第8話 高級料理店で秘密のご指名

「チェックインまで少し時間があるな……。いったん日本に【帰還】して、シャワーでも浴びとく? 1時間以内にキャンセルすれば戻ってこれるし」

「カメラの死角を探すのが面倒よ。そこで何十分も姿を消すってのもアレだし、チェックインまで我慢するわ」

「そっか。じゃあちょっと町を歩くか」

「そうね。あ、その前に陽一、あれ出して」

「おっと、そうだった」


 花梨の指摘を受け、陽一は【無限収納+】からピアスと腕時計を取り出した。

 それぞれ軽い認識阻害効果のある魔道具で、花梨はピアスをつけ替え、陽一は腕時計を左手首に巻いた。


「反日感情が強いんだっけか」

「戦争の名残みたいね。大規模な空襲があったらしいわ」


 日本人だから無条件に絡まれるということはないだろうが、トラブルの種は少なくしておくに限る。


「おい、お前! 観光客か?」


 とはいえ、地元民でないことに気づく者は気づくし、絡んでくる者は絡んでくる。


「ああ、そうだけど」

「どこからきた?」

「東のほうから」

「東? じゃあ……」


 最初に降り立った海岸都市の名を男が口にしたので、そこから来たと答えた。

 嘘はついていない。


「どうだ、この町は? 向こうよりすごいだろう!」


 そして流暢りゅうちょうに現地語を喋る陽一を同朋と見なしたのか、態度は随分と柔らかくなった。


「そうだな。すごく発展してると思うよ」


 これは陽一の正直な意見だった。


 新しい町ということで、先端技術があらゆるところに使われている。

 政府主導で半ば強引に、かつ迅速に開発されたことが、功を奏しているのだろうか。


「ええ、あたしも初めて来たけど、びっくりしたわ」


 さらりとそう言った花梨を見て陽一は少し驚いたような表情を浮かべたが、男はその言葉が嬉しかったのかうんうんと満足げに頷いていた。


「お前たちは夫婦か?」

「いや、その、なんというか」

「まだ結婚はしてないわね」


 "まだ"というところが強調されたように聞こえたのは気のせいだろうか。


「はっはっは! そうかそうか。まぁゆっくり楽しんでくれ」

「ええ、そうさせてもらうわ」


 男が去っていったあと、少し気まずい思いをしながら陽一は無言で歩いた。


「……どうしたの? なにか気になることでもあった?」

「あー、いや、その……あ、そうだ! さっき花梨ってこっちの言葉を喋ったんだよな?」


 少しうろたえた様子の陽一に、花梨は小さく苦笑を漏らしたが、すぐに表情を戻した。


「ええ、そうよ」

「なんか、いつもと全然話し方が変わってなかったんだけど」


 【言語理解+】を持つ陽一は、スキルの力であらゆる言葉を話すことができる。

 対して花梨は、意思疎通の魔道具によって聞き取りは問題なくできるが、喋る場合はきっちりこちらの言葉を話す必要があるのだ。


「ちょっと発音は難しいけど、慣れるとネイティブっぽく喋りやすい言葉ではあるのよ」

「そういうもんか」


 それからふたりは町を歩き、買い物や食事を楽しんだ。


「しかしこうなると、顔認証ってのは本当にありがたいよな」


 いくら認識阻害の魔道具で容姿の特徴を捉えづらくしたとしても、支払いでカードを出せば日本人であることはすぐにバレてしまうだろう。


「ほとんど店員と対面することないもんね」


 そして顔認証から得られる個人情報も、基本的には決済サービスの運営元や政府に集約されるので、末端の現地人に知られることはほとんどない。

 過度な情報統制のおかげで、陽一らは快適に町を歩くことができた。


「じゃ、そろそろチェックインしとこうか」


 買い物や散策を楽しんでいるうちにいい時間になったので、ふたりは駅からほど近い高級ホテルにチェックインした。


「随分高いホテルにしたのね」


 何度かこの国を訪れたことのある花梨だったが、この町に来るのは初めてだったので、ホテル選びは陽一に――というより、彼の【鑑定+】に任せたのだった。


「いや、外資系でそれなりにグレードが高くないと、な」

「あー……」


 ある程度高いグレードのホテルでないと、客室にまでカメラが仕掛けられているのだ。


「まぁ半分旅行みたいなもんだしさ。だったらいい部屋のほうがいいだろ?」

「そうね、ありがと」


 念願のシャワーを浴びてひと息ついたあと、陽一は外出の準備を整えた。


馬子まごにも衣装ってやつかしら?」

「うるせ」


 陽一は以前カジノの町で仕立ててもらったスーツを着ていた。

 ネクタイの位置を調整したり、めずらしく整髪料で整えた髪の具合を見たりする花梨のほうは、ホテル備えつけのガウンを羽織っただけの格好だった。


「じゃ、いってらっしゃい。気をつけて」

「おう」


 ホテルを出た陽一は、町の中心にある高級レストランを訪れていた。


(ほんとは花梨と来たかったんだけどな)


 そんなことを考えながら、店に入った。


「予約していた藤堂とうどうです」

「お待ちしておりました。どうぞこちらへ」


 案内された個室で、コース料理を堪能する。

 が、ここへきた目的は食事ではない。

 ただ食事をするだけなら、花梨と来ているはずなのだ。

 とはいえ、せっかくいいレストランにきたのだから、食事も楽しむべきだろう。

 腹が減っては戦ができぬというし。


「ごちそうさま。たいへん美味しゅうございました」

「それはどうもありがとうございます」


 デザートまで堪能し尽くした陽一は、さっそく本題に入ることにした。


「すいませんが、人を呼んでいただきたい」

「シェフでございますか? それでしたら少しお待ちを――」

「あー、いえ、そうじゃなくて、その、女性を」


 給仕の女性の表情が、少し硬くなる。


「シュ……いえ、ジャン・チェンシーさんを、呼んでもらえますか?」


 そう尋ねながら、陽一は紙幣の束を給仕に渡した。


「はい、かしこまりました」


 陽一の意図を知ってか給仕の女性が、少し妖艶な笑みを浮かべる。

 紙幣を受け取った彼女は、軽く一礼して奥に下がった。

 キャッシュレスが進んだ町ではあるが、だからといって現金が価値を失ったわけではないのだ。


 すぐにグラス1杯のシャンパンが運ばれ、5分ほど待たされたところで、ひとりの女性が陽一の前に現われた。


 濃紫の髪を両サイドで団子にしてまとめた、チャイナドレスの女性である。

 深いスリットの入ったスカートから、肉感的な太ももが覗いていた。


(胸のところと……袖にもスリットが入っているのか。ちょっとエロいな)


 首までしっかりと覆われた薄紫のドレスだが、胸元は大きく開き、谷間が見えていた。

 そして袖の上部にも縦にスリットが入り、肩から二の腕までが見えるようになっている。


「ワタシを指名したのはあなたアルかー?」


 そしてその女性は、非常にクセのあるを口にした。


「ああ。ちょっと君に用があってね」

「なんの用かは言わなくてもいいアルよー。ニポン人はみんなスケベねー」


 チャイナドレスの女性は、そう言ってからかうような笑みを陽一に向けた。


 表向きはただのレストランだが、ここは女性を指名できるサービスもあった。

 その際、女性の名前を直接告げなければならないので、何度も通い詰めて常連になるか、常連の紹介が必要だった。

 ただし、安いコース料理でも日本人の平均月収は必要なので、通い詰めるのも大変だが。

 ただ、そのシステムのおかげで【鑑定+】を持つ陽一は、初見であっても彼女を指名できたのだ。


「俺が日本人だってよくわかったね。結構バレないんだけど」

「ワタシの目はごまかせないアルよー。と言いたいところだけど、藤堂なんてニポン人まる出しの名前で予約したら、一目瞭然ねー」

「そりゃそうか。ところで、そのしゃべり方、なに?」


 本題に入る前に、陽一は気になることを先に聞いておくことにした。


「日本人ウケがいいって教えてもらったアルよー」

「それで、わざわざ勉強したの?」

「そうアル。日本のアニメいっぱい見て勉強したアルよ」

「……ちなみに、どんなアニメ?」

「えっとねー、水を被ったら猫になるのと、いつも日傘さしてる女の子がゲロ吐くやつアルな」

「あー……えっと、じゃあ、そうだな。君のことはなんと呼べばいい? ジャンさん? チェンシーさん?」


 なんともコメントに困る回答に、陽一は少し強引に話題を変えた。


「チェンシーでいいアル。さんはいらないね」


 そう言いながら、チェンシーは陽一の膝にまたがり、ふわりと抱きついてきた。

 香水の匂いが、鼻をくすぐる。


「それで、どこでするアルか? お客さんの部屋? 奥にも部屋あるよ? もちろん、ここでしたいなら、それも……」


 ゆっくり話をしたいので、できれば彼女の拠点からは離れたい。

 となればホテルの部屋へいくことになるが、そこには花梨がいる。


(ま、チェンシーには部屋の外で少し待ってもらって、花梨を日本か異世界に送ればいいだろう)

「じゃあ、俺の部屋で――」


 とホテルの部屋へ誘おうとしたところ、ふっと店内の灯りが消えた。


「おや、真っ暗になったねー。なにごとアルか?」

「えっと、お店の演出とか?」

「こんな演出ないねー」


 ほどなく、非常灯らしき淡い灯りがついた。

 夜目のきく陽一であれば不自由なく動けるが、普通の人はほとんど周りが見えていないだろう。


 さてどうしたものかと考えていると、ガシャンッ! とガラスの割れる音が聞こえ、そのあとに荒々しい足音が続いた。

 さらにテーブルや椅子が倒れたり、グラスや皿が割れたりする音が立て続けに鳴り、そこに悲鳴と怒号が混じり始める。


「強盗?」

「さぁ? でも、ろくでもない連中に決まってるアルなー」


 どうやらレストランが何者かの襲撃を受けているらしい。

 いくら監視を厳しくしても、犯罪がなくなることはないようだ。

 それにしても、なんとタイミングの悪いことか。


「さっさとチェンシーを探せ!」

「おいお前! ジャン・チェンシーはどこだ!?」


 そのうえ、先方は陽一と同じ相手に用があるらしい。


「君を探してるみたいだけど?」

「ワタシの知り合いみんないい人ばっかりアル。たぶん人違いね!」


 本気か嘘かそんなことを言っていると、奥から初老の女性が現われた。


「チェンシー、悪いけどさっさと出てくれるかい」

「あら、か弱い女性をあんな荒っぽい連中に差し出そうっていうの?」


 チェンシーのしゃべり方が変わったのは、現地語を話しているからだろう。


「知ったこっちゃないね!」

「仲間でしょう? 守ってちょうだいな」

「なにが仲間なもんか! 黄老こうろうの口利きだから雇ってやったけど、タンチャオなんて面倒な連中に目をつけられるなんて……やっぱフリーにゃロクなやつがいないね!」


 タンチャオという言葉を耳にした瞬間、チェンシーは口元を歪めて小さく舌打ちをしたが、すぐに表情をあらためた。


「もたもたしないでさっさといきな! あと、今回の損失は黄老に請求するからね」

「はいはい、お好きにどうぞ」


 そこでチェンシーは、陽一から離れてすっと立ち上がった。


「お客さんごめんなさいねー、ちょっと野暮用ができたアルよ」

「その前に聞きたいんだけど、タンチャオってなに?」


 陽一の問いかけに、チェンシーは大きく目を見開く。


「アイヤー、お客さんこっちの言葉わかるアルか?」

「日本人だとバレないくらいにはしゃべれるよ」

「そう。だったらこっちのしゃべり方のほうがいいのかしら?」

「どっちでもいいよ」

「あらそう? ま、なんにせよここでじっとしててくださいな。タンチャオのことなんて、日本人は知らなくていいから忘れなさい」


 そこでチェンシーは、初老の女性に向き直る。


「私はともかく、お客さんはちゃんと守ってくれるわよね?」

「ああ。客になにかあったら大変だからね」


 どうやら客である陽一のことはかくまってくれるらしい。


「じゃあ、いってくるわね」

「待って」


 歩き出そうとするチェンシーを呼び止め、陽一は立ち上がった。


「俺もいこう。悪いけどこっちが先客なんでね」

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