第16話 黄老宅を訪問

 内陸都市の中心部から少し離れた場所にある、ごく一般的なオフィスビルの一角に、黄老の住まいがあった。

 各地に点在する住居や拠点のひとつではあるが。


「いらっしゃい。歓迎しよう」


 外観からは想像がつかないほど落ち着いた雰囲気の和室に、陽一らは招かれた。


「お招きいただきありがとうございます」


 そう言って頭を下げる陽一のそばには、花梨だけでなく、アラーナと実里の姿もあった。


シーハンは、黄老の隣に立っている。


 女性陣は、先日スカーレットスピカホテルで行なわれたパーティーのときと同じドレスやスーツに身を包んでいた。

 陽一はツイードの三つ揃いだ。


「さぁ、かけたまえ。まずは乾杯といこうじゃないか」


 ちょっとした料理が並べられた座卓に、紹興酒の入ったかめが置かれている。


「あの、乾杯の前にひとつ聞きたいんですけど」

「なにかね?」

「なぜ彼女たちを呼んだんですか?」


 陽一は黄老に問いかけながら、アラーナと実里を見た。


 黄老のもとを訪れるに当たって、できればアラーナだけでも同行させたいと思い、どういう理由で連れてこようかと考えていたところに、まさかの申し出だった。

 陽一としては都合がいいのだが、そうなると理由が気になってしまう。


「なに、先日会場で見かけて、ぜひ酌をしてほしいと思っていたのだよ。残念ながら気がつけばいなくなっていたのだがね」

「そういうことでしたか」


 再び陽一の視線を受けたアラーナは、微笑んで頷き、立ち上がろうとした。


「ああ、かまわんよ、そこからで」


 それを、黄老が制する。


 陽一ら4人は黄老と対面して座っているので、酌をするのならば隣に行ったほうがいいだろうと、アラーナは立ち上がろうとしたのだ。

 黄老の隣でシーハンが頷いたので、アラーナは膝立ちになって瓶を手元に引き寄せた。

 そして柄杓で紹興酒をすくい、黄老のグラスに注いだ。


「それでは、今日の日の良縁に、乾杯」


 全員のグラスが満たされたあと、杯を掲げて乾杯となった。それからは、とりとめのない雑談が続く。


「さて、手土産があるとのことだが」


 そのとき、部屋に黒服の男性が入ってきた。

 落ち着いた所作ではあるが、表情がこわばっている。


「なにごとだ?」

「じつは……」


 男が黄老の耳元で囁く。


「ふむう……赤穂の連中だと? しかしここはあの程度の者がたやすく入れるところではないはずだが」


 ただのオフィスビルに見えるこの建物だが、黄老が拠点にしているだけあってセキュリティがかなり厳しく敷かれていた。


「それは……」


 黒服の男が困ったようにシーハンを見る。


「ごめんじいちゃん、うちの指示でセキュリティレベル下げさしてもうてん」

「……なんだと?」


 静かな口調で放たれた言葉だったが、シーハンには重くのしかかっているようで、彼女は叱られた子猫のように、肩をすくめた。


「すみません、俺が頼んだんです」

「ほう?」


 鋭い視線である。

 なるほど、戦後から現代まで激動の時代を生き抜いてきただけの貫禄は、充分に感じられた。

 だが、しょせん数十年である。

 数百年のときを生き、百年以上ものあいだ魔物の群れから辺境を守ってきたセレスタンに比べれば、どうということもない相手だった。


「先日、スカーレットスピカホテルから美術品が大量に消える、なんていう事件がありましてね。その美術品がこの場にあり、それを奪った犯人が今日ここにいる、ということを赤穂の連中はつかんだようです」


 自分に見据えられて怯んだ様子もなく話す陽一に、黄老は軽く眉をひそめた。


「よもや君らのいう手土産とやらが……」

「ええ、その美術品です」

「なら盗んだのも?」

「俺らは盗品を奪い返しただけなんですけどね」

「貴様っ――」


 陽一の言葉と態度に激昂した黒服の男が飛びかかりそうになったが、黄老は軽く手を上げてそれを制した。

 そして視線をシーハンに移す。


「シーハン、私をえさにしたのか?」

「……じいちゃん、ごめん」


 身を縮めたまま、シーハンはうなだれる。


「そうか、シーハンが私を、なぁ……」


 小さくなったシーハンを見て呟いた黄老は、ふっと表情を緩めた。


「いいだろう。シーハン、好きにしなさい」

「黄老っ!?」

「じいちゃん!」


 黒服の男とシーハンが同時に声を上げる。


「ヤンイーくんだったかな」


 再び、黄老が陽一を見た。その視線には、先ほどのような鋭さはない。


「君が指揮をとるということでいいのかね?」

「ええ」

「では、任せようか」


 黄老の表情から、彼が本気で陽一にこの場を任せるのだということが見て取れた。

 黒服の男性は抗議しようとしたが、諦めたように口を閉ざした。


「じゃあ、実里とシーハンは黄老の護衛」

「はい」

「まかしときっ! じいちゃんには指一本触れさせへんでぇ!!」

「花梨とアラーナは俺と迎撃だな」

「おっけー」

「心得た」

「んで、黒服さんはお仲間が手を出さないよう手配してくれますか? 俺らで全部片づけますんで」

「む……」


 不満げな表情で陽一を睨みつけた黒服だったが、黄老の視線を受けると、無言で頷き、部屋を出ていった。


「それじゃ、さくっと片づけますか」


○●○●


 少人数で移動し、目的のビルに入る。

 周辺の監視カメラはどうにもならないが、ビルのセキュリティはほとんど制圧できた。

 入り口や通路を映す映像を、なにも起こっていないようなものに切り替え、侵入させた人員をビル内に待機させた。


「ふふん、やろうと思えば僕にだって、これくらいのことはできるんだ」


 カメラのハッキングが思いのほかうまくいき、さらに黄老がいるのと同じフロアにある事務所が、臨時休業とやらで無人になっていた。

 運が向いている、と思った。


「くく……どんな顔をするか、楽しみだな」


 事務所には、すでに100人を超える人員が待機していた。

 この日、陽一らがいるのはわかったが、美術品がどこに保管されているのかだけは判明しなかった。

 もしそれがわかっていれば、その美術品だけを秘密裏に盗み出すことも可能だった。


「ま、そんな生やさしい手で許すつもりはないんだけど」


 だが、どちらにせよ宗一は、作戦を変えなかっただろう。


『盗まれた美術品を一瞬で取り返すなんてこと、本郷くんにできるかしら?』


 宗一の脳内で、花梨の言葉が何度も再生された。


「あいつにできて僕にできないことなんて、なにひとつないんだ」


 結局陽一がどんな方法で盗品を奪い、自分たちの手から逃れたのかは、いまだに判明していない。

 だが宗一にとってそれはどうでもいいことだった。


「みんな、準備はいいか?」


 集まった人員を見る。スーツ姿の者もいれば、ラフな格好の者もいた。

 ここに来るまでの監視を欺き、一般人に紛れるためである。

 しかし、表情は引き締まっていた。

 そこらへんのチンピラとは違う、訓練された構成員である。

 それが100人以上。


 頼もしいと思った。

 そして誇らしいとも。

 これこそ、宗一が何年もかけて手に入れた力なのだ。


「目にものを見せてやる」


 ドアに手をかけた。


「いくぞ」


 全員が無言で頷くのを確認し、宗一はドアを開けた。


 黄老らがいる部屋まで、長い1本の通路になっていた。

 途中にあるいくつかの事務所は、鍵が開かないように細工済みだ。

 もちろん、非常階段やエレベーターを使ってこのフロアに入ることもできなくしている。

 仮に黄老の護衛がいたとしても、せいぜい10名足らず。

 制圧は容易だろう。


「くくく……」


 暗い笑みを漏らし、先頭を歩く宗一の手には、警棒が握られていた。

 ほかの構成員たちの武器も鈍器や素手がメインで、刃物や銃器は持っていない。


「殺すつもりはない……殺すつもりは、ね」


 全員捕らえる。抵抗するなら殴る。

 圧倒的人員で制圧する。

 それだけのことだった。

 美術品の隠し場所は、拷問でもなんでもして聞き出せばいい。


 突き当たりのドアが開いた。


「おやおや、わざわざお出迎えとはね」


 まず陽一が姿を現わし、続けてアラーナと花梨が出てきた。


「へぇ、あの女もいるのか」


 アラーナを見て、宗一は軽く眉を上げた。


「女は好きにしていいからな。ただし、本宮さんはまず僕が相手をするけど」


 宗一がそう言うと、構成員たちから下卑た笑い声が漏れ出す。

 数の有利からか、油断しているのだろう。

 そして、いくら油断していようと、自分たちの勝ちは覆らないという確信もあるようだった。


 はやる気持ちを抑えながら、宗一は悠然と歩いた。

 ゆっくりと、時間をかけて迫ったほうが、絶望が増すと考えたからだ。


「ふふん、一応抵抗はする気なのか」


 陽一は素手のまま腰を落とした。

 アラーナは両手に警棒を持っているが、二刀流というのがいかにも素人臭いと思った。

 そして花梨は――、


「弓ぃっ!?」


 コンパウンドボウを構えた花梨の姿を見て、宗一は思わず吹き出してしまった。

 そういえば学生時代にアーチェリーをやっていたという話を聞いたことがあった。

 精一杯抵抗の手段を考えたすえ、苦し紛れに弓を手にしたのだと思うと、滑稽でならなかった。


「でも、そっちが飛び道具を使うんじゃあしょうがないなぁ」


 弓を引き絞る花梨を見て、ニタリと笑いながら、宗一は懐に手を入れる。

 ほかの構成員には持たせていないが、自分だけは拳銃を用意していたのだ。


「手元が狂ったらごめんねぇ」


 弓などという前時代的な武器と銃とでは、勝負にすらならないだろう。

 宗一はそう考えながら、銃のグリップを持ち、ホルダーから引き抜こうとした。


 ――ヒュンッ!


 その瞬間、風を切るような甲高い音が聞こえたかと思うと、宗一は肩に強い衝撃を受けた。

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