第14話 辺境伯の現状

 ヘイゼルに案内された先は、領主の寝室だった。


 寝室とはいうが、それはホテルのスイートルームのような部屋で、ベッドだけでなくトイレやシャワー、簡易キッチンなども完備されている。

 一応ひと月は立てこもっても問題ない程度の食料は備蓄されているが、食事に関しては望んだものを運んでくれているようで、いまのところ外に出られないということ以外に不自由はなさそうである。


 寝室の扉の両脇に、それぞれ見張りの兵士が立っていた。


 鎖帷子くさりかたびらの上に厚手の衣服、手甲に金属ブーツという格好は、ジャイルズやケネス、レナードらとよく似た装備である。

 これらは騎士のなかでも領主の近くに配置される親衛隊によく見られる装備だが、彼らは格が違った。


「ほう、近衛兵がわざわざ出向いているのか」


 胸に刺繍された紋章を見れば、彼らが近衛兵であることはひと目でわかった。下手な貴族に見張りをさせて、ウィリアムを刺激してはならないとの配慮だろうか。

 近衛兵が王城を離れた場所で任務に当たることは、そうそうないことである。


 近衛兵は扉の左右に男女ひとりずつ、それぞれ腰にサーベルを佩き、短槍を立てて構えていた。

 貴族の屋敷のように天井が高く通路の広い場所であれば、屋内であっても短槍程度なら振り回すことが可能だ。


 アラーナが寝室へ近づこうとすると、扉の左右から短槍が出され、彼女の行く手を遮った。


「ここは通せない」


 そう告げたのは、女性兵士のほうだった。


「悪いが、父上に緊急の話がある。通してもらえないのなら、呼び出してはくれないか?」

「サリス辺境伯を部屋から出すわけにはいかない」

「ふむ。ならばどうやって父上と話せばいいのかな?」

「話などできるわけないでしょう? いますぐ去りなさい」

「そうか……」


 疲れたようにため息をついたアラーナだったが、すぐに表情をあらため、女性兵士を見据えた。


「Bランク冒険者アラーナとして告げる。この先に用があるので通らせてもらう」

「だめだって言ってるでしょう!」


 一歩踏み出そうとしたアラーナに、ふたりの近衛兵はあらためて短槍を掲げ、行く手を阻む。


「ほう、つまり貴様らは、あくまで私の行く手を遮るというのだな?」

「なにを……」

「王国兵ごときが冒険者の自由を妨げるということで、いいのだな?」

「あなたっ! 私たちを近衛兵と知って――」

「王国兵に違いはないだろう?」

「――ぶ、無礼なっ」

「おいっ!!」


 馬鹿にされたと思ったのか、女近衛兵は短槍の穂先をアラーナに向ける。

 それを見た男のほうがとがめるように声をあげた。


「ほう、私に槍を向けるか。王国兵ごときが」

「なによ……さっきからまるで私たちを兵卒みたいに……」

「なにか問題でも?」

「なんですって……? あなた、えある近衛兵をいったいなんだと思ってるの!!」

「ゴブリンもドラゴンも同じ魔物だろう? なら兵卒も近衛兵も私にとってはただの王国兵だよ」

「なっ……」


 次の瞬間、アラーナの両手に二丁斧槍が現われる。


「邪魔をするというなら、力ずくで通るだけだ」

「やれるものならやってみなさい! 田舎冒険者ごときが近衛兵に敵うなんて思わないことね!!」

「落ち着けっ!!」


 いまにも突進しそうな女性兵士の槍を、男のほうがつかんで止める。


「センパイ! 邪魔しないでくださいっ!!」

「だから落ち着けと言っている!! アラーナ殿も、どうか一度武器を収めて――」


 ――ガチャリ、ギィ……。


 と、そのとき、寝室の扉が開いた。


「なんだなんだ、騒がしいのう」


 扉の陰から現われたのは、サリス辺境伯ウィリアムその人だった。


「なっ!? ちょ、あなたっ――!!」

「はぁ……父上、その恰好は……」

「「ぶほっ……!?」」


 現われたウィリアムの姿に、近衛兵の女性は目を見開いて驚き、アラーナは呆れたように頭を振った。

 そして陽一と近衛兵の男性はほぼ同時に吹き出した。


「なんじゃ、儂の格好がどうかしたか?」


 辺境伯は、一応ガウンを羽織っていた。


「父上、前くらいは閉じてください」


 しかし腰紐をほどき前を完全に開いていたため、胸から腹、そして陰部までもがまる出しになっていたのだ。


「まったく……こんな時間からなにをされていたのですか?」


 股間から垂れ下がるものを見るに、何をしていたのかは一目瞭然である。


((で、デカい……!!))


 そして特大のものに、これまた陽一と男性兵士は同時に同じ感想を脳内で叫ぶのだった。


「なに、暇を持て余しておってな。セックスくらいしかやることがないのだ」

「せ……せせせっく……なんて、いやらしいっ……」


 うろたえる女性兵士を無視して、ウィリアムは真剣な表情をアラーナに向ける。


「ところでアラーナ」

「なんです?」

「オルタンスは来ておらんのか?」

「ええ、母上は留守番です」

「はぁ……そうかぁ……」


 ウィリアムは心底がっかりしたように、大きなため息をついた。


「父上、母上が来るということは、お祖父さまとお祖母さまも一緒にやってくるということですよ?」

「むむっ、そ、それはいかんな、うん」


 3人が揃って王都に来ればなにが起こるのか、ウィリアムもよくわかっているようだ。


「あらぁ、オルタンスさんはいらっしゃらないのねぇ。残念だわぁ」


 そんななか、部屋の奥からひとりの女が現われた。

 その女性もガウンを羽織っていたが、ウィリアムと違ってしっかりと前を閉じている。


 年齢は40半ばといったところか。目尻や口元に浅いしわが見えるものの、下着もなくガウンを押し上げる胸元といい、まだまだ魅力的な容姿を保っているといえた。

 その女性は、乱れた豊かな金髪をゆらしながら、ウィリアムの傍らに立った。


「これは、奥さま……」

「うふふ。アラーナちゃんの声が聞こえたから、てっきりオルタンスさんもみえたのかと思ったのだけど、残念ねぇ」

「父がご苦労をおかけして、申し訳ありません」

「ほんと、苦労するわよぉ」

「おいおい、こうやって一緒に過ごせるのは久々だと言って、お前も楽しんでたじゃないか」

「それにしたって、限度ってものがあるでしょうに」


 夫人がちらりと見た先には、ベッドの上で寝転がるふたりの女性がいた。

 ひとりはシーツにくるまって寝息を立て、もうひとりは全裸のままうつ伏せになり、肩で息をしている。

 肌の張りから見て、随分若い女性のようだ。


「ほかの奥さま方も?」

「当たり前じゃない。わたくしひとりでこの人の相手など務まりませんよ。だからこそ、オルタンスさんに来てほしかったのだけれど」


 そう言って眉を下げる夫人に対して、アラーナもどう返していいのかわからず、ただ愛想笑いを浮かべるに留めた。


「それで、わざわざお主が来たということは、儂になにか用でもあるのか?」

「それなんですが父上――」

「ま、待ちなさーいっ!!」


 話を始めようとしたふたりを、女性兵士が慌てて止めに入った。


「なんだ、また邪魔をするのか?」

「あ、当たり前よ!! あなたたち、叛乱の企てでもするんでしょう!!」

「いや、儂はそもそも叛乱など企んではおらんぞ?」

「ふむ。それに、気になるのならお前も聞いていればいい」

「そ、そうはいかないわよ! 暗号かなにかを使って、意思の疎通をはかるかもしれないし!」


 女性兵士の言いがかりのような主張に、アラーナもウィリアムもそろって肩をすくめた。


「あ、あのー」


 そこへ男性兵士も割って入る。


「こうして話をされるだけでも問題なのです。できれば辺境伯には室内にお戻りいただきたいのですが……」


 女性兵士と違って男性兵士のほうはウィリアムとアラーナ、そして陽一に、どうあがいても敵わないことを理解しているため、控えめにお願いした。


「うむ……では最後にひと言だけかまわんか?」

「だ、駄目に決まっているでしょ! すぐにでも――」

「まぁまぁ君、落ち着いて」

「ちょ、センパイ!?」

「いいからいいから、ここは僕に任せて。ね?」

「むぅ……」


 後輩の女性兵士をなだめたあと、男性兵士はウィリアムに向き直った。

 そのとき、チラリと辺境伯の股間に目をやり、ゴクリと唾を飲み込んだのだが、それに気づく者はいなかった。

 この場に花梨がいれば、彼が先ほどから大人の色香を漂わせるイザベルではなくウィリアムの身体――主に下半身――ばかりを見ていることに気づき、鼻息を荒らげたことだろう。


「あ、あの……ひと言だけ、ですよ?」

「うむ、すまんな」


 男性兵士に軽く礼を言ったあと、ウィリアムはアラーナを見つめ、ガシッと彼女の肩をつかんだ。


「アラーナよ、サリス家の命運はお主に託す。ゆえに、自らの思うとおりにせよ」


 しばらく父の目を見つめかえしたアラーナは、その場で小さく頷いた。


「……かしこまりました」

「うむ」


 最後に、娘の肩をつかむ手にグッと力を込めたあと、ウィリアムは手を離し、踵を返して室内に戻った。


「ねぇねぇ、ところであなた」


 それで終わったかと思えば、ふいに夫人が女性兵士に声をかける。


「な、なにか?」

「あなた、よく見ると可愛らしい顔をしてるわねぇ」

「は、はぁ」

「よかったら交ざらない?」

「はいぃっ!?」


 突然の提案に、女性兵士は頓狂とんきょうな声を上げる。


「あ、あなたは、なにを……!」

「だってぇ、あの人の相手、わたくしたちだけでは大変なんですものぉ」

「だ、だからといって、私が、そんな、破廉恥なことを……」

「はぁ……わたくしがあと10歳若ければいいのだけれど、年には勝てないのよ……。あなた、若そうだし、ね?」

「か、からかわないでください!! そもそも私にはここを見張るという重要な任務が……」

「そんなのひとりいれば充分でしょう? それに、誰もいなくたって、逃げ出したりしないわよぉ」

「あ、あのー……だったら僕が」


 そこへ、男性兵士が割って入ろうとする。


「ほらぁ! 先輩さんがひとりで見張り、してくださるそうよ?」

「セ、センパイ!? イヤです、そんなの!! 私がどうなっても……あの男の慰み者になってもいいっていうんですか!?」

「あ、いや、そういうわけじゃ……」

「と、とにかく! ダメなものはダメなんです!! さっさと部屋にお戻りください!!」

「あらあらあら……」


 結果、夫人は女性兵士に無理やり部屋へと押し戻されてしまった。


 ――ギィ……バタンッ!


 そして閉じられた扉を、男性兵士はしばらく名残惜しげに見続けるのだった。

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