第7話 内陸部の摩天楼

 夜中、トイレにいきたくて目を覚ました。


 時計を見たが、まだ寝入ってから1時間ほどしか経っていない。

 寝台列車という初めての経験が楽しかったのか、ついつい酒を多く飲んでしまったせいだろう。

 酒に酔わないとはいえ、飲んだものが出るのは仕方がない。


 下段ベッドに座っていた花梨はそのままそこで眠り、陽一は上段に移動して寝ていた。

 天井で頭を打たないように気をつけながら、床に下り、トイレを済ませた。


「すぅ……すぅ……」


 下段ベッドでは、花梨がうつ伏せに眠っていた。

 陽一が立てた物音に起きることもなく、気持ちよさそうに。

 走行に伴う音や振動がそこそこあるので、気づかなくても仕方がないのかもしれない。


 灯りはすでに落とされているが、非常灯があるので真っ暗闇というわけではない。

 普通の人ならほとんど見えないだろうが、なんといっても陽一は夜目がきく。

 心地よく寝息を立てる花梨の姿がはっきりと見えた。


「まったく、風邪引くぞ……」


 寝返りを打っているうちに剥がれた布団が、床に落ちかけていた。

 薄手のルームウェアを着る花梨にはほとんどかかっていない。


 【健康体β】があるので風邪をひくことはないが、放ってもおけないので、布団をかけ直してやろうと花梨に近づくと、ルームウェアが少しめくれているのに気づいた。

 めくれたところからわずかに腰が見え、下も少しずれているのかショーツが目に入った。


「すぅ……すぅ……」


 花梨はあいかわらず、寝息を立てている。


 陽一はルームウェアのウェストに手をかけ、ゆっくりとずらしていった。


○●○●


「おはよ」

「ん、おはよう」


 下段のベッドで目を覚ますと、先に目を覚ました花梨がソファに座ってお茶を飲んでいた。


「早いな」

「あたしもさっき起きたばっかりよ」


 なんやかんやで昨夜はいろいろと楽しんでしまった。


「思ったとおり、ベッドは収納できないな」

「タオルを敷いておいて正解だったわね」


 いろいろあってベッドを汚しそうになったので、慌てて身体の下に数枚のバスタオルを敷いた。

 壁に据えつけるタイプのベッドは、やはり収納できなかった。これを汚していれば、少し面倒なことになっていただろう。


「あぁ、タオルがガビガビだ……」

「さっさときれいにしなさいよ」


 敷いたタオルの汚れていない部分で身体の汚れを軽く拭いたあと、トイレに入った。

 用を足すついでに、洗面台でタオルを濡らして汚れた部分をきれいに拭う。

 シャワーがないのが、少し悔やまれた。

 使ったタオルは、【無限収納+】に収めて汚れを分離した。


「陽一、あたしもタオル」

「はいよ」

「ありがと。ソファ、使っていいわよ」

「おう、悪いな」


 陽一からタオルを受け取った花梨は、入れ違いにトイレに入った。


「はぁ……」


 そして出てくるなり、陽一の顔を見てため息を漏らす。


「なんだよ」

「男はいいわよね。拭いたらそれで終わりなんだから」

「ん?」


 まだ起きたばかりであまり頭の働いていない陽一は、花梨の言いたいことがいまいちわからず首を傾げた。


「ん……」


 陽一に向かい合うかたちで下段ベッドに座った花梨は、腰を下ろすなり眉をひそめた。


「あぁ……もう……」


 そしてすぐに立ち上がる。


「陽一、もう1回タオル」

「あー、はい」


 ようやく花梨の言いたいことを理解した陽一は、少し申し訳なさそうにタオルを差し出した。

 花梨はそれをひっつかんで、再びトイレに入る。


「ふぅ……」

「次はゴム、使う?」


 トイレから出てきた花梨に、陽一は少し人の悪い笑みを浮かべてそう問いかけた。


「……いらない」


 頬を赤らめ、顔を逸らしながら、花梨は少し汚れたタオルを陽一に返した。


 ふたりが起きたのはまだかなり早い時間で、到着まで2時間ほど余裕があった。

 車窓からの景色を眺めているうちに、陽一はしっかりと目が覚め、花梨の表情も穏やかになった。


「自然の風景を見てると、日本とは違うんだってことがよくわかるな」

「そうね。山水画に描かれそうな山とか谷を見ると、大陸に来たんだって感じよね」


 いくつもの山や渓谷を越えて、高速鉄道は進んだ。トンネルを抜け、谷を越え、川を越え。

 自然の風景がしばらく続いたかと思えば、ときおり町が顔を出す。


「陽一、そろそろ着くわよ」

「ん、そうか」


 少しうつらうつらとしていた陽一は、花梨の言葉で目を覚ました。


「思ってたより全然疲れなかったわね。やっぱりスキルのおかげ?」

「いやいや、花梨が寝台を取ってくれたおかげだよ。グリフォン便に比べたら天国だ」

「そんなにヒドいの? 逆に乗ってみたくなるわね」

「やめとけやめとけ」


 12時間におよぶ長い旅程が終わりを迎えようとしたころ、陽一は窓から外を見ながらわずかに目を細めた。


 目的地が近づくにつれて自然は減り、逆に景色に占める人工物の割合が増えてきた。

 田舎町から徐々に都会へ。

 建物や舗装された道路が増え日本の地方都市と変わらない風景がしばらく続いたあと、突然摩天楼が現われた。


「……すごいな」

「ほんとに……」


 列車の向かう先にある景色に、陽一と花梨は目を奪われ、感嘆の声を漏らした。


 天をくような高層ビルが、数えきれないほど建ち並んでいる。


 まるでそこだけが別世界であるかのように存在する摩天楼群。

 そんな異様な景色の中に、ふたりの乗った列車は飲み込まれていくのだった。

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