第6話 ヘンリーとヘイゼル

「おかえりなさいませ、ご主人さま」


 ヘンリーは聞き慣れたその声で、自分がサリス家の王都邸宅に戻ったことを自覚した。


 コルボーン伯爵家の邸宅を訪れ、パトリックと話をしたことはなんとなく覚えている。

 そこで具体的になにを話したのかはあまり思い出せないが、自分がやるべきことはわかっているので、そのことに対してあまり疑問は抱かなかった。


「ご主人さま?」


 自分を迎えたメイドが、少し不安げな声を上げる。

 クセのある亜麻色の長い髪をひとつに束ねた若いメイド――ヘイゼル――が、心配そうな表情で自分の顔を覗き込んでいた。


 低い身長、メイド服越しにはほとんど確認できない胸の膨らみ、整っていはいるもののあまり目立つことのない目鼻立ち、そしてどことなく怯えたような表情。

 先ほど情事を楽しんだアマンダとは正反対であり、憧れ続けた姉とは比べものにならないほど素朴な容姿に、ヘンリーは軽い苛立いらだちを覚えた。


「部屋で、休む」

「かしこまりました」


 部屋に戻ったヘンリーは、ソファにどっかりと腰を下ろした。


「ふぅ……」


 目を閉じ、ため息をつく。


 とても、疲れていた。

 このままここで眠ってしまいたかったが、紅茶の香りに鼻をくすぐられ、目を開けた。


 ヘイゼルが、ティーセットをテーブルに置いていく。

 あらためて見ると、その仕草はとても洗練されていた。


「ふん……それなりに成長はしている、か」


 ほとんど声として出なかったつぶやきだった。


 ティーポットを持とうとしたヘイゼルの動きが止まり、視線がヘンリーに向けられる。


「……なにか?」

「いや、なんでもない」


 注がれた紅茶をひと口飲み、カップを置いた。


「話し合いは、どう、なりましたか?」


 上目遣いに、おどおどとした口調でヘイゼルが尋ねる。

 メイドとしての動きはずいぶんと洗練されてきたが、ヘンリーに対しての怯えたような態度は、あいかわらずだった。


「話し合い?」

「その……旦那さまのことで、コルボーン伯と、お話をされたのですよね……?」

「ああ、そのことか。それなら父上を告発することに決まったよ」

「え……?」


 ヘンリーの言葉に、ヘイゼルは唖然とする。


「お、お待ちください……! 旦那さまへの疑いが、不当だからと……そのことを、訴えにいったのでは、なかったのですか?」


 たどたどしい口調ながらも、まっすぐと自分に意見を言うメイドに対して、またふつふつと苛立ちがこみ上げてくる。


「父上は魔物集団暴走スタンピードの報告を一部隠匿している。これは国家に対する叛意ありと取られてもおかしくはない」

「そ、それは、混乱を避ける、ためで……」

「だが事実は事実だ。そのことでサリス家が取り潰しにならないとも限らない。だから父上を告発し、王家に対する恭順の意を示せば、辺境の統治はともかくサリス家自体は存続されると、パトリックさまから約束をいただいている」

「お、お待ちください……!」

「僕が家督を継いだあかつきには、危険な辺境の統治はコルボーン伯爵に任せるかたちになるだろう。僕たちは王都に拠点を移し、王国を盛り立てるために働かなくちゃいけないな」

「ご主人さま、なにをおっしゃって……?」

「いや、僕たちが辺境をコルボーン家の名代みょうだいとして治めるのだったかな? まぁなんにせよ、しばらくはギルドの連中に辺境を任せておいて、僕らは王都で優雅に過ごせばいいさ。ああ、それから、姉さまを王都にお呼びしなければ。姉弟で手を取り合って、サリス家を――」

「ちょっと待って!!」


 ヘンリーの言葉を遮るように、ヘイゼルが声を上げた。


 通常の主従であれば、ありえないことだ。

 だが、ヘンリーとヘイゼルの関係は、少し複雑だった。


「ヘンリーちゃん、言ってることがおかしいよ!!」


 ふたりは幼馴染だった。


 ヘンリーの父ウィリアムと冒険者だったヘイゼルの父親は友人同士で、その関係もあって歳の近いふたりは幼いころから仲がよかった。

 しかしあるとき、ヘイゼルの父親が死に、身寄りのない彼女はサリス家の住み込みメイドとして引き取られ、ヘンリーの専属となった。


 それからともに成長したふたりは、思春期の頃に男女の関係となった。


「お前、誰にものを言っているんだ?」


 ただ、ふたりの関係は普通の男女関係とはいいづらいものだった。


「ひぃ……」


 ヘンリーに睨みつけられたヘイゼルは、短い悲鳴を漏らした。

 その怯えが、若い主人の情欲に火をつける。


「生意気な口、ききやがって……!」


 勢いよく立ち上がったヘンリーは、ヘイゼルの髪をつかんだ。


「いぎっ……!」


 亜麻色の髪を乱暴につかまれ、ヘイゼルは苦痛に顔を歪める。


「メイドの分際で僕に口答えするなんてなぁ!」

「ご、ごめんなさいっ……!」


 ヘンリーは髪を引っぱって彼女を自分のもとに引き寄せると、手を離した。


「なんだよその口の利き方はぁっ!!」


 怒鳴りながら、ヘイゼルの頬をぶつ。

 その瞬間、若い主人の股間がドクンと脈打った。


「ああっ……!」


 思い切り頬をぶたれた彼女は、床に倒れた。そこへ、ヘンリーが覆い被さる。


「や……待って……!」

「うるさい!!」


 もう一度、頬をぶつ。

 また股間が熱くなり、息が荒くなった。


 そんな乱れた息遣いのまま、ヘンリーはヘイゼルへと手を伸ばす。

 そして彼女を仰向けにし、脚を開かせると、スカートをまくり上げてショーツをぎ取った。


「いやっ、ヘンリーちゃん……」

「だからその口の利き方はなんだぁ!!」


 さらに頬をぶつ。

 真っ赤に腫れ上がったヘイゼルの頬から手のひらに伝わる衝撃や熱が、そのまま股間に流れ込むようだった。


「ひぅっ……! も、申し訳ございません、ご主人さまぁ……」


 ヘンリーはヘイゼルを相手に、無理やり行為に及んだ。


「ぐぅ……姉さまぁ……!」


 ヘンリーの心には、常にアラーナがいた。


 彼が心の底から愛しているのは、姉だった。


 しかし姉弟である自分たちが結ばれることは、決してない。


 ヘイゼルの身体は、そんな行き場のない情欲のはけ口にすぎない。

 そういう想いで、ヘンリーは彼女を犯し続けた。



 それから数時間かけてヘイゼルをいじめ抜いたヘンリーは、気絶するように意識を失った彼女を放置して、ひとり寝室で眠りについた。


 そして翌朝、ヘンリーはすっきりとした気分で目を覚ました。


「おはようございます、ご主人さま」


 寝室を出ると、いつものようにヘイゼルが迎えてくれた。

 昨夜あれだけいたぶられたにも関わらず、彼女は普段どおりの態度でヘンリーを受け入れた。


 心なしかヘイゼルの肌つやがよくなっているように見えるが、ヘンリーにとってそれは当たり前のことなので、特に表情は変わらない。


「ご主人さま、旦那さまのことですが……」

「ん? ああ、そうだな。今日は何人かの有力者に会ってくるよ。父上が、叛乱などとばかばかしいにもほどがあるからな」

「え……?」


 驚き、目を見開くメイドの姿に、ヘンリーは首を傾げる。


「どうした?」

「いえ、その……昨日とおっしゃっていることが……」

「昨日? そういえば昨日はパトリック様のところへ行って……」


 そのときになにか重要なことを言われたはずなのだが、うまく思い出せない。


「まぁ、いいか」


 だが、思い出せないことに疑問を抱くこともなかった。


○●○●


「ちくしょう! なぜ将軍までもが父上に疑いの目を向けるんだ!? 将軍と父上は友人だったはずなのに……!」


 この日、ヘンリーは軍部に顔を出していた。

 父ウィリアムの無実を訴え、可能であれば王へ陳情してほしいとお願いして回っていたのだ。


 結果はかんばしくなかったが、ヘンリーは心底父親を助けたいと思っているようで、同行したヘイゼルは真摯に行動する主人の姿を目の当たりにしていた。


 だからこそ、不思議だった。


(伯爵家には、なにがあるの……?)


 いつも自分を連れて回るヘンリーが、パトリックのもとをおとなうときだけは同行を許してもらえなかった。


(最初は、連れていってくれたのに……)


 今回研修のために王都へ来て、最初にコルボーン家を訪問したときは一緒だった。

 その際、"大事な話があるから"とパトリックの命で帰され、次の訪問からは"邪魔だから"と同行を許されなくなった。

 それから少しずつ、ヘンリーはおかしくなっていったように思う。


(そういえばあの女の人……嫌な感じだったな……)


 コルボーン邸で見かけた、黒髪の女性を思い出す。


 紺色のナイトドレスを身にまとったその女性に微笑みかけられたとき、なぜか背筋に悪寒おかんが走ったのだ。


(もう、いかないでほしい……)


 伯爵家から帰ってきた直後のヘンリーは、おかしくなっていることが多かった。

 特に気になるのは言動よりも行為だった。


 ヘンリーに暴力を振るわれること自体は、嫌ではなかった。

 むしろ強くぶたれ、引きずり回され、締め上げられ、そしてののしられるほどにヘンリーとの繋がりを実感できる、至福の時間といってもよかった。

 しかしパトリックのもとから帰ってきたばかりのヘンリーに殴られ、罵られるのは、少し不快だった。


(なにが違うんだろう……? 力加減……? 声の大きさ? 口調?)


 いつもの行為が、微妙に違っている。

 罵られ、ぶたれればいつものように身体は反応するのだが、心がそれにともなわない、といえばいいのだろうか。


 何度か交わっていると元に戻っていくのだが、パトリックに会うとまたおかしくなる。

 ここのところそんなことを繰り返していた。


(このあいだは、さすがにびっくりしたけど……)


 いつもはコルボーン家でなにを話したのか、ヘンリーは教えてくれなかった。

 尋ねても"メイド風情が口を挟むな!"という言葉とともに、いやな暴力が飛んでくるのだが、それでも聞かずにはいられなかった。

 聞かずに放置してしまうと、いつか取り返しがつかなくなるような気がするのだ。


 自分が不快な思いをするのは構わない。それが少しでもヘンリーのためになるのなら。


 だが先日は、なぜかヘンリーがコルボーン家でのことを口にした。


 それは驚くべき内容で、思わずヘイゼルは若い主人をいさめてしまった。

 そのことがヘンリーの逆鱗げきりんに触れ、またいやな暴力が始まった。


(でも、最後はよかったな……)


 意に反して身体は反応し、抵抗なく主人を受け入れた。

 ヘンリーではない、別の誰かに犯されているようで不快だったが、二度三度と彼を受け止めていると、徐々に快感が伴ってくるようだった。

 罵倒にも殴打にも、愛が感じられた。


 そして翌日、主の言っていることがほとんど正反対になっていた。


 それは喜ばしい変化ではあったが、逆に怖ろしくもあった。

 いつかヘンリーが、元に戻らなくなるのではないか。そう思うと怖くて仕方がなかった。


「くそ……やはり、パトリック様にお願いするしかないのか……? もう一度コルボーン家の邸宅に――」

「お、おやめください……!」


 ヘンリーのつぶやきを耳にしたヘイゼルは、思わず声を上げた。


「……なんだと?」


 主人の冷たい言葉と鋭い視線。

 ヘイゼルは胸が高鳴るのを感じた。


「あ……いえ、その……伯爵家には、あまり行かれないほうが……」

「メイド風情が……」


 つかつかと歩み寄ってくるヘンリーの足音に、胸がトクトクと高鳴り始める。


「利いたふうな口を叩くなぁっ!!」

「ひぃぁっ……!」


 パシンッと頬をぶたれた。

 それは背筋がゾクゾクとするような、快感を伴ういつもの痛みだった。


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