第18話 女怪盗の旅立ち
乾杯をやり直し、談笑しているうちに、黄老の話になった。
彼が田中昭吉という名の残留孤児であることは、彼自身の口から語られた。
「そもそも、なんで黄老なんです?」
「この国では、元気だけがとりえの年寄りをそう呼ぶのだよ」
そういえば黄老が昔は
それがいつの頃からか、黄老と呼ばれるようになったのだ。
「生まれも育ちもこのあたりなんですよね?」
「ああ、そうだな」
「しんどくなかったですか? 土地柄というかなんというか……」
「それは、反日思想的な意味合いでかね?」
「ええ、まぁ」
どこか気まずそうな陽一を見て、黄老はふっと笑みを漏らした。
そしてグラスの底に溜まっていた紹興酒をくいっと飲み干したあと、再び口を開く。
「ヤンイー、君はこの国の反日思想が、いつごろからあったのか知っているかね?」
「えっと、戦後から……ですよね?」
「そんな半世紀以上も前の話じゃない。せいぜいここ四半世紀といったところか」
「ええっ!?」
「それまでこの国にとって、日本というのは近いけどよくわからない国だった。君が子供のころは、日本でもこの国をそう思っていたのではないかな?」
どうだろうか?
陽一の記憶にはあまりなかったが、となりで花梨が頷いているので、そうだったのだろう。
「戦後この国がいろいろとやらかしているのは知っているだろう? そんな失政から目を逸らすために、外に敵を作った、といったところかな。中央がそうしようと思えば、国全体がそうなる。良くも悪くもね」
ここ最近のこの国の発展には目をみはるものがあった。
実際に町を歩いてみて、日本よりも便利だと思えるものも、たくさんあった。
それは、この国の政治がいいほうに向かった結果なのだろうか。
「いい町だと思ったかい?」
「ええ、まぁ」
「それはありがとう。でも、地方はひどいものだよ」
陽一が見てきたものは、この大きな国のごく小さな部分だけだ。
それだけで善し悪しを考えるのは危険だといえる。
見えないところに大きな歪みがあるのかもしれないが、これ以上考えても仕方がないことだと思い、陽一は半分ほど残ったグラスをぐいっとあおった。
「シーハンから聞いている。太刀を、返してほしいのだったな」
陽一が話題を変えようとしたのを読んだかのように、黄老はそう言った。
「ついてきなさい」
黄老に案内されたのは、小さな美術館と呼べるほど広い場所だった。
そこに、美術品が整然と並べられていた。
「すべて、シーハンにもらったものだ」
「へへ、すごいやろ」
誇らしげに胸を張るシーハンだったが、これらはすべて盗品である。
陽一はわざとらしく目を細めて彼女を見た。
「あ、あはは……自慢することや、あらへんか」
陽一の意図を察したのか、シーハンは笑顔を引きつらせながら、ぽりぽりと頬をかいた。
そんな彼女の姿を見る黄老は、柔らかな笑みを浮かべていた。
「さて、ヤンイー」
黄老が表情をあらため、陽一に向き直る。
「君なら、これらをしかるべき者の手に返せるかね?」
「……それは」
どう答えたものかと迷う陽一に、黄老は優しく微笑みかけた。
「君の素性を探るようなことはしない。どんな方法をとるかも聞かない。ただ、できるかどうかを答えてくれないか?」
「えっと、できます……ね」
「よろしい。ならばこれらすべて、君を通して日本に返そう」
黄老の言葉に、シーハンは目を見開いた。
「じいちゃん、ええの……?」
「ああ。私はもう充分に楽しんだよ。ありがとうな、シーハン」
そう言って黄老は、シーハンの頭を撫でた。
「さて、これをどうやって預けるかだが」
「そのことなんですが黄老、俺が魔法を使えると言ったら信じます?」
「魔法……?」
ここでいう魔法とは、異世界で使われる技術ではなく、超常的な能力の代名詞を指すものだ。
「俺がどうやって赤穂のホテルから美術品を持ち出したかは?」
「うむ、シーハンに聞いている。映像を見る限りは手品のようだったということだが……」
そこで陽一は、近くにあったかなり大きな
「なっ……!?」
抱え上げるのも困難な大きさの金屏風が突然消えたことに、黄老は声を上げた。
「とまぁこんな具合にですね、ここにあるものならいくらでも運べるわけですよ」
ここで黄老に手の内を明かしたのは、信頼できるかどうかというより、知られたところでどうということはない、と思ったからだ。
彼はほとんど隠居を決め込んでいるようだし、いまさら陽一のスキルを欲したりしないだろう。
請われれば政府の手伝いくらいはするだろうが、基本的には余生をのんびり過ごすことしか考えていないようなので、スキルのことを他人に話すメリットもない。
少し申し訳ないと思いながらも、陽一は自衛の意味も込めて黄老の思考を【鑑定】したうえでそう判断した。
「ふふ……なんとまぁ、この歳でまだ驚かされることがあるとは。長生きはするものだな」
心底感心したようにそう言ったあと、黄老は陽一に背を向けた。
「刀がほしいのだったな。こちらだ」
歩き出した黄老は、陽一らを刀剣類が飾られているスペースへ案内した。
そして並べられた刀剣類から、大きな太刀をひと振り、ひょいと持ち上げる。
「これだったかな」
ひょろりとした体型の老人にしか見えない黄老だが、案外身体能力は高いのかもしれないと少し驚きつつ、陽一は太刀を受け取った。
「ええ、間違いないですね」
受け取った太刀を【鑑定】し、目当てのものであることを確認した。
「ここにあるものは、全部預かっても?」
「ああ、二言はない。好きにしたまえ」
黄老のコレクションは、鎌倉から室町時代のものが多い。
特に刀剣類に関しては、美術品としてより武器としての能力が高いものを好むようで、目当ての太刀以外に、打刀、小太刀、脇差しも逸品揃いだった。
いわゆる二本差しの
しかし同時代の名工が打ったものということで、その性能については【鑑定+】がお墨つきをくれた。
「では、残りのものもすべて収めてくれ」
「わかりました」
コレクションの中にはこの国のものや、日本以外の国のものもあったので、日本のものだけを選別して収納した。
「随分スッキリしたなぁ」
空っぽになったコレクションルームを見回しながら、しみじみと呟く黄老は、どこかさみしそうだった。
そんな黄老を見るシーハンも、少し悲しそうだ。
「黄老、よかったらこれ、飾っといてくれません?」
そんなふたりの様子を見かねてか、陽一は先日スカーレットスピカホテルから持ち出した美術品の一部を取り出して並べた。
「これは……いいのかね?」
「まぁ闇市場に流れるってのにもいろいろありますから」
持ち主が自発的に売りに出すこともあれば、価値を知らずに捨てられながらも、運よく見いだされたものなど、すべてが盗品というわけではない。
もちろんそれらは日本の貴重な文化財なので、持ち主がいないのであれば国や自治体、なにかしらの団体が所蔵すべきだ。
「飽きたら返してもらうってことで」
ただ、老い先短い黄老の目を楽しませるくらいのあいだは、預けておいてもいいのかな、と陽一は考えたのだった。
自分は正義の味方でもなんでもないのだし。
「ありがとう。大切に預からせていただくよ」
「ヤンイー、おおきに。うちからも礼を言わせてもらうわ」
黄老とシーハンは、ふたり揃って頭を下げた。
「ふふっ……」
「んふ……あはは……!」
同じタイミングで頭を上げたふたりは、お互いに見合ったあと、クスクスと笑い始めた。
「シーハン、元気でな」
「うん。じいちゃんも、長生きしてや」
笑顔でそう言ったシーハンの目には、うっすらと涙が浮かんでいた。
○●○●
すべての用事を終えた陽一らは、黄老のもとを去った。
「……で、シーハンは俺らについてくるってわけ?」
「そやで」
「黄老のこと、ほんとにいいのか?」
「じいちゃんからはだいぶ前に暇ぁ出されとったんやけど、やることなかったからなぁ」
政府に直接雇われるという道もあったのだが、黄老がそれを許さなかった。
いつか自由の身にしてやる心づもりだったのだろう。
「じゃあ、なにかやることが見つかったのか?」
「そういうわけやないけど、ヤンイーと一緒におったら、なんやおもろそうやしな」
「ま、シーハンがそれでいいなら俺はべつにいいけど」
「ヤンイーおおきに! ほなファリー、
「ええ、よろしくね」
「はい、よろしく」
「うむ、よろしくな」
身体を交えた陽一はともかく、つき合いもあまりないはずの女性陣とのあいだに連帯感のようなものが生まれ、シーハンはすんなり受け入れられた。
【健康体β】の影響かもしれないが、陽一は深く考えなかった。
実里とアラーナを異世界へ【帰還】させたあと、陽一は花梨とシーハンを連れて普通に出国し、日本へ降り立った。
ジャン・チェンシーは女怪盗として、そしてスパイとして国内外で警戒されていたが、シュウ・シーハンの経歴に一切の傷はなく、彼女は問題なく大陸を離れることができた。
「じいちゃん、おおきに」
情報戦の枷になるからと、シーハンの顔情報はもちろん、指紋もDNAの情報も、黄老は一切保存させていなかった。
――充分堪能させてもらったから、返すアルよー。
女怪盗ジャン・チェンシーによって盗まれた美術品が、そんなメッセージとともにしかるべき人物や団体へと返却されることになるのだが、それはまだ少し先の話だ。
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