第18話 陽一vsヘンリー

 右手に長剣、左手に短剣というのは、オーソドックスな剣士のスタイルのひとつである。


 ただ、執事のヴィスタが扱う双剣とはまた意味が異なる。

 左右それぞれの剣が変幻自在に動き、攻撃と防御を繰り返す双剣と違って、ヘンリーのスタイルは長剣が攻撃、短剣が防御と役割が決まっているのだ。


 対する陽一は、ヘンリーがよこした短剣を逆手に構えていた。

 刃引きをされた訓練用のもので、特に細工などはされていなかった。


「せぁーっ!!」


 ヘンリーは、気合いとともに踏み込み、上段から陽一へと斬り込む。それは非常に素早く、鋭い攻撃だったが……。


(……遅っ)


 セレスタンに鍛えられた陽一にとっては、あまりに当たり前で、ひねりのない攻撃だった。


 先ほどまでは冷静さを欠いて、お粗末な動きになっていたのかもしれないとわざわざ仕切り直してみたが、大して改善はしなかった。


 踏み込んできたヘンリーを前に、陽一は短剣を左手に持ち替えた。

 そして脳天をめがけて振り下ろされた剣をかわしつつ、短剣の刃を合わせて受け止める。


「むっ!?」


 衝撃を殺すように斬撃を受け止められたヘンリーが、思わず声を上げる。

 そんなヘンリーの驚きを無視し、陽一は彼の動きが完全に止まった瞬間、右手でサーベルのつばをつかんだ。


「よっと」

「なっ!?」


 そして、力ずくでサーベルをもぎ取り、うしろに放り投げた。


「うぁーっ!」


 サーベルを失ったヘンリーの左手から短剣が突き出される。

 防御用だからといって、攻撃に使えないわけではないのだ。


「ほっと」

「ぐぁっ!」


 しかしその切っ先が届く前に、ヘンリーは左手首を手刀で打たれ、短剣を取り落とした。


「はい、おしまい」


 そして次の瞬間、ヘンリーの首筋に短剣の刃が押し当てられた。


「俺の勝ちってことでいいかな?」

「え……あ……」


 陽一に尋ねられたヘイゼルはどうしていいかわからず、視線を泳がせ、戸惑いの声を上げる。


「ま、まだだぁー!!」


 雄叫びとともに、ヘンリーが殴りかかってくる。

 これが真剣を使った勝負なら、短剣で首を斬られて終わりなのだが、使っているのは訓練用に刃引きされたものなので、ヘンリーは気にせず襲いかかってきた。


 刃引きされているとはいえ、金属製の短剣であることにかわりはなく、たとえば角度を変えて喉を貫けばいまの条件でも勝つことは可能だろう。

 ただし、元より陽一の側に殺意はなく、彼はうしろに大きく跳んでヘンリーのこぶしをかわした。


「あらら、勝負は続行ってことかな?」


 勝敗はどちらかが降参するか、あるいは死ぬか、そのどちらでもない場合はヘイゼルの判断に任せると決められていた。


「えっと……」

「僕はまだ負けてない!!」


 ヘイゼルの回答を待たず、ヘンリーが宣言する。

 こうなってしまえば、ヘイゼルも主人の意向には逆らえないだろう。


「ま、そのガッツは悪くないかな」


 そう言って軽く肩をすくめた陽一が、手に持っていた短剣を手放した。


「こいよ。義兄にいさんが気の済むまで相手をしてやろう」


 もとより【鑑定+】である程度調べていたが、さらに数回の攻防を経て、ヘンリーの実力は完全に把握できた。

 冒険者でいえばCランクになれるかどうか、というあたりで、メイルグラードにいたころのグラーフに近い強さといえるだろう。

 セレスタンの修行によって飛躍的に成長した陽一の敵ではない。


 余談ではあるが、『赤い閃光』の勇者グラーフは、陽一との決闘、そして魔人襲来を経てかなりの成長を見せていた。

 さらに名工サム・スミスの装備品を手に入れたことで順調に活躍し、近々Bランクに昇格するとのことだ。


「うわあああっ! バカにするなぁーっ!!」


 拳を振り上げて躍りかかってくるヘンリーを、陽一は構えもせず棒立ちで迎えた。


「くらえーっ!」


 大ぶりだが、鋭い右ストレートが陽一の顔面に迫る。

 しかしそれが届く一瞬前に、陽一が無造作に振り上げた左手によって、あえなく払われる。


 ――パシンッ!


 そして次の瞬間、平手打ちがヘンリーの左頬を打った。


「え……?」


 突然のことに理解が及ばず、ヘンリーはまぬけな声を漏らした。


 頬に走った衝撃と乾いた音から、ぶたれたことはわかったが、痛みがそれほどなかった。

 左頬はじわじわと熱くなってきたが、やはり痛いというほどではない。


 平手打ちによって無理やり反らされた顔を戻すと、陽一は相変わらず棒立ちのままだった。


「ああああーっ!!」


 雄叫びによって無理やり自分を奮い立たせ、左フックで敵の胴を狙う。


 ――パシンッ!


 ヘンリーの攻撃はまるで羽虫を払うように軽々と叩き落とされ、乾いた音とともに今度は右頬に軽い痛みが走った。


 そこからは一方的だった。


 ヘンリーがなにをしようと、陽一はそれを軽くあしらい、次の瞬間には頬がぶたれる。

 つかみかかろうとしても胸に軽く手を当てられれば、そこから一歩も前に進めなかった。

 まるで、巨大な岩石を押し返そうとするように、1ミリも間合いを詰めることができないのだ。

 そうやって攻めあぐねていると、また頬をぶたれた。


「まだやるかい?」


 左右合わせて10回以上ぶたれたヘンリーの頬は、赤く腫れ上がっていた。

 彼があまり痛みを感じていないのは、興奮によって分泌されたアドレナリンの作用によるもので、ダメージは確実に蓄積しているのだ。


「うるさーい!!」


 それでも諦めずに立ち向かってくるヘンリーの姿に陽一は軽くため息をつき、少し大ぶりの平手打ちを食らわせた。


「うぁっ……!」


 頬に走るこれまでよりも強い衝撃に、ヘンリーは軽く吹っ飛ばされ、倒れた。


「う……うぅ……まだ、だ……」


 よろめきながらも、立ち上がろうとする。


「もう、やめてっ……!」


 そこへ、ヘイゼルが覆い被さった。


「ど……どけ……」

「もう、やめよう、ヘンリーちゃん……!」


 ヘイゼルは正面から主人に抱きつき、彼をなだめた。


「邪魔を、するな……」

「無理……だよ……!」

「僕は、まだ……負けてない……!」


 ヘイゼルに抱きつかれながらも、ヘンリーは陽一を睨みつけ、立ち上がろうとする。


「勝てないよ……ヘンリーちゃん……」

「うるさい……僕は、勝つんだ……あいつに勝って、姉さまと……」

「だから無理なんだよヘンリーちゃん……!! だって……」


 ヘイゼルはヘンリーから少し身体を離し、彼の目を見つめたまま、うしろ手に陽一を指さす。


「あの人、全然本気出してないじゃないっ……!!」


 はっきりとそう告げられたヘンリーは身体を硬直させ、大きく目を見開いた。


「もう、やめよう……? ね?」


 ヘンリーの眉が大きく下がり、目尻からポロポロと涙がこぼれ始めた。

 それでも彼は歯を食いしばり、全身を震わせ、立ち上がろうとする。

 ヘイゼルが再び抱きついてそれを止めた。


「やめて……もう、無理だよ……」

「離せ……邪魔をするな……」


 そんなふたりのもとへ、陽一がつかつかと歩み寄る。


「じゃあ、俺の勝ちってことでいいかな、ヘイゼルちゃん?」

「待てっ……僕は、まだ――」


 抗議しようとしたヘンリーに抱きついたまま、ヘイゼルは何度も頷いた。


「――ちがう……僕は、まだ……うぐ……」


 なおも抵抗しようとするヘンリーを、ヘイゼルは押さえ込むように強く抱きしめる。


「あなたの、勝ちで、いいです……」

「イヤだ……ヘイゼル……離せぇ……」


 ヘイゼルはさらに腕に力を込めながら振り向き、陽一を睨みつける。


「あなたの勝ちでいいですから、もうどこかへ行ってください……!!」


 そしてすぐに陽一から顔を逸らし、ヘンリーに向き直る。

 当のヘンリーは、ずっと陽一を睨みつけたままだった。


「了解、じゃあ俺の勝ちってことで」

「ま、待てっ……!!」


 踵を返し、立ち去ろうとする陽一に手を伸ばすヘンリーだったが、ヘイゼルに邪魔をされて立ち上がることすらできない。

 言い換えれば、か弱いメイドにすら抵抗できないほど、彼は消耗しているのだ。


「アラーナ、みんな、いこうか」


 こうなると自分たちは邪魔者だろうから、揃って訓練場を去ることにした。

 アラーナは名残惜しそうにしていたが、自分にできることはないと悟り、陽一のあとに続く。


(あと、ひと息だったんだけどな……)


 陽一は戦いながら、ヘンリーの状態を【鑑定】していた。

 アラーナに嫌われたショックと、陽一の血液カプセルを飲んで緩んでいた魔人の魅了は、陽一にいたぶられることでさらに緩和していった。


 陽一にはどうあがいても勝てない。

 その絶望に加え、ヘイゼルからはっきりとその事実を突きつけられた。

 さらに敗北を宣言されたことで、完全に魅了がとけるかと思われたが、わずかに残ってしまったようだ。


 それは、いってみれば根っこにあたる最も厄介な部分で、普段は問題ないもののちょっとしたきっかけがあれば再発してしまう、という状態だった。


(あとは、時間が解決してくれるのかな。もしくは、原因となる魔人を倒せば……)


 そんなことを考えながら、アラーナを始めとする女性陣とともに訓練場を出ようとしたときだった。


「うあああああああーっ!!」


 ヘンリーの悲鳴とも雄叫びともつかない声が、陽一らの耳をついた。そして――、


 ――パシンッ!!


 乾いた音が訓練場に響いた。


「お前のせいだっ!!」

「あうっ……!」


 再びパシンッ! と乾いた音が鳴り、ヘイゼルの短い悲鳴が続く。


「お前のせいでっ、僕はっ、あいつにっ……負けたんだっ!!」

「ひぎぃっ! ごめんなさいっ……ごめんなさいっ、ヘンリーちゃんっ……!!」


 見れば、わめきながら何度もヘイゼルの頬をたたくヘンリーの姿があった。

 さらに彼は、メイドの髪を乱暴につかみ、彼女の前に顔を突き出す。


「なんだその口の利き方はぁ!?」

「ひぃっ……申し訳、ございません……!」

「だいたいなんでメイドのお前が主人の意向に逆らうんだ!? 僕はまだ負けてなかった!」

「あうぅ……ご主人さまの言うことを聞けない……できの悪いメイドで、申し訳、ございません……!」

「お前のせいで、僕はぁっ!!」

「ひぅっ!!」


 ヘンリーは怒鳴りながら、髪の毛をつかんだままヘイゼルを引きずり、そして投げ飛ばす。


「な……なにをしているんだヘンリー!?」


 ヘイゼルを乱暴に扱う弟の姿に、しばらく呆然としていたアラーナがようやく声を上げた。


「お前というやつは、ヨーイチ殿に負けたうえに情けないことを――っ!?」


 弟を叱りつけながら駈け出そうとしたアラーナだったが、陽一に肩をつかまれ、引き留められる。


「ヨーイチ殿、なぜ止める!?」

「いや、あれは放っておいたほうがいいだろ?」


 陽一に抗議したあと、ふたたび視線を戻すと、ちょうどヘンリーがヘイゼルのスカートをむしり取ったところだった。


「いやぁっご主人さまぁ……!」


 ショーツに覆われた小ぶりな尻が、露わになった。


「ああっなんてことを! ヘンリー、やめろっ……!!」


 なおも踏み出そうとする姫騎士を、陽一は引き留めた。

 少し前なら力ずくで振り払われていただろうが、セレスタンとの修行のおかげか、なんとか彼女を押さえるだけの力を得ることができていた。


「できの悪いっ! メイドにはっ! お仕置きだっ!!」

「あひぃっ! んぎっ! 申しわけ……ございません……! ご主人さまぁっ!!」


 ヘンリーは、露わになったヘイゼルの尻を、何度も何度も叩いた。


「あ、あれを、放っておけというのかっ!?」

「っていうか、あたしたちが入り込む余地、ある?」


 抗議の声を上げたアラーナに、花梨が冷めた口調で答える。


「え……?」


 花梨の言葉に呆然とするアラーナ。

 対して実里とシーハンは、花梨に同意するように頷いている。


「なんていうか、もう入ってますよね、ふたりの世界に」

「アラーナには見えへんか? あの子ら周りの空気、真っピンクになっとるで」

「ええっ……?」


 弟が、メイドの尻を何度も叩いている。

 話には聞いていたが、実際に見るとそれはショッキングな光景だった。

 だが、少し冷静になって見ると、たしかにふたりのあいだには、悲壮感のようなものがまったく感じられなかった。


 そして注意深く観察すれば、尻を叩かれるヘイゼルの腰がわずかに動き、あえてヘンリーの平手打ちを受けにいっているのがわかる。

 ヘンリーのほうも、それを見越して腕を振るっているようでもあった。


「こら、もうすぐおっ始めよるなぁ。見学希望やったらうちらもつき合うで?」

「あ……いや……」


 ふたりの姿に触発されてか、アラーナは先日陽一に尻をぶたれたことを思い出し、疼きを覚えた。

 それは単に身体だけの反応ではなく心も連動していて、鼓動がトクトクと早くなっていくのを自覚する。


「ぷっ……くく……なんだよ、それ……」


 そのとき、不意に陽一が吹き出した。


「ヨーイチ殿……?」

「ああ、ごめんごめん。ちょっとおもしろいことがあったんだけど」


 そこまで言うと、陽一は踵を返して歩き始める。


「とりあえずここじゃなんだし、部屋に戻ろう。トコロテンはクールに去ろうぜ」

「あ、ああ……」


 陽一の態度に戸惑いを覚えつつも、この場に留まって弟の情事を目にするのもどうかと思うので、アラーナは彼とともに歩き始め、ほかの女性陣もあとに続いた。


「やっぱり、メイドちゃんが鍵だったのか?」


 誰にも聞こえないほど小さな声で呟いた陽一は、あらためてヘンリーの状態を【鑑定】した。


「んあああぁっ!!」


 ヘイゼルの甲高い声が聞こえたが、陽一は苦笑するに留め、そちらは見なかった。


 ヘンリーにかけられていた魔人の魅了は、跡形もなく消え去っていた。

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