を開いた。


「魔人ですよ」


○●○●


 王国宰相は目と口を大きく開いたまま、しばらくのあいだ固まっていた。

 うしろに控える近衛兵も、同じように呆然としている。


「魔人……だと……?」


 小さく呟いたあと、どこかぼんやりとしていたロザンナの瞳に光が戻り、先ほどよりも弱い視線が陽一に突きつけられる。


「魔人、と言ったのか? アマンダは、魔人だと……」

「はい」

「王都に、魔人がいた……だと……? なんということだ……」


 しばらくぶつぶつと呟いていたロザンナが、ふと頭を大きく振って顔を上げる。


「待ってくれ! ヨーイチ殿は、どうやってそれを知った?」

「秘密です」

「はぁ!? ふ、ふざけているのか!!」

「いえ、ふざけてませんよ。冒険者の秘密です」

「冒険者の……そう、か……」


 冒険者は自身の能力を隠匿することが多い。

 それは自分自身の価値を高めることにも繋がるが、多くの場合は自衛のためだ。

 あるいは、ギルドとの協定による機密事項という場合もある。

 とにかく、冒険者が秘密といえば、それはもう勅命であっても口を割らせることができない。

 その口を無理やり開かせるということは、冒険者ギルドを敵に回すのと同義なのだ。


「アマンダが魔人だとして、貴族どもが操られていたというのは?」

「彼女の能力ですね。アマンダは相手を強く魅了することで人を自由に操ることができるみたいです」

「人を、自由に操る……か」

「ただし、相手は男性に限りますけど」

「男性に、限る……?」


 なんとなく腑に落ちる言葉だった。

 ロザンナ自身疑問に思っていたのだ。

 もしパトリックが本当に人を操れるのなら、なぜ自分がその対象とならなかったのか。


「王国宰相が女性でよかった。さすがに宰相殿を敵に回せば、辺境伯も無事ではいられなかったでしょうから」


 陽一の言うとおりだった。

 ウィリアムを処断し、辺境伯の座を得たいのなら、ロザンナを操ってしまうのが手っ取り早いのだ。

 いや、その気になれば王国を乗っ取れたかもしれない。

 思い返せば、このところ王もどこか精彩を欠いていたようで……。


「まさか、陛下も操られていた?」

「多少の影響はあるんじゃないですかね。本格的に魅了するには、セックスしないとダメみたいですけど」

「セックス……? そうか……」


 これもまた、思い当たることがあった。


 パトリックの側についた貴族は、その多くがあまり評判のよくない連中だった。

 だが、中には優秀な官僚や、ウィリアムと親交のあった軍部の要人も何名かがパトリックにおもねっていたのだ。


 魅了について知るまでその動機が見えなかったが、よくよく考えればパトリック派は好色な者が多かったように思える。


「しかし……本当に、魔人が王都に……? もし、それが事実なら……いや、待て」


 まだどこか混乱していたロザンナの瞳に、強い光が灯る。


「仮に事実ではないとしても……うむ……そうか、魔人か……いい……いいぞ……ククク……はははははっ……!」


 目をぎょろりと開いたまま、口元だけを歪めて笑うロザンナの視線が、陽一を捉える。

 彼は一瞬だけ顔を引きつらせた。


「ヨーイチ殿、君はなかなかに策士だな」

「はぁ」

「そうなのだ、アマンダが魔人かどうか、それが事実でなくても、なんの問題もないのだ!」

「いや、事実ですけどね」

「くふふふふ……いいぞ……」


 陽一の声を無視して、ロザンナは再び自分の世界に入った。


「これで帝国も手は出せまい……無能な貴族どもや、傲慢な軍部にも貸しができる……!」


 ようは全部魔人のせいにしてしまおうというわけである。


「無論、王都に魔人が潜伏し、あまつさえ一部とはいえ貴族や軍の要人が操られていたなどと、おおやけにできるものではないがな」


 考えがまとまったのか、少し落ち着いたロザンナが、陽一らに説明を始めた。

 ただ、興奮は冷めきってないのか、目は少し血走り、呼吸は荒い。


「しかし帝国に対して、内密に申し送ることは可能だ」


 今回たまたま王都に魔人の潜入を許したが、その潜入先が帝都であってもおかしくはなかったのだ。


 なにせ魔人という存在は、不明な点が多い。

 1体で一軍に匹敵する強さを持つ魔人の能力が、潜入や諜報に特化されていたとしたら?


「あちらは宰相始め要職のほとんどが男だからな。まったく、帝国であればよりたやすく支配できたろうに、間抜けな魔人よ」


 明日は我が身と考えられなくもないので、王都に魔人の潜入を許した王国を、帝国が公的に非難することはないだろう。


 そして魔人の情報をしっかりと共有しておけば、仮にパトリックが助力を求めたとしても、帝国がそれに応じることはない。

 なにせ魔人を擁する魔王軍は人類の敵なのだ。

 魔人に与するパトリックへの支援は人類への裏切りである。

 それはすなわちギルドを敵に回す行為であり、臣民の心もまた離れてしまうことだろう。


「つまり、パトリックなぞは適当な罪をでっち上げて、討伐してしまえばいいのだ。操られていたとはいえパトリックに与していた者どもも無罪というわけにはいかんしな」


 こちらも適当な罪をかぶせて、適当な罰を与えるに留めることができる。

 もちろん、叛逆の罪についてはほのめかしつつも、だ。


「そうなれば、無能な連中も少しは勤勉になるだろう。頑固な官僚も、傲慢な軍部も、多少は従順になろうというものだ」


 ともすれば国を傾けるほどの騒動に発展しかけた今回の件は、宰相にとっていいかたちに収まりそうだった。


「どうやら、妙案が浮かんだようですね」


 興奮気味に話すロザンナに、アラーナは落ち着いた口調で声をかける。


「ああ。君たちのおかげでいろいろとうまくいきそうだ」

「それはなによりです。で、父はいつごろ解放されるのでしょうか?」


 アラーナに問われてきょとんとしたロザンナは、すぐに申し訳なさそうな笑みを浮かべた。


「すまない、そのことを伝え忘れていたな」


 そこで言葉を切った宰相は、咳払いをひとつして表情をあらためた。


「正式な通達はあとになるが、いまこの時点をもってサリス辺境伯ウィリアムへのを解除する」


 ロザンナの宣言を聞いて、アラーナと陽一、ほかのメンバーの口から安堵の息や声が漏れる。


「ありがとうございます、宰相閣下」

「すべてはこちらの落ち度であり、ウィリアム殿にはなんの責もない。それこそ、礼を言われるようなことではないのだ」


 互いの言葉に、アラーナとロザンナは顔を見合わせ、笑みを浮かべた。


「あ、それじゃあ僕、辺境伯にお伝えしてきますね」

「うむ、頼む」


 ここに至って宰相の護衛は不要と判断したのか、近衛兵は部屋を出て軽快に駆け出した。


「あっ!」


 その直後、陽一が声を上げて立ち上がる。


「どうしたのだ、ヨーイチ殿?」

「まずいまずいまずまずい……!」


 アラーナの問いかけに答えず呟いたあと、陽一は部屋を飛び出した。


「いまはまずいんだって!!」


 叫びながら廊下を駆け出した陽一の様子に首を傾げながらも、残された女性陣も立ち上がり、小走りにあとを追った。


「いやああああああああああああああああっ!!!!」


 そして先頭を行くアラーナが陽一の背中に追いつこうとしたとき、女性の悲鳴が屋敷内に響き渡るのだった。

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