第19話 倒錯した主従関係
「倒錯した主従関係……でしょうか?」
アラーナに嫌われ、陽一に叩きのめされて消えかかっていたヘンリーの魅了は、ヘイゼルに暴力を振るうことで完全に解除された。
そのことを聞いた実里が、ふとそんなことを口にしたのだった。
「倒錯した主従関係?」
「えっと、わたしも海外ドラマで見ただけなんで、専門知識があるわけじゃないんですけど」
「あ、それって科学捜査のやつ? あたしも見たことあるかも」
どうやら同じ海外ドラマを、花梨も見たことがあるらしい。
「ヘンリーくんとヘイゼルちゃんがやってるのは、SMプレイよね?」
「え? ああ、まぁそうだな」
ストレートにSMプレイと言われたことに、陽一は少し怯む。
アラーナも以前までなら意味はわからなかったが、いまは身をもって知っており、そんな弟の性癖をはっきりと口にされ、恥ずかしげに身をすくめた。
「じゃあ聞くけど、SとMを主従関係に見立てた場合、どっちが主でどっちが従だと思う?」
「そりゃあ、女王様と奴隷にたとえられるし、Sが主でMが従なんだろう」
「それがさ、逆だって言うのよ、そのドラマだと」
ドラマに登場するセラピストが言うには、見た目や言動から受ける印象よりも、どちらが奉仕しているのかが重要なのだとか。
「奉仕……? 奴隷が女王様の足を舐める、みたいな?」
「ううん。そうじゃなくて……大事なのはそういううわべだけの行為じゃなく、こう、本質的ななにかというか……」
「そうですね……、SとMがそれぞれなにを求めているのかを、考えるといいかもしれません」
「んー……Sは相手の痛がったり、嫌がったりする姿を見たい、のかな? で、Mはそのための苦痛を求めている……?」
先日、アラーナの尻を叩いたときは、彼女の嫌がる姿……というか、恥ずかしがる姿に興奮を覚えたのを思い出す。
「つまり、SはMのリアクションが欲しいわけよね?」
「まぁ、そうなるのかな」
尻を叩かれ、戸惑い、恥ずかしがるアラーナの姿は、とても魅力的だった。
「Mのリアクションを得るために、Sは苦痛を与えなくてはならない。でも、Mはそれを受け止めて、ただ思うままに反応するだけでしょう?」
「つまりそれが、Sの奉仕をMが享受する、みたいなかたちになるってこと? んー……どうなんだろう」
そんなに単純な話なのだろうか、と陽一は腕を組む。
「でもさ、Mの反応が悪いとSは怒るだろ? もっといい声で鳴けーっ! みたいにさ」
「そうやってMに思いどおりの反応を示してほしいとき、試行錯誤するのはどっちかしら? 気に入らないからって、ただ力任せに暴力を振るうだけで、相手から望む反応は得られる? やっぱりいろいろと加減するんじゃないかしら」
「あー……」
明確に意識したわけではないが、アラーナの尻を叩くとき、陽一はかなり手加減をしていた。
とくに意図したわけではないが、あまり痛くするのは可哀想だと思ったからだ。
彼は生粋の
「もちろん、これはドラマの話だから嘘か本当かはわからないわよ。それに、いまとなってはちょっと古い説だし」
医学の世界、ことに精神医学というのは、短期間に常識が変わることが多い。
これまで個性として片づけられていたものに、病名がつき、治療法が確立される、ということが頻繁に起きているような世界だ。
古いドラマの知識をそのまま事実として捉えるのは、危うい考えかもしれない。
「まぁでも、ヘンリー坊やはようわからんうちに、誰かに支配されとったんやんな?」
「それは……」
アラーナの尻を叩いていたとき、征服欲が満たされるのを陽一は感じていた。
自分が姫騎士を支配しているのだと。しかしその主従関係が逆だったとしたら?
「何者かに自ら望んで支配され、しかもその自覚がない、……か」
ヘンリーは暴力によってヘイゼルを従えているつもりなのだろう。
しかしその実、支配者はヘイゼルなのだとしたら、ヘンリー本人にその自覚がないことも頷ける。
「ヘンリーが、ヘイゼルに支配されている?」
不安げな表情を浮かべるアラーナの肩を、陽一はポンと優しく叩いてやる。
「たぶんヘイゼルちゃんに、その自覚はないよ」
ヘイゼルは、あくまでヘンリーの行為に応え続けてきただけだ。
どう反応すれば主人が喜ぶのか、それだけを考えていたに違いない。
親を失いサリス家に預けられた彼女にとっては、ヘンリーに嫌われることは居場所を失うことにもなる。
それ以上に、幼いころから同じ時間を共有したヘンリーに好意を抱いてもいたのだろう。
「それに、ヘンリーくんは、たぶんもうヘイゼルちゃんじゃなければダメなんじゃないか」
思春期に受けた強い性的な刺激が、一生の性癖になることがあるという。
特に男性はその時期、射精とともに得た刺激に性的嗜好を強く左右されるらしい。
初めてヘイゼルを犯したとき、ヘンリーは無理やり彼女を押し倒した。
ヘイゼルは幼馴染の唐突な凶行とそれにともなう痛みに驚き、嘆いたが、ほんの少しだけ悦びもした。
そして、その姿がヘンリーの脳裏に焼きついた。
罪悪感がなかったわけではない。
しかし、ヘイゼルの姿を見て湧き上がる衝動を、ヘンリーは抑えられなくなった。
そうして、彼は乱暴に幼馴染を犯し続け、ヘイゼルは、その行為にひたすら主人の求めるかたちで応え続けた。
どうすれば、このメイドは自分の思うとおりに泣き、顔を歪めるのだろう。
どう反応すればこの主人は、悦んでくれるのだろう。
そうやって互いの嗜好を研ぎ澄ませていく。そんな関係を、何年も続けていたのだ。
「ほかの女じゃあ、満足でけへんやろなぁ……」
シーハンが、少し苦い表情でしみじみと呟く。
もしかすると、過去にそういう性癖を持つ男性を相手にしたことがあるのかもしれない。
「とにかく、ヘイゼルちゃんがいたからヘンリーくんは完落ちしなかったわけだし、そのおかげで俺たちは間に合ったんだから、よしとしよう」
現在アラーナが領主代行となっているのは、たまたまヘンリーがメイルグラードに不在だったせいだ。
もしヘンリーが町に残っていれば、彼が領主代行になっていただろう。
次期当主ともいうべきヘンリーが父の罪を認めるような発言をすれば、反逆罪が確定していた恐れがあった。
疑惑の段階ならともかく、一度罪が確定してしまえば、あとからそれを覆すのは難しい。
王国のような封建主義の残る国では、いくらあとから無罪の証拠を並べ立てたところで、王の名において下された決定を取り下げさせるのは不可能に近いことだった。
「疑惑の段階で私たちが王都に来られたのは、ヘンリーが踏みとどまり、ヘイゼルがそれを支え続けてくれたおかげ、というわけか」
弟は、自分にできるギリギリのところで戦っていたのだ。
それを情けないと叱りつけてしまった。嫌いだと、告げてしまった。
「なに、結果オーライってヤツだよ」
アラーナに叱られ、嫌われたことが、魔人の魅了をとく第一歩になった。
陽一との決闘やヘイゼルとの行為だけでは、完全に魅了を解除できなかったかもしれないのだ。
「うむ……」
だが、彼女にとってそれはやはり結果論にすぎない。
だからアラーナは、今回のことが落ち着いたら、一生懸命戦っていた弟に謝り、そして褒めてやろうと決めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます