第6話 安心で安全な社会

 陽一と花梨は通常の手続きを経て渡航し、夕方の少し遅い時間に大陸東海岸の町へと降り立った。


 荷物はすべて【無限収納+】に収納できるが、手ぶらだと怪しまれるので、適当に衣類や化粧品などを詰めたスーツケースを持っている。

 入国手続きを問題なく終え、ガヤガヤとした空港を出た陽一は、町の整然とした様子に少し驚いた。


「もうちょっとごちゃごちゃしてるイメージだったんだけどな」


 さすがに自転車が大通りを占拠していた昭和のイメージは払拭ふっしょくされていたが、それでも交通法規を無視した自動車やバイクが走り回り、クラクションやら怒号に埋め尽くされている雑多な街並みという勝手な印象を持っていた。


 発展もめざましく、自分が知っているころよりも人は増えているはずだから、町はより混沌としているのではないかと思っていたのだが、道を行く人も車もきっちりと交通法規を遵守していて、驚くほど整然としていた。


「交通違反なんかは、すぐにカメラに撮られちゃうからね。日本と違って容赦ないのよ」

「それって正確に取り締まれるのか?」

「疑わしきは罰するんじゃない?」


 花梨によると、この国には相当数のカメラが設置されていて、人民はすべて監視されているということだった。

 試しに陽一は周りにあるカメラの場所を【鑑定+】を使って調べてみた。


「……マジかよ」


 想像をはるかに超える数に、陽一は絶句する。

 日本も都市部では防犯カメラの設置が進められているが、はっきりいって比べものにならなかった。


「どうしたの?」

「いや、カメラの数、すごいなって」

「ふふ、すごいわよね。しかもこれ、ほとんどがオンラインで中央に送られてるらしいのよ」

「個人情報もくそもないな」

「そういう国なのよ。気にしてもしょうがないし、電車の時間まで買い物でもしましょうか」

「そうだな」

「あ、その前に、あれやっときなよ」

「おっと、そうだったな」


 スマートフォンを手に取った陽一は、SIMカードを入れ替えた。

 通信に問題がないことを確認したあと、必要なアプリを立ち上げ、ログイン状況を見ていく。


「どう?」

「うん、問題ない」


 陽一は町を歩きながら、人々の様子を観察した。


「なんていうか、みんな普通に過ごしてんな」

「監視されてるわりには、って言いたいの?」

「そうそう。俺、ちょっと居心地が悪いんだけどな」

「慣れるわよ。さっきも言ったけど、気にしてもしょうがないもの。それに、悪いことばっかりじゃないし、みんな受け入れてるんじゃないかしら」


 花梨の言うとおり、人々に悲壮感も閉塞感もない。

 想像していたような混沌とした空気がないだけで、むしろ活気にあふれていると言っていいだろう。


「さて、このお店にしよっか。お土産買っとかないとね」


 少し大きめの商店に入ったふたりは、カートを押しながら店内を歩く。


「ねぇ、フランさまってお酒好きだから、紹興酒とかどうかな?」

「だったら師匠のぶんもついでに……って、変なもん入ってないか?」

「ここのは大丈夫よ。あ、でもダークエルフが飲んでも問題ないかな? ちょっと見てくれる?」

「んー……大丈夫っぽいな」

「ふふ、スキルって便利ね」

「アラーナにはこっちのお茶とかどうかな?」

「そうね。あの娘こういう上品なものが結構好きだし」

「実里は……たしか辛いのが好きだったよな」

「あの娘は麻辣マーラーでいうとマーのほうが好きだから、向こうで買ったほうがいいかもね」


 花梨の言う『マー』は、山椒や花椒ホアジャオなどで感じられる、痺れるような辛さのことで、『麻味まみ』と呼ばれる。

 対して『ラー』のほうは『辣味らつみ』といい、唐辛子などで感じられるような辛さを指す。


「サマンサにはなに買おうかな。レアメタルとか?」

「さすがに小売りはしてないでしょ。あの娘は甘いものが好きなんだっけ?」

「最近は【解析】やらなんやらで頭使うことが多くてな。甘いものがほしいっていうから練りようかんをあげたらハマったみたいで、小腹が空いたらパクパク食ってるよ」

「エンジニアみたいなもんだもんね。だったら月餅げっぺいとかいいんじゃない?」

「お、ありだな」


 親しい人たちの顔を思い浮かべつつ、なにが喜ばれるかを考えながらの買い物は、なかなか楽しかった。


「あたしたちの旅のお供も買っておこうよ」

「そうだな。せっかくだし、珍しいものを……」


 長い道中で飲み食いするものも適当に選んでカートに放り込んでいく。

 こういうとき、【健康体α】や【健康体β】のおかげで細かいことを気にしなくていいのは助かった。

 いまのふたりなら、たとえ致死性の毒を盛られても、腹を下す程度で済むだろう。


「ほんと、スキルって便利よね。いまなら地溝油ちこうゆだって怖くないわ」

「積極的に食べたいとは思わんけどな」


 くだらないことを言い合いながらの買い物は、やっぱり、とても楽しかった。


「おい、現金が使えないってどういうことだ!」


 そろそろ出ようかというとき、レジのほうから怒鳴り声が聞こえてきた。

 どうやら欧米系の観光客が、レジ担当に文句を言っているみたいだ。


「表には現金も使えるって書いてあるじゃないか!」

「それが偽札だったら私が罰せられます」


 店員のほうは露骨に嫌な表情をしているが、口調は妙に丁寧だった。

 おそらく英語で対応しているからだろう。


「これは空港で両替したものだぞ? 偽札のわけがないだろう!!」

「私は現金は扱いません。理解できないならお帰りください」

「なんだと!?」

「次の方どうぞー」

「おい、待て!」


 観光客のほうは怒っているが、店員は相手にするつもりがないようだ。


「ああいう強気な態度をとれるのって、ちょっと羨ましいよ」

「そういやコンビニバイトのころ、たまに愚痴ってたよね」

「日本人が品行方正っていうの、たぶん別の世界線の話だぜ?」

「あたしも接客やってたから、陽一の言ってることは身に染みて理解できるわよ」


 ふたりは呆れ気味にそんな話をしながら、押し問答を続ける客と店員の様子を横目に見ていた。


「わ、わかった……! カードならいいだろう!?」

「クレジットカード?」

「そうだ! これだ」

「はぁ……いいでしょう」


 露骨に面倒くさそうな態度を見せながら、店員は渋々対応し始めた。


「クレジットカードすら面倒くさがられるのな」

「こっちじゃ二次元コード決済が当たり前だもの」


 そんな有人レジの横を素通りしたふたりは、カートを所定の位置に置く。

 専用の機械が商品につけられたタグを一瞬で読み取り、合計金額が表示された。


「でもって、ここじゃあそれすら必要ないのよね」


 そんなことを言っているうちに、顔認証による決済が終了した。


「ほんとに一瞬だったな」


 花梨の助言に従って、事前に顔認証機能つきのオンライン決済アプリを導入していたのは、正解だったというわけだ。


「ここは監視社会がいきすぎて、逆に快適になってるのよ」

「それっていいことなのかねぇ……ていうか、この写真盛り過ぎじゃね?」


 顔認証機能付き自動レジのモニターに、カメラで捉えた陽一の顔が映し出されているのだが、実物よりも目が大きく、肌が白い。


「導入当初、女性の顔認証決済利用率が男性の半分以下だったのよ。それでこの補正機能を追加したら、女性の利用客がすごく増えたんだって」

「へぇ……」


 感心すべきか呆れるべきか、複雑な感情を抱えたまま、陽一はついでに購入したエコバッグに商品を詰め、店を出た。

 それから物陰――といってもカメラには映っているが――に移動してスーツケースへと荷物を移し替えたあと、中身だけを【無限収納+】へ収め、ふたたび町を歩き始めた。


「少なくとも、以前よりは暮らしやすくなってるみたいね」


 オンライン決済を政府が採用したことで、この国は劇的に変化したという。


「納税から罰金の支払いまで、二次元コードでピッ、だもん」

「おかげで賄賂わいろが減ったんだって?」

「都市部ではほぼ根絶よ。役人の腐敗はこの国のお家芸なんだけどねぇ」

「そのうえ偽札も減ったんだよな?」


 先ほどの商店での光景を思い出す。

 オンライン決済によって現金の流通が減り、偽札被害もかなり少なくなったという。

 いまや路上の投げ銭や施しですら、この国ではオンライン決済なのだ。


「いいことずくめじゃないか?」

「見えないところでいろんな歪みがあるんでしょうけどね。ま、あたしたち外国人観光客には関係ないわ」


 思想や言論の統制、行政革命による文化や教育の破壊など、問題をあげればキリがない国ではあるが、どういう社会であれ人はたくましく生きるものらしい。


「そろそろ時間だな」


 日が暮れ、すっかり暗くなってしまった夜の町を歩いているうちに電車に乗る時間を迎えた。

 ふたりは駅へ行き、ホームに待機していた高速鉄道に乗り込んだ。


「お、寝台!」

「ふっふー、いちばん高い個室にしたのよ」


 花梨が手配したのは夜行寝台列車の高級こうきゅう軟臥なんがと呼ばれるシートだ。

 ふたり用の個室で、上下二段のベッドにひとりがけのソファとサイドテーブル、それに小さいながらも洗面台とトイレがついている。


「ソファのほう、どうぞ」

「お、悪いな」


 陽一にソファを勧めた花梨は、サイドテーブルを挟んだところにある下段ベッドに腰かけた。


「おー、快適快適」


 ソファに身を沈め、窓から景色を眺める。

 といっても町を離れてからは、ほとんど真っ暗だった。


「……ま、夜だしな」

「時間はあるんだし、お酒でも飲みながらゆっくりしようよ」


 先ほどの町で自分たち用に購入した紹興酒と、適当に買ったおつまみを出した。


「それにしても、あたしたちの旅行も随分豪華になったわね」


 テーブルに広げられた酒やつまみをみて、花梨がしみじみとそう言った。


「どうしたんだよ、急に」

「ほら、いつだったか、ふたりで電車に乗って旅行に行ったことがあったじゃない?」

「ああ、近場の温泉旅館だったかな」


 当時は陽一が学生時代からのコンビニバイトをまだ惰性で続けていて、花梨は就職してそれほど経っていない時期だった。


「あのときは、あれで精一杯だったな」


 陽一がそう言って、自嘲気味に笑う。

 電車の普通座席で移動し、近くの安い温泉旅館で1泊しただけの、短い旅行だった。


「あら、あたしは楽しかったわよ、あの旅行」

「そりゃ俺だって楽しかったさ。でもまぁ……」


 そこで言葉を区切った陽一は、室内を見回した。


「こんな豪華な旅ができるようになるとは、思ってなかったな」

「ほんと、びっくりよね……ふふっ」


 狭い座席に並んで座っていたふたりが、寝台列車の個室を借りきっているのだ。

 20代前半だった当時はもちろん、ほんの数年前ですら想像できないことをあっさりとやってのけていることに、ふたりは感心しながらも半ば呆れたように笑い合った。


「昔を思い出してしんみりってのもいいけど、いまはこの旅を楽しもうぜ」


 空気を変えるようにそう言ったあと、陽一は【無限収納+】からグラスをふたつ取り出してテーブルに置いた。


「ええ、そうね」


 紹興酒の瓶を持った花梨が、それぞれのグラスに中身を注いでいく。


 ふたつのグラスが半分ほど満たされたところで、ふたりはグラスを持って掲げた。

「あー、それじゃあ旅の無事を祈って」

「「乾杯」」

 コツンとグラスを重ねて軽く喉を鳴らしたあと、どちらからともなくつまみに手をのばした。

「紹興酒って、案外クセないのな」

「種類にもよるんだけど、これはちょっと甘いわね。で、陽一が買ったそれ、なに?」

「鴨舌……鴨の舌、かな?」

「たしかアヒルの舌じゃなかったかしら」

「……ん、中のほうに軟骨があるのか」

「なんだか手羽先っぽいわね」

「花梨が買ったそれはなんだ? 豆?」

「ヒマワリの種。結構イケるのよ?」

「お、たしかに悪くないかも」

 ときおり車窓に現れる町の灯りを眺めながら、珍しいつまみとともに紹興酒をちびちびと飲む。そうやってまったりと過ごしながら、高速鉄道での夜は更けていった。

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