第17話 ヘンリーからの挑戦

 ヘンリーの唐突な乱入に対し、トコロテンのメンバーはとくに驚く様子を見せなかった。

 ヘンリーが帰ってきたことも、彼がヘイゼルからアラーナの来訪を告げられて駆け込んでくることも、【鑑定+】によって知っていたからだ。


「姉さま……わざわざ辺境から、こんな遠いところまで、僕に、会いに……」


 血走った眼球を小刻みに震わせながら、よたよたと歩み寄ってくるヘンリー。

 ソファを立ったアラーナは、そんな弟の正面で立ち止まった。


「ああ……姉さま……やはり、お美しい」


 どこか卑屈に感じられる笑みを浮かべる弟に、姫騎士は冷たい視線を向けた。


「ヘンリー、私はお前に会いにきたのではない。父上の様子を見にきたのだ」

「父上……の……?」


 姉が自分ではなく父に会いにきたのだと知ったヘンリーは、表情を曇らせる。


「ヘンリー。私が今回のことを聞き、ここへ来るまでにもう何日も経っているが、なぜまだ父上が解放されていないのだ? お前はサリス家の次期当主として、いったいなにをしていた?」


 サリス家の次期当主としてなにをしていたのか、との問いを受けたヘンリーが、不自然に明るくなった。


「聞いてください、姉さま。僕は、サリス家のために一生懸命がんばったんだ! パトリック様と話し合って、サリス家の未来を勝ち取ったんだ!!」

「ほう……なら、なぜ父上が解放されていないのだ?」

「父上は叛乱を企てたのですよ!? それは正しく裁かれなくてはならない!! 本来ならサリス家は取り潰しになってもおかしくないんだ! でも、僕がパトリック様にお願いして、サリス家を存続できるよう取り計らってもらったんだよ!!」

「ヘンリーちゃん!?」


 ヘンリーの言葉に、思わずヘイゼルが声を上げる。

 先日同じようなことを言っていた彼だったが、その考えは改められたはずだ。

 なのに、また元に戻っている。


「ち、違うんです、おねえさまっ!! ヘンリーちゃんは――」


 パトリックのところへ行くたびに、主人がおかしくなる。

 そんな恐怖を抱きながら、咄嗟とっさに訴え出たヘイゼルを、アラーナは手を上げて制し、大きく頷いた。


「あ……う……」


 そんなアラーナの姿に、ヘイゼルは不思議な安心感を覚えた。


「そうだ! 姉さまもパトリック様のところへ行こう! あの人も姉さまに会いたがっていたんだ! 姉さまを連れていけば、きっと喜んでくれる……!」


 そんななか、アラーナとヘイゼルのやりとりにまったく気づいていないのか、ヘンリーは焦点の合わない瞳で姉のほうをみながら、喋り続けている。


「あとのことはパトリック様に任せて、これからは姉さまと一緒に暮らすんだ! さぁ姉さま、僕と一緒に――」


 ――パシンッ!


 乾いた音が、室内に響く。


「――え……?」


 なにが起こったのかわからず、ヘンリーは呆然としていた。


「えっ……なん、で……」


 そしてジンジンと痛む頬を押さえ、視線を戻したところで、ようやく姉にぶたれたのだと気づいた。


「情けない……。我が弟ながら情けないぞヘンリー」

「え……ねえ、さま……?」


 姫騎士の顔に、怒りが浮かび上がる。

 それを受けて、ヘンリーは怯えと戸惑いの表情を見せた。


「なにがパトリック様にお願いをして、だ! いいかヘンリー! サリス家は辺境の自治権と爵位を自らの手で勝ち取ったのだ!! それは誰かにお願いをして、与えられたものではない!! その地位が不当におとしめられるなら、抗わねばならない! その権利が不当に奪われたなら、奪い返さなくてはならないのだ!!」

「で、でも、このままじゃサリス家は……それに、コルボーン家は本家筋だし……」

「それがどうした!! 我らの地位と、権利を奪おうとするものは何者であろうと敵だ!! 戦ってしかるべきだろう!? なのにお前ときたら、戦いもせず敵に尻尾を振るなど……」


 そこまでいうと、アラーナ大きなため息をついた。


「とにかく……お前のように惰弱な者など、私は嫌いだ……!」

「え……?」


 ヘンリーの顔から表情が抜け落ち、ぽっかりと口を開けたまま固まった。


 ほどなく眉が下がり、口元がわなわなと震え始める。


「姉さまが……僕を……嫌い……?」

「ああ。嫌いだ」

「なんで、そんな……僕は、サリス家のために……がんばったのに……。パトリック様にお願いして……」

「だからそれがダメだと言っている! お前もサリス家の男子なら、なぜパトリックの首を獲ってこないのだ?」

「パトリック様の……首……? パトリック様に……逆らう……? ううう……!」

「ヘンリー……?」


 呆然と立ち尽くしていたヘンリーは、突然頭を抱えてうずくまり、うめき始めた。


「ダメだダメだ……パトリック様には逆らえない……でもそれだと姉さまに嫌われる……ああああああ!!」

「おい、ヘンリー! どうし――」

「アラーナ!」


 うずくまるヘンリーに近寄ろうとしたアラーナを、陽一が止めた。


「アラーナ、言っただろう? ヘンリー君は魅了されているって」

「でも、ヨーイチ殿……」

「気合いでどうにかなるもんじゃないん……だけど……あれ、ちょっととけかかってるかも?」

「ほ、本当か……?」


 慌てるアラーナをなだめながら、陽一はヘンリーを観察する。


「ヨー……イチ……?」


 すると、うずくまっていたヘンリーが顔を上げ、陽一の姿を視界にとらえた。


「ヨーイチ……ヨォーイチィィッ……お前のせいだ……!!」


 ぎょろりと見開いた目で陽一を睨みつけながら、ヘンリーが叫ぶ。


「お前のせいで、おかしくなった! 姉さまも父上も、辺境の町も、全部お前が来てからぁおかしくなったんだぁー!!」


 いまにも飛びかかりそうな様子で立ち上がろうとしたヘンリーだったが、うまく脚に力が入らなかったのか、よろめいて膝をついた。


「姉さま……姉さまは……弱い僕が嫌いといった……じゃあ強いヤツが好きなんですか……?」

「……ああ、そうだな。私は強い者が好きだ」


 突然の問いかけにアラーナは戸惑いつつも答えてやる。


「だったら……だったらおかしいじゃないかぁー!! あんなヤツの、どこが強いっていうんだ!?」


 いつの間にかボロボロと涙を流し、唾を飛ばしながら訴える弟の姿に、アラーナは少し呆れたような表情を浮かべたが、数回頭を振ったあと、しっかりと弟を見据えて口を開く。


「ヨーイチ殿は、強いぞ」


 まっすぐにそう答えられたヘンリーは何度か口をパクパクとさせたあと、ギリリと歯を食いしばった。


「嘘だ……嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だぁー!」


 叫びながら、ふらふらと立ち上がる。


「強いわけがない……! こんなヤツが……強いわけがないんだ……!」


 よろめきながらなんとか立ち上がったヘンリーは、陽一を睨みつけ、そして指さした。


「決闘だ!! ヨーイチ! 僕と決闘しろ!!」

「ああ、いいよ。やろう」


 そんなヘンリーの申し出を、陽一はあっさりと受け入れたのだった。


○●○●


「すまない、ヨーイチ殿……」


 それから一行は、邸宅の中庭にある訓練場を訪れた。

 決闘に至る経緯を思い出しながら、アラーナが頭を下げる


「なぁに、アラーナのかわいい弟のためじゃないか」


 陽一がヘンリーの申し出を受けた理由は、それだけではない。


 先ほどアラーナにぶたれ、叱られたとき、ヘンリーの魅了が少し緩んだのだ。


「アラーナに嫌われたのが、相当ショックだったんだろうなぁ」

「む……そう、かな。そういわれても、私としてはどうすればいいのか……」


 アラーナにしてみればヘンリーは弟であり、男性として見たことはなかった。

 しかし先ほどのヘンリーを見るに、弟のほうは姉に姉弟愛以上の感情を抱いていることが見て取れた。


 正直に言って理解はできないし、彼の想いに応えるつもりもない。

 しかし赤の他人なら放置して構わないのだろうが、血を分けた弟を放っておくわけにもいかず、どう対処していいのかがわからなかった。


「ま、そこは俺に任せといてよ」


 男同士、戦えばわかり合える、などと単純なことを言うつもりはない。

 ただ、精神的なショックが魅了の解除に繋がる可能性が高いことがわかった。

 人の心が絡むところなので【鑑定+】でも正確なところはわかりかねるが、ここで陽一に叩きのめされれば、さらに魅了は緩むだろう。

 うまくすれば、完全に解除できるかもしれない。


(ま、うまくいかなくても勘弁してくれよ)


 仮にうまくいかなくてもいいと、陽一はある程度開き直っていた。

 そもそもいまのヘンリーは、陽一にとって悪い虫でしかないのだ。

 その悪い虫を駆除するついでに、アラーナの心理的な負担を少しでも和らげられるならそれでいいだろう、程度の気持ちで、ヘンリーの決闘を受けたのだった。


「武器は?」

「短剣を。できれば片刃のがいいかな」

「ふん……」


 ヘンリーは訓練場に置かれた武器のなかから片刃の短剣を選んで、陽一に投げてよこした。

 先ほどまでとは打って変わって、随分元気に、そしてまともに見えた。


「回復、うまくいってよかったですね」


 さすがにああも取り乱した状態では決闘もなにもないだろう、ということで、実里の魔術でヘンリーを回復してやったのだ。

 そのついでに、陽一の血液カプセルも無理やり飲ませておいた。

 【健康対α】保持者である彼の体液には、体力や魔力、傷に加え、状態異常の回復効果もあった。


「なんや、ちょっとスッキリしとんなぁ」

「おう、アレのおかげでさらに魅了が緩んだからな」


 アラーナに嫌われたショックで緩和した魅了が、【健康体α】の限定的な付与によってさらに回復しつつあった。


「ねぇ、いっそアンタがヘンリーくんとやっちゃえばいいじゃない」

「いや花梨、なにいってんの?」

「せやなぁ。あの坊ちゃんのケツにヤンイーの肉注射ぶち込んだったら、魔人の魅了なんて一発やで!」

「やらないからな!?」

「あ、もしかしたら【健康体β】が付与されるかも?」

「実里までなに言ってんの!?」

「むむ……姉として弟に寝取られるのは複雑な気分だが、治療の一環と考えれば……」

「だからやらないって!」

「なにをしている! さっさと構えろ!!」

「おおっと、悪い」


 決闘を前に浮ついている陽一を、しびれを切らしたヘンリーが怒鳴りつけた。


 怒られちゃったじゃないか、と言いたげな表情で陽一が女性陣を振り返ると、花梨は手を合わせてウィンクしながらペロリと舌を出し、シーハンはニヤニヤとした笑みを陽一に向け、実里は下手な口笛を吹きながら視線を逸らしていた。

 アラーナは呆れたように微笑みながら肩をすくめたあと、表情をあらため、真面目な顔で大きく頷く。

 ヘンリーを任せた、ということだろう。


「僕が勝ったら二度と姉さまの前に現われるな」


 右手にサーベル、左手に短剣を構えながら、ヘンリーがそう告げる。

 彼から数メートル下がったところで、ヘイゼルが不安げに様子を見ていた。


「じゃあ俺が勝ったらどうする?」

「なに?」

「俺にとってアラーナに会えないってのはかなりつらいことだ。正直言って、死ぬよりつらい」

「ヨーイチどの……」


 陽一の言葉にアラーナが頬を染め他の女性陣は肘や指でつついたりしてからかった。

 そんな姉を含む女性たちを見たヘンリーはギリリと歯を食いしばった。


「何人も女を侍らせておいて、ぬけぬけと……」

「悪いか? 俺にとっては全員大切な人で、誰かひとりでも欠けるとか考えられないから」


 すると今度は、全員が照れたように頬を染め、お互いをチラチラと見合う。

 それがまた、ヘンリーには腹立たしく映った。


「だったらなんでも言うことを聞いてやる! 死ねというなら死んだっていい!!」

「そうか……なら」


 陽一の顔に、人の悪い笑みが浮かぶ。


「君が負けたら、俺のことをお義兄にいさんと呼んでもらおうかな」

「ふざけるなぁー!!」


 陽一の答えに怒ったヘンリーが、サーベルを振り下ろしながら突進してくる。

 さすがヴィスタに鍛えられているだけあって、その剣筋は鋭い。


「おおっと」


 不意打ちともとれる初撃をひらりとかわした陽一は、互いの立ち位置が入れ替わったところでさらに大きくうしろに跳んで距離をとった。


「いきなり斬りかかってくるなよ。勝敗の条件は?」

「どちらかが降参するか、死ぬまでだぁーっ!!」


 さらに突きかかってきたヘンリーを大きくかわして間合いを取る。


「突っかかってくる前にちゃんとルールは決めようぜ」

「うるさい! お前を殺せばみんなうまくいくんだ! お前さえいなければっ!!」

「ほいほいっと」


 さらに飛びかかってきたヘンリーをかわした陽一は、ヘイゼルのすぐ近くに立った。


「じゃあ審判はヘイゼルちゃんね」

「なに!?」

「えっ?」


 ここでようやくヘンリーの動きが止まる。


「だって、俺は君を殺すつもりはないからさ。でも、いつまで経っても降参しないじゃ、勝負がつかないだろう? だから、ヘイゼルちゃんが終わったと思えば勝負は終わり。どうだ?」

「……いいだろう。ヘイゼル、邪魔だけはするなよ」

「……はい、ご主人さま」


 ヘンリーに頭を下げたヘイゼルが、その場から距離を取る。


「じゃ、いまから開始ということで」


 彼女が充分に離れたところで、決闘が開始された。

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