第11話 女怪盗の罠

 シュウ・シーハンは内陸西部の貧家に生まれた。


 もともとシュウ家はそこそこの名家で、代々知識人や文化人を輩出した家系らしいが、祖父の代に起こった行政革命によってすべてを失った。


 シーハンの父が祖先の恩恵にあずかることはほとんどなかったはずだが、酔えば家柄を自慢するという悪癖があった。

 結果、タチの悪い役人にでも目をつけられたのか、ある日両親の姿が消え、家や資産は親戚を名乗る者に乗っ取られた幼いシーハンは、路頭に迷うことになった。


 それからしばらくのあいだ、かなりひもじい思いをしたことは、なんとなく覚えているが、気がつけば学校のようなところに通うことになった。

 このあたりの記憶は曖昧だが、大人になっていろいろとわかったいま、おそらく自分はさらわれ、売られ、そこにたどり着いたのだろうと推測できた。


 そこは黄老と呼ばれる男が運営する教育機関だった。

 衣食住が保障され、かなり厳しい教育を受けることになったが、黄老のもとに売られたことは幸運だったと、いまでもシーハンは思っている。


 そこを出た者は、その能力に応じて官僚や軍人になることが多く、シーハンは諜報員となった。

 国内の不穏分子を洗い出したり、籠絡ろうらくしたりというのが彼女の仕事だった。


 やがて黄老は一線から身を退くことになった。

 いまなお中央にそれなりの影響力はあるが、隠居の身であることに変わりはない。

 シーハンは黄老についていくため、諜報員をやめた。


 彼女は黄老を敬愛していた。

 彼が自分を利用するために拾い、育てたのだと知ったうえで。

 以来シーハンは、黄老の趣味につき合うかたちで、日本の美術品を調達するようになった。


「自分、なんでもお見通しなんか……。ほんま何者なにもんやねん」


 ざっと自身の略歴を告げられたシーハンは、呆れたようにため息をついた。

 ほとんどだれも知らないはずの黄老の本名を告げられ、怒りとともに警戒心を強めていた彼女だったが、陽一の言葉を聞くうちに怒りは急速に鎮まっていった。

 やがてその怒りは恐怖に変わったが、最終的には呆れるしかなかった、という状態だ。


「あんまり人の国のものに手を出してほしくないんだけどなぁ」

「あはは、ごめんやで。最初は国内で流れとったもんばっかりやってんけどなぁ」

「それでもかなりの質と量になるだろ? あんまり欲ばるなよ」

「せやかてじいちゃんがな、たまに懐かしそうな顔で日本の美術品目録とか見とるんよ。そしたら、なんとかしたりたい思うやん?」

「いや、同意を求められても……。それで女怪盗だかなんだかで目をつけられちゃあ大変だろ?」

「それはそれで楽しいで!」


 シーハンはそう言ってにっこりと笑った。

 その無邪気そうな笑顔に、陽一は一瞬目を奪われる。

 それは観光客を装ったわざとらしい間抜けさとも、ウェイトレスとして振る舞っていた艶やかさとも違う、素直な笑顔のように見えた。


「ていうか、しゃべり方おかしいよ」


 先ほどから聞こえているシーハンの言葉だが、まさか日本語の関西弁を話しているわけでもないだろう。


「ほんまやっ!? うちいつからこの言葉を……」


 驚きに目を見開いたあと、すぐにシーハンはいぶかしげな視線を陽一に向ける。


「自分、ようこの言葉わかるなぁ。ほんま何者なにもんやねん」


 シーハンが先ほどから話しているのは、彼女の故郷である内陸西部あたりの言葉である。

 訛りというよりも、まったく違う言語というべきで、この国の共用語しかしゃべれない者には理解できない言葉だった。

 それを【言語理解+】が、関西弁風に翻訳しているのだ。


「ほいで、なんでも知ってはるヤンイーはんは、うちになんの目的で近づいたん?」

「さっきも言ったけど、君が盗んだ太刀を返してほしい」

「なんでや」

「必要だから、としか」

「……ケーサツのもんか?」

「いや、善良な一般市民」

「どこがやねん!」

「どこからどう見ても平凡な日本人だろ?」

「善良で平凡な日本市民があないにゴツい拳銃ぶっ放すわけないやろ!!」

「それもそうか」

「ほんまやってられんわ……」


 そこでシーハンはがっくりと肩を落とし、大きく息を吐いた。


「盗んだもんを黄老に渡しとるんは、お見通しっちゅうわけやね?」

「そういうこと。だから返してもらってきて」

「んー、でもなぁ……"ほないきますわー"言うて、ほいほい会えるお人やないんよ」

「でも君に頼むのがいちばん穏便に済む方法なんだよなぁ」


○●○●


 陽一の言葉に、シーハンは軽く目を細める。


「……まるで穏便やない方法やったらいけるみたいな言い方やな」

「まぁその気になればゴリ押しでどうとでもなるからな」


 こともなげにそう言い切る陽一に、シーハンはうすら寒いものを感じ、ぶるりと肩をふるわせた。

 なんの根拠もない言葉なはずなのに、目の前の男はやろうと思ったことをすんなりと成し遂げてしまうのではないかと、なぜかそう思ってしまう。


「せやなぁ……なんか手土産でもあったら」


 そこまで言ったところで、シーハンは口元に笑みを浮かべた。

 どうせ野放しにできないのなら、自分がこの状況をコントロールすべきだろう。

 彼女はそう考えた。


「ねぇ、提案があるのだけど」

「……またしゃべり方変わってんぞ」

「うふふ、気にしない気にしない」


 言いながらシーハンは、ゆらりと立ち上がった。

 故郷の言葉は、どうしても自分の素が出てしまう。

 だから、こういうときは日本語か共用語のほうがいいのだ。


「で、提案ってなに?」


 ソファに座ったまま、自分を見上げてそう尋ねる陽一の隣に、シーハンは腰を下ろした。

 身体を密着させ、彼の首に腕を回す。


「私の仕事、手伝ってくださらない?」

「仕事?」

「そう、女怪盗ジャン・チェンシーの」


 先ほど偶然知ることとなった、赤穂有限公司の情報。

 シーハンはそれを利用することにした。


「手土産があれば、黄老は会ってくださるわ」


 シーハンがその気になれば、黄老にはいつでも会える。

 ただ、陽一を黄老に会わせるのは危険だ。

 ならば彼を骨抜きにするついでに、お宝を手に入れるのがいいだろう。


「なるほど、赤穂が奪った美術品をねぇ」


 シーハンの説明を受けた陽一は、あまり納得していないようだった。


「黄老に会わせて差し上げるのとは別に、お礼もしますわ」

「お礼?」

「ふふ……わかってるくせに」


 首に回した腕に軽く力を入れ、陽一の身体を引き寄せながら、もう片方の手はベルトを外し、ズボンのファスナーをおろす。

 陽一の呼吸が乱れていることを、シーハンは感じ取っていた。

 特別に調合された甘い香りを放つ香水は、彼女の汗と混じり合うと媚薬のような効果を発揮するのだ。


「はぁ……はぁ……ぁぅ……ふぅ……」


 ぽかん、とだらしなく開いた口から、ときおりうめきの混じる息を漏らす陽一のまぶたが、わずかに落ちた。

 半開きになった目の奥にある瞳から、徐々に光が失われていく。


「……あむ」


 少し虚ろな目で自分を見る相手の唇を奪い、それと同時にトランクスを手際よくずらした。


「はむ……れろ……」


 舌を絡めながら、すでに股間を優しく撫でてやった。

 相手もなかなかうまい舌使いをする。が、しょせんは素人だ。

 多少経験が多いだけだろう。


「んはぁ……うふふ」

「……報酬は、先払い……?」

「いいえ、半分だけ、ね。終わったら、全部払ってあげる」

「……生殺しは……いや、だ……」

「ふふっ心配しなくても、最後までしてあげるわよ。いままで味わったことがないくらい、気持ちよく、ね」

「あぁ……!」


 陽一が、情けない声を漏らす。


「手コキ……やば……」

「ふふ、房中術ぼうちゅうじゅつって、ご存じ?」

「あ……うぅ……」


 シーハンの問いかけに、陽一は言葉にならないうめきを漏らしながら何度か頷いた。


 房中術とは、ざっくりといえばセックスの技術である。

 どうやらそのことは知っているようなので、話は早い。


「私はね、この国に古来より伝わる房中術の使い手なの」

「あ……」


 シーハンが手を離すと、陽一は名残惜しげな声を漏らす。

 妖艶な笑みを浮かべたまま、シーハンはソファに座る陽一の前で膝立ちになり、彼の股間をを観察した。


(へぇ……なかなかいいモノを持ってるじゃない)


 骨相学や手相学といったものが生まれた国である。

 であれば性器にも人それぞれの相があり、それを診る学問があってもおかしくはない。

 その大きさや形によって、どんな攻めが有効なのかという知識を、房中術は現代にまで伝えていた。


 それからシーハンは、持てる技術のすべてを使って陽一を籠絡した。


「ウゥぅうウゥ……ォオオォァぁあぁ……」


 短いスパンで強い快感を受け続けた彼は、もうまともに喋ることもできなくなっている。

 時間がたてば元には戻るが、完全に回復することはないだろう。


「私の仕事、手伝ってくれるわね」

「ァァぁぁァ……」

「終わったら、もっと気持ちいいことしてあげるわよ? だから、ね?」

「ウ……ん……」


 ――堕ちた。

 シーハンはそう確信した。


「じゃあ、いまは少し眠りなさい。そして、目が覚めたら、ゆっくりお話ししましょう」

「ン……うゥ……すぅ……すぅ……」


 やがて陽一はソファにもたれかかったまま寝息を立て始めた。

 シーハンはそんな彼の頭を優しく撫で続けた。


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