第11話 伯爵の罠
陽一らが馬車に乗って30分ほどが経った。
さすが伯爵家所有の馬車だけあって、揺れることもなく、気温や湿度も快適な状態に保たれていた。
そこそこ高級なコテージに滞在しているような感覚で、とても町中を走る馬車に乗っているとは思えなかった。
「さて、そろそろかな」
馬車の窓から外を見ながら、陽一が呟いた。
陽一にせよアラーナにせよ王都の地理にはかなり疎く、窓からの景色だけで自分たちの現在地を把握するのはほとんど不可能だ。
そのうえスマートフォンやGPSもない世界である。
「あとどれくらいかな?」
「いまの道をまっすぐ進めば5分とかからずコルボーン伯爵家の邸宅に着くね」
しかし陽一には【鑑定+】があり、それを使えば現在地はもちろん、目的地であるコルボーン伯爵家邸宅の位置、そこへ向かうルートや必要な時間までをも正確に知ることができた。
「先輩、本当にやる気なんですか?」
「当たり前だ」
あと少しで目的地に着くというときに、御者台のふたりがそんな会話を始めた。
魔術によって遮音効果が付与された車内には、本来御者台の声は届かない。
しかし、陽一は【鑑定+】を使うことによってこれもリアルタイムに知ることができた。
「うまく、いきますかね?」
「先ほど報せがきたが、準備は万端とのことだ。計画を聞く限り、失敗のしようがない」
「でも、前回は失敗したんですよね?」
「それはあのヨーイチとかいう男の邪魔が入ったからだとよ。ふたりいっぺんに閉じ込めて、外からの救援を断てば、成功は間違いない。心配するな」
「……やっぱり、やめませんか? 隊長のことも――」
「真面目だけが取り柄の無能なおっさんの下で働くのはもううんざりなんだよ!! いいか! この計画がうまくいけば、大金が手に入る! もしかしたら、伯爵の覚えもよくなって、待遇だっていまよりマシになるかもしれないんだぞ?」
「それは、そうですけど……」
「お前だって、金がいるんだろ? 妹を見捨てるのか? ああっ!?」
「うぅ……」
そうこうしているうちに、馬車は目的地を通り過ぎた。
「なるほど、若いほうは一応止めようとはしたのだな」
御者台での会話が一段落したところで、陽一は状況を説明した。
「しかし、妹というのは?」
「レナードくんの妹はいま
「美人局? それは救いようがないというか、なんというか……」
「もとは真面目でいい子だったらしいよ。でもタチの悪い男にひっかかって、それからいろいろやらかしたらしい」
レナードの妹はいつものように金を持っていそうな男を引っかけたのだが、その日の相手はタチの悪い貴族のボンボンだった。
脅しのために部屋へ乗り込んだ彼氏だったが、隣の部屋に控えていた護衛に踏み込まれてその場で首を飛ばされた。
妹のほうもこのときすでに常習犯で、捜査の手が届きつつあったらしい。
そんな事情もあり、ボンボンのほうはもちろん無罪。
妹は高い示談金をふっかけられた。
そして、なぜかボンボンは彼女を気に入り、家事奴隷となることで示談金の支払いを免除するという条件を出した。
「その家事奴隷というのは?」
「もちろん制限なしのやつ」
制限なし、と聞いてアラーナの表情がわずかに曇る。
奴隷だからといって、主人が好きに扱っていいというわけではない。
たとえばこの国における家事奴隷というのは、その名のとおり家の雑事のみを担当する奴隷のことだ。
例えばその家事奴隷を炭鉱につれていくとか、漁船に乗せる、という家事とは関係のないところで働かせるような真似は許されていない。
さらに多くの場合、奴隷には労働制限がかけられている。
同じ家事奴隷でも、掃除はさせてもいいが料理をさせてはいけないとか、ちょっとした片づけなどはさせてもいいが重い荷物を持たせてはいけない、など制限はさまざまだ。
もちろん、本人が望んでいないのに性的な関係を迫ることも禁じられている。
王国ではそうやって奴隷の区分を決め、さらに細かな制限を設けることで彼らの人権を多少なりとも守っているのだ。
そして労働制限がないということは、家の雑事に関わることなら多少の重労働をさせてもよく、性的な奉仕も家事に含まれるのである。
「そんなあわれな妹を救うために、優しいお兄ちゃんは俺たちを罠にはめるってわけ」
「ふむう……同情の余地はなさそうだな」
「あ、ちなみにノッポのほうは楽して金と地位が欲しいだけのクズだから、そっちも気にしなくていいよ」
「そうか。そのような者を騎士として雇い入れるとは、コルボーン家の者どもは人を見る目がないな」
「
長身の騎士ケネスは、目上の者に媚び、目下の者を侮るという、典型的な権威主義者だった。
冒険者を格下に見ているからこそ、アラーナに対して無礼な態度をとっていたわけだ。
たかが一般騎士ごときが高ランク冒険者にあのような態度をとれば本来なら問題になるのだが、王都においては冒険者ギルドに対して王国貴族が多少優位に立てるという特殊な風潮があった。
伯爵家のうしろ盾があるケネスに逆らう冒険者は、少なくともこの王都にはあまりいない。
もちろんゼロではないが、そもそも彼はあまり冒険者と関わることがなかったので、少なくともこれまでは問題にならなかったのだ。
「着いたみたいだな」
先ほどまで流れていた窓の景色が止まっていた。慣性制御の魔術が付与された馬車は、乗客にまったく気づかれることなく停車していたのだった。
「降りろ」
ケネスに促され、アラーナと陽一は馬車を降りた。そこは人通りの少ない住宅街だった。
「そこの建物に入れ」
示された先にあるのはそこそこ大きな屋敷ではあったが、庭の手入れなどがあまりいき届いておらず、とても上級貴族の邸宅には見えなかった。
「コルボーン伯爵家はこのようなみすぼらしいところを住まいとしているのか?」
「違う。ここは離れだ。反逆者の娘と伯爵が表立って会うわけにもいかんだろうが」
「反逆者ではない。嫌疑をかけられているだけだ」
「ふん。お前らがどう思おうと世間的には似たようなものだ。ごちゃごちゃ言っていないでさっさと入れ」
「ちょっと、先輩! いくらなんでも失礼ですよ」
アラーナとケネスのあいだに、レナードが割り込んでくる。
「あの、アラーナ殿、それからヨーイチ殿。外観は少しみすぼらしいですが、中ではちゃんと歓迎の準備ができていますから。これも事情あってのことだと理解していただけると幸いです」
レナードは取り繕うようにそう言ったが、言葉の内容とは裏腹に、申し訳なさそうな態度は一切見せなかった。
「案内はないのか?」
「申し訳ありません。僕たちはここで人よけと警備をしておく必要があるので……。それに、迎えを来させるほど人を割いていないんです。関わる人数は、少ないほうがいいですから」
「ふむ、そうか」
「ささ、ヨーイチ殿もお願いします。中で伯爵がお待ちですので」
上級貴族を待たせている、と伝えれば少しは怯むとでも思ったのだろう。
しかし陽一はとくに表情を変えることなくレナードの前に立ち、逆に彼のほうが少し怯んでしまった。
「あの、なにか……?」
「いいんだな、このまま行っても」
「ですから、先ほどから何度も――」
「案内も迎えもなしに、俺たちふたりだけで屋敷に入ってもいいんだな?」
「ふん、さっさといけといっているだろう」
陽一の問いかけにケネスは即座にそう答え、レナードは一瞬うろたえて顔を逸らした。
しかし彼はすぐに陽一へと向き直る。
「かまいません。おふたりがここへ来ることは、事前に話を通しておりますので」
そしてレナードは、陽一の目を見ながらよどみなくそう答えた。どうやら彼の中で覚悟は決まったらしい。
「そっか。じゃあ、行こうか」
「うむ」
陽一とアラーナは互いを見てうなずき合い、寂れた屋敷の入り口に向けて歩き始めた。
それを見たケネスの口元には邪悪な笑みが浮かび、レナードはホッとしたようにため息をついた。
「ふふふ、どのように歓迎されるのか、楽しみだな、ヨーイチ殿」
「ああ、そうだな」
雑草が伸び放題の庭を歩き、入り口の前に立つ。
「たのもー!」
しばらく待ったが、答えはなかった。
「ま、入るしかないよな」
「そうだな」
大きな木製の扉を押すと。ギィ……と乾いた音が鳴る。
「ん、これは?」
窓から差し込む光で薄明るくなっているエントランスの中央に、看板が立てられていた。
『突き当たり中央の先にある広間まで来られたし』
それなりに高級感のある内装にそぐわない、安っぽい板と角材で作られたその看板には、そう書かれていた。
「怪しさ満開だな」
「まったくだ。伯爵に呼ばれていると聞けば、無条件に従うとでも思っているのかな、連中は?」
「どうだろうね。ま、従うんだけどな」
軽口を叩きながら、アラーナと陽一はエントランスを進み、突き当たりのドアを開けた。
「んー、暗いね」
「まったくだ。歓迎の準備など整っていないではないか」
扉の奥は20名ほどで会食ができそうな、少し手狭な広間だった。
昼間であっても窓からの採光だけでは光量が足りないため、客を迎え入れるなら魔道具などの灯りを用意すべき場所である。
もちろんそういったものは一切なく、薄暗い広間はどこか不気味な雰囲気を漂わせていた。
そんな広間の奥へ、ふたりはゆっくりと歩いていく。
――ギィッッガチャン!
背後で扉が閉まり、鍵をかける音がした。
「よう」
その直後、陽一らの前にぬっと人影が現われた。
「久しぶりだなぁ、姫騎士さんよぉ」
男の顔が、窓からの淡い光に照らされる。
それは、ジャナの森でアラーナを襲った暴漢のひとり、ゲンベルだった。
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